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奈良県にある霊山寺の縁起によれば

右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。

とあります。

http://www.ryosenji.jp/engienkaku.html

この小野富人という人物について知りたいのですが
ネットで検索しても出てくるのは霊山寺の縁起ばかりです。
(調べたりないのかもしれませんが)

正史などに、小野富人という人物の記述はないのでしょうか?

霊山寺の縁起以外に、小野富人についての情報をご存知の方、
ぜひ教えて下さい!

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

右大臣というのは左大臣に次ぐ国家第二の職です。


大化の改新後の政権では、例えば

蘇我倉山田石川麻呂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91% …
という「大物」が就任しております。

一方、小野氏というのは、右大臣や左大臣になるほどの家格ではありません。小野妹子という人を出したので知られていますが、その後は奈良時代・平安時代に何人か歴史に名を残す人を出していますが「その程度」です。

「小野富人」という名前ははじめて聞いたのですが、架空の人物の可能性が高いと考えます。手元の資料をいくつか見ましたが、載っておりませんし、「小野妹子の息子」の情報も見つける事が出来ませんでした。

確実なことをお知りになりたい場合は、
吉川弘文館の「国史大辞典」

「おののとみひと」
を引いてみると良いでしょう。
この辞典で立項されていなければ「架空の人物」です。

「国史大辞典」は、大学の図書館、公共の図書館であれば通常ワンセット揃えてあります。日本史で何か分からないことがあれば、これを参照すればまずは十分な知識を得られますので、覚えておいて下さい。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

いろいろ資料を探してくださったとのこと、嬉しいです(涙)。

小野氏は右大臣や左大臣になるほどの家格ではなかったのですね。
「国史大辞典」の情報も下さりありがとうございます。
これから活用したいと思いマス!

お礼日時:2009/05/20 09:47

ウィキペディアで「右大臣」で検索すれば、歴代の右大臣の一覧も見ることができます。


それには、「小野富人」という名前はありませんでしたが…。

余談ですが、小野妹子の子で小野毛人という人が、天武天皇の時代に太政官を勤めていました。小野毛人の墓は京都市の崇道神社裏山にあり、墓誌(亡くなった方の名前や死亡年月日・行年が刻まれている石碑)が国宝になっています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

ウィキペディアに歴代右大臣の一覧がありましたか。
うかつでした!

小野妹子の子としては毛人という人物のことしか聞いたことがないですよね。
毛人の墓誌・・・見てみたいです!

お礼日時:2009/05/20 09:50

No.2 です。

追記です☆

627年まで右大臣を勤めていたのは、中臣金(鎌足の従兄弟)です。壬申の乱に敗れて処刑されたそうです。
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この回答へのお礼

追記をありがとうございます(嬉涙)。

今ウィキペディアを見てみましたが
確かに中臣金となっていますね。

どうやら小野富人は架空の人物と考えて間違いなさそうですね。

お礼日時:2009/05/20 09:56

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