質問させていただきます。
イギリスにおける重商主義政策は市民革命を境に支持基盤や政策目的が大きく転換されたといわれますが、それはどういうことなのか、市民革命の意義も踏まえたうえで説明して頂きたいです。
調べてもさっぱりわからず、困っております。
ご教授お願い致します。

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A 回答 (1件)

>それはどういうことなのか


この言葉の意図がよくわからないのですが、ご質問の内容は「イギリスにおける重商主義政策の支持基盤や政策目的は、なぜ市民革命を境に転換したのか?その転換における市民革命の意義とは何か?」ということだと考えて意見を述べさせて頂きます(間違っていたらすいません)。

それから、「市民革命」と一括りにされておられますが、その意義を考える上では、「ピューリタン革命」及び「名誉革命」と、大きくですが分けたほうがよいと思います。といいますのも、上記の転換に関して、この二つの革命は違った意義を持っているからです。

まず、「ピューリタン革命」が持つ意義とは、この革命が「請願派」及び「嫌悪派」という二つの党派を形成したというところにあると思います。前者はやがて「ホイッグ(Whig)」と呼ばれ、後者はやがて「トーリ(Tory)」と呼ばれることになります。つまり、重商主義政策の転換における2大支持基盤の土台が、「ピューリタン革命」によって形成されたのです。

そして、「名誉革命」期になると、「ホイッグ」は大地主や大商人、及び金融業者に支持されます。一方で「トーリ」を支持したのは中小地主です。この関係からもわかるように、「ホイッグ」は重商主義的な保護貿易政策を主張していましたし、「トーリ」は自由貿易政策を主張していました。つまり、ご質問にあった「転換」とはホイッグ的な重商主義的保護貿易政策からトーリ的な自由貿易政策への「転換」ということになります。「ホイッグ」と「トーリ」が掲げた原則と宗教的な観点から、「名誉革命」の意義は、イギリス議会とプロテスタンティズムを守ったというところにある思います。

この二つの革命が持つ意義を、ご質問の「転換」へとつなげるためには、「対外戦争に伴う課税」という要素を考えなければなりません。この課税は、クロムウェルの臨時税として始まりますが、ウォルポールの時代になるとそれが深刻な国内対立となります。つまり、先ほど申し上げた「ホイッグ」と「トーリ」との対立が鮮明になってくるのです。ここまでくると、政権をとった党によって、保護貿易政策をとるのか自由貿易政策をとるのかという違いが出てくることになります。これは、支持基盤の力関係によって決定されますので、長い間、重商主義的な貿易政策が採られることになります。しかし、アダム・スミスの重商主義批判や、穀物法論争などにより徐々に時代の流れは自由貿易へと傾いていくことになります。

「市民革命」を大まかに分けたこともあって、かなり雑な文章ですが、ご参考までに。
もう少し詳しくお調べになるときの参考までに、キーワードをあげるとすると、「財政革命」「商業革命」などがあると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しく説明いただき誠にありがとうございます。
大変参考になりました!
経済はやはり難しいですね。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 13:58

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Q航海法が典型的な重商主義政策と言われるのはなぜですか?

私は世界史を選択している受験生です。

重商主義は、国家が経済に介入して国を富ませる経済政策のことを指すとよく教科書では説明されますが、それがなぜ航海法の性格となるのかがわかりません・・・。

あと、関連してもう一つ質問があるのですが、
「イギリスとフランスがそれぞれ重商主義をとって、自国の商業独占を強めたため、オランダの商業覇権は急速に傾いていった」という記述が教科書にあるのですが、フランスの重商主義がどのようにオランダに打撃を与えたのかがわかりません。
イギリスの重商主義政策である航海法はオランダ船を締め出したため、オランダに打撃を与えたというのはわかりやすいのですが、それならフランスはどのようにオランダに打撃を与えたのかがわからないのです。

どうか、ご教授のほどよろしくお願いします。

なお、私が何を疑問に思っているのかがわかりにくかったら、お手数ですが質問し返していただけたら助かります。

Aベストアンサー

まずは、大雑把な歴史の流れから。

大航海時代以前は、イングランドもフランスもオランダも神聖ローマ帝国(ドイツ)もスペインも、大した海運力(海軍力は海運力にほぼ比例します)がありませんでした。
その頃の船を使った中心は東地中海で、イタリアの海洋国家(ヴェネチア共和国・ジェノヴァ・ナポリ・アマルフィ)が中心でした。
インド(今のインドではなく、ヨーロッパより東という意味合いが強い)から香辛料を始め、奴隷や奢侈品などが、各都市国家の船でイタリアに運ばれ、一端イタリアに富みが集中した後に、陸路を通ってヨーロッパ各地に運ばれていきました。(もちろん、西地中海も経由しますが)
そして、特に北ドイツのハンザ同盟都市もバルト海の貿易を独占していました。
しかし、これらの勢力はいずれも一都市程度しか領有しておらず、富が集まるといっても、その富を集中した富国強兵政策など出来る常態でもなく、その考えもありませんでした。

しかし、スペインが「レコンキスタ」を成功させイベリア半島を統一するのと、徐々に王権を集中させていきました。
また、ルネサンスによって航海技術の向上や冒険心・探究心が高まると、大洋航海に出るモノが出てきます。
最初は、一部の金持ちの道楽だったのが、徐々に意外と富を生み出すことが判明していきます。
そして、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスなどの成功者が出たことで一気に火がつく事となりました。
スペイン王フェリペ2世が、絶対王政と言える体制を築くと、富が一気に王国に入るようになりました。
フェリペ2世時代にスペインは黄金期を享受します。
しかし、同時にオランダの独立意識を招きました。
また、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰周りの航路を発見して以来、胡椒の集積地の一つにのし上がったポルトガルもスペインに併合されてしまいました。
その結果、オランダは独自に胡椒調達をしなければならなくなります。(スペインと独立を巡って争っていたため、市場から閉め出されたので)
その過程で、防衛の為に集まるという感じで東インド会社が設立されます。
その結果、17世紀には一大経済大国として台頭することになります。

この間に同時並行という感じで、フランスやイングランドも中央集権化を進め、スペイン・オランダに対抗し始めます。
特にイングランドも東インド会社を設立し、オランダに対抗しますが、なかなか勝てずにインド以外の市場からは撤退せざる終えませんでした。
ただ、その後ことごとく英蘭は対立することになります。(英蘭戦争)

一方、フランスは一歩大航海時代に乗り遅れた感じでしたが、ルイ14世の元、ヨーロッパ大陸内で優位な立場を確保していきました。
この過程で、フランスは南ネーデルラント(ベルギー)の継承権を主張します。(南ネーデルランド戦争)
オランダは慌てて英蘭戦争を終結させると、フランスに対峙します。
一度はなんとか撤退させたものの、再びルイ14世に戦争を仕掛けられました。(オランダ戦争)

戦況は二転三転し、最初はオランダ側に付いたイングランドもフランスの画策でフランス側に付いたり、フランスの拡大を恐れて対フランスに動いたりと、かなり複雑な過程を辿りつつも、なんとかオランダ側の勝利で終結に至ります。

しかし、イングランドやフランスとの度重なる戦争で、国力が徐々に衰えていき、変って英仏が台頭していく事になりました。
名誉革命が起こってイングランドと関係が良好になったり、フランス革命後のナポレオンに侵略されたりしながら、現在に至ります。


>重商主義は、国家が経済に介入して国を富ませる経済政策のことを指すとよく教科書では説明されますが、それがなぜ航海法の性格となるのかがわかりません

富を生み出すのが、大航海時代以降は海運力に掛かっていたので、航海法によってオランダの活動を封じ込めようという政策でした。
つまり、自国との貿易からオランダ勢を排除することで、より多くの富が自国に入るように画策したワケです。
そして、同時に英蘭戦争やオランダ戦争を通じて国力を奪うことに成功しました。

>フランスの重商主義がどのようにオランダに打撃を与えたのかがわかりません

フランスは、重商主義によって強力な軍隊を作り上げることに成功しました。
結果、(諸外国の介入で目的は達成できなかったものの)オランダ戦争によって国力を奪うことには成功したと言えます。
つまり、オランダはいち早く東インド会社を作って大航海時代の黄金期を築きましたが、英仏の反発を招き、また各国の重商主義の成功によって、国力を奪われる結果を招いたと言えます。

長文失礼しました。参考になれば幸いです。

まずは、大雑把な歴史の流れから。

大航海時代以前は、イングランドもフランスもオランダも神聖ローマ帝国(ドイツ)もスペインも、大した海運力(海軍力は海運力にほぼ比例します)がありませんでした。
その頃の船を使った中心は東地中海で、イタリアの海洋国家(ヴェネチア共和国・ジェノヴァ・ナポリ・アマルフィ)が中心でした。
インド(今のインドではなく、ヨーロッパより東という意味合いが強い)から香辛料を始め、奴隷や奢侈品などが、各都市国家の船でイタリアに運ばれ、一端イタリアに富みが集中した後...続きを読む

Q「資本主義経済のおける流通費用の主要項目をあげ説明せよ」なんですが添削お願いします。

明日(今日)テストなのですがまとめてはみたんですが
こんなかんじで良いのでしょうか??

流通費用の主要項目として次の3つがあげられる。第一に純粋な
流通費と呼ばれるもの。資本家にとって売買とは主要な機能に
なるが、このことにより不生産機能が生産的機能に道理はなく、
資本の再生産過程そのものにかかる不生産的機能がふくまれて
いる、つまり、資本家が売買を担当する時にも、その労働は
価値を創造すること無く、ただ価値の形態変化を媒介するだけ
である、また、資本家は労働者の雇用により、収入から控除に
よる流通費を節約し、価値増殖に対する消極的な制限を少なく
することができる。そのため資本家による流通費用の支出が、
この場合には流通過程への追加的な資本投下となって表れる
のである。

第2に保管費と呼ばれるもので、主に生産過程に附随する
ものである。しかし保管費はそれに必要な労働力や資材が
直接生産のために用いられるものからの控除なのであって、
空費であるといえる、保管費を投じても生産物の使用価値の
量の減少や質の変化を防止するのに役立つだけである。

第3に運輸費と呼ばれるもの。運輸とは使用価値の増大をもた
らすものではないが、運輸費を物の使用価値の増加をもたらさ
ない社会的な空費としながら、他方では、生産と消費の結合で
ある社会的物質代謝に不可欠な費用として価値を形成するもの
としている。したがって運輸費とは、価値を形成し商品価値に
それが追加されるというものである。

いかがでしょうか?宜しくお願い致します。

明日(今日)テストなのですがまとめてはみたんですが
こんなかんじで良いのでしょうか??

流通費用の主要項目として次の3つがあげられる。第一に純粋な
流通費と呼ばれるもの。資本家にとって売買とは主要な機能に
なるが、このことにより不生産機能が生産的機能に道理はなく、
資本の再生産過程そのものにかかる不生産的機能がふくまれて
いる、つまり、資本家が売買を担当する時にも、その労働は
価値を創造すること無く、ただ価値の形態変化を媒介するだけ
である、また、資本家は労働者の雇用に...続きを読む

Aベストアンサー

頑張りましたね。
まるっきり専門外なのでアカデミックな部分は判りませんが、こんなのがありました。

何が正しいかは存じませんが、お書きの1点目が下記とは異なるようです。

http://radicals.tripod.co.jp/polec00/circulation.htm
上と関連して、
http://radicals.tripod.co.jp/polec00/credit.htm

Qイギリスと日本の家

イギリスの家の造りが日本と違うことを調べてレポートを書いています。家の造り自体のことは分かったのですが、イギリスの家がどうして道の形に沿って建てられているのかが分かりません。これが一番の疑問なのに・・・!どなたか、分かる方いらっしゃったら教えて下さい。

Aベストアンサー

ヨーロッパに数年居住していて感じたことは、北向きの部屋が日本ほど毛嫌いされていない、ということです。
人種や国籍、宗教、その他諸々の趣向により異なるでしょうが、現地では日本ほど南向き至上主義ではありません。

例えば色褪せながらも趣深いアンティークのタペストリーや絵画を壁一面に飾りたいからとか、
またはシルクタフタの重厚なカーテンをゆるゆると床面たっぷりにまで垂れさせて
居室に優美さを醸し出させたいから、とか、
或いは先祖代々から受け継いだ絹張りの椅子や工芸品を窓際にあえて置きたいから、とか。
イギリスもアンティークの宝庫ですよね♪

貴重なインテリアや所持する芸術的作品を「保護」するためにも、日当たりの良くない道なりに沿った小さな窓の家というのは
まさに好都合なわけです。

首都であるロンドンも緑が多く、いたるところに公園がありますよね。
散歩をして安らぐのにまさに絶好の場所といえます。
また、イギリス人が各自の庭でガーデニングに精を出して木々の緑や花々を愛でることを好むところも
周知のことかと思われます。

このような趣向というのも、イギリスの家の室内の窓の狭小さ、薄暗さ、そして
道沿いに家が建てられて内庭があることと、
何らかの関係があるかもしれませんね♪

ヨーロッパに数年居住していて感じたことは、北向きの部屋が日本ほど毛嫌いされていない、ということです。
人種や国籍、宗教、その他諸々の趣向により異なるでしょうが、現地では日本ほど南向き至上主義ではありません。

例えば色褪せながらも趣深いアンティークのタペストリーや絵画を壁一面に飾りたいからとか、
またはシルクタフタの重厚なカーテンをゆるゆると床面たっぷりにまで垂れさせて
居室に優美さを醸し出させたいから、とか、
或いは先祖代々から受け継いだ絹張りの椅子や工芸品を窓際にあえ...続きを読む

Q産業革命前夜のイギリス経済について

およそ1700年~1750年代の間に、農業発展にともなう大衆購買力の上昇があったと勉強しました。このころ、
(1)穀物輸出国への転換
(2)農業人口割合の低下
(3)農業生産力急上昇
があるとも勉強しました。
ここで疑問なんですが、
どうして農業人口割合が低下するのですか?輸出国へ転換するということは、もっと生産を増やさなくてはいけないということですよね?それとも、農業生産力の上昇によって、農業人口の減少に伴う生産物の減少分を上回る生産が可能なのですか?(1)(2)(3)の因果関係と、順番を簡単に教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

イギリスの産業革命では.その下地として.重商主義の発達がありました。
重商主義の流れの一環として.産業革命を考えています。

イギリスは.へんぴな農村であり.特に産業らしきものはありませんでした。が.植民地を持つようになり.原料供給地区と製品市場としての植民地が確保され.産業発展の基盤となりました。
初期の英国では.主な輸出品が羊毛製品です。製品を生産販売しているのは英国の地方の豪族(貴族・領主等)です。囲い込み前はみずからの領土内に.領民を住まわせ.領民の生産物を販売して生活を立てていました。その中で.羊毛製品の市場価値が上昇し.豪族はみずからの利益を確保するために作付けを変更しました。つまり.各種農作物を作りある程度の自給自足生活を送っていた領民を追い出し.柵を作り柵の中で羊を飼うようになったのです。
これが.囲い込み運動です。農村での生産性が向上しました。が.住まいを追われた旧領民は.都市部に移住しスラム街を構築して行きました。
都市計画の成功例の見本としてイギリスの都市計画があげられます。この都市計画の考え方は.農村部に住む豪族が都市部に出かけて仕事をする。沿道には商店が並び.その奥に都市系住民が居住する様子が描かれます。この状況です。沿道の商店は.食い物がなくのた打ち回る都市系住民・糞尿を捨てる場所がなく室内に積み上げている都市系住民の生活を為政者である農村部に住んでいる住民の目に触れないようにする目的があります。
この後に産業革命が始まるのですが.この内容は省略します。

一方為政者でもある農村の豪族は.羊毛製品の輸出によって富を貯えて行きました。一方では.植民地からただ同然で原料が供給され.工業生産が盛んになってきました。初期の重商主義では.工業生産を盛んにするために障害となる海外製品の輸入規制を主体とする重商主義が取られましたが.貿易業者への富の蓄積は貿易業者の利益保護を主体とする重商主義へと変化し.イギリス工業は衰退しました。

簡単に言えば.貧乏人の食い物(自家消費の為に生産性が向上しない)を作らなくして.都市部に追い出し飢え死にさせ.輸出商品を専門に作るようになって売り上げを伸ばした(農業生産性が向上した)という内容です。
ただ.この内容が.いつ頃の内容が年代を覚えていません。

英国の日本に知られているような経済学者の著作ならば.当時の様子がよくえがかれています。囲い込み.つまり牧畜経営を推奨した経済学者.都市計画を推進させた経済学者.重商主義を唱えた経済学者.色々いますので適当に見つけてよんで下さい。

イギリスの産業革命では.その下地として.重商主義の発達がありました。
重商主義の流れの一環として.産業革命を考えています。

イギリスは.へんぴな農村であり.特に産業らしきものはありませんでした。が.植民地を持つようになり.原料供給地区と製品市場としての植民地が確保され.産業発展の基盤となりました。
初期の英国では.主な輸出品が羊毛製品です。製品を生産販売しているのは英国の地方の豪族(貴族・領主等)です。囲い込み前はみずからの領土内に.領民を住まわせ.領民の生産物を販売し...続きを読む

Q今とっさによぎったどうでもいいことなんですけど、もし高層マンションで火事などが起きたとき消防士が助け

今とっさによぎったどうでもいいことなんですけど、もし高層マンションで火事などが起きたとき消防士が助けに行けないほどの炎だったときパラシュートで降りればいいんじゃないのかと思ったんですけど、どう思いますか?(どうでもよくてすんません)

Aベストアンサー

消防関係の仕事をした経験があり、消火戦術作成もやってました。
あなたのアイデアの難点は消防士のパラシュート訓練者はいないということと,
高層マンションでの火災では上昇気流が発生しパラシュート降下は困難という
ことです。
私も昔、ラジコンヘリによる火災現場の俯瞰観察による消火戦術を考えたことが
ありますが、断念しました。
高層マンション火災での救助方法は気流が問題なければヘリで消防士を降ろし、
救助するという方法も考えられますね。海外ではやってますね。
でも火災が拡大したら逃げられない。
海難事故ではやっていますね。

Qなぜイギリスで最初に産業革命が起こったのか?

今日大学の試験があります。
もちろん徹夜です^^;

ここだけは絶対押さえておかないとダメだよ
みたいなポイントがあればご伝授ねがいます。

m(_ _)m

Aベストアンサー

「産業革命 イギリス なぜ」を入れると、下記を含めヒットします。コンパクトにまとめています。

参考URL:http://www.nagaitosiya.com/lecture/0099.htm

Q日本人差別が少ない国

昨年イギリスに行き「これでもか!!」って程差別をされ、もう二度と海外なんて行かない。って思ってたんですけど、また行きたくなったので教えて下さい。

予定としてはアメリカ行きたいなぁって思ってるんですけど、調べたところによるとアメリカで差別された人の経験談が書いてあり「うわぁスーパーカントリーでも差別ってあるんや」って思ったんですけど、日本人ってどこでも差別されるの?と思い凹み気味です、僕が行きたい国としてはポーランド バルト3国 ロシア インド ベネズエラ と渋い国ばかりなのですが、この中で日本人を差別しない国ってありますか?

これ以外にも「この国は凄く親日」というような国があれば教えて下さい、ホントに困り果てています、、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>エストニアに行きたいんですけど、今地図で確認した
>所泳いでいけるんじゃないか!?って程近いですよ
>ね。

近いです。エストニアは文化圏的にはロシアよりもフィンランドの方に近いです。フィンランドからエストニアへの船は頻繁に出ています。一日に何往復もでています。なぜかというと、フィンランドよりエストニアのほうが物価が安いからです。フィンランドの人がみんなエストニアに買出しに行きます。特にお酒をいっぱい買ってきます。あまりフィンランドからの買い物客が多いので、買いだめするときにはエストニアに一泊しなければならないという決まりまでできたくらいです。フィンランドとエストニアはほとんど同国と思っていいくらい、親密な国です。

Q共産主義国家、社会主義国家、自由主義国家の違い

共産主義国家、社会主義国家、自由主義国家の違いを教えてください

前回、カテゴリを間違えて投稿してしまいましたので、再び投稿させていただきます

Aベストアンサー

まず自由主義の説明から、
自由主義は元々は市民革命に揺れる1600年代のイギリス辺りで確立したシステムです。ちなみに、それを理論化したのが哲学者のロックです。
その基本は私的所有権です。
つまり経済的には
1.俺のものは俺のものである。
2.俺が働いて稼いだものも俺のものである。
3.それを侵害してはならない。
という考えの社会です。

つまり、経済システムに限るなら、純粋な自由主義は純粋な資本主義と考えていいでしょう。
この考えの下、人類は大幅な躍進を遂げたわけですが200年ぐらいして、1800年代中ごろから格差が拡大し恐慌が頻発するようになります。
一方では餓死者が発生する反面、一方では商品が売れず廃棄され首をつる資本家が続出するわけです。
それを見た人々の中から自由主義・資本主義には根本的問題があるのではないか?問題解決に何らかの措置が必要なのではないか?という考えが生まれます。

そういう考え一般を、社会主義といいます。
ですから、自由主義・資本主義に何らかの措置が必要だとしてもどれくらいの措置が必要かというのはそれぞれ異なるわけです。
ソ連のように資本主義を原則否定するような国もあれば、戦前のナチスや日本のように独裁政治に都合のいいように資本主義を改造し利用するような国もあれば、現在の北欧国家のように民主主義と自由経済については最大限確保するけれども税や保険などの制度を通して分配は平等にすることで修正を目論むという考えもあります。
ですから、日本やアメリカのような国ですら1800年代の資本主義と比べればかなり社会主義的です。

そして共産主義とは社会主義の中で最も過激な思想です。
つまり、貧者が生まれるのは資本主義が原因なのだから、諸悪の根源である資本主義なんていうシステムなんて捨て去るべきだという考えです。
その為には、私有財産制度を否定し全て国で管理することで、平等な社会を実現しようという思想です。これは銀行強盗が生まれるのはお金があるからだ、だからお金なんてなくしてしまえばいいんだというレベルの論です。
そういう考えを主張した人は沢山いましたが、その中で最も多くの人々から賛同を得たのがマルクスです。
しかし、共産主義思想はあまりにも人間原理を無視した考えだったので上手く行きませんでした。

また、共産主義はあまりにも高い理想なため、共産主義に移行するにはステップが必要だと考えられました。
つまり最終的には共産主義を目指すんだけど、その過程として社会主義を経由するということです。
ですから、ソ連は共産主義国の建設を目指す共産党がその過程として作り上げた社会主義国なわけです。
(まあ共産主義国家なんて神の国と同じ永遠に到達することのないマヤカシの希望なわけですが…)
ですから、共産主義系の社会主義は、基本的に資本主義否定します。
そして資本主義とは経済的自由主義ですから資本主義を否定するということは自由主義を否定するということでもあるわけです。

ちなみに共産主義社会は、国民皆が配給だか生活保護を受け取り、国民皆が国営工場で配給だか生活保護の原資を稼ぐ社会のようなものを想定していたっぽいです。
それに近いモノといえば戦時中の日本でしょうか、国民皆が国の命令で軍需工場などでほぼ無給で働き、国民皆が国から食料などの配給を受けていた時代が最も共産主義的だったと思います。


・補論 社会主義と自由主義 平等と自由
例え北欧系の社会主義であっても経済的自由は阻害されます。
年収1000万円の人が税金で半分持っていかれたら、500万円分出来た筈のことができなくなるわけですから、その分自由を阻害されていることになります。
頑張って必死に稼いだお金をそのように取り上げられるのには反発が起きて当然ですし、何も考えずに金持ちから金を取って貧乏人に分配すれば、有能な働き者から金を奪い無能な怠け者に金を渡すということにもなりかねません。

しかし、それと同時に一方では使い切れないほどのお金があるのに、もう一方では明日の食費も困っているという社会に問題があるのも事実です。

ですので、この二つの問題をどれだけ両立させた上で、どちらを重視するのかというのが、ここ100年の経済的課題です。

まず自由主義の説明から、
自由主義は元々は市民革命に揺れる1600年代のイギリス辺りで確立したシステムです。ちなみに、それを理論化したのが哲学者のロックです。
その基本は私的所有権です。
つまり経済的には
1.俺のものは俺のものである。
2.俺が働いて稼いだものも俺のものである。
3.それを侵害してはならない。
という考えの社会です。

つまり、経済システムに限るなら、純粋な自由主義は純粋な資本主義と考えていいでしょう。
この考えの下、人類は大幅な躍進を遂げたわけですが200年ぐらいして、...続きを読む

Qイギリス 選挙制度

イギリスの選挙制度においては、地元からの立候補が禁止されていると聞きましたが、ほんとうでしょうか。ネット上では裏がとれなかったので、ご存知の方がいらしたら、少し詳しく教えていただければ幸いです。

Aベストアンサー

法律によって禁じられてはいません。

(1979年の英国総選挙時(労働党のキャラハン内閣に代わり保守党サッチャー首相登場)、サッチャー氏選挙区に居住していた経験を踏まえて回答します。確か、サッチャー氏は現居住地選挙区に立候補してたと思います。選挙運動で戸別訪問して回っていたとき、我家の前で秘書か誰かが「この家は外国人」といい、同氏はそれでもニッコリ手を振って隣の家に行きました。)

英国では、総じて選挙民は政治家に対し地元への利益誘導より国のために大所高所からの議論、活躍を求められております。新人候補はまず政党本部が選考し、議員の引退や選挙区替で次の総選挙で新しい候補を必要とする選挙区の政党支部に適任者を推薦します(新人のことも、選挙区替えする議員のこともあります)。この候補者を支部が面接し候補者として認めるか否かを決めます。このとき、地元云々がまったく考慮されないことはないと思いますが、少なくとも日本のように最優先事項ではないでしょう。むしろ新人は激戦区をあてがわれ、仮に落選しても善戦すれば、次の選挙で当選の可能性の高い選挙区をあてがわれます。

但し、2世議員というのは国民が良しとせず、親の7光狙いの2.3世候補を親なり祖父母の選挙区から出せば、その政党自体が国民の批判の的となるため、歴史的に日本で言うところの「地元」から親の7光を期待して立候補しない/させないという慣行が確立しております(なお、英国では歴史的慣行ということは、文書化された法律以上に重要な意味を持つものです)。横須賀のどこかから出る誰かさんとは違いますねぇ。

法律によって禁じられてはいません。

(1979年の英国総選挙時(労働党のキャラハン内閣に代わり保守党サッチャー首相登場)、サッチャー氏選挙区に居住していた経験を踏まえて回答します。確か、サッチャー氏は現居住地選挙区に立候補してたと思います。選挙運動で戸別訪問して回っていたとき、我家の前で秘書か誰かが「この家は外国人」といい、同氏はそれでもニッコリ手を振って隣の家に行きました。)

英国では、総じて選挙民は政治家に対し地元への利益誘導より国のために大所高所からの議論、活躍を求め...続きを読む

Qイギリスでの封建社会の経済と資本主義

イギリスにおける封建社会での経済と資本主義での異なる部分には、どのようなものがありますか?

たとえば、職業選択の自由がある、ない。
経済発展した、しない等。

教えてください、お願いします。

Aベストアンサー

1つ思いついたので、書きます。

資本主義社会になって労働時間が長くなった。


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