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現在、PC価格は安いものでは10万円以下、標準的な性能でも15万円以下で購入できる機種もありますが、昔はもっと高かったようです。

富士通のホームページではWindows95リリース後に発売されたほぼ全機種の概要が閲覧できますが、それによれば1997年3月(消費税増税直前)の製品では、デスクトップで約28~32万円、ノートに至っては約33~44万円(いずれも当時のスタンダードクラスの場合)と、現在に比べて高い値段でした。
もちろん標準価格ゆえに値引きもそれなりにあったと思われますが、それでもデスクトップで約22~25万円ほど、ノートだと約30~35万円はしていたかと思います。
現在でもハイエンド機はこのくらいすると思いますが、当時はスタンダード機でこの価格でした。事実、当時のハイエンド機は約37~51万円(デスクトップの場合)もしたそうです。
さらに、高価さはノートが顕著でした。現在は同じぐらいの性能でもデスクトップと遜色のない価格になりましたが、この時代は同じ性能ならデスクトップの倍はしていたそうです。

当時のPC価格がここまで高かったことと、特にノートが高かったことには、どのような理由があったのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

>当時のPC価格がここまで高かったことと、特にノートが高かったことには、どのような理由があったのでしょうか?



各パーツのコストの詳細は他の方のご解説のとおりだと思います。
”ドッグイヤー”という言葉を聞いたことがあると思います。人間が成人するのに20年掛かるのに対して、犬はたった3年で成犬になる、つまり犬の1年間の成長スピードは、人間の7年間の成長スピードに匹敵する。転じてコンピュータ界(ハード、ソフト両方とも)や新興国の経済発展のスピードが速いことを指して言われるようになりました。
 別の表現では、
「航空界の発展をコンピュータ界に置き換えると、”ライト兄弟が人類初飛行した一週間後にはアポロロケットが月面着陸してしまった”ぐらいのスピードである」
というのもあります。

 90年代半ばのパソコン、および関連商品は今ほどメジャーな商品ではなかったため、大量生産、大量販売できずコストが割高だったためです。特にノート型は部品をノートサイズに詰め込むための技術を集結しているために各部品のコストパフォーマンスよりも極小化の方が優先されていたため、同程度の性能のデスクトップ機よりも価格が5割り増しから倍近く高いものとなっていました。(現在もこの傾向が残っていますが)
 今では電卓が100円ショップで売られているのはごく普通ですが、手帳サイズの電卓がビジネスマン向けに発売された当初(30年ぐらい前)はサラリーマンの月給よりも高かったのと同じことです。(それもEL式で電池がすぐなくなる。太陽電池式なんてなかった頃なので維持費も高かった。電源供給はACアダプタ式と電池式の2通りのものも多かった)

 ただし1997年といえば、Windows98の発売直前になります。1998年ごろから状況が一変します。世間をあげてのパソコンブーム、インターネットブームが沸き起こります。当時のインターネット接続方式は現在と違いダイヤルアップ式でしたが、NTTの定額接続サービス(テレジョーズ、テレホーダイなど)やISDN回線のサービスが一般にも浸透し(98年以前からこれらはあったが、利用者が少なかった)、デスクトップ機やノート型機の価格がややこなれた価格になってきたので、一般サラリーマンでも個人所有しインターネットを楽しむ人が増えてきました。またMicrosoft社はWindows98ブームによりOSでのシェアを急速に伸ばしましたが、同時に各パソコンメーカとバンドルソフト(購入時にあらかじめインストールされているソフト)契約を結び、MicrosoftOffoce(ワード、エクセルほか)のシェアを急速に伸ばすことに成功しました。これによりMicrosoftOfficeシリーズが一太郎、ロータス123のシェアを奪い、日本市場におけるOSでのデファクトスタンダード化に続いて表計算ソフト、ワープロソフトでもデファクトスタンダード化に成功しました。

 これにより若手サラリーマンが個人の楽しみのためにパソコンを所有するのに対して、会社の仕事の続きを自宅で仕上げるために管理職サラリーマンも続々とパソコンを購入するようになり
「残業強制終了時刻になると、会議のワープロファイルや統計資料の表計算ファイルを自宅のパソコン宛にメール送信して、残りは自宅で残業の続きを行う。自宅での仕上げが終わると、会社のメールアドレス宛にそれらを返信する」
という光景がオフィスで見られるようになりました。

 ずるがしこい日本企業はこのようにして、残業代を支払わず、なおかつ自宅でも仕事をさせ、さらにはそれに必要な道具・経費(パソコン、ソフト、ネット接続代)はそ知らぬ顔をして社員の個人負担にさせる(もっとひどい場合はパソコンさえも社内販売したり、ボーナスカットと引き換えに現物支給したりして売上げ貢献させた)という手法をとってきました。

90年代半ばというのは「パソコン価格の夜明け前」だったと言えると思います。

後半愚痴になりすいません。 m(_ _)m
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

結局、これは薄型テレビも発売当初は高かったのと変わらないということでしょうかね?
(地デジ放送開始当初、32インチの液晶テレビは50~60万円はしたそうです。)

お礼日時:2009/07/08 23:52

ノートに限定されていますけど



要は97年当時はPCブームであり 誰も彼も・・・って時代です
メーカーも家電量販店でも マルチメディアだやれなんでもできるんだあれもできるんだこれもできるんだ

とやりましたけどね(笑)

当時の家電量販店でのPCでの利益は 荒利で30%以上儲けていました
これって本当にボッタクリですが それが通用していたんですよ(笑)

あと造るほうの話ですが まだPCパーツがこれから開発するのに資金って要りますよね
イソテルにしてもAMDにしても 資金がいるわけです

Windows95フィーバーで各社儲かりましたけども 初期の頃は使ってるパーツもWindows3.1時代のモノが多かったのです
ソフトは進化したけどハードがまだ発展途上の時代です

無論 初回に出るパーツは値段が高いのは当たり前
それで儲けを出して 工場に専用のラインを引き 大量生産に入る
大量生産でさらに儲けが出ればコストも削減できるし その分販売価格を下げることもできますよね

簡単な社会の構図です

あとはメーカーです PCが一般化するまではロコツに使い物にならない
(語弊があるがあえてこのままの表現)モノを 高値で売りつけても
まだ誰もPC持ってないから 通用したのよ(笑)

でも周りがPCを持ち出すと 次のPCを買ってもわらないといけないし
でもPCの知識がある人に 初心者が相談したら初回はメーカー製買うけども
二回目からは 「二度と買うか!」なんてクソ仕様のメーカー製を誰が推薦しますかってことで(笑)
自作やショップマシンを 知ってる人は勧めますよね

TVや冷蔵庫は壊れたら買い替えますよね
でもPC壊れたら買い換えるでしょうけどもTVや冷蔵庫はんな1年2年で買い替えませんよね
PCはもっと短いサイクルで買い替えてもらわないと メーカー困るわけです

いつの間にかメーカー希望価格ってのがなくなり 販売価格も各社落ち着いてきまして ようやくボッタクリに対する対抗策も やっと業界がこれじゃイカン ボッタクリの出来た時代は終わった と自覚していただけて まアようやく・・・て感じなんですけども

如何せん 景気が悪い(笑)
値段も下げないと売れない 各社ぎりぎりで今はやってるんでしょうけども
これって 過去にボッタクリをやっていた その「しっぺ返し」がきてるんだと思いますよぉ(笑)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

景気が悪いのは1997年も同じで、この年は消費税引き上げとアジア通貨危機のダブルパンチに見舞われました。
しかし当時のPC価格は軒並み20万円以上と、決して安いものではありませんでした。

昔は、今みたいに「景気が悪いから」だけで値下げできなかったのでしょうか?

お礼日時:2009/07/08 23:51

デスクトップに搭載されているCPU構成は比較的単純な構造で、耐久試験も


デスクトップがゆえに、比較的固定され場所での使用条件で、ゆるかったのではありませんか。

しかし、ノートブックに搭載されているCPU構成は、デスクトップとは比較にならないくらい
超精密部品の集合体で、持ち運び可能がゆえの耐久試験もそうとう
厳しいものが要求されていると思います。
(最近 分解したノートのCPU搭載基板をみて、おどろきました。)

また CPUも デスクトップとは違う超精密部品となり、製造コストも非常に
高価であるように思います。 メーカー各社は、双方を抱き合わせで購入し
CPU原価では、ノートは赤字ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

一体型PCの増加も、技術発展のおかげですね。
(1997年当時も一体型はありましたが、ハイエンドモデルはタワータイプが多かったです。)

お礼日時:2009/07/08 23:47

ノートが高かった理由は、まず液晶の量産が進んでおらず液晶のコストが非常に高かったことと


バッテリーも今ほど性能が高くなく、また発展途上だったため非常にコストがかかったためです。

また、この頃のPCは業務用で使うか一部のオタク趣味の一部としか認識されておらず
普及率もだいぶ低いために、量産効果による製造コストの低減もほとんどできなかったということもあります。

さらに、2000年以前のPCは各社独自に開発していたためノウハウの共有による製造コストの低下が図れず
自ずと販売価格にそれが転嫁されていたという一面もあります。
大体Windows98くらいから、DOS/Vとしての共通規格が確立し始め各社がそれに準拠するような形でPCを作り始め
そのため開発コストの低下から販売価格が下がり始めたという面もあります。
(有名なのは、Windows95時代はDOS/V用途PC-98用のWindowsが平行販売されてたことかな?)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ちょうど当時の漫画雑誌に、PCの事例が掲載されていました。
当時のノートPCは平均価格が50万円、Windows95登場以前の製品でも30万円はしていたそうです。デスクトップPCでも液晶モデルは殆どない時代でしたから、液晶が高価だったのはよくわかります。

Windows95時代のPCでもNASA時代のコンピューターよりも優秀と言われており、その分価格に跳ね返っていた印象は否めないですが…

お礼日時:2009/07/05 10:07

そのくらいから以降、台湾に、半導体量産工場が乱立し、値下げ競争が激化していく。

台湾はそれまでの何分の一の価格まで引き下げ、ライバルの蹴落としに掛かった。日本は競争に負け、ほぼ全てのメーカーが撤退した。ぱそこんで言うとPC100規格とかPC133規格のメモリが暴落し、パソコン市場は狂いまくった。パソコンショップも倒産しまくった。大手家電メーカーもPC市場から部分的もしくは全面的に撤退した。しかし、直後に台湾大震災が発生し、半導体工場の大部分が壊滅的打撃を受け、半導体の価格が少々戻る。その後は、落ち着きを取り戻し、中国大陸での生産も開始され、家電メーカーも部分的にPC市場に戻り、現在の形になっていった。 たぶんこんな流れだったとおもう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

外国との競争ですか。いろいろ事情がありますね。

お礼日時:2009/07/05 09:43

その当時はまだ中国とかに工場が無かったので部品を安く、大量に作れなかったためだと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

工場の海外移転も、そう簡単にはできなかったようですね。

お礼日時:2009/07/05 09:44

その当時から、エクスペリエンスカーブ理論にしたがって、PCへの搭載部品が 


数年で 10分の1まで 下がっています。(これを繰り返します)
(経験曲線 : 製品の価格は、生産量増加の経験を踏めば、安く生産される)

その当時は、消費者購買能力(需要)とPC生産能力(供給)が、
数十万円のPC価格を決定し、世の中の景気の牽引力になっていました。

(わたしが 1997年に購入したDESKPOWER SII165 は、定価 35万円で仕様は、Pentium MMX 166MHz、メモリー 32MB,HDD 2GBでした。)

いま 中古品で、Pentium 4、 メモリー 256MB, HDD 80GB で、
3万円以下でしょう。  (OS WinXP, Office なし) 
単純比較はできないが この10年で、 価格 10分の1。 (笑い!!)

10年前とは、比較にならないくらい価格が てごろになっています。

また 携帯電話の高機能化によるPC機能との競争要因 や 
中国市場での価格競争もあるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

この当時のモデルは、CPU150~200MHz・メモリー32MB・ハードディスク2~3GBが標準的スペックだったようですね。
また、ケータイはアナログ式も新規加入できた時代であり、メールもほとんど普及していませんでしたから、少なくとも携帯電話との性能・価格競争は意識しなくてよかったですね。

お礼日時:2009/07/05 09:50

>超えていませんでした。



記憶違いでした。
初代はMMX Pentiumとほとんどせいのうがかわらず不人気ですぐに消えました。
3万円を超えていたのは2代目です。
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/9 …
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この回答へのお礼

再びありがとうございました。
そういう時代もあったのですね。

お礼日時:2009/07/05 09:43

参考情報です。

当時のメモからピックアップして見ました。信じられない価格です。

1997/05 SIMMメモリー 16M×2P が12,000円(中古品)
1998/02 SIMMメモリー 16M×2P が 9,300円(中古品)

いまなら DDR2-800メモリー 2G が 3,000円(バルク新品) 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

当時は16MBで1万前後ですか…メモリー本体の値段も高かったのですね。

お礼日時:2009/07/02 20:15

経済の専門家ではないので、ちょーっと思いついた感じで・・・。



・PCが一般的となり、部品の大量生産効果が顕著になった
・微細化技術の進化により、使用する材料が少なく、性能は高くなった。
 不具合率も下がります。
・一般の産業と同じですが、技術が一般化するにつれて部品製作コストが下がった

あとは
・安くないと売れなくなった
というのもありそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

安くないと売れない時代であるのは1997年も同じだと思うのですが(アジアで経済危機が起こった)、事情も違うようですね。

お礼日時:2009/07/02 20:14

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