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室町時代後期、日本を植民地にするために布教されたキリスト教。
その、キリスト教徒により日本人が外国に人身売買されたのは本当でしょうか?
一説によると
大友宗麟は武器、火薬などを得るために日本人と交換していたとか?
キリシタンによる寺社の破壊、宣教師たちの牛馬の肉食等により、日本の植民地化をいち早く察知した秀吉が信長に進言したが認められず、信長の死後、キリシタンを恐れた秀吉がバテレン追放令を出した。
その後も、秀吉はスペイン・ポルトガルへ奴隷(日本人)解放のために派遣しているが一人も帰って来なかった。
などなど・・・。

これを裏付ける資料は読みましたが、
これを否定する資料は見つかりませんでした。
何が本当なのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

朝鮮人を奴隷として連れ帰らせた秀吉がそんな事をするとは思えませんね。


あと、日本にも特産品はありますよ。
たとえば硫黄。
火薬の原料です。
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あまりに荒唐無稽な回答があるので意見します



奴隷売買はあくまで需要と供給があって成立します
もっと後代にアメリカの綿花栽培やカリブの砂糖きび栽培で労働力が必要で原住民人口が逆に減少していた為黒人を導入しましたが
16世紀に南蛮国が日本人奴隷を必要とするプランテーションなんか東アジアにありません
それに当時の船舶では輸送する人員や物資は限られているのに費用対効果を考えても何のメリットもない
それは数十人ぐらいは日本人奴隷がいたかもしれませんが
それは南蛮人が積極的に捕らえたのでなく
既に戦国時代に存在した日本国内での戦争捕虜を奴隷にして売却していた多くの日本人奴隷商人が南蛮人に売り込んだ結果でしょう
キリスト教教化して植民地にする等は後代の後知恵でしょう
江戸時代に蝦夷地のアイヌを日本人化するため僧侶を送り込み仏教教化しましたし

とにかく特産物のない日本を植民地化してもメリットはないですよ
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 回答番号:No.12


 制限字数の関係か、ちょん切れたので、記憶を下に追加補足します。

 そういう史実の記録や実証はあるかもしれないが、なくても理解できるものでしょう。
 キリスト教は西洋人に渡ってから、大きく姿を変改したものと理解できる一つの証左でもあります。
 宗教というものの性格を勘案して、当然に思えることであるので、敢えて、前投稿を含む両投稿とも、心ならずも回答、経験者、自信にチェックをいれるものであります。
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 回答番号:No.5


 何か続いているので、一応再度投稿します。
 要するに、大げさな人身売買があったかどうかはともかく、多分相当に東洋人や、異文化の暮らしぶりを見て、西洋の連中がずいぶんバルバロイに見た事は考えられないことではばい。
 そしてキリスト教の組織が母国や西洋の民俗、文化に擦り寄って、挙国一致で、来訪してきている事は予想できないことではない。
 そういう中だ、キリスト教化とは日本の領土化であり、文化的侵略の様相であった事は充分に判断して正鵠を失するものではない。
 そういうキリスト教の教義とあり方が、本来のキリスト教というものがあるとしたら、ずいぶんと変改しているものである事は充分に理解出来ましょう。
 宗教というものの在り方、本質から、敢えて回答、経験者、自身にチェックを入れて、投稿します。
 現在の妙竹林(みょうちくりん)とも思われる、聖書や聖書解釈なども、そういう西欧の国権、俗権との野合の中で、醸成してきているものである事は、否めるものではありません。
 それを日本の指導者が直感的に察知して対応しただけのことでありましょう。
 そういう史実の記録や実証はあるかもしれないが、なくても理解できるものでしょう。
 キリスト教は西洋人に渡ってから、大きく姿を変改したものと理解できる一つの証左でもあります。
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50万人の日本人娘をどうやってヨーロッパに連れて行ったんでしょうか?



当時の日本の人口が1200万程度
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/ …
女性が半分で、平均年齢50歳(単純のため全員が50歳で死んだとする)この仮定で行くと同一年齢は 600万÷50=12万となります。娘というのを15歳から29歳とするならば、日本の総娘人口は12万×15=180万人。
大目に見て250万人として、20%の娘が日本を出たことになります。
しかも、キリシタンの浸透度、つまり娘獲得エリアを西日本の半分とすると比率は(西日本の人口が半分を占めるとすると)40%に激増します。

しかもこの娘50万人には、途中でのロスや、当然考えられる他地域への輸出は考慮していない。ここを考慮すると、日本からの娘移出はその数が数倍になると考えてもおかしくない。
はい、そうなると日本から娘がいなくなり、日本は人口を再生産できなくなります。

また当時の南欧の人口は2500万人程度そこに50万の日本人娘がいたなら、当然日本人娘の血統を引く南欧人がたくさんいて当たり前だが、聞いたことがない。

当時最大の船が確かガレオン船。400名乗船して240名が水夫で、160名が戦士だったとか。
無防備で娘輸送に使ったとして、一回で500名くらいが限度でしょう。
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-91.htm この辺です。
300年で1000万人程度の黒人奴隷を運んだと言われています。
欧州の日本人娘は30年で50万人+αですので、時代によっては大西洋三角貿易の半分程度の規模となります。さて、日本への船は何を運んだのだろう?これが全く想像できない。
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いろいろ突っ込みどころがあるようですが・・・



> ザビエルがポルトガル系改宗ユダヤ人

これが出てきたときは、その話自体は全くの嘘か、少なくとも数多くの間違いやミスリーディングを含んでいるとみて間違いはありません。
フランシスコ=ザビエルはバスク人であり、改宗ユダヤ人ではありません。この勢力は、その他、アジア地域で布教してある程度成功を収めた人は、本当は違うにもかかわらず、大抵は改宗ユダヤ人と主張しています。
そして改宗ユダヤ人だと主張する勢力だけが、奴隷貿易があったことを主張しています。

ところで、なぜ改宗ユダヤ人ということになっているかといえば、1600年当時からの「被差別民」がユダヤ人であり、その最たるものが改宗ユダヤ人であったからです。単純に、貶めるために言っているわけです。

ようするに、そういうことです。奴隷の件も、そういうことです。



因みに。
日本をはじめとした東南アジアで活躍したヨーロッパ商人は、確かにかなりの割合で改宗ユダヤ人です。もっとも商魂がたくましくてという訳ではなく、差別が酷くて、或いは特にスペインの締め付けが酷くて、東南アジアに逃げてきているというのが実情に近いのですが。
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http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/searchdiary?wo …

はぁ・・・これまでの全部のコメントを撤回したくなりました
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「朝鮮出兵従軍記者の見聞録」と書いてありました。


朝鮮出兵のころ、秀吉は日本全国で人身売買を禁じておりますので、売られた女性は李氏朝鮮の方々ですね。
朝鮮出兵において奴隷狩りの被害にあった人数は、内藤しゅん輔氏の研究によれば、薩摩に連れて行かれた人数だけで三万人以上だそうです。
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補足すると


資料は、いろいろ見つかると思いますよ。

たとえばルイス・フロイスの『日本史』では、大友家の豊後へ攻め込んだ島津軍が、多数の捕虜を肥後へ連行して売却。渡来したポルトガル人・シャム人・カンボジア人らが、多数の日本人を購入して諸国へ連行、なんて記述が出てきます。シャム人やカンボジア人は、キリスト教と関係ないでしょうし、ポルトガル人にしても専門の奴隷業者ではないかと。

また、秀吉は天正十五年のバテレン追放令以降も、人身売買の禁止を命じています。
たとえば天正十八年の小田原攻めの際、上杉景勝に対し、「人を商売仕り候由に候、言語道断、是非なき次第に候、売る者といい、買う者といい、共にもって罪科軽からず候」という朱印状を出しています。この時期の関東で人身売買を禁ずる命令は、キリスト教とは無関係と判断するのが当然と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
NO.4の方に書いていますので見て下さい。

お礼日時:2009/08/07 21:08

NO2の方の回答ですが、


スペインにいるハポン姓の方たちは、支倉常長の遣欧使節団で渡西した日本人の子孫だという話は聞いたことがありますが・・・
奴隷という話は初耳です。どこかで検証されているのでしょうか?

同時代の資料として、スペインやポルトガルの商人が日本人や中国人を東南アジアに売り渡しているという内容を、宣教師がローマに報告しているという文書があるようですが・・・。質問者さんはどの程度お調べになったのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
NO.4の方に書いていますので見て下さい。

お礼日時:2009/08/07 21:08

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