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後輩が胃がんでこの6月に入院し最近、寿命を終えたと言う連絡を受けました。47歳でした。大変、早い進行でただただびっくりしております。私自身も、脂肪肉腫で5月に手術をしたのですが、癌というものは最後はどのようになるのでしょうか?痛みは我慢出来る範囲になってきました(時々ロキソニンにはお世話になります)何とか仕事も復活しております。術後は特に治療もしておりません。良好なのか末期なのか私だけが知らないのかの、どれかだと思いますが、覚悟と準備はしておきたいと思います。聞けるのはここだけです。いつもありがとうございます。どうか具体的にご回答をお願いいたします。

A 回答 (1件)

手術できたということは、治る可能性が否定されたわけではありませんので、前向きに過ごすようにしてください、まずこれだけはお伝えしたいです。



ご質問の件、発症部位が違って参考にならないかもしれませんが、
身近で癌で亡くなった人の経過をお話しします。

乳がんだった実母の場合ですが、最初は右の乳房に2.5センチほどの癌が見つかり、手術の際、リンパ節に6個転移が認められました。
その後、半年後に手術した場所の近くに癌が局所再発、再手術で取り除きました。その後、念のために放射線治療をし、しばらく様子を見ておりました。
本人の希望で、抗がん剤の投与はしませんでした。

最初の手術から2年半ほどで、脳に転移が認められました。ひどいめまいがきっかけで発見されました。
放射線治療を施し、ほとんど治りましたが、この頃から日常生活のうち、家事をしたりご飯を食べている以外はほとんど眠ってばかりいるようになりました。テレビを見ていても10分ほどで眠りだし、起こして歯磨きさせ、布団に入らせて寝かせるような感じでした。
そういう生活が続いたあと、1年ほどで再び脳に悪性腫瘍がみつかり、手術できる場所でもなく、放射線は今までの治療で限界量を浴びているため、何もせずに経過を見ることになりました。

だんだんと意味不明なことを言い出すようになり、会話が成り立たなくなりました。自分の意思で何かをすることは一切なくなり、起き上がることもできなくなり、食事もできなくなったため、点滴による栄養補給に切り替えられました。そして、一日中眠っている状態(意識不明のような状態)となり、医師からは「いつ死んでもおかしくない状態です。人工呼吸器による延命治療をしますか?」と聞かれました。
生前の母の意志を尊重し、延命治療を断ると、それから1ヶ月ほどして急激に呼吸が弱まり、心停止。眠るように息を引き取りました。

次に、大腸がんだった義理の母の場合です。
結婚する前に病気が発見されたので、詳しくは結婚してからのことしかわかりませんが、最初の手術は開腹手術で、その後、抗がん剤治療が始まりました。ほぼ一年後、近くの臓器に再発癌が見つかり、再手術で切除、抗がん剤なしで様子を見ました。その半年後、検査で全身に転移していることが判明。もはや、手術は不可能でした。新薬として登録されて間もない抗がん剤を投与して様子を見ることになりましたが、家族にだけは「余命半年」と告げられました。

さて、半年ほどたって、抗がん剤治療に出かけた日、病院内でお腹に激痛が走り、倒れました。すぐにCTを取ったところ、消化器に穴が開いていることがわかり、非常に危険な状態に陥りました。
年齢や体力を考えると、もうこれ以上の治療は無理と判断、緩和ケア病棟に入院しました。耐えられないほどの痛みを抑えるためにモルヒネを投与する毎日。だんだんと意識を保つのに精一杯のような状態になり、時々意味不明なことを言うようになりました。

義母は生前から「畳の上で死にたい、病院で死ぬのは嫌だ」と言っていたので、退院させ、自宅で看病することになりました。
それからは自宅で流動食を中心とした食事ですが、やっと起き上がっている状態なので家族の介助なしでは無理でした。痛み止めのモルヒネがないと耐えられない状況となり、数時間おきに服用する痛み止めと、痛いときに服用する痛み止めを併用しました。夜中だろうが何だろうが、痛みは容赦なく襲ってきます、そのたびに家族の介助で薬を飲みました。

ある日、義母が突然、茶色い液体を吐きました。訪問看護の看護士さんの話では、胆汁だと思われるそうです。
その日を境に、義母はほとんど意識のない状態となりました。
自宅に点滴セットを持ち込み、一日2回の点滴を開始、ぼうこうから管を出して尿を出せるようにしました。
ある日、急に高熱を出しました。39度ほどになり、血圧が異常に低くなってきました。訪問看護の人たちに来てもらって一生懸命、氷で鼠頸部を冷やすなどしましたが、体温は下がりません。腹膜炎をおこしていたのです。
もはや意識は戻らず、呼吸も時々止まるようになりました。

そのまま呼吸が止まったり始まったりしながら数時間が経ち、最後に喉の奥でグーッと音がしたと思ったら、呼吸が止まり、それっきりでした。何か吐いたようで、喉に詰まって窒息したのではないかと思います。

意識がなくなっていたため、既に本人には痛みや苦しさは感じられなくなっていただろう、と主治医の説明がありました。
一応、安らかな最期だったということでした。

全ての癌患者が同じ道をたどるというわけではないと思います。
身の回りや親戚にも、癌を克服して元気に暮らしている人はたくさんいます。

私が最期を看取った二人は、最期は意識不明となり、痛みも苦しみも感じない状態で亡くなっていきました。

私は実母が乳がんだったことで、自分も将来、乳がんになるかもしれないという思いでいつも生きています。半年または一年ごとの検診を欠かさず、ストレス解消の工夫をし、未然に防ぐべく、日々努力しているつもりです。
癌とストレスは関係が深いと言われます。発病後のケアの中にも、ストレス解消が叫ばれています。

頑張らない。でもあきらめない。を目標に、自分らしくお過ごしになることを、強く推奨します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。痛いのがつらいですね。早めのモルヒネが痛みを緩和してくれるのですね。ストレスや遺伝などが原因と言われますが明るく元気な気質ですし、知る限りでは家系初の癌患者です。恐いですが死ぬにあたりいろいろな整理整頓ができるのも癌、ならではとも思ったりします。でも、直る?(再発、転移がない)事もあるのですから、あまり痛みに対して恐怖感を抱くのは止めたいです~。本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/08/25 21:36

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