美大でデザインを勉強しているものです。
私はデザインは全て論理だと考えているのですが、間違いでしょうか?
例えば、感覚的な表現にも全て心理的効果があり、すべて心理学で分析できてしまいます。私がものを作るときも、いいなとか、面白いと思った感覚の要因を分析し、論理で考え、蓄積していき、そして、他の新しいアイデアと組み合わせデザインすることが多いです。
実はこの間、広告制作会社で働いている先輩に、「周りには、理屈っぽいデザイナーが多くて、何でも論理が正しいと信じ込んでるやつが多いから、感覚的にものを作る自分と合わない。」といっていて、まさにそれは私のことだと思いました。私はそこで初めて、デザインは全て論理ではないのかもしれないと疑うようになりました。
しかし私は感覚でものを作ることができません。多くのクリエイターはどのようにものを作り出すのでしょうか。
デザインは論理から生まれるのではないのですか?
ご回答よろしくお願いします。
No.19ベストアンサー
- 回答日時:
たびたびNo.5です、何度もすみません。
たまたまジャストタイミングで面白い動画を見つけたので紹介したいな、と(笑)
「とあるiPhoneアプリのデザインが決まるまで(動画)」
http://www.gizmodo.jp/2009/09/iphone_207.html
皆さん、多かれ少なかれ、こんな作業を繰り返しているんじゃないでしょうかねぇ。
この作業の1つ1つを論理的にやっていては、どれだけ時間が掛かるか計りしれません。
ここはひとつ自分の感性を信じて、トライ&エラーでデザインするのもありですよね・・・。
くれぐれも誤解のないように言っておきたいのですが
「論理的に分析してデザインをする」というのは全然アリですよ。
発想するための手段ですから、まったく否定はしていません。
ただ~
>デザインは全て論理ではないですか?
と聞かれたら、やっぱり「ない」と言いたい!(笑)
皆さんが言ってる感覚というのは、こういう作業のことでしたか!
確かにセンスの世界かもしれません。(汗)
感覚で決めなければならないこともあるんですね!やはり次なるステージでした(汗)
わざわざ本当にありがとうございました!ここでの経験をいかし、デザインは全てが論理ではないということを念頭に、また新たに論理的に分析していきたいと思います。笑
No.18
- 回答日時:
No.5です。
こんなに回答数が付くと、大概チャカしたり、あおったりする回答が付くものですが、皆さん真摯な回答で楽しい議論になってきましたね(笑)
私も今回の質問で「はて、私は普段どうしているんだろう?」などと思い返し、それをどう文章にすれば伝わるだろうとアレコレ思案しながら楽しんでいます(汗)
それというのもfo-fo-fo様が真摯なコメントを返されているからでしょう。
さて私の回答にいただいた疑問ですが
>xm6766様は、全て自分好みにデザインをするということでしょうか?
「自分好み」と言うとエゴを押しつけているように聞こえますが
もちろん、任されている事象に的確な回答(コンセプト?論理??)を導き出した【上】で、私自身が「美しいと感じるデザイン」しか生み出せないということです。
私自身が「美しいと思えない形」や「きれいと思えない色」を使って
デザインすることは出来ない、とも言い換えられます。
確かにこのことを「自分好み」とか「私の論理」と言えなくもないですが、いまだにこの仕事を続けていられるということは、「自分好み」が「多くの人の好み」と合っていて、私のデザインが営利目的を果たしているから、続けていられるのでしょう(笑)
>それがデザイナーの個性になるのでしょうか?
また、続けて仕事の依頼を頂いているということは、
AデザイナーでもBデザイナーでもない、私を選んでのことなので
デザイナーとしての私の個性なのでしょう。
>論理でデザインすると、画一的なデザインにしかならないといわれますが、それは好みで作るのとも同じことがいえませんか?
「論理」と言ってしまうと、この言葉に対応する言葉は
「正しい」か「間違っている」かの二者択一になりませんか?
「デザインする」という行為が二者択一であるはずがありませんから
他の回答者の皆さんも、このことを繰り返し言われているのだろうと思います。
「私の論理に照らすと」と言えば、回答は無限にありますよね?
fo-fo-foさんの論理、xm6766の論理、デザイナーの数だけ論理があるでしょう。
「好み」や「感覚」「センス」と言うと、また回答は無限にあります。
デザイナーの仕事とは、この無限の回答の中から1つを生み出すことではないかと私は思います。
>私は理由がないと色、形、構図、表現を決められません。
学校の課題のようですが、極端な例えを・・・
単色の正方形の中に白抜きのロゴ文字を配置して、
ロゴマークをデザインするとします。
それ以外の要素を足すことは不可です。
使われる場面の制約は何もありません。
さてfo-fo-fo様はどんな理由でデザインするでしょうか。
「文字が小さくて読みづらいから」とか
「読みやすく正方形一杯の大きさの文字で」とか
「黄色地の上に白文字は目立たない」とかはナシですよ(笑)
こんなことは理由でも論理でもありません。
デザイナーに依頼する以前に分かり切っていることだからです。
正方形の中央に置くか、右肩に置くか、余白はどのくらいとるか
地の色は何色にするか・・・
きっと論理だけ(正か誤か)では説明がつかないと思いますがどうでしょう。
それでもfo-fo-fo様は何かしら色を決め、デザインするわけで、
そこには論理よりもfo-fo-fo様の感性(個性)の方が多分に含まれていると思うのですが、いかがでしょうか。
つまり、fo-fo-fo様が「デザインの論理」と思いこんでいるだけで
実は「fo-fo-fo様独自の論理」と「感性」で生まれてきているのではないか、と思う次第です。これは「個性」とも言えます(汗)
長々と失礼いたしました。
この回答への補足
確かにそのとおりです!
私は「論理」という言葉に「正しい」「間違っている」の二者択一の意味は含んでいません。もちろんデザイナーによって様々な論理があるかと考えます。今考えると、私の言う論理とは、意見や提案(すなわちコンセプト)を指しているのかもしれません。新鮮な提案は分析なしで感覚のみでは作れると思いませんし、それを表現する時も何となくでは出来ません。(いや、経験をつめばできるのでしょうか?)感覚的にものが作れないというのは、意見もしくは提案のないデザインが作れないということなのかもしれません。提案のないデザインは、私にとったら落書きのようなものですから。世の中に何も伝えることができない。もちろん時として意見がないという意見だってありかもしれません。もし意見ばかりのデザインが世の中にあふれていたら、それは新鮮な提案にもなりえます。
デザインは人々に異なる視点の提案するものだと考えますので、やはり、コンセプトを感覚的に表現しきれるかというところは疑問ですね。その方なりの論理、裏付けが必要でしょう。(いや、経験を積めばできるかもしれませんが)
(補足の続きです)
確かに言われてみれば私が正しいと思う論理の選択が私のセンスになるのかもしれません。それゆえ私は自分の個性を見いだせずにいます。つまり課題、課題によってベストな答えを出そうとするので、私のオリジナリティーは消えてしまうのです。ぐちゃぐちゃなビジュアルコンセプトがあっていると思ったら、とことんやりきります。逆に、整然としたビジュアルコンセプトがいいと思ったら、それもとことんやりきります。私なりの論理の裏付けで。
なので、回答者様の課題も非常に難しいです。なぜならば、制約がすくないほど分析する要素が減りオリジナリティーのある提案を導きにくいからです。
しかし、もし答えをだすとしたら、今までにないような新しい提案があるロゴを作るでしょう。口で言うのは簡単ですが、まずコンセプトを決めないとビジュアルだけでデザインできないからです。そのために、歴代のあらゆるロゴ、常識として確立しているロゴデザインの条件などを探し、そのアンチテーゼ、もしくは異なる視点の提案を考えだすでしょう。
実践経験のない学生の疑問にわざわざ時間を割いてていねいに回答していただいてありがとうございます。実際仕事として働きだしたら、きっと新しい提案なんか感覚的にでてくるのでしょうね。私は頭でっかちです(汗)感覚でものを作るようになるであろう次なるステージに期待☆です。
長々と失礼いたしました。w
No.17
- 回答日時:
#14です。
>間違いというより、空っぽで抵抗感のないデザインになってしまいそうです。
>表現は面白くても、中身がないデザインは、あえてのそういうコンセプトでない限り、私は面白いとは思いません。
「面白い」というのは個人的感覚の領域でして。
その部分に論理はあんまり関係ないですよね?
fo-fo-foさんは論理面を重要視して評価するかもしれませんが、エンドユーザーは特に論理を必要としません。
特に感情に訴えるものであればあるほど、論理を見ようとしません。
デザインにおける「論理」とは、まさにコンセプトの領域です。
デザインを進める一番最初には論理が必要です。それは間違っていない。
その先にある「表現」は、感覚と論理のせめぎ合いでして、論理が先行するかというと、そうとは限らないんですよ。
論理は根底に存在しても、感覚や感情があって初めて決定できる。善し悪しを判断するのは制作者の経験や感覚です。
経験とは必ずしも「デザインの経験」ではありません。どうやって生きてきたか?を全て含むものです。
論理的に考えるかもしれないし、感覚で着地点を変えるかも知れない。
そういう迷いがあった上で……デザイナーが最終的に信じるものは、自分の感覚です。
プリミティブなものほど強いものはないんです。だからこそ自信を持って提案できるんです。
自信がないもの、自信がない提案ほど、説明が必要になってしまう。
逆に言うと、デザイナー自身の感覚が強く出なければ、人間が何かをデザインする必要性はゼロになってしまうんです。
将来、機械が全部やっても違わない時代がやってきて、もっと中身は薄くなることでしょう。
>自分の中の論理が絶対だなんで思っていません。一つの法則です。私は、人に自分の分析を強制しません。
むしろ、デザイナーという職業は自分の分析を他人に(ある意味)強制する仕事です。
ただ、ビジネス上は「落としどころ」というものが存在しますけれどもね。
デザイナーのエゴではない部分で、強制する必要性を感じることでしょう。
実際に仕事をしてから感じることですけれども。
ですから論理・分析はもっと正しく、そして感覚はさらに鋭くなければいけないんです。
>例えば、映画なんかは、誰もが感動できるよう演出されています。
>デザインはコンセプトの演出のようなものではないですか?
演出とは、もっとディテールの部分だと考えます。例えばフォントの天地幅の微妙な調整とかそういう部分ですね。
ですから、もっと自分自身のアートの部分を磨いてください。
論理だけで考えない、自分の感覚を信じてものづくりができるように。
笑いや涙、感動に、本来理屈は必要ないものですから。
誰かに良いものを伝えたいと思ったとき、理屈よりも感情の方が伝わったりしますね。
デザインでも同じことが言えるかもしれません。
>「面白い」というのは個人的感覚の領域でして。
「面白い」と抽象的な言い方をしてしまいました。すみません。コンセプトが正確に伝わってくるということです。そうでなく、奇をてらったような表現だけの面白さは、機能的ではない、ということです。
学生の分際で、デザインについてあれこれ理屈を並べてすみません。というかむしろ、つきあっていただいてありがとうございました。とても勉強になりました。回答者様のおっしゃるとおり、自分の感覚を信じてものづくりができるよう努力していこうと思います。
ありがとうございました。
No.16
- 回答日時:
A2です。
話がだいぶ進んじゃっていますが、ご指摘のとおり私は理論派で、ここの回答者には少ないタイプのようなので、私の論理に少しお付き合い下さい。>というか、全てのデザイナーに個性が必要ですか?
必須です。
プランに適したデザイナーに発注するので、誰でも構わない仕事は他に流れてしまいます。
普通のデザインが欲しい場合には、普通の絵を、意図的に普通に描ける個性が必要。
>それとも、そんな考えは早めに捨てて、理論から作り出すデザインのスタイルをかえた方がいいでしょうか?
感覚派は理論を持っていないような認識があるようですが、全く違います。
同じ勉強をして、同じ世界で活動しているのですから、感覚派にも同等の知識があるのです。知識の使い方が違う。
先に書きました、シングルタクスとマルチタクスの話で、理論派の知識は、脳が処理可能な知識と計算しかしていないのに対し、
感覚派の人間は、脳が処理仕切れない情報量を処理するため、思考が停止し理論を考えなくなり、それが感覚としてアウトプットされます。
つまり計算できているうちは、知識が足りない。
感覚派の人間は、理論をひらめき(フィーリング)で配置しているのです。
ここで処理能力と生産性に差が出ます。
これを「作品の味」と表現した評論家は見事です。
レシピ通りの計算ずくの味は、誰にでも表現できますが、
高名な料理人は、他人にマネができないからその立場があるのですし、その立場を築いたのは、理論の経験値です。
ですので、業務としてデザインをしていたら、仕事をこなすウチに他の回答者のように「センスです。」という日がすぐきます。
なるほど!論理派から進化して感覚派になるのですね。多分私は今ぬくぬくとデザインをしているから、感覚派にいけないのですね。
働き始めてからの自分の進化に、そして多くの回答者様のように「デザインはセンスだよ」と言える日を期待したいと思います。
ありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
No.13です、追加です。
佐藤雅彦のように
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4% …
一見ロジカルに発想する人はいます。
彼も(おそらくご質問者さまと同様に)
面白いと感じる「法則」を導き出してから「発想」するそうです。
http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%90%E8%97%A4%E9%9B …
ご質問者さまの「私がものを作るときも~デザインすることが多いです。」は
十分アリだと思います。
ただし、一見、と書いたのは
彼の場合、あくまで「自分が面白いと思うモノの法則」だからです。
それはつまり、彼独自の「発想法」です。
彼が面白いと思う「法則」から生み出されたクリエイティブが多くの人を魅了しましたが
それは彼の面白いと感じるセンスが優れていたからだと思います。
> 私は感覚でものを作ることができません
つまり左脳で考える方が得意だ、ということでしょう。
その逆の人もいる、というだけです。
(いま右左脳論を使ったのはあくまで説得手法として、ですよ。)
自分に合った発想法を持っている人の方が
仕事が速いのは間違いないでしょう。
なるほど!なんか、私の中でもやもやしていたものが、少し解消されたような気がします。
>つまり左脳で考える方が得意だ、ということでしょう。その逆の人もいる、というだけです。
感覚的にものを作るひともいれば、理論からものをつくるひともいる。両方いていいんですね。簡単なようなことだけれど、佐藤雅彦さんという成功者の具体例で納得できました。
なんか目指す方向性が見えてきたような気がします。これからは、面白いと感じるセンスを磨いていきたいと思います。
ありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
こんにちは。
グラフィックデザイナーです。
>デザインは全て論理
正しい論理で作られていないデザインは、全て間違いであることになります。
この議論で一番困るのは、「その論理の正誤はどうやって決定されるのか?」ということでしょう。
「その論理は間違っている」と指摘されて、先に進めなくなってしまうとすると、デザインできなくなりますね。
「論理の多様性」という問題が出たときに、どうやって答えを出しますか?
女子高生の「論理」と美大生の「論理」は、どちらが正しいのでしょう?
老人の「論理」と美大生の「論理」は?
老人&主婦&中学生が使うものをデザインする際の「論理」ってどういうもの?
人間の感覚で言えば、「考える前に体が動く」ということがありますが、
自分の行動を論理で分析したとして、「次も同じように動いてしまったらどうするか」という解にはたどり着きません。
「こうしよう」と考えていても、やっぱり「体が動いてしまった」ことだって多いはずです。
fo-fo-foさんのお話では、人間がビジュアルから受ける感情は、論理でコントロールできることになります。
では隣にいる人の感情をコントロールしてみてください。
論理と分析でコントロールできるはずですよね?
泣かせてみてください。
笑わせてみてください。
怒らせてみてください。
極論を言うと、そういうことをお書きになっているわけですが、可能ですか?
>例えば、感覚的な表現にも全て心理的効果があり、すべて心理学で分析できてしまいます。
なるほど。
では、その分析の「正しさ」は「誰が決定」するのでしょうね?
心理学も進化し続けているはずです。
「今までの分析が違っていました」ということが判明した場合、それまでやってきたことは無意味になってしまう。
しかし人は感動していたことだってあるわけです。
デザインの骨組み・構造は「論理」が介在しますが、その先は違っています。
論理に固執するがゆえに、新しいものが生み出せない状況になるでしょう。
むしろ、とことん論理で作るものは、それはもはやデザインではなくアートですね。
>正しい論理で作られていないデザインは、全て間違いであることになります
間違いというより、空っぽで抵抗感のないデザインになってしまいそうです。表現は面白くても、中身がないデザインは、あえてのそういうコンセプトでない限り、私は面白いとは思いません。
>女子高生の「論理」と美大生の「論理」は、どちらが正しいのでしょう?
答えは、一つではないと思っています。自分の中の論理が絶対だなんで思っていません。一つの法則です。私は、人に自分の分析を強制しません。
>論理と分析でコントロールできるはずですよね?
泣かせてみてください。
笑わせてみてください。
怒らせてみてください。
コントロールというよりは、それに近い演出はできるかもしれません。例えば、映画なんかは、誰もが感動できるよう演出されています。デザインはコンセプトの演出のようなものではないですか?
ありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
広告代理店でマーケターをやってます。
制作の人たちから見ると「理屈づくり担当」です。
> 理由がないと色、形、構図、表現を決められません。
理由を突き詰めていくと根拠がなくなります。
哲学なんかですと、よくゲーデルの不完全性定理で例えますな。
まあ、不完全性定理はどうでもイイのですが。
> 私がものを作るときも、いいなとか、面白いと思った感覚の要因を分析し
例えば、アナタが面白いと思うギャグがあって
アナタはそのギャグがどう面白いか?を理路整然と分析してくれて
アナタがなぜそのギャグを面白いと感じたか?をワタシが理解したとしても
そのギャグでワタシが笑えるか?は別でしょう。
人は理屈ヲ笑っているわけではないのだから。
笑いのツボの違いは、感覚の個人差に行き着く筈です。
その感覚の個人差までを統一基準で相対化することに成功すれば
デザインの「絶対理論」もありうると思います。
この議論は「ラプラスの悪魔」の如きものです。
先にワタシは「理屈づくり担当」と言いましたが
実はワタシは非常に感覚的に発想します。
感覚を論理化するのは得意ですが
あくまで感覚が先行、論理はその妥当性を検証するような作業だと思います。
頭よりも体が先に反応するようなアイディアの方が強いと思ってます。
何だかよく分からないがスゲエといわせるようなクリエイティブが一番好きです。
No.12
- 回答日時:
全て論理というデザイナーは頭の堅い人間性のないロボットになるし、すべて感覚だというとデザインじゃなくなります。
バランスですね。両方欠かせないと思います。何しろデザインの対象は五感と理性で物事を感じ取る人間ですから。なので、これからも感性をもっと大事にしたらいいではないでしょうか?たまに自主制作などでは縛られた枠を壊して、今まで全く異なる作品を作ったりして、もう一つの自分を見つけることもためになるかもしれません。自主制作するにも、世の中に足りないものは何かというところを考えてしまい、ついつい理屈から作ってしまいますね。
>これからも感性をもっと大事にしたらいいではないでしょうか?
感覚的にものをつくろうと思っても、感覚的とは何なのか分析してしまいます。それは感覚的に作ったといえるのでしょうか?すいません。救いようがありませんね。(汗)でも、努力してもっと感性を大事にしていきたいと思います。
ありがとうございます。
No.11
- 回答日時:
インハウスでプロダクトデザインを20年以上手がけてきたものです。
おっしゃられたいことは、分かりますが、残念ながら、そんなに単純ではないと思います。
>すべて心理学で分析できてしまいます。
それはちょっと言いすぎでしょう。確かに認知心理学、脳科学などの研究は進歩し、かなりのことが、解明されてはいますが、まだまだ解らないことが沢山あると思います。だから全て理論で片付けることができるというのは、思い上がった考えとして、一蹴されかねません。
とはいえ、私の意見は質問者さんに近いと思います。
日本人はデザインに対しての認識が欧米の人たちに比べまだまだ浅はかなように思います。日本では、デザインと設計は別物としてとらえられていますが、欧米では一緒です。それだけ、デザインに対する考え方が広くて深いのです。
それは、社会や企業内におけるデザイナーの地位の低さが物語っています。センスでしか物言わぬ民。それが、デザイナーに対する評価です。
日本ではグッドデザイン=カッコイイデザイン。欧米ではグッドデザイン=理に適ったデザイン。どう思われるでしょう。
デザイン検討会で、企業の幹部がデザイナーに「なぜこういうデザインにしたの」デザイナーは「カッコイイからです」すると幹部が「僕はカッコイイとは思えないけど。」これで、この検討会はおしまいです。
私がデザイナーになって学んだことは、「感性第一で仕事をしてはならない」です。デザイナーは芸術家ではありません。自分がデザインしたものを、メーカーがコストを支払って生産、販売し利益を得なければならないのです。失敗は許されません。だから、メーカーに自分のデザインを納得させるには、感性だけではなく、理論に裏づけされた、言わば理論武装したデザインでなければ、相手を説得することはできません。
しかし、理論だけでモノはできてきません。残りの部分に感性が必要になってきます。でもそれは食後のデザートのようなものです。
メインはあくまでも理に適っていなければならない。というのが私の意見です。参考になれば嬉しいです。
>思い上がった考えとして、一蹴されかねません。
そのとおりですね。偏りすぎる自分の考えを正したいと思います。
>日本人はデザインに対しての認識が欧米の人たちに比べまだまだ浅はかなように思います。
共感します。確かに、何に対してもかわいいと表現する日本人からもわかりますね。
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
CBSのマークをつくった著名なデザイナーが
「デザインは組み合わせだ。創造じゃない。最近のもっとも創造的なデザインはエジプトの象形文字くらいだ」というようなことを言っているので
論理というのは一面の真実ですが、
人間の能力は非常に高いので、感覚的に捉えるデザインへの快感を論理で全部作り出すのはとても難しいと思います。
日常生活で自分が快を感じるデザインを写真にとっておいて、
自分が論理でつくったデザインとくらべてみると、
感覚的な良さというのが把握できてくると思います。
論理と感覚と両天秤で持つくらいがいちばんいいのではないかと思います。
自分が快を感じるデザインを、なぜ快を感じるか分析してしまいますので、その要素を反映させ、違うアイデアと組み合わせてデザインしてしまいます。感覚的に違うと感じれば、原因を論理で分析して、問題を解決しようとしてしまいます。こんな理屈っぽいデザインの仕方は間違いでしょうか?
ありがとうございました。
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