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ちょっと難しい質問なのですが、ご容赦ください。

音楽と言うのは、それを聞く人とは無関係に、あるい一定の波長の集合が時間的推移で変動する、一言で言えば物理的現象です。
で、これは聴覚のある人ならば誰にでも到達し知覚されるものです。

問題はこの後なのですが、この知覚が共通しているのに、それに感銘、あるいは感動できる人と、全くできない無関心である人とに別れるのは、いったいどういうわけなのか?と言うことです。

もちろんひとによって、あるジャンルの音楽ある曲に感動でき、他の人にはできない、でも他の人はまた違った曲に感動できるが・・・という個人差はあります。でも、知覚している内容は同じわけです。なぜ、同じものを知覚しているのに、なぜある人の感受性には響いて、他の人には響かないのか?

当たり前のようですが、実に摩訶不思議です。

例えば、あるフュージョンの分厚い和性と複雑なリズムに感動する人がいるとしましょう。同じものを知覚している他の人は「何この変な曲」という印象しか持たない。

これは文学とはちょっと違いませんでしょうか?文学はその内容に到達できないひとはやはり無理だろうと言うのがあります。が、音楽は到達してるのです。脳内では同じ知覚を完成しているのです。それなのに、なぜ個人によって印象差があるのか?

そういう素朴な疑問について示唆していただきたいです。

A 回答 (12件中11~12件)

>埋もれていたものの発見



「埋めてしまったものの再発見」が適切です。

人は何処から来たのかを忘れています。
動物の帰巣本能に似ています。
内なる声が囁き、招いているのです。

物事を凝視するのを止めて、
一旦つき放して、
大きな視野でみると、
答えは自ずと現れます。

音楽と人の反応の関係への疑問ではなくて、
何故にそのような疑問を抱いたかの方が大切です。
自分でも気がつかない動機が必ずあります。

結局はご自身の存在への疑問なのです。

ツァイトガイスト 時代の精神 日本語字幕 (2時間)
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フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密
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AMORC
http://www.amorc.or.jp/

ホ・オポノポノ
http://blog.hooponopono-asia.org/
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25年以上程昔、渡辺 香津美のレコードを買った時、ガイドを読んだら同じような事を書いてました


彼は『昔から隣り合った音階がおりなす不協和音とか、きたない「和音」といえない音階の組み合わせに惹かれた』と書いてあったと思います
心理学では適度な変化、刺激、ストレスは、興味を維持できる、生きていく活力を生み出してくれると習いました
天才型とまじめ型にわけると
MCでは北野たけしが天才型、関口宏がまじめ型というイメージがあります
北野たけしや木梨のりたけは何が出てくるかわからないのに対して関口さんはあたりまえすぎてつまんない・・・といったところでしょうか
最近では盲目の天才ピアニストの母親がテレビで
「うちの子は赤ちゃんの時、モーツァルトを聞かせると、足をピクピク動かして喜んだ」と言ってました
私は、不協和音より、TAKE FIVEのような変調(5拍子)や、 To Be or Not to Beのように真似しようと思っても刻めないリズムに惹かれます
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も変拍子にはとても惹かれます。それは凝った和声と同じような、脳に刺激を与える類のものですからね。

お礼日時:2009/10/30 23:33

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