dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

文末の「~です」「~だ」「~である」などは統一しないといけないというように今まで習ってきましたから、自分でもそうするし、人の文でそれができていないのを見ると読みづらいと感じていました。
・・・が。実際の所、色々な文章(小説や評論文など)を読んでいると、プロの方の文でも統一されていないということによく出会います。(途中までは「~だ」なのに「~です」になっていたり)
これは「強調の為に」(または時間差などをあらわす為に)特別に使う手法などなのでしょうか?それとも普通は特に文末のをそろえる必要は無いのでしょうか?

A 回答 (7件)

「だ」と「である」の混在は,昔からふつうに行なわれていたことではないでしょうか。


「です・ます体」(敬体)と「だ・である体」(常体)は混ぜないほうがいいよ,ということであったかと思います。
それ以外の点は,皆さんの回答と同意見です。

「だ・である体」に統一して書くのは比較的容易なのですが,「です・ます」に統一しようと思うと,時々難しいことがあります。
典型的なのが,形容詞で終わる文。
「札幌の空は青い。」という文は,だ・である体ならこのままでいいですが,ですますにすると「~青いです。」となってしまい,ちょっと舌足らずな感じがあります。
(「形容詞+です」は,「食べるデス」などと同様,かつてはほとんど誤りに近い言い方と考えられていたようです。)
かといって,「~青いのです。」なら,違和感は減りますが,その代わり青さをことさらに強調しているようで,ニュアンスが変わってきてしまいます。
こんなとき,私なら「青い。」のままにしてしまいます。

ちなみに,ラジオ・テレビのニュース原稿は,「地の文は,ですます体」「他者の発言は,だ・である体」という書き方をしています。
これは,耳で聞くニュースの場合,新聞などと違ってかぎかっこというものが使えないため,引用部分を区別する方法として用いられています。
(ご質問の例とはちょっと違いますが。)
    • good
    • 0

文体(文末)は統一すべきものだと思います。

見た目もありますが、読み疲れすると思います。
文体は同じでも冗長語尾も読み疲れさせます。一昔前ですと原稿料が文字数だった時代のかたはむやみに語尾を足すことがあります。例えば、「表示できます」→「表示することができます」の表現を普通だと思っていた人は多かったです。
やはり文体は同じでも、能動・受動表現の違いもあります。例えばWindowsの操作なら、「×ボタンをクリックするとウィンドウが閉じ(られ)ます。」→「×ボタンがクリックされるとウィンドウを閉じます。」は能動・受動が反対ですね。どちらが自然でしょう?。普通の人は前者だと思います。ソフトを作っている人は、後者で書くことがあります。

> 色々な文章(小説や評論文など)を読んでいると、プロの方の文でも統一されて
> いないということによく出会います。(途中までは「~だ」なのに「~です」
> になっていたり)
プロの人はもともと気にしていないかも知れませんよ。完成までの工程で校正ミスが増えているだけかも知れません。なぜなら、これだけ大量の文書が作られているのに校正の教育を受けた人の仕事があまりないようなことを聞きます。校正不良の文書が出回りすぎてもおかしくないですね。
    • good
    • 0

具体的な例はすぐには思いつかないのですが、誤って混在させたということはまずないのではないでしょうか。

幾度も見直して、文章を完成させるわけですし。

最近文章を書いた記憶がありませんが、学校などで文章を書くときは、私も結構そうします。
これは、リズムや、場面の緊迫性が必要なところや、丁寧な文章にする必要があまりない部分に、文章が冗長になるのを嫌って、(私の場合は)混在させます。(もちろん不自然にならないように気を遣って、です)。

一学生の考えですが、参考になりますかどうか。
    • good
    • 0

私も非常に気になります。

混在はよくないと思います。
が、報告書などで、最初と最後の一文ずつもしくはひと段落ずつを「です・ます」で書いて、中身は「だ・である」にすることは、よくやります。
    • good
    • 0

基本的には、文末の形は統一するのがいいですね。


文章の要は読みやすさにありますから、文末が統一されていないと読みづらいし、急に口調が変わる会話のように不自然になってしまうでしょう。
確かにプロの文章でも、文末が統一されてないものがありますが、それが読んでいて不自然に感じられるものであれば、それは書き手のミスでしょう。
ただし、小説の中には、何人かの登場人物が一人称で語るため、それぞれの文章で文末の形が異なる場合もあります。これはそうすることで各々の登場人物の個性を際立たせる手法です。
まとめると、文末が一致してないことで、読みにくさや、不自然さを読み手に与える文章は、書き手のミスと考えられますが、あえて文末を一致しない文章もあるということです。
    • good
    • 0

わたしも、人も文章を読んでいて、~です。

が続いていたのに、突然、~だ。になっていると、オイオイ。と思ってしまいます。
特に、新聞の投書欄。新聞社の人、ちゃんとチェックして、直してあげてよ。と。


ただ、プロの方は、“ここは客観的に”とか“ここは感情を表に出した表現がいい”とかいう考えがあって、作為的にそういう表現をされているのかもしれませんね。
    • good
    • 0

基本的には、統一します。



統一していないときは、何らかの効果をねらっていると思います。
小説家や評論家は文のプロです。
規則を破っても、それが効果的だと思ったら、
そっちの方を選択するのです。

ビジネスの文書などでは統一するべきです。

ただし、これは日本語の欠点なのですが、
あまりにも「である」が連続すると、
かえって変になることがあります。
それを避けるためにときどき「だ」を挿入することはあります。
同じ意味で「です」調に「だ」を使うこともあります。

それから、、昭和初期ごろまでは、
そういうことを気にしない著者もけっこういたようです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!