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三国志を読んでいると(具体的には「蒼天航路」というモーニングのマンガです。ご存じない方ごめんなさい)、孫権は孫堅、孫策に匹敵するあるいは上回る大器といわれてますが、具体的にどのようなところでしょうか?他の君主では劉備はすごい人望があるし、曹操は屯田制をやったり文学の才能があったりしてそれぞれに英雄だなあと思うのですが。孫権についてなにか具体的な功績や人柄にまつわるエピソードご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。よろしくおねがいします。

A 回答 (6件)

10代で孫策がいきなり広げた領土の領主・・・。


周りは当代の英傑劉備・曹操他色々。
いくら才能が有っても経験値で補えるものじゃない。
国まとめに奔走して一息ついたと思ったら赤壁の戦いでガクブル。

俺の青春帰せーーーーー!!!

苦労は買ってでもしろ。という人にとっては名君だと思うぉ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
親や兄の七光りという人もいますが、若いうちからすごいプレッシャーですよね。曹操相手によくがんばりましたw

お礼日時:2009/12/09 16:06

孫権が名君だというのは聞いたことがない^^;



お世辞でしょう。

彼は、尊大な性格で、酒癖が悪い。

何よりも、後継者問題で明白な失敗をおかして、忠良な家臣を何人も失って、結局、国を滅ぼす原因をつくってしまった。

これのどこが名君よ?
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この回答へのお礼

みなさんおっしゃるように、年をとるとダメダメみたいですね。マンガでは3人の君主をそれぞれ立派に描いて対比させることでおもしろくしていたのでしょう。ありがとうございました!

お礼日時:2009/12/09 10:10

分かりやすく説明すると



・外交術にすぐれていた
 (時勢に乗っては、魏と結び、蜀と結び。それによって利益をもたらした)
・版図拡大と維持
 (荊州や揚州など、しっかり領土・国力を増やした。また維持もした)
・人物眼がある
 (家臣内から評判の悪い、もしくは競争する際にゲバ票が低い人物を
  登用し、見事に活躍させている。魯粛、呂蒙、呂範、顧雍など)

これが評価に繋がっているかと思います。
しかし、豊臣秀吉が羽柴藤吉郎の時は英雄でしたが、豊臣秀吉になって
からは老害だったように、孫権も年をとってからは暗愚になります。

後継者問題で10年も揉め、著しく国力を低下させました。
どちらを後継者にするかで家臣はバラバラになり、陸遜をはじめ多くの
家臣がなくなりました。

僕も「蒼天航路」は大好きで読んでいましたが、あくまであれはフィクション。
作品の中での孫権の役割は、「動物的本能で動く、予測がつかない異端児」
扱いだった気がします。
たしかに、上記であげたように、家臣が理解できない選択をして、功を奏し
たりしているので(合肥侵略など失敗もありますが)、あのキャラ付けもある
意味的を得ていると思います。
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この回答へのお礼

実は「蒼天」は呉と蜀が同盟を結んだあたりまでしかまだ読んでないのですが、孫権のキャラ付けがよくつかめなくてご質問した次第です。おっしゃるように若いころはかなりやり手の実業家でそれが名君の根拠になっているみたいですね。わかりやすい説明、ありがとうございました!

お礼日時:2009/12/09 10:06

『蒼天航路』は史書や演義のいいとこ取りをして、


さらに雄大なスケールの物語にアレンジされている非常に良いマンガですが、
フィクションである演義よりもスケールの大きな話になっていますので、
史実での人物を考える場合にはそこらへんを割り引いて読む必要があります。
たとえば関羽なんかは最強の武神として描かれていますけれど、
史実での関羽はそれほど戦場で活躍できる機会はありませんでした。

孫権についてですが、後世の評価をまとめたサイトがありましたので、
参考URLをごらんいただくのが早いかと思います。
(漢文の読み方はかなりめちゃくちゃですが、参考程度にはなります)

歴史書である『三国志』の編纂者陣寿は孫権を春秋時代の覇者、
越王勾践にたとえているのですが、
それはひとつには江南の地の英雄という共通点の他に、
晩年には佞臣の讒言を信じて忠臣を失い国を滅ぼす原因を作った、
ということが想起されているようです。
青年時の孫権は長江以南を制覇してこれを堅持し英雄と呼ぶにふさわしい活躍をしているのですが、
中年から晩年にかけては、酒や女や佞臣に振り回されて、
暗君としかいえないような愚行を繰り返し呉の衰退を招きました。

棺を蓋いて事定まる、という格言を重んじるならば、
孫権は英傑であっても、名君という評価はすこし過大であるような気がします。
『蒼天航路』は主人公である曹操の死をもって物語が完結していますので、
孫権晩年の暴君ぶりを描かずに済んだため、
設定が破綻しなかったというのもあるのではないでしょうか。

参考URL:http://sangoku-touitushi.com/chapter9story124.htm
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この回答へのお礼

おもしろそうなサイトをありがとうございます。孫権は晩年暗君になってしまうのですね。蒼天航路の野生児キャラからは想像がつかないですが、、史実はシビアですね。。

お礼日時:2009/12/09 09:50

孫権は一応初代呉皇帝ですが、実質的な建国者は兄孫策で、劉備曹操と比較するのもずれています。

世代からして違いますね。
始めからある程度の大国の後継者なので、本人の能力ではなく国をどう治めたかが評価されると思います。

もともと呉は覇権思想というより割拠思想の国で、しかも外交と人材登用により領土を防衛どころか増やし国を繁栄させていったので、まず名君と呼ぶに相応しいかと思います。特に相対する魏は呉よりはるかに国力が大きい中での繁栄ですから、地味ながらかなりすばらしい結果といえるかと思います。

蛇足ですが、漢代末から三国史時代にかけては、ただの蛮地だった揚子江流域が中央部に負けない豊かな地へと発展していった時代でもあります。
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この回答へのお礼

おっしゃるように孫権は国を拡大させていった役割の人ではなく、一旦拡大した国を維持していった人なので、がつがつ戦争に勝っていった人たちと比較すべきではないですね。維持・繁栄させる役割においては立派な名君だったということですね。ありがとうございました!

お礼日時:2009/12/09 09:43

いちばん長く平和を保っていますよね?


名君とは民が安心して暮らせる環境を作る君主ですよ。
だから、名君なんです。

孫堅、孫策は勇猛果敢ゆえに突き進み、結局短命に終わっています。
これでは、民が路頭に迷ってしまいます。

孫子の兵法にも「百戦百勝は最良の勝利ではない。戦わずして勝つことこそ最良の勝利」というような意味合いの言葉があります。
民に平和を長く与えた孫権は名君だと思います。
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この回答へのお礼

たしかに自分が当時の領民だったとしたら一番平和そうなところに住みたいものです。そういう意味では名君ですね。ありがとうございました!

お礼日時:2009/12/09 09:35

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