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徳川家康が関ヶ原の戦で着用した鎧は、あの有名な羊歯具足でしょうか? それとも紀州東照宮所蔵の南蛮胴具足でしょうか? どちらにもそれを裏付ける資料があるようですが…。

また、熊毛水牛角の甲冑は大坂冬の陣で使用したという資料がありますが、大坂夏の陣、三方ヶ原の戦ではそれぞれどの鎧を着用したのでしょうか? 大坂の陣では「小倅(秀頼)相手に鎧なんて無用じゃ」と言って着なかったという話もどこかで読んだ気がしますが。

A 回答 (2件)

No.1です。


日光東照宮の南蛮胴具足については、関ヶ原で着用との神社の伝承だけのようです。    紀州東照宮の南蛮胴具足の伝承は見ていないので。

羊歯具足については、大阪冬の陣用に作らせたものです。   その一領を参陣の途中で拝礼した、奈良の漢国神社に奉納しました。   羊歯兜紅唐茶糸威胴丸具足です。   ところが飾り付けたところ、兜が落ちてしまいまいた。    兜は持ち帰り鎧のみ奉納し、いまも神社の鎧蔵にあります。
兜が落ちた事を家康はどう見たか。    首が落ちたと考え、注意せねばと思ったでしょう。
しかし皆には城が落ちた縁起がよいと喜んで見せたでしょう。
それで羊歯兜は徳川将軍家代々の宝になっています。   羊歯具足を冬の陣で着用との説もあります。
しかし実際は家康の予想通り冬の陣では苦戦しました。
首が落ちる羊歯具足は着用しなかったと思います。   名古屋徳川美術館にあるような、熊毛植兜着用の可能性はあるでしょう。   具足は多く用意するものです。

三方が原で着用の兜前立は浜松市犀ヶ崖資料館にあるとの事です。
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この回答へのお礼

それでは、よく時代劇であるように関ヶ原で羊歯具足を着用しているのは間違いということになりますね。家康の甲冑といえば羊歯具足というくらい有名なのに、実はそんな裏話もあったとは興味を惹かれました。

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/16 21:42

関ヶ原で着用したのは、日光東照宮蔵の南蛮胴具足と伝わっていますが。


「関ヶ原合戦実記」に載っているのではないでしょうか。
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