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No.2
- 回答日時:
小攘夷は極端に日本の長所を美化し、外国を卑下する考え方、例えば藤田東湖の「天地正大の氣、悴然として神州に集まる」といった思想が好まれます。
行動としては外国人の殺傷、外国船に対する砲撃、外国施設の焼き打ちなどになって現れます。これに対して大攘夷は悔しいけれどテクノロジーや生産力において西洋列強の方が上を行っているのは事実、そこで今はこうした文物を諸外国から受け入れ、国力を富ませ、これを背景に持つ軍事力を育成し、やがてはその力で西洋列強にも対抗してやろうとする考え。
大攘夷的な考えを持っていく過程ににおいて重要なポイントは薩摩藩の場合薩英戦争、長州藩の場合下関砲台占拠事件を挙げることができると思います。
薩長両藩が明治新政府として実権を握ったのち「殖産興業」「富国強兵」という2つの政策を重要施策として掲げるのは、こうした経験と大攘夷的な考え方が背景にあったのではないかと考えます。
No.1
- 回答日時:
そもそも「攘夷」ってのは、外国人から日本を守る!ってな意味です。
これは、幕末の人々の共通した思いですね。
ただ、外国人から日本を守る方法は二通りあります。
長州や水戸、土佐の下士が実行していた攘夷は、分かりやすく外国人を
ひたすら斬ることです。これで外国人から日本を守ります。
「日本を汚す偉人め!」ってな感じですね。これが小攘夷です。
大攘夷ってのは、今の日本の国力じゃ武力蜂起しても、とても外国人には
敵わない。ならば、外国人と仲良くなって、貿易をして技術を盗んで
日本を強くしよう。そして、外国人と対等な立場になればいい。という
考えです。
ただ大攘夷の考えは、当時では理解できない人が多く、汚れた外国人から
技術を学ぶぐらいなら、潔く切り込んで死を選ぶ!ってな考えが主流でした。
後は、神の国日本が外国人に負けるわけがないと、どこかで考えてた節も
あります。なので、同じ攘夷でも大攘夷の思想の人は「開国派」といって
日本を守るのではなく、海外に国を明け渡す輩だと、誤解されがちでした。
長州も、薩摩も海外と戦争をして、初めて日本の国力の無さを実感し、
小攘夷から大攘夷に思想が変わってゆきます。
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