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歴史上の人物の感動話を教えてください
どの時代でも
日本以外の国の歴史でも
メジャーでもマイナーでも何でもいいです

A 回答 (3件)

うむ!!



確かに!!カニカニ。

くすのき先生は合戦でウンコを投げた優秀な策士!!
テレビで感動しました。侍はプライドが高いですからね。
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私の義父は福井県の出身です。

 昭和十年、遠縁に当たる松尾の叔父を頼って九州の福岡から上京し、大田区で開業を始めました。 当時、松尾の叔父(松尾伝蔵)は首相第一秘書をしていました。 大変面倒見の良い人だったらしく、義父の開業に際しても土地の世話からいろいろとお世話になりました。 

十年の暮れには小さな診療所の開業に漕ぎつけました。 松尾の叔父も喜んでくれ、春になって弥生の節句には診療所を見てやろうと言って貰ったそうです。

その三月三日の五日前、二月の二十六日、叔父は二・二六事件に巻き込まれ、凶弾に倒れ亡くなりました。 どうもこれは覚悟の死だったようです。 写真でみてもわかるように、松尾伝蔵と時の首相、岡田啓介は良く似ています。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB% …

義父の話では、岡田首相と松尾伝蔵はいつも服装を合わせ、床屋にも同じ日に行く。 眼鏡も髭の形もそっくりにする。 暗がりでちょっと離れると見わけがつかなかったそうです。(松尾伝蔵談) 

退役軍人で故郷の福井に居た伝蔵を義理の兄である岡田啓介が第一秘書として呼んだのは、深いわけがあったようで、伝蔵も合意の上の影武者だったようです。 本当に豪胆な人でした。 義父も『松尾の叔父』の話をするときはいつも誇らし気でした。 親戚に立派な人がいると、実に多くの人を勇気づけるものです。 
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>歴史上の人物の感動話を教えてください




私の場合は、

◇大楠公(楠正成)の櫻井の別れ
苦難お末に北条(鎌倉幕府)から天皇御親政を実現するも、武士階級の不平不満から、猟官領地に目を奪われ、多くの武士が足利に傾く、その中で流れに抗し忠義を貫く心意気に心打たれる。
そして、建策・提案、悉く採用されず、必死必敗の戦いに湊川へ向かう、その生き方、滅びの美学は美しく悲しい。

さらには後事を託し、一緒に死のうと縋りつく我が子を諭し、郷へ帰そうとする櫻井駅での今生の別れ。
我が子の成長、孝に喜びながらも忠を諭す、正成の心。涙ながらに別れを悟り帰り行く正行・・・何回読んでも、聞いても、涙に咽ぶ目が潤む。
櫻井の別れ(楠公父子今生の別れ)




◇乃木希典
田原坂での軍旗喪失の責をとって死を望む乃木希典、軍旗よりも忠君の大切さを述べられ止められた明治天皇。
その天皇の御世に命を懸け、国難存亡の危機である大国ロシアとの戦いに死力を尽くす・・・。
激戦旅順攻略に愛息を共に亡くしながらも、203高地開城に憤然と挑む姿に胸が張り裂けんばかりに息詰まる。
多大な犠牲と死闘の末に203高地の陥落、旅順降伏開城に至る。
その講和会議が行われたのが水師営であった。
ロシア代表ステッセル、敗軍の将と言えども愛息の敵でもあるが、惻隠の情・命を受け死力を尽くして闘いし後は互いの敢闘勇気を称え合い犠牲者を弔い負傷兵を労わる。
そこに、武士道と日本人の戦いても、結果が出れば敵味方&勝者敗者の区別や優越侮辱はなしの寛容の心に感銘します。
さらに、後日談として、退役し学習院の校長として皇族の子弟教に携わり、明治天皇の崩御に軍旗喪失の責、多くの軍人・部下を死なせた罪を抱きながら、後世の国の安寧を祈りつつ、明治の御世と共に逝くべく、夫妻で明治天皇の下へと殉死された。

水師営の会見(乃木将軍)

http://www.youtube.com/watch?v=WVVS56hWx30&featu …
http://www.youtube.com/watch?v=uNjTBAHSatQ&featu …
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