初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

月が東の方向から出てくる時は大きく感じます。
しかし、天頂付近にあるときは小さく感じます。
眼の錯覚という話も聞きますが、実際「見かけ」の大きさは変わっているのでしょうか?
それとも、「見かけ」の大きさも変わっていないのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

錯覚です。


僕の聞いた話では人間の真相心理では空は半球状ではなくてそれより低い形なのだそうです。つまり
水平線上での距離>天頂の距離
なんだそうです。だから、月を見るとき水平線上で見るとき天頂にあるときよりも遠いので実際より小さく見えるはずと脳が勝手に判断して大きく見えるそうです。
ちなみにこの機能がないと10m離れたものを20m先に持っていく10m先にあったときの半分の大きさに見えるそうです。
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この回答へのお礼

皆さんのお答えを拝見しますと、厳密には大きさは変化しているが、錯覚であることが基本にあるようですね。
皆さん其々の情報を基にした御説明に納得したので、ポイントを皆さんに上げたいのですが、申し訳ありません。
深層心理の話は好きなので、mousengokeさんに「皆さんの代表」としてポイントを付加させていただきます。

お礼日時:2003/07/23 16:36

6番目に回答をした、gingakeiです。



みなさんの回答を読んでたら、どうやら僕の回答は間違ってたようですね。すみません。
それで、管理人さんはどう判断するかわかりませんが、これも含めて削除してもらえるように連絡します。

yamachaさん、それと他のみなさん、大変失礼致しました。
申し訳ございません。
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この回答へのお礼

気になさらないでください。
こうやって私の小さな質問に答えていただけただけで私は嬉しく感じます。
また、よろしくお願いします。

お礼日時:2003/07/23 16:21

以前、別の方より同様のご質問があり、私なりに調べ、回答させて頂いた事がありました。



良く言われる原因として、「目の錯覚」があります。

上空には太陽と比較する物体がありませんが、地平線には、建物など様々な物体がある為に、それらと比較してしまう為に大きく見えると言われています。

ただ、これが本当の原因かと言うと、そうでもないらしく、様々な仮説の中の1つらしいです。

「月の錯覚」と言う問題で、未だに様々な仮説があり、議論されている様です。

「地平の月はなぜ大きいか」と言う本もある位ですから、簡単な問題ではないのかも知れません。(苧阪良二著 講談社ブルーバックス)


参考URLを以下に記します。

参考URL:http://www.246.ne.jp/~niwa/apodj/2002/200201/jp0 …
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この回答へのお礼

リンク先拝見しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:23

極めて興味深い問題ですね.私も何度となく 此の問題を考へて來ました.人間の腦といふものが どのやうにして「錯覺」に陥るものか.


十圓玉での比較の方法が 紹介されてゐますが それによれば 地平線近くの月も 天頂の月も 同じ大きさである譯ですから 腦に傳[つた]へられてゐる視覺情報には 違ひが無いと考へる他は無い.すると問題は 人間の腦が どのやうに目に映じた風景を 判斷してゐるのかといふ事になります.
つまり 我々は 言葉の上では「月を見る」と言ひますが 人間の腦は 既に全體[ぜんたい]の風景を見てゐるといふ事です.月だけを切り離して見てゐるのでは無いといふことです.月だけでは無く 總[すべ]ての隣合ふものとの對比[たいひ]によつて 既に判斷を下してゐるのです.その結果 地表に近い物體[ぶつたい]は 他の風景と それほど變[かは]らぬ 大きさでなくてはならぬとの 絶え間の無い期待もしくは豫想[よさう]により 風景は 腦の中で 再構築されてゐるといふ事になる.つまり ものを見るといふ 極めて原始的な活動においてさへ まさに生まれて此の方の ものを見ての學習が 瞬時に動員され 「錯覺」は避け難いものとなるのです.
まあ 以上は アランといふ フランスの哲學教師あつた人の 邦題「精神と情熱に關する八十一章」といふ本の はじめの部分に出て來る 錯覺に關する話題の 私の拙い要約です.このアランといふ人の本は 日常の我々の さりげない活動の中にも 驚くべき精神の働きが 絶えず介在してゐる事を 教へて呉れる 大變[たいへん]優れた 哲學の書です.
「錯覺」といふ 殆どの人は見過してしまふ あまりにありふれた出來事をもとに アランの筆が どれほどの深みにまで 我々を導いて呉れる事か.その部分だけでも 一讀の價値はあります.
今でしたら 新潮社から 小林秀雄の譯[やく]が出てゐます. 
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この回答へのお礼

言い回しが独特のムードを持っていらっしゃいますね。
返答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:24

もひとつ厳密に言えば,大気中の光路長の違いに起因して,


ごく僅かに見かけの大きさは変わっている筈です.

でも目で見て分からない程度のものです.

目で見て違ってるように見えるのは,比較対象物のあるなしによる
錯覚であることは,みなさまおっしゃってる通りですので割愛します.
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この回答へのお礼

光賂長の影響もあるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:31

月の起動による大きさの変化は確かにありますがこれと地平線上にあるときの大きさと店長にあるときの大きさの差を説明することは困難だと思います。


いつも水平線上にあるときに最も近い位置にあり店長にあるときにもっともとお言い位置にあるというわけではありませんので。(水平線上にある月が大きく見えるのは日本だけでなく世界中でいわれることでとなると四六時中月はもっとも遠い位置と近い位置に移動しなければならなくなるわけですよね。それに月が水平線上にある時間は日によって違いますので月との距離で説明するのは不可能です)

実質的にはやはり目の錯覚の影響の方が大きいかと思います。
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この回答へのお礼

眼の錯覚ということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:26

こんばんは。


月の見かけの大きさですよね?。
今までは、目の錯覚と言われてたんですが、実際、見かけの大きさは変わってますよ。
というのも、月の軌道は真ん丸じゃなくて、やや長い楕円形を描いているからです。

それと、地球と月の距離は、35万数千キロから、40万数千キロの間で変化しています。
この約5万キロの距離の変化で、月の見た目の大きさは、約13%程度変化をしているようですよ。

このように、月は地球から離れたり近づいたりしているので、見かけは変わります。

余談ですが、月の引力で、地球の影響は30%前後変化しているそうです。

http://mo.atz.jp/moon/ookisa.htm

http://space.nasda.go.jp/db/utyu/taiyokei/taiyok …

参考URL:http://mo.atz.jp/moon/ookisa.htm,http://space.nasda.go.jp/db/utyu/taiyokei/taiyok …
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この回答へのお礼

リンク先のHPはとても分かりやすい説明ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:28

大きさが変わっていない事は、皆さんの仰るとおりです。


太陽も同じですが、地平線近くでは対比物があるため、大きく感じると言われてます。
しかし、これには異を唱える科学者もいるそうです。
天頂付近でも、木の枝や高層ビル等の対比物があれば大きく見える筈ですが、実際はそうならないからです。
人間には解明できない「謎」なのでしょうか・・・?
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この回答へのお礼

これだけ科学が発達しているのに謎ですか…
面白いことですね。

お礼日時:2003/07/23 16:29

月の見かけの大きさは変わりません。


月と地球の距離は、平均38万kmだといいます。それに対し、地球の半径は6400km。月が地平線に見えるときと、天頂に見えるときで、距離は2%も変わらず、よって見掛けの大きさもそれほど変わらないということになります。
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この回答へのお礼

具体的な数値での御返答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:20

月を見た大きさはどの位置でも変わりません。


まわりに他のものがあるときは大きく見えるというのは錯覚です。
腕を伸ばして10円玉を持つと、ほぼ月と同じ大きさになると思いますので、それで地平線の近くにあるときと天頂付近で比較してみれば、目の錯覚であることが確認できると思います。
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この回答へのお礼

眼の錯覚ということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 16:18

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