名誉・体面とは何か
(1) ほんとうにあるのか?
(2) あるとして 守らねばならないものなのか?
(3) 根拠のないことがらによる誹謗中傷や 不当で過剰なわたくしごとの暴露でもない限り 名誉が問題になったという時点で その名誉にかかわる事柄では 自分のほうに非があると分かっているはず。つまりその間違いをそのまま認めれば済むことではないか?
◆ (ヰキぺ:名誉) ~~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89
20世紀末-21世紀初頭の世界では、グローバリズムという言葉で表されている実用主義や利己主義の拡大の過程において、蔑ろにされようとしている(とする流れがある)。
日本においては、第二次世界大戦前の価値観において体面に重きを置き過ぎたとの省みから、体面より実質、外側より中身を大事にしようとする気風が生まれたが、逆に振り子を振り過ぎて、尊厳や誇りをどうでもいいと思う風潮が生まれた。その風潮への抵抗として、誇りに価値を置きたいという気風もまた生まれている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(4) どうも振り子は 昔のままに振り切りっぱなしであって 一向に変わる気配がないように感じますが どうですか?
◆ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~
名誉(めいよ、Honour)とは、自身の業績、功績、態度、姿、振る舞い、あり方、生き方を讃えられ、それをすぐれている、価値があると自他共に認め、それを自らの尊厳、誇りと見なすこと。
「何かを名誉に思うこと」を誇りという。また、社会的地位が高く名声があることも名誉と考えられ、こうした名誉を望む欲求を名誉欲という。
それが傷つけられ、害われた場合には、それを回復するために命懸けの決闘を挑むということもある。
日本の中世の武家社会では、これは切腹、仇討ちというかたちを採ることもあった。赤穂浪士による主君の名誉を雪ぐための吉良邸討ち入りもその好例である。
(あ) 体面に固執する振る舞いは滑稽で醜い姿に見える(世間体や名誉職にしがみ付く有り様など)。
(い) 一方、恥も外聞も無い人間、誇りを忘れた人間は、醜い行動を平気で行う(儲かるためなら、ほかの誰かが傷ついても、死んでも、何がどうなってもいい、という振る舞いなど)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(5) 《傷つけられ害われる》という場合は むしろ名誉棄損といった犯罪を構成するような場合であって あとは名誉欲(≒うぬぼれ)を追うときの名誉もしくは体面が問われるということではないか? もしそうなら なぜ守ろうとするのか?
(6) (あ)体面に固執する振る舞いも(い)恥も外聞もない行動も どちらも大きくは《成り振り構わざる振る舞い》であると思われます。
けれども みづからの存在じたいに誇りをもって しかもあとは成り振り構わないぶっきらぼうという態度もあるかと思います。
これなら 体面は体面のほうが・また周りのほうが構うときには構うであろうから放っておける。のではないか? 何か不都合はあるだろうか?
ご自由に回答あれ。
No.7
- 回答日時:
Bragelonne様、ご丁寧なご返事を頂きました。
少なからず啓発されましたので、多少蛇足ながら付け加えさせて頂きます。
まずさむらい精神について
>名誉と言うよりも これは こころざしでしょうか。ですからたぶん あやまちを犯したとき体面を捨てることにこだわることはないようにも思えます。上の誇りが傷つくことのほうをこだわるというようにして。
そのとおりですね。つまり、さむらいのような階級的名誉は名誉そのもの(虚しいものであると仮定するにせよ)に実質的な価値があるというのではなく、名誉を守り抜くというこころざし、モラールの高さが重要なので、それが潰れたときには潔くその体面を守るべく腹を切ることで償うのだという覚悟がその価値をを保障していると考えれば、虚しさが虚しさではなくなるということになるのだろうと思います。体面は、ですから潰れたらそれまで、ということでなく、そのあとのいさぎよい行動が重要なので、下手に守ろうとばた狂う醜態はまったく無意味というより本末転倒といった行為なのでしょう。
★ 天皇陛下、あるいは総理大臣の出す握手を無視することも可能であり、この場合大臣の体面が潰れるということはあっても、お互いにその事実を無視しあうことは可能です。
この例は、ただ、形式的な礼節が相手を実質傷つける可能性があるかどうかということを示しただけです。前長野県知事の田中氏の名刺を彼の目の前で折った副知事にせよ、我慢すればそれまでだったのが、その事実をマスコミが喧伝したから知事も実質傷ついたわけです。そういった”無礼な”行為は、無意味なままで終えることが可能だといいたかっただけです。
>単純にアメリカ化でしょうか。
>わたしは 振り子が社会の一部分において昔のままである姿が目の前にちらつきました。それは 強固であるように感じています。
まずアメリカの基地である状態から脱却せねばならないと私も思っていますし、これは動き出しています。この点においてのみ私は小澤氏に賛成です(笑)。
>その体面をめぐる《価値観の差》を ここでは問題にしているということもあって 一概にはそのままを受け容れがたいようにも思います。
>というのも 《死ぬほど傷つく場合》というのが ひょっとすると 勘違いであるということが無きにしもあらずと思えています。プライドの高いひとは どうしてもこちらから会釈の一つでもしないと それだけで 傷つくと言いますか すでに怒りあるいは蔑みが起きているように思えます。
細かく分析するのがよいかと。
結局虚名にせよ自分のあるべき価値をおとしめられたという心の傷害行為として感情的に捉えているのでしょう。価値観の差、個人的度量の大きさなどに左右されるのだと思います。結局礼節はその社会の文化であっていちがいに無意味だともいえないと思いますが。
(6) (あ)体面に固執する振る舞いも(い)恥も外聞もない行動も どちらも大きくは《成り振り構わざる振る舞い》であると思われます。
双方の基準点は大きく違います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そうかも知れません。少なくともさらに分析の要ありです。
あ)は多くはその体面をこれ以上損なわないように注意深くなされるのが普通です。もちろん、外見上のそういった優雅さがその実質的行為の下劣さをカヴァーすることはないでしょう。この場合の基準はあくまで見かけ上当人の体面という高みでなされます。(い)は文字通りモラルもエチケットもない最低の状況でなされる行為でしょう。あ)と(い)のどちらが人間的に許されるかは好みによりますが、多くは自然体という観点から(い)に好意をもつのではないでしょうか。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~
>・・・ぶっきらぼう・・・
でも、敵はほおってはおきませんよ。必ず弱みに付け込んできます。びしっと反撃せねばならない最適のタイミングは絶対存在します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
これも自然体についての問題でしょうか。あまりに隙の多い名誉職は適切に反撃しなければいずれ奈落に落とされるのではないかということです。蛇足に過ぎました。
この回答への補足
★ まずアメリカの基地である状態から脱却せねばならないと私も思っていますし、これは動き出しています。この点においてのみ私は小澤氏に賛成です(笑)。
☆ そうですね。大筋では 民主党としては 理念として・あるいは方向性として 菅も小沢も鳩山もそれほど違いがなく 独立ないしいわゆる対等な関係という外交政策ではないかと思っております。
この時点で 小沢が鳩山と同じようなことを言うのは おかしい感じを持ちます。それでは鳩山の費やした代償は何だったのかとなりませんか。
中国を国家幻想からいかに脱却させるか。こういう課題でもあると思っているのですが。
コマアスさん お早うございます。ご回答をりがとうございます。
★ まずさむらい精神について
☆ これについてもチョンボしました。武士道を頭に思いつつ 切腹のことはもう遠い過去のこととして忘れた格好となっていました。
たとえば忠義心。これは広く考えれば 藩主のため・お家(藩)のため・あるいは藩に住む人びととその生活のためという場合があり得ますので その忠誠心は 誇りであり得て 名誉です。しかも武士の場合には この名誉が 内実をともなっていたというところでしょうか。最後(最期)までつらぬく。
ゆえに――町人に威張り散らす一部のさむらいを除けば――単に体面を保つということには意義を見出さず その実質を問い求めつつ実行をすすめた。というところでしょうか。
そうだとすれば どうでしょう ひとつの策としては この名誉を 市民みんなの連帯名誉とするというのは? 名誉連帯の社会とすれば よいのでは?
そうすれば むやみに体面を保つ必要もなくなるでしょうし 最期までつらぬくというかたちも避けられると思います。
切腹は 《体面》さん自身にしてもらいましょう。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~
★ 天皇陛下、あるいは総理大臣の出す握手を無視することも可能であり、この場合大臣の体面が潰れるということはあっても、お互いにその事実を無視しあうことは可能です。
この例は、ただ、形式的な礼節が相手を実質傷つける可能性があるかどうかということを示しただけです。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ すみません。《形式的な礼節を超えよ》というふうには読んでいました。現在の段階で その《握手の無視》には説明が必要だろうなという付け足しだけなのでした。次のようにおっしゃる通念の要素ですね。理論はともかく 実際の問題としてでした。
★ 結局虚名にせよ自分のあるべき価値をおとしめられたという心の傷害行為として感情的に捉えているのでしょう。価値観の差、個人的度量の大きさなどに左右されるのだと思います。結局礼節はその社会の文化であっていちがいに無意味だともいえないと思いますが。
☆ ま 高い地位にある人は その行為のあやまちについて批判を受けた場合たとえ自分が我慢して甘んじて受けるとしても 自分には部下もいる ゆえにその者たちに屈辱感を与えることは出来ない だから空威張りとしてでも 体面を保つのだと 言うかも知れません。
だとすれば やはり広く名誉連帯として 体面や屈辱感よりも 実質的な修正や撤回をとおしてあたらしい舞台に出てゆくほうがよいではないかという考えかた この共同主観の実現というのもよいかと考えられます。
○ あやまつはひとのつね ゆるすはかみわざ。
○ つみをにくんでひとをにくまず。
☆ と昔から言い慣わして来ていると言うのに。風通しをよくしましょう。そういう運動も考えられるのではないでしょうか。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(6) (あ)体面に固執する振る舞いも (い)恥も外聞もない行動も どちらも大きくは《成り振り構わざる振る舞い》であると思われます。
★ 双方の基準点は大きく違います。
☆ そうかも知れません。少なくともさらに分析の要ありです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あ)は多くはその体面をこれ以上損なわないように注意深くなされるのが普通です。もちろん、外見上のそういった優雅さがその実質的行為の下劣さをカヴァーすることはないでしょう。この場合の基準はあくまで見かけ上当人の体面という高みでなされます。
(い)は文字通りモラルもエチケットもない最低の状況でなされる行為でしょう。
あ)と(い)のどちらが人間的に許されるかは好みによりますが、多くは自然体という観点から(い)に好意をもつのではないでしょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ たぶんどちらかと言えば (い)のほうが 実質を重んじる方向を向いているというところでしょうか。《自然体》と言っていただきました。さむらいは一生懸命でしたが もしそれが出来たとすればそれは 基本はこの《自然体》にもとづいていたからでしょう。
さらにぶっちゃけ話になりますが この質問はわたしの置かれている状態を打破したいというところから出発しています。要らぬ体面は捨てたらいいのにという発端です。
主題を広く取ると いくつか中身のある課題が見つかりますね。論じていただきました。
○ 名誉連帯
☆ はちょっと弥縫策っぽいと思い直してもいます。のでよしなにおはからいください。
No.5
- 回答日時:
>どうも《名誉≒うぬぼれ》であるのではないか。
このやぶにらみの姿勢でいます。おしゃるように「名誉」といっても、虚栄心をさす場合と歴史や人生の中で得た経験則に殉ずる心をさす場合に最低でも2つに分けられると思います。
私は前者の場合においては質問者様の意見に近いです。
後者の場合は、正確に言えば、自然や社会や人間関係における共生のルールの理想を体現した者を名誉を極めた人間として比較することにより、自分を叱咤激励するためのものでしょうね。
さらに、前者は「名誉」は所有する・したものに感じるものですが、後者は自分がどこを向いて進んでいるかに感じるものだと思います。
>空想的では駄目か
十年前や十年後の、昨日食べたごちそうを空想して、今食べている食事を疎かにして体に負担をかけることは愚かです。
同じく、昨日の手柄に拘るのも心がけが悪いというものです。
申し訳ない思いです。回答No.2のコマアス8さんがかなり全体としてまとめてくださったと思うのですが ニキ00001さんのご回答ご見解の受け取りをまだうまくまとめ得ずにいてしまって。
お早うございます。ご回答をありがとうございます。
★ おしゃるように「名誉」といっても、虚栄心をさす場合と歴史や人生の中で得た経験則に殉ずる心をさす場合に最低でも2つに分けられると思います。
☆ ええ そういうことになるかと思います。問いの焦点は 負の側面に当てようとしていました。そして全体としての広い見方が必要だとの思いから主題を広げました。
★ 私は前者の場合においては質問者様の意見に近いです。
☆ ここまでの回答を見ても この負の側面の《名誉・体面》の扱いについては おおよそ常識ははっきりしていると言ってよいでしょうか。
この質問では もしもう少し開いているとすれば その具体的な分析や対処法を期待することにしたいとは考えます。
後者つまり負ではなく正当な名誉の側面についてはどうか?
★ 後者の場合は、正確に言えば、自然や社会や人間関係における共生のルールの理想を体現した者を名誉を極めた人間として比較することにより、自分を叱咤激励するためのものでしょうね。
☆ たしかにいくつかの見方があるようだと思いました。このご見解は
○ いわゆる伝統 よき伝統〔としての生活態度や共同自治のやり方〕
☆ であるように受け取ります。あるいは
○ 常識つまり――わたしは 共同主観と訳したりしていますが―― 知識
よりは知恵の要因。つまりむしろ判断力。
☆ でしょうか。そしていわゆる《理念》を重くみるという要素をも含めておられるでしょうか。異存ありません。
この伝統〔とその発展〕としての側面については このいまの見方を決して否定するためではなくさらに広い幅があるかにも思われますのでもう少し開いていて 広くご回答を俟ちたいとも考えます。
☆ ひとつの具体的な話を取り上げて 問い求めを深めて行ければと考えます。
○ 質問趣旨の(8): やわらちゃんこと谷亮子は シドニーオリンピ
ックのあと 国民栄誉賞を受けました。女子柔道で優勝を逃したにもか
かわらず 女子マラソンで高橋尚子が国民栄誉賞を受けたのを捉えて
自分にもその資格があるのではないかと 自分から訴えてそれまでの
実績を楯にして 名誉を求めました。〔とわたしには映りました〕。
これについて どうもおかしい感じを拭えないのですが どうでし
ょう?
というのは 《運》というのは安易な言葉かも知れませんがそれでも
用いますが 実力と運とは たぶん相いたずさえてはたらくと思うから
です。初めてのオリンピックで優勝するかどうか これはたとえ運であ
っても 重要ではないか。できなければ 不名誉だと受け取って あた
らしい展開に臨むべきではないか。と思うからです。
☆ どうでしょう?
☆ 論点になるかどうか分かりませんが
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
>空想的では駄目か
十年前や十年後の、昨日食べたごちそうを空想して、今食べている食事を疎かにして体に負担をかけることは愚かです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この部分はまだよく読みとれません。《昨日食べた》が事実であれば それをひとつの判断材料とすることは 《空想的》ではないように考えるからです。次の部分は まったく同感です。
★ 同じく、昨日の手柄に拘るのも心がけが悪いというものです。
No.4
- 回答日時:
bragelonne先生は、よく「武士の情けだ」と言っておられますが、ご先祖様は武士ですか?
ご投稿をありがとうございます。
先祖は分かりません。三代前までしか分かりません。武士であったりとかあるいは明治以降 公共の要職に就いていたりすれば それなりに伝えられていたでしょうから それを聞いていないということは そうではないと思います。
武士の情けというのは ときどき出て来ますね そう言われれば。互いのあいだに答えが出ないのに対話が長引いている場合 その長引きがわたしのほうからそうしているようであるけれども わたしが引き延ばしているのではないとはっきり分かっているときには そう言ったりしますね。
先生よばわりのあと むらくもの剣が出て来るというではないですよね。
No.3
- 回答日時:
1.自己認識(自分自身の評価)を、自分ではできないほど認識力が
未発達(自我の目覚めが不完全)で、他の評価において安心する。
2.自己の生きる意志(自己の社会生命性の自覚=愛)が不完全で、
そうした自己チューな意識をして社会性に従わせるための
お金や出世、虚栄心といった、他律的な二次的価値に支配される。
いずれにしても、真に生きる目的である「精神的充足量の最大化」に
於て重要なファクターである、認識性の発達をおろそかにした次善の
方策に過ぎない。
ご回答をありがとうございます。
あぁ わたしが回答No.1への応答で 《あやまちを犯したとき・失敗をしたときに 要らぬ体面をたもとうとして そのあやまちをどうしても認めない》という場合に焦点を当てて欲しいと言いましたから そのように負の側面について回答を寄せてもらったわけですね。
どうでしょう 体面にこだわるというのは 自分のことが分かっていないからではないか。もしそうとすれば守るべき自己の存在をしっかりと心得ていると言うよりも その自己の把握があやふやだから やみくもに体面を気にして ともかくも自己を守ろうとしている。それは 往々にして 体面というごとく自己の社会的なものだがその表面的な地位や評判だけの保守に走ってしまう。・・・
やや短絡するかたちですが もしそのうわっつらの行動がうわっつらのことに過ぎないときちんと分かるようになるには
★ 真に生きる目的である「精神的充足量の最大化」
☆ を知ればいいでしょうか? それを実践すればいいでしょうか?
それには どうすればよいでしょうね。サイテックスさんのご文章をよく読むことでしょうか? そうするともっと分かりやすくして欲しいという気持ちもあるのですが それは望めませんか?
No.1
- 回答日時:
何に名誉を思うか、名誉を重んじるときなのかという判断は難しいものがあります。
それが下手だった場合は、単なる虚栄心やヒーロー願望などになってしまうでしょう。
ですから、上手も下手も区別せずに「名誉」を考えることは有害ですらあります。
一兵卒が経験も無いのに「戦場での名誉」を語るのは滑稽であり命取りになりかねないし
大将が「名誉」を重んじなければ願望と衝動により行動し配下の信頼を失うでしょう。
自分の力量と状況を見極め、実現可能な範囲で最大限の「名誉」を重んじるしかないのかと思います。
ただ、ひとによっては偽善と映るでしょうね。
一兵卒が経験も無いのに「戦場での名誉」を空想的に語るようにね。
ご回答をありがとうございます。
わたしはまだ やぶにらみの姿勢でいます。つまり
★ ただ、ひとによっては偽善と映るでしょうね。
☆ というごとくです。ま 《偽善》というのも これも 主観的な要素が強いように思いますので 言葉としては 趣旨説明にも書きましたように どうも《名誉≒うぬぼれ》であるのではないか。このやぶにらみの姿勢でいます。
★ 一兵卒が経験も無いのに「戦場での名誉」を空想的に語るようにね。
☆ 《空想的に》ではだめでしょうが――昔の時代に時間を戻して語りますが―― どんなに小さなことでも実際であったなら 手柄は手柄であるというふうにも ぎゃくに思うのです。
どうももしニキさんのご見解が 一般のそれであるとしますと わたしはそうとう天の邪鬼であるかに見えて来ますが まづ《名誉》は 本来のと言いましょうか ふつうのそれは あるとしたなら 結果としてあるものだと考えます。またその行為の中身に応じたそれなりの結果であって つまりは《よくやった》というご褒美のようなものではないか。言葉でたたえてもらうそのこと。そしてそれで もうおしまいとなるものではないか。です。
言いかえると あとは このふつうの名誉以外のものは なくてもいいものであって その名誉を追うときの姿勢 それにともなうウヌボレ ではないだろうかとうたがっているのです。
つまりなおいくつか事割り書きをつけなければなりませんが
★ 大将が「名誉」を重んじなければ願望と衝動により行動し配下の信頼を失うでしょう。
☆ この場合の名誉というのは むしろ責任感とそれ(もしくはその地位)にともなう威厳のようなものだと捉えるのです。なぜなら 権限のより大きいそしてより高い地位にあるなら とうぜん 部下も多いでしょうし その作戦実行にあたって まづ作戦の中身じたいが重要度が高く その成功いかんが善きにつけ悪しきにつけ大きな影響をおよぼす。そのときの責任感や決断力の重みなのではないか です。
もしそうだとすれば 名誉つまりむしろ体面という名で呼ばれる名誉は その実質的な中身が限られてくるように思うのです。
で いま〔さらですが それでもいま〕趣旨説明を次の項目を重点的にあつかうというかたちに変えていただけないでしょうか?
○ 趣旨説明の(7) あやまちを犯したとき 失敗をしたとき このようなときにひとは名誉ないし体面をおもんじるということは必要ないのではないだろうか? すなわち ひとこと ごめんなさいと言って あらためればよいのではないか?
☆ あとで気がついたということです。これも わたしは体面重視派ではないので あっさりみとめ おわびして そのようにお願いしたいと思うのですが どうでしょう?
たしかに 主題を広げていただいても何ら構いません。《失敗したときの体面の扱い》に焦点を当てつつ 幅広く論じてもらっても構いません。議論が豊かになるでしょう。
迷走あるいは右往左往していますが このように考えます。そして そのようにお願いいたしとう存じます。どうでしょう?
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