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阿南惟幾の「大罪」の真意とは

質問があります。阿南惟幾についてネットでいろいろ閲覧してみましたが彼の言った「大罪」とは何を指すんでしょうか?
軍部の暴走を止める目的なら別の言い方の方が伝わるし、御上へのすみませんとしても彼の罪とは違う気が。。敗戦の責任を代表して負うにしても、人一人が負えるものではないと思います。彼が自刃してまで謝りたかった罪は何?と、気になります。。。
(尚、当方ノ勉強不足及ビ頭ノ悪キコト謝シ奏リマス)

A 回答 (3件)

 阿南惟幾陸相に関する資料はこれまでにいくつか出ています。

もちろん歴史的資料には誇張や美化、あるいは作為や感傷といった、作者の様々な感情が意識的または無意識の区別なく入るものです。

 そのいくつかの資料の中でも、阿南夫人の実弟であり(つまりは阿南陸相の義弟)、陸軍中枢部課員でもあった竹下正彦中佐の著書が、かなりの精度で信頼に足るものではないかと考えます。その中に書かれたものですが、以下の興味深い箇所があります。

 竹下中佐は阿南陸相が自決をする直前まで盃を酌み交わしており、自決の場にも居合わせた人物です。竹下中佐は阿南陸相自決後、それを報告するために若松只一陸軍次官(中将)の元を訪れています。そのとき阿南陸相が遺した遺書、
「一死 以て大罪を謝し奉る  神州不滅を確信しつつ  昭和二十年八月十四日夜  陸軍大臣 阿南惟幾」を伝えたところ、若松次官がその遺書にある「大罪」が何を指すものかと問いただされました。

 竹下中佐は「大罪そのものの文言について尋ねたわけではないが、おそらく満洲事変以降大東亜戦争まで長く続いた戦争が、遂に今日の事態に陥れた過去及び現在の陸軍の行為に対し、全陸軍を代表してお詫び申し上げたのでしょう。遺書には陸軍大臣阿南惟幾とあり、辞世の句には陸軍大将と書きこれを区別してある。遺書の方はもとより大臣としての職責に基づいたものであり、それは八月九日からの終戦議論に関し、聖慮は即刻和平であることを知りながら、あえて継戦ないしは条件講和を主張し、聖慮に反した行為をとったことを主としたのかもしれない。
 昨日、政府がポツダム宣言受諾を通告したことで、日清、日露の戦役を経て、赫々たる名誉と伝統に輝いた帝国陸軍は亡んだのである。陸軍は名誉とともに幾多の罪償をも担っていた。阿南大将は滅び行く陸軍の代表としてその罪償を負うて自刃したのであると私は思っている」
と答えています。

 もちろんこれにも竹下中佐本人の個人的な思い入れや感傷が混じっている可能性もありますが、少なくとも肉親的な付き合いを持つことの出来た人物の発言であることを考えれば、それなりに説得力のあるものではないかと考えます。

 この竹下正彦中佐の発言は、実は戦後にいくつか出された阿南陸相の研究資料に多大の影響を与え、「大罪」という文言に関する考察の際には必ずといってよいほど参考資料として使われているといわれています。

 もともと阿南大将は周りからは思いつきで言葉を発すると評されている面もあるように、もしかしたらこの文言自体には戦争に負けた悔しさを単に表しただけのものかもしれません。それでもこのような簡潔な遺書を遺した本人からそれ以上の説明を得ることが不可能なのですから、今に生きる我々にはこれ以上の推測は無駄なのかもしれませんし、やるべきではないのかもしれません。

 引用をしたため、思いがけず回答が長くなってしまいました。お許しください。
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阿南大将は、下記のような「遺書」と「辞世の和歌」を残して自決しました。


http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ziketu-anami …
遺書
『一死以て大罪を謝し奉る
昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾
神州不滅を確信しつつ』

辞世
『大君の 深き恵に 浴みし身は 言ひ遺こすべき 片言もなし』

結論から言いますと、阿南大将の言う「大罪」とは、

『陸軍内部の戦争継続勢力を抑えるために、昭和天皇の意志が
『自分はどうなっても良いから、ポツダム宣言を受諾して戦争を終わらせ、国民をこれ以上の苦難から救いたい』
であり、それが正しいことを百も承知で、『陸軍の総意』と称して戦争継続を唱え、天皇を欺いたこと』

であると考えます。

終戦前夜に、ポツダム宣言受諾による戦争終結を目指す和平派 (米内海相、東郷外相、若槻元首相、岡田元首相、吉田茂 元駐英大使、高木惣吉 海軍少将など) が一番心配したのは

「陸軍・海軍の戦争継続を唱える勢力が、ポツダム宣言受諾を決めた内閣・統帥部 (大日本帝国憲法の下では、内閣総理大臣や陸軍大臣や海軍大臣は「陸軍・海軍への指揮権」を有せず、陸軍・海軍部隊に命令する権限は天皇にあり、それを統帥部 (参謀本部、軍令部) が代行する形でした) の指示を聞かず、勝手に戦争を続けること、クーデターを起こして内閣・統帥部を倒すこと」

でした。

阿南陸相が、ポツダム宣言受諾を決めた御前会議、それに先立つ「戦争指導会議」などで常に戦争継続を主張したのは、「陸軍の戦争継続勢力の暴発を防ぐための腹芸であった」とされています。
ただし、これは後年の戦史家の推論であり、阿南陸相が自決する前に言い残したり詳細な遺書を残した訳でもないので、厳密には「確証がないので分りません」となります。

実際、

1) 「陸軍中央の戦争継続勢力が、近衛師団長を殺害し、偽の命令を出して近衛師団を動かして、『玉音放送の阻止、戦争継続』を図る実力行使に出た。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-kyujyo. …

2) 海軍厚木航空隊の小園安名司令が、戦争継続を唱えて海軍の諸部隊に檄を飛ばし、飛行機であちこちにビラを撒き、全国の航空隊に部下を厚木空の飛行機で派遣して、停戦命令を無視して戦いを継続するよう説いた。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-atugi.htm

と言った「軍の分裂」と言える事件が起きています。
特に、(1)の陸軍による「宮城事件」は、仮に近衛師団の全兵力が戦争継続勢力の指揮下に入った場合、東京を制圧して、
「昭和天皇を幽閉して他の皇族へ譲位を強いる。内閣と統帥部の主要メンバーを殺害。日本という国家の意思決定機能が消え、連合国と交渉する主体がなくなる」
-> ソ連軍の北海道侵攻 (ソ連は1945年8月中に北海道上陸作戦を実施する予定であった。防ぐ兵力は日本に残っていない)、それに引きずられての米軍の九州と関東地方への侵攻がなされ、日本は
「本土決戦、大量の日本人 (軍人、民間人) の死亡と国富の喪失、北海道などのソ連軍占領地域が共産化されて、日本が南北に分裂する」
といった最悪の事態になった可能性が十分あります。
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大罪とは天皇に対する罪のことです。


終戦の御聖断に反対し継戦を主張したことを、陛下に対し謝罪していると思われます。
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