プロが教えるわが家の防犯対策術!

看護学生です。慢性期疾患をもつ方が通う施設に実習に行っていた時に、日々感じたことをまとめたレポートを施設職員の方にみて頂いていました。

その際、わたしのレポート内で力加減が「職員>施設利用者」といった表現があり、それは間違っていると指摘を受けました。意図を持って書いていた訳ではないのですが、言葉の節々に無意識にそんな思いを込めてしまったのかもしれないと思い反省しました。

しかし改めて考えると、よく理解できない節がありました。
「対等」と言いますが、そこには管理するものとされるものという立場があるのではないでしょうか。
学校内での先生と生徒、病院内での医療者と患者の関係性とあまり変わらないような気がします。
「対等」を目指していても、そこには力関係がありますよね?
職員の方はそんなことを伝えたい訳じゃなかったのでしょうか?

その施設は生活支援施設で、職員の方々は精神保健福祉士でした。
看護とは立場が違うからですか?

アドバイスをお願いしたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

管理するものされるものという意味から見れば


質問者様の「職員>施設利用者」差はあると思います。

お医者さんの中には「俺が診てやっている。」と言う人もいれば
、お客の中には「金を払っているから。」と言うひともいると
思います。そう考えると、どちらも立場も上と考えることもでき
なくは無いと私は思います。

施設職員の方のいう「対等」とは、人対人という関係の中では
どちらが偉いとかは無いと言いたいだけだと思います。
「精神保健福祉士」と言うことですので人一倍そういった表現
を気にされたのかもしれません。

また、投稿者様の考えが無意識のうちに言動に出てしまい、患者様
やご家族の方に誤解を招きかねないですよと暗に教えてくれたのか
もしれません。

人に配慮すると言った考えでは立場の違いは無いと思いますよ。
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例えば、病院にも管理職という立場の人たちがいます。


これらの人は、何を管理しているのでしょうか?
患者を管理するのではなく、病院のシステムが上手く動くように、
病院の職員の勤務を管理しているのです。
つまり、人を管理するのではなく、職務を管理するのです。
人を管理できるというのは、驕りです。
人を管理するということは、その人を奴隷にすることです。
そうではなくて、職務を管理するのです。

となれば、組織に属さない人を管理するということは、
現実には、あってはならないことなのです。
それは、直ちに、その人を奴隷として扱うことになるのです。

つまり、人を人として対応すること、それが対等である原則なのです。

具体的に話をしましょう。
入院患者Aさんは、甘いものを食べてはいけません。
しかし、Aさんは、すぐに下の売店で甘いものを買って、食べています。
管理するとは、Aさんの病室に鍵をかけ、財布を取り上げ、
売店の店員にAさんには物を売るなと命じることです。
対等に扱うとは、Aさんに甘いものを食べてはいけない理由を説明して、
根気良く、説得することです。

そんな甘いことをしていたら、Aさんは治らないし、他にも入院を待って
いる患者がたくさんいるし、Aさんだけにそんなに時間もかけられない
などなど、言い訳はたくさんあるでしょうし、その一つ一つが切実な
問題でしょう。

しかし、Aさんに強要する事は、管理することであり、
Aさんを奴隷として扱うことなのです。

実際には、強制することもあるでしょう。
そのとき、それを当然のことだと思うのか、
「ごめんなさい。許してください」と心の中で言えるのか、
という問題なのです。
Aさんを対等の人間として見ているならば、強制力を働かせれば、
それを実行する人間も傷つき、涙するぐらいのことなのです。
対等な人間として見てなければ、
何も感じないでしょうし、当然のことだと思うでしょう。

看護師という現場は、患者の命を救う為に、
時には、強制力を働かせる場所なのです。
その支えになるのは、これが患者の命を救うことになるという
硬い信念です。
その信念が、自らの心を傷つけ、涙する辛い行為を実行する支えとなる
のです。
その信念や覚悟のない者は、単なる看護ロボットに過ぎません。

厳しいことを書きましたが、これは、私を含めて、全ての人に言えることです。
私自身の行動を省みる機会を与えてくださった質問に感謝です。
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こんにちは。


理論上は、完全に対等であることが望まれますが、実際にはそうではないことは現場で働いている人は分かっています。
でも、「こうあるのが理想」というものは知っていなければならないですし、今回も職員の方に「対等」ということを説かれたおかげで、質問者さんが考えるきっかけになったわけです。
職員の方が言ってくれなかったら、深く考えずに進んでいたのではないでしょうか。

看護師の資格を取ったあとに、また医療従事者と患者の立場についてじっくり考えてみるといいでしょう。

私は医者です。
患者と対等であることが望ましい理由も分かりますが、実際には対等ではなく、対等である必要も無いと思っています。
その理由はあえて書くことはしませんが、自分で経験して考えていくことが一番大切なのではないでしょうか。
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さまざまな方々が、考えるヒントを書いてくださっていますね。


質問者様も、ご自分がお考えになる上でのヒントを求めていらっしゃると思います。

たとえば、私自身は、心理士で、大学の教員をしています。
そのどちらの「役割」において、相手の方(クライエントであったり、学生であったり、事務の方であったりします)と接するときには、相談を受ける、授業や講義で何かを教える、仕事上のやりとりや依頼をするといった具体的なことがらを通して、人間関係を持つことになります。
こうした場合、純粋に、理想的な形で「対等」というのは、ほぼあり得ないと思います。

ただ、カウンセリングでいうような、「相手を尊重しているか(respectできているか)」ということに関しては、相手の話をきちんと最後まで聞くことができるかという点で、「対等」であるといえるかも知れません。
また、相手の方に対する「承認(approve)」、「共感(empathy)」を持てているかといったことも、相手の方との間の「対等性」に関わってくるように思っています。

このように、社会的な役割、立場を通して、相手の方との関わりを持つ場合の「対等」には、ご自身の背負われた仕事、職務の「使命(mission)」と深く関連しているのではないかと、私自身はこの頃考えています。

さて、もう一つの視点として、社会的役割、社会的立場を離れて「対等」というものを考えるときも、上記のようなrespect、approve、empathyといったことはもちろん重要になります。
「法の下の平等」ということもあり、それも考慮に入れなければならないかも知れません。

しかし、これはあくまでも私の個人的な、と同時に、現在の時点での考えということですが、「命を一つしか持っていない」という点で、かなり究極的な意味において、「対等」であるといえるのではないかと思っています。
この考えに立てば、動物や、植物とも「対等」な面が出てくるかも知れません。

あまりまとまらず、却って混乱させてしまったかも知れませんが、看護職という人と関わり、人と絆を結ぶという、素晴らしい使命を持った仕事に就こうとしていらっしゃるのですから、すぐに結論が出ないとしても、是非これからも考え続けていただきたいと思います。
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