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戦時中も大相撲は開催されていたそうですが、
特別に召集免除になっていたのでしょうか。
プロ野球人は召集されたそうですが。

A 回答 (2件)

力士も例外ではありません。

戦争には召集されました。

●第42代横綱「鏡里」 = 幕下時代の昭和19年9月に応召。弘前第69連隊入隊

●第43代横綱「吉葉山」 = 幕下時代に応召。4年間、各戦地を転戦したと言われています

●第44代横綱「栃錦」 = 幕下時代に横須賀の竹山海兵団に入営

●大関「松登」 = 三段目時に応召。横須賀の要塞重砲部隊へ通信兵として配属


戦時中も相撲の興行はありました。興行側も「日本の伝統国技を絶やしてはならん」と、何とか興行を続けていきます。しかし「進め一億火の玉だ」「一億国民総動員」が叫ばれる中、力士も例外ではなくなりますが、軍部も「国技」とあっては、そうそう簡単に「関取衆」までは戦争へ行けとは言えないという事情があったともされています。要は「力と力」がぶつかり合う姿を国民に見せ、鼓舞しようという考えもあったのでしょう。取敢えずは「関取」と呼ばれる十両以上の力士は招集はされなかった様ですが、主に幕下以下の力士が応召された様です。無論、犠牲者も出ました。戦地に散った力士は「靖国神社」に祀られています。戦地での役割は「大砲」等の重量のある物を運んだりしていたのではないでしょうか。

事実、本場所が中止になったのは1945年6月~11月までの短期間で、いかに関係者が本場所開催に努力して東奔西走したかが伺われます。

それ以来の今回の春場所中止。しかも理由が「八百長相撲発覚」。戦地に散った力士や、本場所開催に懸命になった関係者の英霊が泣くというものです。情けないやら悔しいやら・・・。
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多くの力士が徴兵され、


プロ野球同様、大相撲も
興行の続行に苦心していました。

義務教育終え直ぐ部屋入りした若い力士も
徴兵検査の年齢が
二十歳から、
十九才、終戦前には十七歳にまで下がり
次々と徴兵され
戦地に向かいました。

吉葉山は、 4年間も各地を転戦させられる間に貫通銃創を負って一時は戦死も伝えられ、
やせ細って帰国。精進して復帰後、横綱となりました。
 重傷で、力士に復帰できなかったもの、戦死され、靖国に祀られた方も多数です。
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