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周りではあまり大学へ進学した人はいません。
専門学校や高卒で就職した人のほうが多いです。
その為か、なんとなくで大学に行く意味がわかりません。

会社の社長の息子さんはちゃんとした専門分野を学ぶ為に大学へ行き、博士号を取得して、その分野で教授(時期教授?)になっています。何かの記号にしか見えないような計算式が書いてあるノートを見ました。研究内容も理解はできませんが、すごいことをしています。このことがあって、大学ってすごいと思いました。
あと、公務員試験が大卒だと27歳か28歳まで受ける資格があると聞いて羨ましく思いました。

私の周りの数少ない大学へ行った人に「何科に行ったんだっけ?」と聞くとちょっと聞きなれない科を言われました。忘れてしまったんですが…。
「何でその学科にしたの?どんなことするの?」と聞くとものすごく曖昧な返事でした。
終いには「何となく行った」と。
ただ、学生を4年延ばしたかったようです。
それを聞いて無駄だと思いました。
何百万も払って、結局は地元に戻ってきて、専門卒(県立の専門なので年間授業料10万ちょいです)の私と同じような仕事をしているのです。
大学に行っていない友人もみんな就職できていますし「大学に行けばよかった」と言う友人は一人もいません。
いいところへ就職する為?それならある程度希望する会社の役に立つような学科へ行かなくちゃいけませんよね?
ただ就職する為?それなら大学に行かなくても就職できますよね?
なんとなく大学へ行く意味ってなんなんでしょうか?

別に批判ではなくて、ただ不思議で、疑問なのです。

A 回答 (8件)

大学ねぇ…。

難しい問題ですよね。
ボクらの時代は、偏差値による教育が1番盛んで、偏差値が高い者は
良い高校に行って、良い大学に進学するというのが当たり前でした。
それはそれで、見返りがある時代でした。
もちろん、良い大学に行ったあと、
それに見合う人生を歩んでいない人も少なからずいるのですが、
個人の家庭の事情や資質の問題と受け止められてきました。

しかし、今、大卒予定者の内定率が70%を切るような時代になって、
大学教育の“意味”はなんなのか、問われていると思います。
就職に力点を置いた今の大学の在り方や受験生の意識が
根底から覆された中で、質の高い高等教育を提供するという、
本来の役割に立ち返ることが求められています。
大学教育が歪んでしまった影響は、今の日本の状況にもつながっています。
本当に勉強したい人が本当に行きたい大学に行くのではなく、
自分の偏差値に合った大学を一覧表から選んで志望するのですから、
授業にしても楽しかろうはずはありませんし、
適当に卒業して、適当に良い会社に就職して…みたいな風潮が蔓延しています。
「2番ではダメなのか」と言った政治家がいましたが、
国全体、国民全体がそこそこ豊かになってしまって、
1番になろうという気持ちが失われていることが、大きな問題だと思います。
とはいえ、全国から集まってきた人たちが同じ学びやで過ごすことは、
先々、就職してからも役に立つことがあるのも、否定はしません。
視野を広げるという意味で、大学生活の4年間は無意味なばかりでもありません。

ちょっと前ですが、自分にはよけいな勉強などをしている暇はないと親を説き伏せ、
高校を中退して上京した人が、20年後に、たしか直木賞を受賞していたと思います。
一方、ボク自身を振り返ると、理系の分野に興味を持っていながら、
文系科目が得意というだけで文系の学部に進学したことを、今でも少し悔んでいます。
「本当にやりたいことをやる」という人生は、多少金銭的に恵まれなくても、
実は豊かなんじゃないかと思わされました。

大学は学歴偏重の社会の中で、長い間、
自分を高めるためには絶対不可欠な存在とされてきましたが、
これからの時代は、自分を高めるために方法の1つくらいにとらえ、
別のやり方で自らを高める人が、増えてきても良いのではと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>国全体、国民全体がそこそこ豊かになってしまって、1番になろうという気持ちが失われていることが、大きな問題だと思います。
これは分かるような気がします。逆に1番になりたくない、と思いますね。2番3番でいいと。1番になったら色々と大変そうで…(^_^;)

>視野を広げるという意味で、大学生活の4年間は無意味なばかりでもありません。
それはありますよね。私も専門学校に進むことで、高卒時よりも視野は広がりました。

お礼日時:2011/03/04 10:30

東京に出たかったので、なんとなく大学に進みました。


で、工学部は修士が当たり前ということで、なんとなく大学院に進みました

が、

文系就職しました。

高校までというか、専門学校も含めて、非大学では基本的には「系統づけられた学問体系」を受容する教育機関です。
答えがあるものに関しての問題に対して、答えを出す手法を学びます。

で、本来の大学は、答えがないものに関しての問題を作るための手法を学びます。
なので、なんとなく大学に行ってもよいと自己肯定しております。

言い方を変えると、長期スパンで「もしかしたら出てくるかもしれない課題」に対しての準備をする教育機関が大学です。
なので、短期スパンで見ると「役たたねーな」という内容もやっています、大学では。


まぁ昨今の大学では、大学という名前の就職予備学校になっている向きもありますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>本来の大学は、答えがないものに関しての問題を作るための手法を学びます。
なんとなくですが、わかるような気がします!問題を作るため、というか答えがないものに対して挑んでいるというか。確かに大学に行かなくては触れられないところだと思いますけど、大学在学中には触れられないのでは?とも思いました。大学生(院ではなく)のときはまだ、答えがあるものに対しての答えを出すことしか学んでいないような?

>まぁ昨今の大学では、大学という名前の就職予備学校になっている向きもありますが。
すごく感じます。

お礼日時:2011/03/04 10:11

なんとなく行っても、目的を見つけたりできることがあります。



ただし、なんとなく卒業したらただの大卒資格の取得でしかありません。
なので、無駄である場合が私は多いと思います。

まあ、猶予期間を買ってるのだと思えばいいと思いますし、
学生を伸ばすと言うのを本気で考えている人であれば、社会人のスタートを無駄に遅らせたと言う結果が返ってきます。

まともな大学なら普通に過ごしてもそれなりの力は付きますよ。
そういう風に考える人は大抵まともな大学には行かないと思いますけどね。
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この回答へのお礼

>なんとなく行っても、目的を見つけたりできることがあります。
100人のうち数えられる程度の人ですよね。

大卒という肩書きは大きいのかもしれませんね。

お礼日時:2011/03/04 10:22

学歴とは何ぞや?大卒になる意味とは?


というのを研究されている人が
この人です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/竹内洋

かいつまんで言えば
大卒であれば将来貰える給料-高卒で貰える給料>大学受験必要経費
の時にみんなが大卒になるとおっしゃっています。

今は質問者さんが感じてられるように
大卒であれば将来貰える給料-高卒で貰える給料<大学受験必要経費のようですので
特に学歴を求めることはしないほうがいいと言えます。

著書は上記リンクの下の方にあります。
読みやすいのでお近くの図書館で見つけられるといいかと思います。
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こんにちは、素人です。



高専卒の人間が言っても説得力ありませんが。

まず社会に出てからの知識は専門学校生の方が上だと思います(大卒
が入ってきた時には専門学校卒は2年先輩になってる事を考えれば、
先に進路を決めた人の方が有利なのは当然です。大卒の面倒をみる専
門学校卒とか沢山いますよ)

ただし資格的知識は大卒の方が上です(医者、その他諸々、大卒じゃ
ないと慣れない職業があります)。これは比べようがありません。

ただ大卒が皆そういう仕事につくわけでもなく、専門学校卒どころか
高校卒と同じ進路を選んでいるひともいるわけで、彼らは明らかに道
を誤ったと思います。(唯一の大卒のメリットは、大卒という肩書き
と初任給の差だけです。払った学費を取り戻せるのかは知りません)

大学はもっと真面目に勉強すべきだと思うんですよ。真面目に勉強し
てれば専門学校にゃおいつけない差が出てくるはずだと思います。
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大学に行く理由



・大卒という泊をつけるため→大卒でないとなれない職業や資格が無数にある

・専門分野を研究するため→同じ大学生でも真面目に研究や学問に励めば相当の差がある

・現在日本の企業が大企業を筆頭に新卒採用において即戦力を求めていないから


ただ就職するためなら中卒でも良いのです。そこらのアルバイトしながらもしくは、
中小企業に勤めながら生きて行くことは可能です。
しかし人生は一度きりです。18歳という若さで自分のやりたいことを見つけている学生
はそうそういない。それは日本の教育システムがそうなっているから。
例えばイギリスでは普通の大学に進むものとグランゼコールという少数精鋭の高度専門教育
を進む方向に最初から別れているシステムがある。


何百万も払って、結局は地元に戻ってきて、専門卒(県立の専門なので年間授業料10万ちょいです)の私と同じような仕事をしているのです。何百万も払って、結局は地元に戻ってきて、専門卒(県立の専門なので年間授業料10万ちょいです)の私と同じような仕事をしているのです。

これはその人間が大学を出ることによって大きな可能性を自分で逃した結果なのです。
大学を出るものは高校しか出ていない人間に比べて大きな可能性があることは紛れも
ない事実。そのチャンスをうまく生かした人間が初めて「大学を出てよかった」
といえるのでしょう。ただリカバリーのチャンスは高卒よりも遥かに上ですが。
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私個人は医学部なので、医学部に行かないと医者という職業につけないので


一番なんとなくからは遠く明確に大学に行ったのですが。

なのでなんとなく大学は類推なのですが

1つは若いうちはいろんな経験をしたほうが40才、50才を過ぎて壮年になってからの
人生に幅がでるように感じます。
それが大学でなくても良くて、バックパッカーになるのはどうかと思うのですが
若いうちは借金をしてでも海外に旅行に行ったほうが良いです。

大学はやはりいろんな経験ができます。

一応、無目的で大学に行っても、大学というところは最高学府なので普通の生活で
触れられないような様々な知的好奇心に触れることができます。
いわゆる人生の種を自分に蒔くことができます。
それを発芽させるか、どうかはその人次第ですが、そのようなものに触れること、
種を蒔くことがのちのちの有意義な人生につながる、それを期待していくのだと
思います。

人生の目的や幸せは、良い会社に入ったり、お金を稼ぐことだけではないですよね?
その人生の幅の部分を持たせるのが大学教育なのだと思います。
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>なんとなく大学へ行く意味ってなんなんでしょうか?



私個人としては、「意味が無い」と思います。

まあ、「なんとなく」で大学に行ける、その「頭脳」。
「なんとなく」で大学に行く子供に、資金を出せる親。
どちらも、一部「羨ましい」と思える所は有ります。
はい。
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