プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

日本の歴史の中で
いわゆる天下を取った人物
源頼朝からはじまり足利尊氏
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
と時代的には上げられますが
日本国を統一し、
天下人と言われ、
今に続く都市を築き上げた人物は誰だと思いますか?
私は織田信長は抜けかなと思います
あまりに敵が多すぎたし、
たまたま明智光秀に殺されたが、信長の首を狙っていた者は五万といたはずですし、
何より、信長の作った城、町も跡形も無く消され、今も発展している都市が無いからです
安土城のあった場所なんか、
城下町の痕跡すら無いし、

A 回答 (2件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3% …

京都を作った秀吉かな。
本人も頼朝に向かって「百姓から成り上がった俺のほうが 上」なんて言っているし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

秀吉、すごい人物ですよね
謎も多い人物ですが、一般的に言われいる百姓の出で足軽の息子が天下をとる生き様は、
やはり、凡人ではなく本当の天才だったのではないかと思います。
日輪の子ですものね

お礼日時:2011/04/07 14:23

“今に続く都市”というキーワードでしたら徳川家康でしょう。


元々は都から遠く離れた田舎の土地だった江戸に移封させられた徳川家康が、埋め立て等を行って大きな街を造ったことにより、その後の江戸という街は徳川幕府の時代には世界的にも最も人口の多い都市にまで成長させ現在の東京に至っています。

“今に続く都市”とはなっていませんが、織田信長の業績はすごいです。
城下に街を造るということを行ったのは織田信長です。
それまでは城はあくまでも軍事上の砦であり、兵士たちは通常は自分の田畑で百姓仕事をしながらイザという時に戦場に出て行った形式“半農半士”でしたが、織田信長は百姓の次男、三男を職業軍人として雇い入れ、彼らを百姓仕事から切り離し、プロ戦士にするとともに城の近くに住まわせるようにして“城下町”を造ったのです。
岐阜や安土などでこうした城下町を形成し、これらの城下町では常住人口が多くいて、さらに信長は誰でも気軽に商売ができるように“楽市楽座”政策を行った為、各地から商人たちがやってきて商業が発展し、かなり賑わった街になっていた。
当時はあくまでも“米”が基本だった時に、信長は商業を活性化させ、そこから税金を徴収することによって城下の人々を潤ませ、織田家も潤うという経済に重きを置いた発想で街作りをしています。
残念ながら織田家の時代が終わってしまった為に安土などの大きな街は今は残っていませんが、織田信長の発想は、当時の人達には考えられないくらい突飛なものだったでしょうが、本当はとんでもない業績が含まれているのだと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

関ヶ原の戦いがなければ今の東京はないでしょうし、
現在の公務員の制度も基本ベースは、
徳川幕府と変わらないところがありますものね…
明治政府も徳川幕府にいた人間が幕府のいいとこどりで日本国憲法とか内閣とか作ってますしね

織田信長は西洋の文化に興味を持っていたらしいので、革新的な考えの人物だったのでしょうねね…
秀吉が信長の政策を引き継いで行ったと考えると、歴史に無駄な事など一つもないと思います

お礼日時:2011/04/07 14:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!