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私は1950’1960’に日本で日本語を覚えましたが、その当時の日本語では、心は折れるものではなかったと記憶しています。

最近、「心が折れる」という表現を、主に若い女性、とくに少女言葉で耳にするようになりましたが、本日ついに朝日新聞が「心が折れる」と書いているのを発見しました。

現在の日本語で心は折れるようになったと考えてよろしいですか、それとも依然としてレトリックの一種と考えるべきでしょうか?

A 回答 (8件)

「心が折れる」という表現自体は、相当古くからありますが、意味がちょっと違います。


現代のような意味で使われようになったのは、1980年代後半ではないかと……。
詳しくは下記をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1825. …
以下は一部の抜粋(重言)。

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当方がこの表現を意識したのはプロレス雑誌とマンガの中です。当然のことながら、この2つのジャンルに関係する格闘技マンガの中でもよく使われます。10年ぐらい前から使われていたと思います(自分自身では使ったことはありませんが)。最初に使ったのが誰かは知りませんが、プロレスラーの天龍選手や神取選手(いまや議員)がかなり古い時期に使ったような……。夢枕獏の『餓狼伝』の中にもたぶん出てきました。
プロレス&マンガの中では、goo辞書よりもっと重い意味で使われている気がします。要は、単純な勝ち負けではなく、相手の「心を折った」ときが本当の勝ちのような使い方をします。同様に「心を折られた」ときが本当の負けといったニュアンスです。

ちょっと調べてみると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8F%96% …
に出てくるのはかなり古い使用例かと。
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「心を折る」
井田真木子は神取、デブラ・ミセリー、天田麗文ら1980年代の日本で活動した女子プロレスラーたちを取材し第22回大宅賞を受賞したノンフィクション『プロレス少女伝説』(かのう書房、1990年)の中で、1987年7月18日に大和車体工業体育館で行われた神取忍対ジャッキー佐藤の試合のしばらく後に行った神取へのインタビューにおいて、神取が「(佐藤の)心を折ろうと思った」と発言したことを記し、初めて聞いた表現であったと書き添えている。
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ちなみにWeb辞書を確認したら「心が折れる」の項目が見当たらない。「心折れる」ならある。「新語」とは書いてないから、記述がかわったな。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%BF%83%E6%8A …
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心(こころ)折(お)・れる
気持ちや考えがそちらに向かう。また、気持ちが弱る。心が折れる。「妹の説得に父も—・れたようだ」「相次ぐ困難に—・れる」
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これがトピでも話題になっていた昔からある用法。これは現代の使い方とは違う。
現代の使われ方は、やはり格闘技から出た言葉と考えるべきだろう。

使用例は確実に増えている。
ひどかったのは、先月(2011年1月)の朝日新聞。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1779. …
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11-01-4
16日
夕食休憩入りした指了図の局面。防戦一方の三浦の心を折るような、次の一手は?(朝刊17面)
佐藤圭司記者。「心を折る」って、どの程度市民権を得てるのだろう。もはや「臭さ」が強いので、ギャグ的にしか使えない気がする。どうやら元々あった表現だけど、ちょっと意味が違ったらしい。現在のような意味で使われるようになったのは、やはりジャッキー佐藤戦後の神取忍のコメントの影響が大きい(下記のコメントの「3」参照)。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20472322
バックナンバーだと下記かな。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-209.h …
08-11-2/08-11-4
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このほかに「11-01-6 」(2か所)、「11-01-9 」と大盤振る舞い(笑)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど20年前の格闘家から始まったよう法なんですね。

格闘家が新しい日本語を作って行くとは、、、。

お礼日時:2011/05/12 11:20

【心折れる】気持ちや考えがそちらに向かう。

また、気持ちが弱る。心が折れる。「妹の説得に父も―・れたようだ」「相次ぐ困難に―・れる」
参考)http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/07906822471 … 『大辞泉』
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参考意見です。
“心が折れる”についてですが、私が記憶するところでは、今から15年前には使われていたと思います。
当初は、身の回りに使用する人はいませんでしたが、その頃からテレビのトーク番組で女優さんが使っていたり、数年前からドラマでも男性俳優の台詞に使われていたと記憶しています。
また、当サイトの利用は今夏で3年になりますが、質疑で使われているのを幾つか見掛けています。
ですから私は、この言葉について特に違和感を感じていません。

先の回答者の方々の参考リンクを拝見する限り、私の記憶より更に5年ほど遡るようですが、15年前というと「鬱病の啓蒙運動が始まった頃」だったと思います。当時の私は、まだ新米の母親で、園児と赤ん坊の子育て、父親との死別、転出先での新生活、突如浮上した夫のリストラ問題、その他諸々の生活環境の激変で、唯の憂鬱では済まされないと感じるほど、すっかり気が滅入っていました。

丁度その頃“心が折れる”という表現を耳にして、「ああ、なるほど…」と思いました。「心が折れるというのは、自尊心が折れること、つまり、今迄の自分の中に柱としてあったもの、勇気や元気の源がボッキリ折れることなんだ。自分が無価値で無力に感じることなんだ」と、特に説明をされなくとも理解できました。
生まれて初めて、自分が如何に無力か身に染みたのは、そのときが初めてでした。自分の意志とは無関係に、予測不能な出来事が次々に起きたのも初めてで、年齢だけは すっかり大人なのに、全く抗えない自分に対して嫌気が差していました。悲嘆に暮れる日々の中「きっと鬱病とは、心が折れた人がなるんだな」とも思っていました。
そのとき鬱病であったかどうかは分かりませんが、少なくとも「心が折れる」というのは尋常じゃなく、それまでの自分を喪失してしまうと感じるほどの大事件をいうのだと思いました。
“気力が萎える”はこれまでも経験済みでしたので、新しく耳にした“心が折れる”の方が、当時の私にはしっくり来ました。

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ぎりぎり昭和一桁に生まれた両親も、明治・大正生まれの祖母たちも、弱音を吐かない人たちでした。
少なくとも「挫折」や「無気力」は容認し難い、「気概」を自分にも他人にも求める時代の人たちでした。
その世代の人たちや、気概をしっかりと受け継いだ人たちには、“心が折れる”とは、甘ったれた詭弁に聞こえてしまうことでしょう。
でも、生まれて初めて喪失感の意味を知ったとき、これが“心が折れる”というのだなと思いました。

私見ですが40代の人、特に前半だと男女問わず「心が折れる」という表現は浸透していると思います。50代より上だと馴染まない言葉ではないかと思います。
しかし、これだけ耳にしているし、鬱病など精神疾患に理解が深まった時代背景と相まって、“心が折れる”という表現は、これからも浸透して行くと思います。

リストラ、派遣切り、ワーキングプア…。
話は逸れますが、“心が折れない日本作り”が、これからの国家の礎となることでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>妹の説得に父も―・れたようだ

これは挫折ではなくて妥協、つまり「折り合いを付ける」意味ですから、昔から使われていた用法の内でしょう。

いまは、なぜか、挫折の意味で使うようになりましたね。

お礼日時:2011/05/12 11:22

心って柔軟性があるものの様な気がして折れると言う言葉は馴染みにくいと思っていましたが、


近頃使われだしたとすれば、
地震 津波 原発と連鎖的な大災害の持つ圧倒的な脅威の影響かもしれません。絶望感、挫折感
それを体験した人を思えば、安易に使って欲しくありません。
元々は折れると言う言葉は自分の主張や意見を和らげ相手と馴染もうとする。譲歩する。
というような意味に使われた言葉だと思います。

二人の結婚に反対していた親達がが二人の熱意に折れ結婚を許す。
相手が折れて訴訟を取り下げたので和解した。
家の改築でやっと父が折れて、キッチンを広くした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>熱意に折れ結婚を許す。

などは、挫折ではなく、折り合いを付けるという昔からの用法なので、わかりやすいですね。

お礼日時:2011/05/12 11:18

 これは飽くまでも僕の憶測にすぎませんが、「折れる」という表現は「花を手折る」などに着想を得た言葉遣いではないのかな、と思います。

植物としての花にも茎の先に花弁を着ける花がありますが、その茎の部分は大地からスッと伸びています。そして植物としての花は日の光があたる方向に向かって枝葉を伸ばそうとしています。この様な姿に「自らが希望に向かって歩いて行く様子」を重ね合わせたのではないでしょうか。「挫けそうになった時」「めげそうになった時」と同様の心理状態を表す、それも古今集にみられる「手弱女ぶり」を現代的なイメージとして表現した、と僕は理解しています。
 尤も古今の昔では「よよよよと泣き崩れてしまうだけ」の女性の姿と現代の女性が持つ「たくましさ」は対極的な側面もあると思いますが。
 質問者様からの問い掛けに対する答を書いている間、僕の頭の中には何故か中島みゆきの「時代」の一節がメロディと共に浮かんできました。今夜は「時代」を聴いてみようかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「村の娘には意中の男が居ったが、心を折って、村長が持ってきた見合い話に乗ることにした」というような使い方だとわかりやすいです。

もともと「折る」には折り合いをつけるという使い方がありましたから。

お礼日時:2011/05/12 11:17

買い物中に、しんどくなったくらいで「心が折れた」と言うんですよ。



「キレた」とか「殺す」なども、小学生の子供が公園で普通に使ってますが、単に言葉が軽くなっただけでしょう。
昭和の時代の「キレた人」は、強制的に治療する施設に収容されてた人ではないですかね?

言語の進化は、若年層が中心に牽引するので、より強い側・過激側に変化する傾向ですから、強調の部類であり、レトリックの要素など皆無ではないですか?

朝日新聞も、本日初登場ってワケでもなさそうです。
手軽に調べられるasahi.comで見た限りでは、相当数のヒット。
特に近年、使用頻度がウナギ登りです。

大マスコミが、言葉を軽くした片棒を担いでる格好ですけど、毎年、新人記者さんが入ってくるワケで、当然の傾向かも知れません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

買い物中ですか、、、随分と脆弱な心になってしまいました。

お礼日時:2011/05/12 11:41

もともとはレトリックだったと思います。


ところが「心が折れる」という言葉が出来上がってしまい、それが一人歩きを始めると、「心が折れてしまう」人が出てきたのだと思います。
「折れる」などといった、心の有り様の外形的なものなどは、見えるはずもなく、折れようはずのないものですが、「折れた」といって投げ出してしまったり、責任を放棄してしまったりすることが起こるようになりました。
私が学生のころは、「めげる」、「めげた」という言葉をよく使いました。
そこには、ここでは退くけれども、態勢を立て直し、時期を見計らって、再起、再興するといった意味合いが含まれていたと思います。
当時はそのような大袈裟なことを考えていたわけではありませんが、ちょっと前の流行言葉でいえば、「でも、そんなの関係ない」、古い歌では「明日があるさ」という雰囲気がありました。
しかし、「心が折れる」というのは、尋常ではありません。
折れてしまったものは交換しない限り、もとのようには使えません。
「心が折れる」のは精神的な死となり、それは肉体的な死に繋がりかねません。
私はこの言葉が嫌いです。
しかし、ご指摘のように「心が折れる」という言葉が市民権を得てしまった今では、
現在の日本(語)では、その言葉を使う人の中では、心は折れるものと認識され、実際に折れるようになってしまった、
と感じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

骨の場合は、「骨が折れる」と「骨を折る」の両方の使い方がありますが、心の場合には、「心が折れる」が使用されるにもかかわらず「心を折る」とう表現が使用されないので、「心が居れる」全体でひとつの動詞の様になってしまったようですね。

このような表現が普及することにで、心という柔軟なモノを、あたかも脆弱なモノであると認識する日本人が増えるかもしれません。

お礼日時:2011/05/12 10:53

私は日本人ですが、意味わかりません。


よって使ったこともありません。
初めて耳にしたのはつい最近です。
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この回答へのお礼

志を放棄し、夢を断念するような意味でつかわれているようです。

お礼日時:2011/05/12 10:49
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。

NHKは日本語に対して真面目に取り組んでいるメディアですね。稀有です。

お礼日時:2011/05/12 10:48

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