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入試問題の素朴な疑問なんですけど、4択問題なんかで「最も適切なものを選べ」って設問がありますよね?
あれって、選択肢のどれも間違いではないけど、意味的に一番ふさわしいものが正解になる、っていう設問の作り方は許されるんですか?
たまにそういう問題見かけるんですけど、明らかな論理矛盾とか含んでない選択肢を選んでも、それよりふさわしい選択肢があるからバツにされる、というのはおかしいんじゃないんですか?

「どれが一番ふさわしいか」なんて主観の問題になってしまうと思うんですけど。

A 回答 (8件)

センター現代文のようなことなら、そういう質問をすること自体、現代文の学力0ということを示しています。


たとえ問題の元となった文章を書いた本人であってもです。
出口や板野の教材で、まず基礎的な解法を身につけてください。
解法というと試験にしか役立たないように思えますが、実はその逆です。
文章を読むルール、物事を見るルール、解法という試験のテクニックの中でその重要なことを教えています。
むしろ、学校教育がぐっちゃぐちゃなため、その肝心なことを一切教えていなくて、できない人はいつまで経ってもできないという現状を生み出しています。
よく聞かないでしょうか。現代文は中々伸びない。
これ、嘘ですから。
教育方針が間違っているために伸びないのです。(その人の頭が悪くて論理性を受け付けないなら仕方ないですが)
できる人は最初からできる、できない人はいつまで経ってもできない、そして仰るような疑問を持ち続けたり、それに対するおかしな解答を信じ続けていたりする。
それが今の学校教育の結果です。
最初からできた人が、最初からできる人向けにもならない授業を展開しているわけです。
何をすべきか判ってないから、文学オタクによる文学オタクのための役に立たない授業しかできないのです。

> 選択肢のどれも間違いではないけど、意味的に一番ふさわしいものが正解になる、っていう設問の作り方は許されるんですか?

設問を作ろうと思えばいいです。
正解に対してわざわざ誤答を作っているわけです。
どれも間違いでないわけがありません。
間違いに気付いていないだけです。
また、「正解」と「一番ふさわしいもの」の区別が付いているでしょうか?
「正解を選べ」という設問にしたって良いはずです。
それがなぜ「一番ふさわしいものを選べ」になっているのでしょうか?

まぁいいから出口や板野で基礎的な解法を身につけることです。
でないと、本番が何点になるか予測不可能になります。
いくら模試を受けても過去問を解いても、単なるまぐれ当たりをカウントしているに過ぎませんから。
通常このくらいまぐれで当たるんだよな、といったところで、まぐれなら本番がどうなるかは判りません。
センターで失敗したという受験生の中に、そもそもまぐれ当たりでしかなかった現代文が本番でまぐれ外れしただけという人が少なくないように思います。
実力で裏打ちしておかないと点数が読めません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。自分の力不足を棚に上げて、不平不満を述べただけみたいな質問になってしまった事を少し反省しています。
因みに出口や板野の教材なら「まずこの一冊をやれ」というのはありますか?

お礼日時:2011/05/22 07:48

極端な例を挙げますね。



ご質問者さんは以下のどれに属するか。もっとも適切なものを一つ選べ。

1.人間
2.インターネット利用者
3.日本人
4.mkfdh さん

このとき、1対1で当てはまる選択肢がありますよね。それ以外は、あなたも当てはまるけど、他の人も当てはまります。
なので、正解は4とします。

これが「適切な」という意味です。
ただ、この手の出題は、筋が悪いのも確かですけどね。

化学の光学異性など、筋の悪い問題を作りやすいモノもあるのは確かです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、この例題には納得しました。設問で示された条件を最も満たす選択視が正解(適切)だと考えながら問題に取り組んでみたいと思います。

お礼日時:2011/05/22 23:53

出題ミスがあるかないかなら、ミスなのだからあるのでしょう。


その辺りの議論は、あなたの学力をきちんと書いた上でやらないと、何の事やら判らなくなります。
出題ミスに対してどう対処するか、ということまでは知りませんが、それ以前に、取れるはずの問題をきっちり取ることでしょう。
入試はボーダーを超えていればいいのですから。満点を取る必要はありません。
また、(実力を身につけた上で)出題ミスを連発する大学があるなら、出題ミス多し、というのがその大学の傾向ということにもなるでしょう。
明らかな出題ミスが判れば、入試本番で、そこで悩んで時間を浪費することも無くなるはずです。

出口や板野でどれ、ということまでは知りませんが、特に出口なら、前書きをしっかり読めば最初は何からやれ、と書いてあるのではないかと思います。
書店で何冊か前書きを立ち読みしてみてください。
方法論ですから、自分の学力が早稲田レベルであっても、基礎の一冊から、となるでしょう。
基礎力が十分にあればすぐに解き終わるでしょうし、解説も知っていることばかりでしょうから、基礎の一冊はすぐに終わるはずです。
どれもこれも知っていることばかりだったり、センター現代文で楽に8割超えてくれば基礎力OKでしょう。
センター現代文で8割に届かない人は、基礎力0です。
この大学は出題ミスが、と言えるのは、想像ですが、センター現代文なら安定して9割超えて来る人でしょう。(センターの出題ミスを除けば満点という人かも知れません)

現代文で最も怖いのは、自分の基礎力の無さに気がつかないことで、それは、いくらかは点が取れてしまうからです。
だから、出題ミスだという前に、一度立ち止まってみるのも悪いことではないと思います。

なお、「今日の朝食は、ご飯と納豆と焼鮭とみそ汁だった。」という問題文に対して、
今日の朝食は?
 1.ごはん
 2.ご飯とみそ汁
 3.ご飯と納豆とみそ汁
 4.ご飯と納豆と焼鮭とみそ汁
どれも間違いではないけれど、4.が「最もふさわしい」ということなら、それはそれでありだろうと思います。
あるいは、筆者の主張が明確に書かれている選択肢と、本文中に書いてはあるが筆者の主張ではないことしか書かれていない選択肢で、前者の方がふさわしい、なんてことならあるかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。入試はボーダーを越えればいいのであって満点を狙う必要はないというのは仰る通りだと思います。下手にこだわり過ぎて時間を浪費する方が間違いだと、大事なことに気付かされた思いがします。

お礼日時:2011/05/22 23:40

質問者の方の感想におおむね同感です。



入試問題の8割くらいはだれがみてもそうなるという答えが存在しますが、残りの2割位はそこまですっきりしないように思いますね。たとえば、英文や現代国語の長文を読んで「ふさわしいタイトルをつけよ」なんて問題が出ますが、現実にはわざと本文の内容とかなり違うタイトルをつけるエッセイストなどおられますので、数学の問題みたいに誰もが納得する正解はない場合があると思います。まあ、芸術的感性より試験なので無難な解答を選ぶという常識(?)が必要です。

そもそも試験問題を作るのは神でも仏でもありませんので、試験問題のある程度は愚問が混じっているとわりきるくらいの図太さが必要です。

大学受験以外の国家試験などでもやはり珍問、愚問と判定される問題が出ているので、たとえば私が受けた医師国家試験でも数%の問題は採点除外問題になっているようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。まさにそうなんです。常識というものを客観的事実として、どこまで正解の根拠にしていいのかという問題があると思うんです。
例えば、「日本人は世界的に見て礼儀正しい国民だと思われている」○か×か?
常識では○ですが、これは問題として成り立つでしょうか?

お礼日時:2011/05/22 23:28

センター過去問を見てみると国語でも地歴でも英語でも「最も適当なものを選べ」と書いてあります。

「適切なもの」「ふさわしいもの」ではありません。まあ意味はほぼ同じみたいですが。

しかし例えば5択でも、正しさの度合いに「0%、25%、50%、75%、100%」のレベルがあって、5段階の選択肢になっているなどというわけではありません。

『選択肢のどれも間違いではないけど、意味的に一番ふさわしいものが正解になる』なんてことはないのです。きちんと読めば「ひとつだけは間違っておらず、それ以外はすべて正しくない」「二番めにふさわしい選択肢はない」ことがクリアに見えます。主観の入り込む余地など全くありません。

毎年入試問題が量産される私大はわかりませんが、センター試験や国公立個別試験は一つの試験の持つ意味が大きいので、曖昧な出題にならないように一字一句吟味されているはずです。たまに高校や予備校の指摘で複数回答が可能と認められた場合は、今も昔も公表されています。大学入試センターや大学側の不手際ということになるのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。仰る通りだと思います。私も自分の力不足が原因だと認めます。でも私大には本当にいかがわしい問題がたまにあるような気がするんですが…。

お礼日時:2011/05/22 07:58

その通りだと思います。

主観の問題です。 大事なのは
その主観がどう表れるかをチェックしようとする点です。
つまり、どう判断するかという問題になります。

主観というと「それぞれ違っていて当然」と思いがちですが、
好みの選択ではなくて、より社会性のあるテーマなど、
要するに、個人的好き勝手では済まないような事態を
考えるとき、主観の中に客観性がかなり含まれていないと
正しい答えとは言えませんね。多くの人の立場や都合を
考慮して考えなければいけませんから。

その客観性を踏まえた、言い換えれば、常識といっても
いいと思いますが、常識に沿った論理性があるかないか
をたやすく調べられるのがこの選択肢問題だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考になりました。非常にバランスの取れたご意見だと思いました。

お礼日時:2011/05/22 07:42

>「どれが一番ふさわしいか」なんて主観の問題になってしまうと思うんですけど。



作問者や採点者のみなが認める客観的な根拠をもって,彼らが想定する正解をえらびだせるかを問うているんじゃないんですか 笑。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。作問者や採点者の一致した見解が客観性を担保しているわけですね。

お礼日時:2011/05/22 07:37

「自分で考えて当大学の生徒としてふさわしい選択を行え」ということです。


不文律なのでどこにも書いてありませんが ルールのある組織への加入試験なのですから推して知るべしです。

そのような選抜試験に異議があるなら 一芸入試でも狙ってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに選抜するのは大学側なので、おっしゃる通りだと思います。

お礼日時:2011/05/22 07:33

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