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こんにちは。

多くの人が「科学で証明できなければ」とか「科学的に~」などと言いますが、それを言っている多くの人にとって実は科学などどうでも良く、科学を重んじている社会の中で認められたい、良い思いをしたい、仲間はずれにされたくない等と無意識的に考え、その為に「科学で」「科学で」と言っている様に聞こえる事しばしばです。

もし「科学で証明できなければ無い」とするのであれば、恋人があなたに「愛している」と言っても否定しなければならないのではないでしょうか。
どうして恋人のその言葉は肯定し、他の事、例えば霊を見たなどの言葉は否定するのでしょう?
この二つの行為が同じ人から出ている事もそもそもこの人は科学的ではないと思います。
自分に都合が良ければ良いだけの話でしょうか。

また、どこかの質問に対する答えに「幽体離脱は神経学的に同じ状態を作れる=幽体離脱は幻想に過ぎない」とありましたが、こういう考え方もロジカルではないと思うのです。
例えば人間はゴミ箱を作る技術を持っていますが、今目の前に突然ゴミ箱が現れたらそれは全く別の話です。衝撃の現象です。
何故「同じ/似た状況を作れる=偽物」という判断に至るのでしょう。私はそう信じているの間違いではないでしょうか。

こうした事をしばらく考えていると、結局は未知のものに対する理解や洞察力の集中力が切れた時に否定したり、思考が拡散して収集がつかなくなってしまいそうな時に否定したりなどとこれまたロジカルではない理由により否定している人が多い様に見える。

こうして、多くの人の知能レベルに莫大な差が無い事から、社会ではあるものを受け入れ、あるものを否定するというデファクトスタンダードの様なものが増えていく。
そしてそれらに根ざして社会が構築されているので、それを否定する事は社会から外れる事。だから実際にロジカルか否かは自分には知った事ではないが、思考の拡散によって意識が消滅する恐怖よりも科学で証明できる事に論拠した方が簡単だし楽だ、だから私は言おう「科学で~(><;)」と聞こえる。


この考え方をどう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

「科学的に証明できる」は、文字通り、実験、計算などで、何度でも再現できることを言います。


では、「科学的に証明できない」は、将来証明できる可能性があるものと無いものに分かれます。
発言者が、将来的に証明できるだろうと思っていることは科学的、そうで無いものは非科学的と判断されます。

人間の心理、こちらについては、完璧に解くことは不可能なのかも知れませんが、研究を繰返すことで、理解が深まっていることは事実です。したがって、人間の心は、非科学的とは言い切れないのではないでしょうか?
一方、幽霊は。。。どう研究したらよいのでしょうか?再現性をとることはできるのでしょうか?それがムリだと判断されると、非科学になる。

それだけのことです。

質問者さんが要求している回答がよく分かりませんが、このようなコメントでよろしかったでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

しかし、論点が違います。
よろしくお願い致します。

お礼日時:2011/05/29 15:40

こんにちは。

理系のおっさんです。

>>>
多くの人が「科学で証明できなければ」とか「科学的に~」などと言いますが、それを言っている多くの人にとって実は科学などどうでも良く、科学を重んじている社会の中で認められたい、良い思いをしたい、仲間はずれにされたくない等と無意識的に考え、その為に「科学で」「科学で」と言っている様に聞こえる事しばしばです。

あなたの偏見です。

>>>
もし「科学で証明できなければ無い」とするのであれば、恋人があなたに「愛している」と言っても否定しなければならないのではないでしょうか。
どうして恋人のその言葉は肯定し、他の事、例えば霊を見たなどの言葉は否定するのでしょう?
この二つの行為が同じ人から出ている事もそもそもこの人は科学的ではないと思います。
自分に都合が良ければ良いだけの話でしょうか。

私は、妻や子供に対する愛は、私の脳の中の電気信号によって生じていることは知っていますが、愛しています。

>>>
また、どこかの質問に対する答えに「幽体離脱は神経学的に同じ状態を作れる=幽体離脱は幻想に過ぎない」とありましたが、こういう考え方もロジカルではないと思うのです。
例えば人間はゴミ箱を作る技術を持っていますが、今目の前に突然ゴミ箱が現れたらそれは全く別の話です。衝撃の現象です。
何故「同じ/似た状況を作れる=偽物」という判断に至るのでしょう。私はそう信じているの間違いではないでしょうか。

それも、脳の仕業です。

たぶん質問者様は、目と脳で感じたものが本当なのだと感じていられるのだと思います。
私は神も幽霊も信じていませんが、見える人がいるとすれば、それは脳の中で起きることことによって生じるものなので、否定はしません。
むしろ、積極的に肯定します。

話が逸れますが、
ブラウン管のテレビと液晶テレビがありますが、
ブラウン管の画像というのは、もしも人間の視覚のスピードが速いと、ただ1個の点が端から端まで走っているように見えます。
ですから、ブラウン管は人間の目をだましています。
また、液晶テレビの場合は、画面から出てくる光がほぼ完全に偏光になっていて、周囲の光とは全く違っています。
それに気づかないのも、人間の目の性質によるものです。

電球の消費電力が蛍光灯やLEDより大きいのは、電球からは人間に見えない光が出ている分、無駄があるからです。
これも、人間の目の性質です。

色んなことでだまされているんですよ。人間は。
どうやってだまされているかを追求・解明するのが、科学というものの仕事の一つです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あなたの偏見です

全ての人がそうであると言ったのではなく、「しばしば」という頻度で表現しましたが、それを偏見とする根拠は何でしょうか。




>私は、妻や子供に対する愛は、私の脳の中の電気信号によって生じていることは知っていますが、愛しています。

あなたにとって「愛」とは何でしょうか。
「電気信号によって」とは電気信号が全ての根源/起源であり、あなたの愛とはコンピュータの基盤に電流を流せば同じものが作り出せるという様な種類のものという理解になるのでしょうか。



>それも脳の仕業です。~仕事の一つです。

意味が分かりません。
目の前に正に存在している人を見ている時にも脳には電気信号が走っていると思いますが、それも「脳の仕業」であって、実は存在しないという事を仰りたいのでしょうか。
あなたが何を肯定していらっしゃるのか、何を否定していらっしゃるのか解りかねますので、もう少し詳しくお答え頂けると嬉しいです。

また、ブラウン管が人を騙していると言いますが、その視覚の錯覚を利用して実際に楽しめるタイミングで電流を流している技術者が居るのを知っていてその上で映画を楽しんでいるのは騙されているのでしょうか。むしろそうした視覚の錯覚を利用して上手に情報を伝えているのだとは考えないのでしょうか。

多分、霊を見る人の大半が「そこに実際に物質的に人間が居る訳ではない」と理解してその霊を認識しているのだと思いますが、これはブラウン管の話とどうつなげれば良いのでしょう。


このままの文章ですと、理系のおっさんではなく、単にろくに知りもしなければ真面目に考えた事もない事柄を否定している思慮に欠けるおっさんになってしまいませんでしょうか。
よろしければ補足お願い致します。

お礼日時:2011/05/29 15:56

科学(この場合は物理的なものに限定します)を知っている人は「科学的に立証された事しか信用しない」なんて言いませんよ。


なぜなら科学は「事象の“しくみ”を明らかにするだけで、意義・目的などは関係ないですし、新羅万象の殆どは科学的に“立証”されていない事を知っているからです。
科学者は誰も、“立証”された事を鵜呑みにはしません。たとえ相対性理論でさえも、常に事象を照らし合わせ、最終的に事象の存在が明らかであれば理論の方を直すでしょうね。それが一般の人の「科学的に」という考えとの大きな違いです。相対性理論でこう言ってるからありえないなんて事は誰も言いませんでしょ(一部言っている信者もいるようですが)

例えば「脳に刺激を送ると霊を見たという証言があるから、霊は単なる脳の反応で実在しない」という人がいますが、これは全く意味を成していません。
人が物を識別するのは脳で行なっています。生きた人間であろうと霊であろうと人は脳で識別しなければ存在を意識する事は無いのです。つまり、霊も生きた人も脳が識別しなければ、その人にとって“存在する”も“しない”も“無い”のです。
脳を刺激すると霊が見えたというのは、視神経を通さずに識別する部位に直接刺激を与えただけで、それは夢を見るという現象でも起こっています。
だからもし「脳に調節刺激を与えて得られた現象が自然界では存在しない」のなら「人が夢を見るというのは非科学的だ」と言っているのと同じです。なんら霊を否定する証明でも何でもありません。むしろ視神経以外の刺激でも人は物を見る事が出来る。ということになり、霊の存在の証明に一歩近づいた事にだってなる訳です。

問題は「視神経を通さずに脳に刺激を与える『原因』が何であるのか」ということでしかないのです。
もし意図的に信号を送り、それによって人が脳に像を意識できれば、更に霊の存在を証明することに近づきます。
問題はそれが偶然ではなく、意図的であると言及できるかという事になります。

そして最も大事な事は、科学は「HOW]を明らかにしても{WHY]は明らかにできないということです。
人が石を投げたとき、その石の動向や投げたという事は明らかに出来ても、なぜ投げたのかという動機は科学では全く解析できません。なぜなら「投げようという意志が現われた“経緯”は既に計測(実証)不能な過去の事象の積み重ね」だからです。
心理学などは実証ではなく、統計的な確率の問題でしかありませんから。確率は100%に近づけても100%には絶対になりません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

う~む。
発言が私とかぶっていてディベートしずらいです。。。

なぜ科学信奉者たちはこれほど簡単な論理に躓いているのか。
不思議です。やはり「社会」が大きな鍵になっていると思えてなりません。

お礼日時:2011/05/29 17:16

質問者さんは何をとまどっておられるかわかりませんが


科学的ですか・・・。


心理学って科学なんでしょうか?
だいたい心理系の実験は適当(?)に比較できるように実験を設定して
異常な数値を省いて、残った数値が95パーセントの確率で差があるかどうかを判別します。
でも、苦労して実験しても
他人からは「そもそもそんな実験で結論は出ない、その数値に意味はない」と言われることはしばしばです。

また、カウンセリングの世界なら
太陽がどうとか、マンダラがどうとか、無意識の抑圧がどうとか
定量化できないものを論拠として話が進みます。


きっと質問者さんは
心理学は科学ではない、人文科学の端っこにいればいいと感じられるかもしれません。
ですよね?


あなたが例示した
愛している・神経学的とやら自体は心理学ではありませんが
知性の定義付けが出来ないのに知能検査が存在するのは科学的でないと感じられると思います。


>この考え方をどう思いますか?

こういう話は昔からあって
そして分かり合えないものとして、心理学の初級講座のネタになっています。
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この回答へのお礼

No.4以降の方々の中では冷静で感情的でないコメントでまだ助かります。とりあえずその意味でありがとうございます。

>ですよね?
いいえ。

>あなたが例示した。
No.3の方が言った内容に質問で返しているのをご覧になって「私が例示した」とされているのでしょうか?

以上2点を中心に、文章全体にわたって少し「先走り(誤解をそのまま思い込んでいるを含む)」が目立つ様に思いますのと、最後のパラグラフには若干の嫌みを感じます。
もし嫌みなのだとしたら、ご自分で勝手に先走っておいてその内容に対して嫌みを言いますと、ご自分自身に対して嫌みを言っている事になり、滑稽です。”もしも”嫌みを言ったつもりなのでしたら今後の人生の為にもお気をつけなされた方が無難だと思います。
他人からすると面倒ですよ。人前で思い込みにふけるのは。


さて、嫌みではない場合に対してです。
質問内容に対してのお答えをお書き頂いたのでしょうか?
ご自分の背景事情なのであろう描写が多く、一向に私の質問への答えになる気配が文章内に感じられません。
こうした事から、恐らくご回答者さまは私の質問に答えようとして入力をしたのではなく、私に対して立ち上がるために書いたのではないかと思った次第です。
それですと、回答者様の目的としては私の質問に答えるのではなく、私の前に立ち上がる事ですから、質問の答として的を得ていないのも頷けます。しかし、もしそうなのだとしたら、すこしご自身内の歪みが強過ぎ、且つそれをそのまま表に出しすぎていると思います。


あ、やはり私はこのご回答に大してはこういう見解になってしまいますね^^;申し訳ありません。
後のコメントがそういう感じなもので、そういう思い込みになってしまっているかもしれません^^;
いずれしろ、私にとっては質問に対する答えとして的を得ていると捕らえる事ができません。
至らない知力の故でしたらすみません。もう少し解りやすく書いて頂けると嬉しいです。
よろしくお願い致します。

お礼日時:2011/05/31 19:36

>この考え方をどう思いますか?


 科学的でない。

 原因不明、論理不十分、結論が不明確、そして、主観的で、再現性が欠落。
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この回答へのお礼

。。。
わたしが自分が科学的であると言いたいと考えていると思っておられるのでしょうか。。。?
原因不明→なんの原因の事でしょう
論理不十分→すみません。質問内容で理解できる方も大勢いらっしゃると思うので、そういう方のみを暗黙のうちに対象とさせて頂いている部分も無きにしも非ず。全てを事細かく書いていたら時間の浪費だと思います。この程度書けばニュアンスが理解できる方も沢山いらっしゃるので。普通は。。。

結論が不明確→上記と同じです。すみません^^;

主観的→個人の考え方について「どう思う?」という質問内容ですから当然の事だと思うのですが。

再現性が欠落→意味が解りません。もう少し解りやすくお書き頂けると嬉しいです。もちろんご好意ですが^^

お礼日時:2011/05/31 19:40

仰る通りかと思います。


思わず笑ってしまいました。

昔を思い出し、何だか自分が言われている様な気にもなったりするなど。とても懐かしい感じもありました(笑)。


とても共感します。そして加えますと、僕は科学に留まらず学術全般にその傾向を感じています。ただ、学術をリードしているのが特に数学・物理学など科学と相性の良い分野だから確かに科学的に・・・などに注目が行くのでしょうが。

科学で・・・というよりも僕は学術的理解方式・学術的認識方式で・・・という様に聞こえてくる勢いがありました。それで聞いてみたいのですが。

この点、Apostleさんとしてはどの様に考えていらっしゃるのですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>自分が言われている様で~懐かしい
私も過去はそうだったので、同じですね^^

ところで、お返事の意味を理解しかねています。
「ただ、学術をリードしている~それを聞いてみたいのですが」まで、文章の柱があいまいに感じまして、私の理解力ではどう受け取ればいいものか解りかねました。
例えば、「などに注目が行くのでしょうが」この場合の一人称は誰なのでしょう。
また、「という様に聞こえてくる勢いが~」は誰がそう言っている様に聞こえたのでしょう?

この2点だけでもお答え頂けるとご質問の内容が理解できると思うのですが、お願いできますでしょうか。

お礼日時:2011/05/31 19:48

>もし嫌みなのだとしたら、ご自分で勝手に先走っておいてその内容に対して嫌みを言いますと、ご自分自身に対して嫌みを言っている事になり、滑稽です。

”もしも”嫌みを言ったつもりなのでしたら今後の人生の為にもお気をつけなされた方が無難だと思います。

嫌みでも何でもありません。
本当に「科学的に分析するとはなんぞや」という話は大学一年生向けの心理学講座でやることです。
また「心理学は科学的で無い」という批判があることも事実です。

そして貴方が「いいえ」と返答しただけですが
では科学的なんでしょうか?
先生にもよりますが、講座では「いわゆる古典的な科学的手法からはずれることは往々にしてあるがそれでも蓄積や飛躍によって進んでいくしかない」と普通解説されるでしょう。

そういうことを知っていて、色々感じている私から見れば
>良い思いをしたい、仲間はずれにされたくない等と無意識的に考え、
という文を見ると思いこみが先走っているように感じるわけですよ。

貴方は行間を読んで相手の心理を読みとろうとしているようですが
私はディベートをしたいようなNo3への返答を見て「科学的とはなんぞや」ということを貴方の顔面にぶつけただけですよ。
「いいえ。」ではなく、きちんと「どうしていいえなのか」私の顔面にぶつけてくださればいいのですよ。
それがディベートだと思います。


私は
科学的手法で何でも解説しきれるものではなく、捨てられたり、後に再評価されたりして、進歩していく。
捨てられるような物を見て、「仲間はずれにされたくないから無意識的に口に出た妄言」とは評価しません。




というか、この書き込みを書いている人間は
分裂病患者のつぶやきにも理があるという世界を知った人間ですよ。
http://www.google.co.jp/search?client=opera&rls= …
No4で書いた太陽というのは上記リンク先のことです。

貴方もこちらの世界に来て見てください。
そうすれば、仲間はずれが怖いからなんていうものはぬるい解釈と感じるようになるかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>嫌みでも何でもありません
そういう事でありましたら、大変失礼致しました。
心からお詫び申し上げます。


>では科学的なんでしょうか?
私は心理学を科学だと思っています。


yuukiyuukiさんの事を指して「良い思いをしたい~」と言っている訳ではないので、先走っているとは現時点で思いません。
実際、本人の自覚の有無はとにかく、同義の人は多く居ると現時点でも思っています。


「ディベート」については大変申し訳ございません。
決定ボタンを押す前からこの単語はちょっと違うなと思っていたのですが、ついそのまま決定ボタンを押してしまいました。以前にも他の質問で同じ事をした事があります。私の悪い癖です。本当に申し訳ありません。

先述した様に、yuukiyuukiさんの様な思想の方に対しては「仲間はずれ~」とは思いませんので、私も「評価しません」に同意します。
私の足りない言葉が、yuukiyuukiさんご自身が自分を含んでいると受け取られる様な発し方になってしまいました事もお詫び致します。
ただ、言葉の性質上ある程度は寛容に見て頂きたくも思っています。


リンクに関しては、今度時間のある時に拝見させて頂きますが、分裂病患者のつぶやきにも理がある場合があるのは当然の事です。そういう観念は私にとって新たな世界でもなんでもないので、この件に関しても私はyuukiyuukiさんと同じ考えではないのかなと予想します。


さて、槍の矛先を向けた相手が中々出てこず、槍を向けるつもりも何にも無い方の方が多く書き込んでくださっている状況があります。
「科学的に分析するとはどういう事か?」という事を問いたいのではないので、どうかお察し頂けると幸いです。

お礼日時:2011/05/31 22:54

zakky74でございます。



>ところで、お返事の意味を理解しかねています。
>「ただ、学術をリードしている~それを聞いてみたいのですが」まで、文章の柱があいまいに感じまして、私の理解力ではどう受け取ればいいものか解りかねました。
>例えば、「などに注目が行くのでしょうが」この場合の一人称は誰なのでしょう。また、「という様に聞こえてくる勢いが~」は誰がそう言っている様に聞こえたのでしょう?

1.「などに注目が行くのでしょうが」の主語は何でしょうか?

2.「という様に聞こえてくる勢いが~」では、誰が聞いたのでしょうか?

という質問であると理解しました。

Apostleさんの話の切り出しとしてある

>>>多くの人が「科学で証明できなければ」とか「科学的に~」などと言いますが、それを言っている多くの人にとって

という点を受けています。従いまして、

1.「多くの人が」が主語

のつもりでお話しています。そして、「多くの人が」を対象にしてApostleさんは話を展開されていますが、科学という表現だけではなく、科学的にという表現が用いられていたり、社会・思考の拡散・・・などの表現なども出ていますし、話を聞くに連れて、僕が科学や科学的というのは、社会の根底や思考の根底を為している学術全般の事を指している様に思えた訳です。

ですが、それは僕側の判断基準で受け取った話ですから、Apostleさんが本当にその様に思っているのかどうかは分かりませんね。それでApostleさんはどの様に思われているのかをお聞きしたかったんです。従いまして、

2.「僕(zakky)」が主語

でございました。

僕側がどうしてその様に受け取ったのかを補足しますと、人間が生まれてから教育が進む段階では学術が通常ですし、社会の構築も、例えば経済・政治を中心としまして学術を土台としていると僕が理解しているからです。

社会から影響を受けるのも、思考の土台となる情報知識が影響を受けるのも、学術であると僕は理解しているんですね。それで、人間として信頼性が高かったり、居場所を感じさせてくれる拠り所の様なものが学術であると。

だから、Apostleさんの話を聞いているうちに、科学・科学的・・・というよりも、僕にとっては拡張されて学術という様に聞こえてしまった訳です。

これは僕側の理解なので、質問を投げているApostleさんの背景とは違う可能性もある訳ですね。それで、確認したいと思ってApostleさんはどの様に思われているのかを尋ねたくなった訳でございます。

しかし、今は当時の質問の背景や僕側の思いを補足しながら書き記しておりますが、確かにこれを書いておかないとApostleさんは何を尋ねられているのかが分からないなぁと気付きました。


>この2点だけでもお答え頂けるとご質問の内容が理解できると思うのですが、お願いできますでしょうか。

大変、失礼致しました。
確認の為のご質問ありがとうございます。

Apostleさんのお応えを楽しみにしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お返事が遅れまして申し訳ありません。

すみません。やはりお伺いしてもよく解りませんでした。
私は学生現役の頃よりだいぶ頭が鈍くなっているので、色々と理解力が低下しており、理解できない事が増えてきました。申し訳ありませんね^^;

ところで、多分大部分の人が育つ過程で強く影響を受けるのは学術よりも文化や風習などの社会的な事からだと思いませんか。

お礼日時:2011/06/05 21:55

zakky74でございます。




>すみません。やはりお伺いしてもよく解りませんでした。

>>1.「多くの人が」が主語
>>2.「僕(zakky)」が主語

かなり簡潔にお応えしたつもりでしたが^^;
分かりにくくて失礼致しました。

宜しければ、何がどの様に分からなかったのかをお教え頂ければお応え出来るかもしれません。或いは、僕の方で勘違いがあるかもしれませんしね。

例えば、

>>1.「などに注目が行くのでしょうが」の主語は何でしょうか?
>>2.「という様に聞こえてくる勢いが~」では、誰が聞いたのでしょうか?
>>という質問であると理解しました。

この様に理解した事が、受け取り間違えていたのかもしれませんし。


>ところで、多分大部分の人が育つ過程で強く影響を受けるのは学術よりも文化や風習などの社会的な事からだと思いませんか。

文化や風習などの社会的な事だと思っていますよ。

そして、その文化や風習などの社会的な事の大半が、学術によって支えられていると観ています。学術と文化・風習などの社会的な事は切っても切り離せないものではないでしょうか?

人間は、小さい頃にどんな情報が入るかによって大きな影響を受けますよね。小さい頃にどんな環境にいたのかを観るとよく分かります。

教育環境も経済環境も政治環境も、子どもを取り巻くあらゆる環境は学術を土台としています。そして、教育・経済・政治環境と文化・風習はとても密接な繋がりがあります。歴史的に観てもそうですね。

文化・芸術・ライフスタイルは、当時の教育・経済・政治を始めとしたあらゆる環境の影響を観れば、その特徴が浮き彫りになってきます。その様に。

文化や風習などの社会的な事は、学術と密接な関わりがあると思っています。
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この回答へのお礼

こんにちは。

zakky74さんの質問を一度に一つの文章として「・・・」など使わずに書いて頂けますか?
私はどうもzakky74さんの話し方が苦手な様です。
一度に書いて頂ければ自分が何が不明なのか解るかもしれません。


さて、「文化や風習などの社会的な事の大半が学術に支えられている」
zakky74さんと私は社会の別の面を見ながら話しているのですね。
学術に支えられた風習や文化などの社会的なものをいったいどれほどの人が嫌がるでしょう。
文化や風習などを対象に話し手が皮肉ったり敬遠しているような発言をした場合、そういうクリーンな面を指して言っているのではない事は察して頂けないものでしょうか。

お礼日時:2011/06/06 20:53

zakky74でございます。



>こんにちは。

>zakky74さんの質問を一度に一つの文章として「・・・」など使わずに書いて頂けますか?

分かりました。再度書き直してみますね。

『とても共感します。そして加えますと、Apostleさんは、「多くの人たちが科学で、科学で、と言うけれど」と仰っているのを僕が聞いていると、僕にはどうも「多くの人は科学で、科学で」と言っている事に留まらず「多くの人は学術で、学術で」と言っているかの様な、学術全般に信頼性をおいている傾向を感じています。

ただ、学術をリードしているのが特に数学・物理学など科学と相性の良い分野だから確かに「多くの人は科学で、科学で」と言う様に学術全般の中でも特に科学に注目が行くのだと僕は観ているのですが。

ですので、多くの人が言っている「科学で、科学で」という事よりも僕には多くの人は「学術的理解方式・学術的認識方式で」と言っているかの様に聞こえてくる勢いがありました。ですが、それは僕がその様に聞いただけで、Apostleさん自身はその様に受け取っていないかもしれませんので、Apostleさんに聞いてみたいのですが。』

となります。

「・・・」を使わずに、主語を入れ込みながら再度書き記してみました。これでは如何でしょうか?未だ読みにくいところ、分かりにくいところがありましたら仰って下さい。



>さて、「文化や風習などの社会的な事の大半が学術に支えられている」
>zakky74さんと私は社会の別の面を見ながら話しているのですね。
>学術に支えられた風習や文化などの社会的なものをいったいどれほどの人が嫌がるでしょう。文化や風習などを対象に話し手が皮肉ったり敬遠しているような発言をした場合、そういうクリーンな面を指して言っているのではない事は察して頂けないものでしょうか。

この話の流れは、Apostleさんからの質問

>>>ところで、多分大部分の人が育つ過程で強く影響を受けるのは学術よりも文化や風習などの社会的な事からだと思いませんか。

について、尋ねられているので、僕が

>>文化や風習などの社会的な事だと思っていますよ。

>>そして、その文化や風習などの社会的な事の大半が、学術によって支えられていると観ています。学術と文化・風習などの社会的な事は切っても切り離せないものではないでしょうか?

とお応えしたものでしたね。

僕は、学術には山積する問題があると思っている人です。だから、学術の影響によって、かなり歪んでしまっている印象を受ける事も多々ありますし、学術の不足分や至らない点を補う代案が必要だと思っている人です。

ですが、それは僕自身の学術に対するモノの観方や判断ですので、学術そのものや社会そのものを透明に見た訳ではなく、またありのまま見た訳でもありません。

あくまでも、僕の判断や僕の見解です。

ですから、僕自身の学術に対する見解や判断を省いて、学術はどういう位置づけであるのか、学術はどんな背景を提供したのか、については善悪や○×なしで透明に見ておきたいと思っています。

僕自身の見解や判断を極力は省いておく事が、歴史的に、社会的に、文化的に、風習的に、と言えると思っています。そうでなければ、主観的に、とも捉えられるからです。

学術に対しても、社会に対しても、透明化して見るからこそ、真にメスをいれ、変化する事が出来ると思っているのですが、その意味で「文化や風習などの社会的な事の大半が学術に支えられている」と言いました。

この表現は、クリーンな側面であろうがダークな側面であろうが、どちらであっても学術の不足は代案を持ってして補うとの心の現われでもあります。
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この回答へのお礼

こんにちは。

話がすり替わってしまっているついでにお伺いしますが、「学術には山積する問題がある」とは具体的にどのようなものでしょう?
私は学術自体には何の問題もないと思います。
それを利用する人の意識に問題があると思っているところから出てきた今回のこの質問です。

お礼日時:2011/06/14 21:55

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