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夏休みの自由研究で、第二次世界大戦中の姫路の様子や
人々の生活の様子を書かなければいけません。
そのことについて知っている方教えてください。

A 回答 (2件)

 近くにお年寄りが居たら聞きに行け。

後は図書館に姫路の歴史とかの本を探せ。
 後は姫路の地方新聞に載っているかもしれないので、そこから出ている本を図書館で借りる。
 新聞の連載もあるので取っている人に見せてもらう。

 自由研究なら、ネットでなく老人ホームなどに出かけてお話しを聞くのがベスト。当時の様子を語れる人でネットを使いこなせる人は少ない。

 郷土資料館などはないか?博物館などに無いか?

 ネットで済ませようとしないでね。
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私は後期高齢者ですから、戦前、戦中の事はよく知っています。


自由研究ですから自分で色々探求し、探し求め、その上で疑問に思った事、不明、理解できない事をこういった場で聞くべきです。

教えても一過性のもの、勉強にはなりません。
No1の回答者の方がおっしゃるように自ら動き調べないと駄目です。

糸口だけは書いて差し上げます。

姫路は軍事都市ですから(海軍航空隊があった)焼け野原になっています。
焼夷弾(ナパーム弾の事:落ちたら何でも焼き尽くす。畳一枚の面積に10個くらいばら撒き、人間も瞬間ぼうぼう燃えます)で姫路は壊滅しました。

生き延びた人でも最後の世代は昭和11,2年生まれでしょう。
それも都市部に住んでいた人(当時子供)に聞かないと無理ですね。

姫路城が焼けなかったのは人の住んでいない処を爆撃してもしょうがなかったからに過ぎません。

市民の生活は全国の都市部は似たようなもので、巷の事を知りたければ、図書館で「徳川無声」戦中日記を読んでください。

それでも東京はまだ物資が結構ありましたね。金さえ出せば肉も買えました。関西でも同じ事です。

文献に出て来るだろう外食券、配給手帳などをどう言う物かを調べて、又、学童疎開(国民学校1年、2年生などが親元を離れて集団生活、疎開先でいじめられ、食べ物も不自由、飢餓状態。親は焼け死に戦後家へ帰っても家も無い、親も死に絶えていない、誰も助けてはくれない、一人で浮浪児になり悪いことをしても生き延びた。お金は紙屑、国債も紙屑、そんな時代の事は自らが調べないでどうしますかね。当時の国は知らん顔。)での子供の悲惨さなどを理解すれば宜しい。

今は災害があっても天国のようなもの。団塊の世代はこういう悲惨さを知らない。

夏休みが終わるまでにまだ日があるから、自ら調べた上でどうしても判らない言葉や状況をまた質問してください。
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