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時代劇を見ていると、武家の女性が帯に懐剣を差していることがありますが、同じ作中でも場面が変わるとあったりなかったりします。
実際、懐剣というのは常には携帯されないものだったのでしょうか?
そもそも懐剣は外出時に護身用で持つものである、というろころまでは自力で調べられたのですが、それはつまり、基本的に危険なことがないであろう屋敷やお城にいる際は、携帯しなかったということですか…?
よろしくお願い致します。

A 回答 (5件)

基本的に屋内での護身、それと外出時の護身です。


それと、護身以外にも懐剣は使われます。

護身の為の物なのに、持ち歩いていなければ意味がありませんよね。
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この回答へのお礼

場所に関わらず常に携帯しているものなのですね。
ということは、質問の冒頭に書いたような時代劇の場合、あったりなかったりするのは演出の都合なのかもしれないですね…。
(あるいは見えないところに隠し持っているんでしょうか…)
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/28 11:03

携帯していました。


お城内は危険でない、なんてことはありません。
あの江戸城でさえ、刃物沙汰は何度も起こって
います。

目的は護身もありますが、あの小さな刀で
どれほどその目的が達せられるか、疑問です。

護身の他に、プライドを傷つけられたとき
自決するため、という意味もあります。
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この回答へのお礼

江戸城の例をあげていただいて、とても納得しました。
確かに歴史を思い返してみると、屋内だからといって決して安全ではないですね。
自決の際に使うこともあることは存じ上げておりましたが、改めて示してくださってありがとうございます。
懐剣一本にも武家のプライドが込められているんですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/28 11:07

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>実際、懐剣というのは常には携帯されないものだったのでしょうか?

幾つかに分けて考えましょう。

旗本や御家人の妻・・・外出時のみ携行。
奉行や老中などの役職者の妻・・・家の中、外出時共に携行。
大名・・・正室と側室のみ家の中、外出時共に携行。
大奥・・・正室、上臈御年寄、御年寄、御客会釈、御中臈までが大奥内、外出時に携行。
     ただし、御中臈は将軍のお手つきになった者だけが許可されました。
     それ以下の者は携行していませんでした。

(よもやま話)
5代将軍綱吉は、側室のお伝の方ばかりを寵愛したため、正室の信子がやきもちを焼き、信子は綱吉を大奥へ呼び寄せ、久し振りにくつろいでいたところ、信子はやおら懐剣を取り出して綱吉を殺害してしまいました。そして、自分と御台所付御年寄・伊豆局が首に懐剣を突き立てて二人とも自害しました。
徳川実記では、綱吉の死んだ日と信子の死んだ日をずらして記してあるが、証拠としては、寛永寺にある信子の墓には、明治になるまで犯罪者の証である「投網」が被せられていました。、
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この回答へのお礼

成る程、一口に武家の女性と言っても、身分によっても違うのですね。
特に大奥に関しては、色々と細かなしきたりがあるということはなんとなく知っていましたが、懐剣の携帯についても決められているとは…。
綱吉のお話も面白かったです、そのような説もあるのですね。
皆さんのご回答で、懐剣に対する認識がかなり変わりつつあります。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/28 21:22

神楽の国から      なつかしの国石見だより 烈女 お初・・・・浜田の歴史


http://island0223.exblog.jp/6621740/

1724年に鏡山事件が起きました。詳しいことはリンク先を見て欲しいのですが、護身用でなく自害用であり、時に暗殺用でもあったのです。だから危険があるとかないとか全然関係ない。武家の娘の嗜みとして誰でも常時携帯していたということです。いざという時に自分の喉下にぐさっとやるわけです。

時代劇製作者がどこまで理解しているか分かりませんが、江戸時代は個人の時代でなく家の時代です。武家の娘にとっては自分の命よりも家名と武門の名誉を守ることが最優先なのです。現代人の感覚に捉われると歴史を見失ってしまいますから注意してください。
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この回答へのお礼

護身用、自害用以外にも、暗殺に使われた例があるのですね。
女性の持つ懐剣にどこまで「敵を倒すための武器」としての役割があったのだろうかとは思っていたのですが、鏡山事件では完全にそれですね。
他の方のお礼でも書いたのですが、懐剣一本(とその使い方)にも武家のプライドが込められているのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/29 03:32

>実際、懐剣というのは常には携帯されないものだったのでしょうか?



政略結婚の場合は、常時携帯していた様ですね。
イザとなれば、実家の為に旦那を殺害する目的もありましたから。
逸話としての、信長に嫁いだ道三の娘。「イザとなれば、信長を殺せ!」と命じられていたとか?
嫁さんになったと言っても、敵の元に嫁いだ人質です。

幕藩体制が安定し、既に戦いが過去のものになった頃。
外出中のみ、守り刀を携帯した様です。
戦いの為というより、お家の名誉を守る為に「自害」する手段として持っていました。
今でも、日本式結婚式では「新婦の衣装には、小物として守り刀」が付いています。
地方では、今でも「嫁ぐ娘には、(銃刀法違反にならないように、刃が無い)守り刀」を持たせる地域があります。
先輩の嫁さんが持っている守り刀は、結婚当時(10年前)10万円もしたそうです。^^;
金糸の袋に入っているのですが、中身は見せて貰えませんね。
夫婦安泰なので、一度も帯を解いた事がないとの事です。
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この回答へのお礼

歴史に明るくない私も濃姫のそのエピソード自体は存じ上げていましたが、そういえばあれも懐剣が関わるお話だったなあと思い出させていただきました。
実は質問のきっかけは、婚礼衣装のポスターで懐剣を身に付けた花嫁さんを見かけたことだったので、実際に懐剣を持ってご結婚された方のエピソードは興味深かったです。
懐剣とお家の誇りには深い繋がりがあるのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/29 03:45

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