明治5年の文章に、泥棒が旅籠で二人の商人からお金2千百円を盗んだという話が載っていました。
当時の1円はどれくらいの価値があったのでしょうか?
よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

http://q.hatena.ne.jp/1156484521
http://okwave.jp/qa/q5360541.html

色々と参考に成ると思いますが。

>明治7年(1874年)の「巡査の初任給は4円」

で考えれば。
★この頃の「1円」は、現在の「4~5万円」くらい。

ですから「二千百円」と成れば、現在の『8千万~1億円』くらいの価値が有ったかも知れませんね。
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時間的な隔たりのある貨幣価値を比較するというのは、非常に難しいものがあります。



たとえば、主要な生活財で比較する方法がよく用いられます。わが国であれば、主食の米の値段や他の回答者さんが書いている「そば」の値段なんかがそうですが、これも実はその生産方法や技術革新などの影響を考慮するのか、はたまたしないほうがいいのかというような側面があって、簡単には言えません。労働力の対価という視点も同じことが言えます。

そんな中のひとつの方法として、金価格による比較もあります。

最近、ちと?な動きをしていますが^^;、、、経済学的にいうと金というのはアインシュタインの相対性理論における光速度と同じで絶対(最近こちらの理論も?になりつつあるようですが^^;)な存在です。金の価格が高くなったり低くなったりするのではなく、まわりのモノの価格が変動するわけです。

さて、明治期は兌換を前提とした金本位制です。明治4年に発行された1円金貨は1円=金1.5gという基準で造られています。正確には金1.503gと銅0.167gですが、今日の金相場がgあたり4,523円ですので6,798円。まあ、銅の値段なんかもいれて6,800円から7,000円ぐらいというようなところでいかがです^^。
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1年ズレますが明治4年の


庶民的なそばの値段で換算してみました。

明治4年のかけそばの値段が5厘。
今、富士そばのかけが280円。
明治4年だったら1円で5厘のそばが200杯たべられるので、

1円の価値は、
280円×200=56000円

ということで1円は今の価値で、5万6千円
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太平洋戦争から現在まで約7000倍のインフレーションがあったと考えると


1円=1万円は少々乱暴過ぎます。

http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J022.htm


明治の知事の給与が月300円。現代の総理の推定が約300万円。
約1万倍なのですが、

米価換算では2万倍となり、庶民に打撃を与えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%BE%A1% …

戦前までは丁稚奉公が当たり前でした。
彼らは衣食住以外は無給が当たり前でしたからお金の価値は途方も無く大きいのです。

昭和40年代、日本人の牛肉消費量は1週間で9gの時代から食生活も大きく改善され、
社長と社員の格差が世界一少ない国であり、世界一高給な軍人の居る国から見ると

約1万倍。

バナナと卵は病気になると見れる物。
チーズは戦後に初めて見た。

こう言う庶民から見れば1円=数万円の価値だと思います。

>お金2千百円。

大臣ならその金額や重さを想像出来ますが、庶民では全く想像出来ない金額であったと推定出来ます。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>当時の1円はどれくらいの価値があったのでしょうか?

天璋院 / 篤姫(てんしょういん / あつひめ)が明治16年(1883年)11月20日に死亡されましたが、その時、所持金は3円゛だったと言われています。現在の価値にすると3万円だとされています。

従って、同じ年代ですので、

1円=1万円位だったのではないでしょうか。
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明治になり


1両=1円とする。
に貨幣単価が変わりました。
簡単には1両=10万円です。
ゆえに、2億円ですね。
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Q明治18年の貨幣価値と百円札の効用は?

http://homepage1.nifty.com/zpe60314/kahei3.htm 
これによると明治18年に百円紙幣が発行されています(図柄は大黒天)。随分高額でどういう意図があったのか理解できません。小切手が未発達で商取引用だったなどという事情でもありましたか。
因みに当時の壱円は今日の幾らに相当しますか。基準は米なり初任給なり何を採用しても、ご自由とします。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

> 小切手が未発達で商取引用だったなどという事情でもありましたか。

その通りです。
主に商取引、特に銀行間の取引において使われていたようです。因みにアメリカでは同じ目的で 10000 ドル札が発行されていました。

> 因みに当時の壱円は今日の幾らに相当しますか。

大体、ですが、物価にすると 5000~10000 倍程度なので間を取って 7500 円位に相当する、というところです。米で測っても、大体 10 kg = 0.3-0.5 円というところで、現在は 10 kg = 4000 円位ですからね。

Q当時の価値を現在の価値に換算する目安になるサイトを探しています。

たまに明治のお金を現在の価値に換算すると何円とかテレビでやっていたりしますが、各時代ごとの換算の目安にやるようなものをまとめたサイトってないでしょうか?

Aベストアンサー

まとまったサイトはなかなか無いようですね。
実際問題として、商品自体の価値変動も非常に大きいので、何を基準にするかでぜんぜん換算価格が変わってくると言うのが実情みたいです。

明治中期~後期で考えると、
 地金価格で換算すると、当時の1円=今の1000円
 米価で換算すると、当時の1円=今の5000円
だそうですが、いろいろな文献を漁ると、個人的には当時の1円=今の10000円くらいが妥当なように思います。

頼りになるのは文学作品(特に明治時代は「自然主義」と言われた人々の作品)で、田山花袋の「田舎教師」には明治35年頃の商品の価格が以下のように記載されています。(1円=100銭、1銭=10厘です。)

煙草:10銭 車(人力車)代:30銭 弁当:4銭5厘 ラムネ:3銭5厘 梨:1銭5厘 
認印:25銭 名詞:22銭 歯磨きと爪楊枝:3銭5厘 筆2本:8銭5厘
硯:14銭 帽子:1円15銭 羽織:1円75銭 へこ帯:30銭 下駄:14銭5厘
遊郭での遊び:2円

この物語の主人公(埼玉県羽生近くの小学校の新任教師)の初任給:7円60銭

まとまったサイトはなかなか無いようですね。
実際問題として、商品自体の価値変動も非常に大きいので、何を基準にするかでぜんぜん換算価格が変わってくると言うのが実情みたいです。

明治中期~後期で考えると、
 地金価格で換算すると、当時の1円=今の1000円
 米価で換算すると、当時の1円=今の5000円
だそうですが、いろいろな文献を漁ると、個人的には当時の1円=今の10000円くらいが妥当なように思います。

頼りになるのは文学作品(特に明治時代は「自然主義」と言われた人...続きを読む

Q「近江商人」以外で、地名を冠した「○商人」

「近江商人」以外で、地名を冠した「○商人」と呼ばれる例はありますか。
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Aベストアンサー

基本的には 近江商人以外にはこれといった実態はない。

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その京都の流通は、琵琶湖=淀川水系によって担われました。
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時代劇の呼称は「言ってききざわりがいい」というだけです。
江戸では、三河屋が一番多かったと記憶しております。
※ たぶん徳川家の出身 三河のあやかりではないかと。

越後屋で有名なのは、現在の三越。三井・越後屋となりますが、三井家は伊勢出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E5%AE%B6

Q明治4年当時の高額郵便料金 貫・文・銭 と 切手

下記の質問を別にしましたところ 明治4年当時の貨幣制度は 両・円の混在期で 両換算で 21貫600文は約5.5両になることを教えていただきました 
1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか 
2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか 
3.また当時の丁稚の給金は年間で3両ほどと聞いた事がありますが別立てとはいえこれでは高
  すぎるのではないかと思いますがどうでしょうか 
4.更にはこうした別立てなどによる高額郵便の現品の保存はどこかにありますでしょうか 
  たくさん書いてしまいましたがよろしくお願いします

郵便制度が東京-大阪間で明治4年3月に始まり7月には横浜から別立てで各地に郵便が届けられる事になったと書かれています その郵便料金は横浜-高崎間で 21貫600文 と言いますが当時の貨幣制度がよく判りません どなたかご存知の方教えてください

Aベストアンサー

1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか

=明治4年に日本で初めての「切手」が発行されています。俗に「竜文切手」と呼ばれるもので、4種類発行されました。「銭四十八文」「銭百文」「銭二百文」「銭五百文」の4種です。裏には糊もついてませんし、目打ちもありませんでした。切手は米粒で貼っていた様です。 


2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか

=日本では「円」が導入される以前まで、貨幣単位としての「文」が続いていました。新通貨単位が導入されてからは、円・銭・厘が使用される様になり、現在は円と銭が使われています。竜文切手の場合、読み方なんですが「ぜに~もん」と言う言い方になります。確かに現在では判読はややこしいですね。


3.また当時の丁稚の給金は年間で3両ほどと聞いた事がありますが別立てとはいえこれでは高すぎるのではないかと思いますがどうでしょうか

=当時の3両は新貨幣制度導入時の3円に相当します。当時の1円は現在の通貨に換算すると5000円になると思われます。明治27年の公務員の初任給は50円です。明治も20年を過ぎると大体1円=4000円ぐらいになります。ざっと計算すれば公務員は現在のお金で20万円を貰っていた事になります。話は元に戻りますが、丁稚の年間給金3両という事は、年間で現在で15000円になります。まさしく丁稚奉公とはよく言ったもので、こんな安い給金で雑用をあれこれさせられていたのです。決して高くはありません。むしろ、安すぎるくらいです。 


4.更にはこうした別立てなどによる高額郵便の現品の保存はどこかにありますでしょうか 

=所謂「切手博物館」という所に行けば現物は見られます。

1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか

=明治4年に日本で初めての「切手」が発行されています。俗に「竜文切手」と呼ばれるもので、4種類発行されました。「銭四十八文」「銭百文」「銭二百文」「銭五百文」の4種です。裏には糊もついてませんし、目打ちもありませんでした。切手は米粒で貼っていた様です。 


2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか

=日本では「円」が導入される以前まで、貨幣単位としての「文」が続いていました。新通貨単...続きを読む

Q明治維新のころのことを詳しく載っているサイトを教えてください

明治維新のころのことを詳しく
載っているサイトを教えてください
特に戊辰戦争や地租改正などの4文字の出来事について
たくさんあるサイトをお願いします

Aベストアンサー

いろいろ見てみましたが、やっぱりウィキペディアが妥当ですね。
私が載せたのは明治維新の項目ですが、下の方に関連記事として
戊辰戦争や地租改正の記事も見ることが出来るので…

まぁでも質問者様はもうとっくに見たかもしれませんが^^;

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/明治維新


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