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世界には少数の先進国と多くの発展途上国がありますし、アマゾンの奥地とか太平洋の島には今でも原始時代みたいな暮らしの人々もいます。
しかしどこの国地域の人でも同じホモサピエンスであって知能等に差があるわけじゃありません。
そして何万年も昔には人類皆が等しく原始人だったわけです。
そこから人類の発展の度合いが全く違ってきた原因になった事は何なのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

極論すれば、神・宗教などという思考停止に陥ることなく、思慮続けられる状況であれば、限界はあるにしても、現代社会に近づける




 もっといえば、宗教や超然とした概念を打ち捨てて、自然と科学的に相対できることが重要(早い話が自然科学の発展)で、その深度次第

靖国とか神道とかそういうものに肯定・否定などに「こだわらず」、それはそれで扱えること


まぁ、人口学的な視点も必要だろう

簡単にいえば、人口が多ければそれだけ様々な人間が存在するが故に、偶発的な技術革新が起こり得る可能性が高まる・・というわけ

発明は、偶然の産物であって、その偶然は、機会の総量次第。(突然変異と大差ない話)

人口の視座でいえば、食糧生産のための気候などの要素が必須だったりする


まぁ、人口が一番重要で、その次が、 自然科学教育・・・かな?

中国が中途半端な歴史進化に留まったのは、自然科学が生まれでない社会土壌だろう。


以上、世界史講師の歴史俯瞰の回答なりよ
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この回答へのお礼

もっと遡った根本原因は何なのでしょうか?
原始時代には人間はみんな呪術的でしたが、そこから自然科学的思考に進んだ人々と、呪術から抜け出ない人々の違いは何だったのでしょうか?
まあ、先進国を自負する地域の人間でもしばしば疑似科学に引っかかったりする事もあるので、実はそういう部分に人間の本質の違いはあまりない気もしますが。
また人口にしても、原始時代ならどこにも同じように少数の集団が分布してただけだと思いますが、そこから人口を増やして国や社会を形成した集団とそうでない集団は何が違ったのでしょうか?

お礼日時:2012/05/29 21:39

No1のかたの補足というか



ユーラシア大陸が東西に広いというのがあるかなと。

原初的には 農業の発達なんかは東西には自然条件がいっしょなので、伝播拡大しやすい。
アフリカやアメリカは南北に長いので自然条件が同じ面積が狭い。
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大雑把に述べますと、農業の発明と食糧備蓄、その発展、牧畜の発明と発展が限られた地域でなされたということだったと思います。

農業は麦や米、トウモロコシなどの発見と改良、牧畜は牛や馬などの人間が飼いやすく有用な動物を発見して改良した地域の人間たちが人口を増やし、集団的に発展し、集団が大きくくなるほど強力になり、他の小集団を滅ぼし、また様々な発明品を加速度的に獲得していったということだと思います。
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専門に勉強してるわけではないし、そういうのにあんまり詳しいわけではないけどいくつか思いつきました。



・気候の差
暑い地域、寒い地域では作物が育ちにくかったりして産業の発展が遅れがち。

・淡水の有無
雨量や川の存在など、淡水を調達しやすい場所は発展しやすい。

・生産に用いる道具や天然資源の差
日本では縄文時代に、刃先として用いる黒曜石が取れる土地は人が集まったようです。
家畜などは、その気性・生態、体の構造によって家畜として使えるかどうかが様々。
便利な家畜を利用できると生産上有利。

・人の移動の妨げとなるものがあるかどうか
たとえばインドなどはヒマラヤ山脈があるため他地域の人との交流が少なく独自の文化が発展したようです。海に囲まれた島国である日本も同じですね。

・戦争の頻度、および強力な指導者の存在
戦争の頻度が高いと兵器を作る技術などの需要が高まり技術の向上や人の集まりが活発化。
モンゴル地方では、それまで小さな小競り合いだったものが、やがてジンギスカンという強力な指導者の下に支配が強まり、経済もより発展したみたいです。

・害虫・害獣、細菌・ウィルスなど人間にとって害となる他の生物の存在
これらによって人間の生活の困難さが大きくなると、それに見合うだけのメリットが無い限り、その土地に定住しようと思う人は少ない。


こんな感じでしょう(多分)
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おそらく一番大きな要因は”情報管理”ではないかと思います。



一人の人が生み出した知恵(情報)を蓄積し、通信手段などによって広く伝えられ、長く残される。

そのことで、多くの人が利用し、また時間がたつにつれてそれが補足され更に有用な情報になっていく。

最初のころは壁画などに書かれた原始的な絵だったでしょう。
時間がたつにつれ、それが紙となり、印刷技術が発明され、最近ではとてつもない記憶容量を持ち一瞬で計算のできるコンピュータや、世界中の人々がコミュニケーションできるインターネットが出現しました。


これらの発明による一番大きなメリットは、多くの人が力を合わせて何かができるようになったということだと思います。

原始時代は一人で何かをするしかなく、せいぜい近くにいる数人が力を合わせて狩りをすることくらいしかできなかったでしょう。

それが、文字や印刷技術が発明されたことで、知恵を広い範囲に広げることができ、且つ、保存が可能になったことで後世にも伝えることができるようになってきました。
多くの人が力を合わせることができるようになったことが進化を加速度的に速めていると思います。
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1,文明発達の条件というものがあると


思います。

まず農耕です。
定住生活をしないと文明は発達しません。
狩猟生活ではダメです。
つまり、農耕に適した土地が発達した訳です。
温暖で水が調達しやすい平地ですね。

農耕が盛んになって、人が集まり文字が生まれました。
世界最古の文字は、農作物を管理する必要に
応じて発明されたものです。
人が集まれば、統治が必要になり、法が作られます。
法には宗教も含まれます。
経済活動を活発化するため「銭」が発明されました。

こうやって古代における、先進国、後進国が形成
されました。

2,
古代の先進国は、既得権を持っている連中が抵抗するため
時代に合った変革が出来ず、段々とその力が衰えて
きます。
その間、
オスマントルコに押された西欧は、進むべき道を
海外に求め、植民地を大量に確保するとともに
民族意識が目覚め、国民国家樹立に成功して、
経済的軍事的強者になることができました。

中国、インドなどは、この国民国家化が進まず
大きな遅れをとったわけです。
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勿論学問的に立証された訳ではありませんが、最近文庫になった「銃・病原菌・鉄」と言う本はストレートにその疑問を追ったものです。



色々な例が挙げられていますが、他の文明の影響を受けずにいた16世紀までのポリネシアでも、他を侵略して支配する様になった島・種族と、そうならずに支配され滅びて行った島・種族があります。
そのきっかけは狩猟生活に留まるか農耕生活に移行したかで、農耕生活は同じ面積当たりの扶養人数が多くなり、政治や戦闘の専門家を養う余裕が社会に生ずる事が力の優越に繋がったと言う事でした。

文化的に優れているかは別にして、言語・文字・農業・馬・金属・銃と言った道具を得たかどうかと言う事が、力での衝突には大きな差となった様です。

また同じ道具を持ったイスラムに押されてアジアへの交易が難しくなった欧州が、新航路を求めて向かった米大陸で、病気に免疫を持たなく武器も原始的な現地人と遭遇したと言う僥倖もありました。
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気象・土壌・水利の違いです。

気象・土壌・水利に恵まれないと農耕は発展しません。

例えば、オーストラリアは日本の約20倍の面積がありますが、人口は1/6程度に過ぎません。人口密度で100倍以上違うことになります。どうして、それほど違うのか。それはオーストラリアが気象・土壌・水利に恵まれていないからです。オーストラリアは南東部のシドニー、メルボルン、アデレードといったあたりが温帯性気候ですが、他は熱帯雨林気候、熱帯性気候、砂漠性気候、亜熱帯性気候です。土壌は貧弱で肥えていません。また雨量も少なく河川の流量が乏しい。結果的に農業生産性が低いのです。

貿易が無かった時代は、人口は食料生産力に単純に比例します。アボリジ二は狩猟・採集民族で少なくとも4万年前から先住していましたが、白人が来島する時代の人口は約50万人と推定されています。現在のオーストラリアの人口は約2000万人といったところですから、1/40という計算になります。狩猟・採集はそれほど食料生産力が低いのです。

人口が少ないと文明を発展させる革新児が生まれる確率も小さいことになる。人口が約2000万人いれば100万年に一人の天才が20人生まれる計算になるが、50万人では0.5人にしかなりません。革新児が生まれても孤立して、実を結ぶまでに、絶えてしまいます。支援者も理解者も得られず孤立無援のまま、異端児として火あぶりにされて御仕舞いです。

食糧生産性が低いと、非生産的階層を養うことができずに、成員全員が食料調達(生産)に追われまくることになります。非生産的階層とは古代においては、学者、哲学者、医者、詩人、呪術家、占い師、芸術家、官僚、武人、宗教家、陶工といった階層です。実際は、それぞれの社会で異なるでしょうが、直接食糧生産に携わっていない職業をイメージしてもらえば良いかと。狩猟・採集民族は、こうした非生産的階層を養うことが不可能です。「俺は狩猟より、歌を歌うのが向いていると思うんだ」なんていったところで、「何寝言いってんだ。さっさと罠作りを手伝え」と親父にぶん殴られます。

非生産的階層こそが文明を発展させてきた原動力であり主体です。非生産的階層が育たずに文明を持った民族など存在しないのです。

また狩猟採集民族は、細かく部族が分かれたままで、大きな社会を形成することができません。アボリジニは言語が250、部族は700あったといわれています。誰が数えたか知りませんが、統一国家が存在しなかったことは確かです。どうしてそうなるのか。700の部族のどれもが主流となる力を持ちえず、求心力が生まれなかったからです。

社会化とは、階層分化であり、機能分担であり、権力集中の過程です。利害対立を解決するために集団は大きくなろうとします。集団が集団になるためには言語、慣習、規範、規則、単位を統一しなければならない。ところが狩猟採集民族は、そもそも利害対立が生じないのです。

共産主義者が夢想する原始共産社会とは、アボリジニのような社会です。

農耕民族はどうして文字を持つことができたか。どうして文字を持つ必要があったか。狩猟採集民族はどうして文字を持たなかったか。どうして文字を持つ必要が無かったか。

質問者さんが同じホモサピエンスであって知能等に差があるわけじゃありませんという自覚があるなら、質問者さん御自身で考えてみてください。
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ほいほい・・・補足を受けて回答



>もっと遡った根本原因は何なのでしょうか?
原始時代には人間はみんな呪術的でしたが、そこから自然科学的思考に進んだ人々と、呪術から抜け出ない人々の違いは何だったのでしょうか?

呪術的というのは、アミニズムのベースの深度もあるから、なんとも言えない
相違性だが、簡単にいえば、より欲望に忠実であることだろう

というのは、多くの宗教が強欲を戒め、清貧を尊ぶ
しかし、欲望を持つ人間は、もっと小賢しく・独占的でありたい、と思うものだろう。

欲望が宗教との距離を創造したことは、カルヴァンなどを見れば分かるだろうから仔細は述べないが、
 自然にただ畏怖するだけではなく、その自然に対してあるがままの自分を受け入れるのではなく、
自分たちを積極的に変化させることで、自然との関わりを変えようとした人間がいたからこそ・・ということだろう。
もっと言えば、欲望ある人間こそ偶発的発明・発見の機会を量的に確保できるだけの話でもあろう

自然科学は自然と相克する学問の視座もあるが、自然との関わり方を変化させることであろう

>まあ、先進国を自負する地域の人間でもしばしば疑似科学に引っかかったりする事もあるので、実はそういう部分に人間の本質の違いはあまりない気もしますが。

疑似科学は実は思考回路がお粗末な人間であれば誰でも起こり得る話であろう
同時に、空気を重視する日本人は、本質的には疑似科学の虜になりやすいし、事実、ABO血液による性格分類などは典型例だろう

>また人口にしても、原始時代ならどこにも同じように少数の集団が分布してただけだと思いますが、そこから人口を増やして国や社会を形成した集団とそうでない集団は何が違ったのでしょうか?

明確な回答は出来ない話ではあるが、小生は、原始的社会の集落の拡張は、単純に食糧問題と利水・気候などの地理的要素次第だと思う

まぁ。皮肉な話だが、集団を形成するためには、コアになる宗教・習俗が必要になるのだが・・・


なお、農耕云々という回答者は、単なる農耕社会の視座しかない視野狭窄の部類でしかない。
というか、そういうレベルの人間が未だにいるのが、日本の程度の低さだろう。欧州社会で文明論で農耕云々など指摘していれば、馬鹿にされるのだからw

農耕でなくても、十分に人口扶養力があれば、社会はなせるのである


以上
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これは興味深いテーマであるにもかかわらず、まだ定説らしきものは確定していないと思います。



確かに、「何万年も昔には人類皆が等しく原始人だった」にもかかわらず、地球上の一部の地域だけで文明化が進み、他の地域では文明化が遅れたり、さほど文明化が進まなかったりという差異が認められますよね。

こうした差異というのは、私としては、実はそれぞれの地域がいつの時点で《文字》による思考を開始したかの差異でしかないと考えております。

それは、「今でも原始時代みたいな暮らし」をしている地域の人々が音声言語しか持たないこと、文字(書記)言語を持たないという事実からしても明らかです。
そして、地球上で最初に《国家》を成立させた地域では、例外なく文字言語を有し、これが人間の思考を加速度的に進化させ、環境社会の活用・利用・支配を促進させ、さらには《国家》という圧倒的多数の人民を支配するための政治システムを生み出したと考えられます。

一方、音声言語段階にとどまっている地域では、たとえどんなに優れた思考や情報が生み出されたにせよ、それは一回的な現象でしかなく、それが多くの人々に共有されたり、保存・伝達・進化していくこと、つまり文明化はあり得なかったということです。

なお、文字言語の発明によっていち早く古代文明国家が誕生した点では、たとえばギリシャと中国ではさほど大きな差異がないのに、どうしてギリシャを中心とするヨーロッパでいち早く加速度的な文明化が起こり得て、中国ではそれが起こり得なかったのか?となると、その謎を解明する手掛かりも、やはり両者の文字の根本的な差異に潜んでいると考えしかないと思います。

すなわち、ギリシャ人が《音節文字》であったフェニキア文字をもとにアルファベットという音声文字を発明したという歴史的事実が意味するのは、実は《世界》をα~ωというわずか25字の《表音文字》でもって表現・支配することを可能にしたということにほかなりません。

一方、同じ文字でも、《表語文字》の漢字の場合、世界を表現・支配するには、個別のモノ・コト毎に違う文字を発明したり、かつそれらを記憶したりする必要が生じますよね。
ところが、世界を細分化すればするほど、新たな文字を生み出さなければならなくなり、中国の場合、こうして人々は思考(環境世界の活用・利用)の道具・手段として文字を使用するどころか、無数の文字の奴隷にならざるを得なくなったわけです。

アルファベットと漢字との最大の差異とは、前者が人間に抽象的な思考力を可能にしたのに対して、後者は人間にいつまでも具象的な思考を強いる、つまり思考が個別・具体的なモノ・コトに貼り付いたままであるという違いだと言えます。

羅針盤、印刷術、火薬という、もともと中国で発明され、しかもいずれも文明化のためには最強であり得たはずの道具・手段が、実際にはいったんヨーロッパに伝播し、そこでアルファベット(表音文字)の洗礼を受け、はじめて汎用的な道具・手段として全世界に普及した所以です。

ということで、ヨーロッパで文明化がいち早く進んだのは、ほかでもなく、ヨーロッパだけが人間の思考(言語・世界)を最も単純な《表音文字》をもって記号化し得たからであると結論するしかありません。
と言うか、文明化を推進したと思しき、これ以外の要因らしきものにしても、すべては《表音文字》による思考からの派生的、二次的な産物にすぎないと考えられます。
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