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前々から思ってた事ですが、

「邪馬台国」は「やまたいこく」と呼ぶのではなく
「やまと(大和)の国」=大和政権、
「卑弥呼」は「ひみこ」ではなく、漢文的に「ひめ(姫)と呼ばれていた」
=女帝の1人とは考えられないのでしょうか?

「魏志倭人伝」で地理や年代の記述が合わないと言われてますが、
中国はまだ三国騒乱の時代で、どこまで辺境の日本の事を
構っていられたか分りませんし、
当時の中国人にとって行った事もない日本の地理が
どこまで正確だったのかも分りません。

邪馬台国がその後の大和政権に繋がったと考えるのはナンセンスなのでしょうか?

A 回答 (12件中11~12件)

日本書紀の編纂段階で卑弥呼を神功皇后に擬定していますし、邪馬台を「やまと」と読むのは邪馬台国畿内説ではきわめてオーソドックスな説です。

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>邪馬台国がその後の大和政権に繋がったと考えるのはナンセンスなのでしょうか?


そんなことはないと思います。畿内説を支持している人は、専門家でもそう考えている人は多いのではないでしょうか。

私も「邪馬台国」を「やまたいこく」、「卑弥呼」を「ひみこ」と呼ぶかどうかは疑わしいと考えています。もちろん、「絶対違う」という確信があるわけではありません。あくまで可能性ですが、違ったかもしれないという程度です。「倭」にしたってそうですよね。
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この回答へのお礼

そもそも「邪馬」とか「卑弥」とか「倭」とかって
中国が日本を見下したような表現に見えるんですけどね。

魏志倭人伝って案外いい加減に書かれたものかも知れませんね。

お礼日時:2012/07/22 12:41

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