電子書籍の厳選無料作品が豊富!

日本人がノーベル経済学賞を獲れないのは、なぜでしょうか?

A 回答 (6件)

 簡単に言いますと、日本の学問は「モデル作り」のない学問スタイルともいえます。

個別の事象に対応する能力はあるものの、そこから取り出した原型とも呼びうる性質の部分、コアの部分に対する分析視角を削がれている状態です。
 経済学といえば政治学や社会学と並んで、時の政権や政治組織に対し「一言もの申す」役割を有しています(学問の祖国ヨーロッパでの位置付け)。つまり一朝一夕には答の出せない理論体系の構築を意味することになります。
 けれども悲しいことに日本での学問の姿と言えば、「すぐ役に立つもの」が優先されるあまり基礎科学分野には余り日の当たることがないというのが本音です。それはある意味アメリカ的でもあり、他の回答者様が仰る戦後の経済成長も、元はと言えばドッジ・プランやシャウプ勧告によるアメリカン・スタイルをそのまま実験的に持ち込んだだけの結果です。そこには独自性など観られません。また戦後一貫して日本経済が右肩上がりでここまで来た。との見解にも事実誤認があり、所謂「プラザ合意」基づく固定相場制から変動相場制への移行に象徴されるドルショックや第一次オイルショックによる日本経済の停滞を説明することができなくなります。
 経済学での「モデル」で想起される人物としてアダム・スミスもいれば、カール・マルクスやケインズなどの名前が直ちに出て来ることも確かです。彼らの共通点は体系化されたモデルを示し得たことであり、それは社会や国家のあり方にまで及ぶ壮大なスケールです。バブル以前に評価されていたシュンペーターの景気循環論では最早説得力のある説明をすることができなくなっています。
 こうした風景を見ていますと、「日本」が持つ文化的特質が背景にあるとも考えることもできます。明治維新以前は中国であり、明治維新以後は西欧といった具合に「どこからかアイデアを移入し、それを翻訳することで定着させてきた」と呼びうるのが日本の文化を形作る根幹にあるといっても過言ではないでしょう。逆に日本から輸出して海外に定着した文化があるかと問われれば、どうしても疑問符が付いてしまいます。浮世絵や現在のクール・ジャポンに象徴されるアニメなど個別の事例を指しているのではなく、「価値観としての日本文化」の問題です。
 明治維新以前ならば、それは仏教であり儒教もあるでしょう。そして近代以後ならばキリスト教や人権思想などといった「規範を支え構築する根幹の部分」は全て移入・翻訳です。オリジナルではありません。オリジナルを持つことができないということは自らを自らの言葉で語ることができないとの意味になります。従って、将来的にも日本人にはノーベル経済学賞の受賞は不可能との結論になります、残念ながら。 
    • good
    • 0

経済の仕組みが違うからでしょう。


日本は半鎖国状態そんな国の経済を見ていたのでは、
世界に通用する、新しい理論は打ち立てられない。

米国イギリス、スエーデンは開かれた社会です。
    • good
    • 0

アカデミックなことはよくわかりませんが、思いつくのは


1.日本では、天才や大秀才は経済学部に進学しない。また経済学部は「猫より暇」とか「パラダイス」と呼ばれ、勉強より遊びにふける学生が多かった(昔の話ですが)。
2.優秀な学生でも銀行や公務員に進む者が多く、大学院に進む者は少ない。
3.背景として、経済学の地位が社会の中で確立されていない。
4.英米の学術誌に英語の論文で書いたものだけが評価される。受賞者はほとんどアメリカ人。
5.評価されるのは数理経済学に偏っており、現実の経済問題と乖離している。
など。

平和に貢献した人に平和賞を与えられるなら、世界に前例のない高度成長を実現し、アジア諸国の模範にもなった戦後から1980年代までの日本経済を設計した人が経済学賞を受賞してもおかしくなかったと思いますけどね。
    • good
    • 0

不景気になってからまだ20年くらいしかたっていないから。



経済学ってのは、経済の不調に対する処方箋を一般理論化したもの。
というように、私は理解しています。

日本になぜ偉大な経済学者が生まれないのか?
というのを、20年以上前に読んだことがあります。著者は忘れましたが、その理由付けが面白くて覚えております。
経済学者は、成熟した経済状態を分析することから理論を作り出す。
だから、成熟した経済を経験した国で育たないと、偉大な経済学者は生まれない。
という、説明で、「経済大国第二位になった日本から偉大な経済学者が生まれるのはこれからだ、特に、近代経済学とマルクス経済学の両方をやっているのは日本くらいだから、可能性は高い」
なんてことでした、道具立ては揃っている、あとは課題の抽出だとのこと。

ということで、失われた20年がこれから偉大な日本人経済学者を生み出すかもしれません。
    • good
    • 0

 「経済学賞」といっても実質は「経営工学賞」との色彩が強い性質のものですから、フリードマンやハイエクの様なマネタリストが受賞することができても、ガルブレイスやレスター・サローの様に「社会科学としての経済学」にスタンスを置く人物が受賞してないことも明らかです。

近年でも97年のマートン・ショールズの受賞はデリバティブ理論とコンピュータ工学からの実証であり、「経済学」からみての「全人類に多大な貢献をした人物の顕彰」にはほど遠いなどの批判もあります。
 強いて「受賞に相応しい適格性を有する人物」を挙げるならば、アマルティア・センくらいでしょうね。もし日本で該当する人物がいたとしたら、都留重人や大塚久雄そして丸山眞男くらいの名前しか思い浮かびません。丸山眞男は政治学者ですが、かつてはエリノア・オストロムの受賞事例もありますから。今後の可能性があるならばロバート・ライシュやジョバンニ・アリギといった社会科学の王道を行く人達でしょうね。そろそろマネーキャピタリズムそのものに翳りが見え始めていますから、その分岐点に立ってこれまでをどう総括しどの様な未来像を示すことができるかが社会科学全体に問われていますから。
 現在の日本の「経済学者」を称する研究者にはこの様な視座を持つ人がいるとお考えですか?。

この回答への補足

私は経済学は専門的に学んだことが無いので分かりません。
ただ単純に、(素人考えで) 
なぜ日本人が経済学賞を受賞できないのだろうか? 
と思っただけです。

でも誠実で丁寧なご回答ありがとうございました。

補足日時:2012/10/10 09:38
    • good
    • 1

ノーベル経済学賞を受賞しても、株で破産したり、大変ですね。



資本主義経済の矛盾、問題点を研究すると、社会主義の方向に向かうので、ノーベル財団は、経済学賞をだしません。

ノーベル賞の限界でしょう。

ノーベル賞でも、ノーベル平和賞、ノーベル文学賞の受賞者のなかに、社会主義に寛容な人々、戦闘的民主主義者がいます。

社会科学の分野は、階級対立があり、南北問題、植民地と宗主国の経済格差があります。

リーマンショックで、どれだけの富(信用)が、蒸発したか?バブルとは、庶民にとって残酷ですが、リーマンショックを、税金で支

援される巨大資本にとっては、稼ぎ時です。

そして、戦争、こんなおいしい話はありません。この秘密をあばく人に、ノーベル賞は、あげられませんね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!