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そんなのあるわけないですが…。

皆さんは、身近な人に訪れた死をどうやって受け入れたでしょうか?
今祖父は末期がんで、余命幾ばくもありません(医師の余命の予想をとっくに越しています)。
とうとう何も食べれず、痛み止めを打ってはどうにかなっている状態です。
今週末、その祖父に会いに行きます。私は東京・祖父は奈良、仕事も夫もあるので、きっと最後の面会になると思います。
今でこそ年に1・2回しか会えませんが、子供の頃は大阪に住んでいたので
よく家族でも1人でも泊まりに行ってよく遊んでもらった大好きな尊敬する祖父です。

私は26歳にもなって幸いにも祖父母が全員生きていて、友達や近い親類を亡くした事がありません。
だからこの年になって、人の死と言うものを知りません。
亡くなったら、母(祖父は母方です)や祖母を支えてやらなくてはならない!とは思っているのですが、
私が精神的に崩れてしまいそうです。今回会いに行くのも
「最後に顔見せに行くなんて嫌だ…帰るとき、笑顔で別れられない」なんて子供のような事を言ってます。

突然来る死も辛いでしょうが、次会うのが最後、と思ってすごすのも辛くて仕方ありません。
なくなったときのことを考えると、今から涙が出ます。

どうやって祖父を元気付けて笑顔で帰ってくるか?
いざ亡くなった時、どうやって受け入れようか?
経験談でよいので、こんな人の死もわからない半人前な私に、アドバイスをください。(宗教的な話は勘弁してください)
#やっぱり26にもなって人の死が怖いなんて、半人前ですよね…

A 回答 (15件中1~10件)

半人前なんて事は全くありませんよ。

私も25あたりから身近な人の死を何度か経験していますが、決して慣れる事なんてありませんよ。でも悲しみから逃れるのは上手くなったかもしれません。
5年前に父をなくした時、特に棺おけに入った父を見たときは正直狂いそうになりました。その時祖母(父の母)が一生懸命慰めてくれて何とか正気を取り戻しました。その祖母はそのお葬式の3日後に心臓発作で亡くなりました。そしてその半年後に私の第二の母とも言える人が事故で亡くなりました。

とても抽象的な表現になりますが、そんな悲しい場面に遭遇した時私は心のドア締めて鍵をかけました。
特に父の死は忘れる事はありません。忘れるというよりフタをしているのだな、と思います。何かの拍子で時折フタが外れそうになりますが、慌ててフタを締めている自分がいます。

それは私に限らず人間に自然に備わっているものだと思います。自己防衛とでもいうんでしょうか。とてつもない悲しみから自分を守る本能だと思います。

確かに死を目前とされている方に会うのはとても辛いです。でも、大好きな人の為にその時は必死で笑顔を見せてあげてほしいと思います。

人間例外なく誰でもいつかは死ぬんだから、お父さんもおばあちゃんも寂しくないよね、きっと。って私はお墓参りに行く度に自分に言い聞かせてます。

それに悲しいのは自分だけじゃないんですから、生きている周りの人と助け合って乗り越えていけるはずです。
言葉知らずなので、がんばってとしか言えません。
がんばって元気を出してください。長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

立て続けに悲しい経験をされたんですね。「蓋をする」わかるようなわからないような…きっとその時が来たらそういう事を自然にできるんでしょうね。本能、と信じます。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/10 17:32

今現在、私自身、同じような立場におります。


近くに住んでいる義母が胃癌で余命半年(悪く見積もれば三ヶ月)と診断を下されています。
今年の桜が見られるか微妙な感じです。
今は退院して自宅で過ごしていますが、会う度に痩せて声に力がなくなっていく義母を見るのが辛くてなりません。

愛する人、親しい人の「死」に臨む痛み、そして恐怖感に年齢は関係ないと思います。
近所で70を過ぎた方が90を過ぎた母親の死に棺に取りすがって号泣しているのを見たことがあります。

私の主人も50近いですが、母の今の状況に毎日気も狂わんばかりの状態です。医師の宣言にも関わらず、民間療法の施術を行うところ、ラドン温泉などに週末ごとに義母を連れて行っています。いいと思われることはすべてしているようです。イライラして怒りっぽくそして涙もろくなってますので(尋常ではありません)こちらとしても毎日正直しんどいです。が、その最後の日まで、納得できる道を模索し続け、親子で戦い続けることを選びましたのでそれは最大限尊重しようと思っています。亡くなった時に、後悔が残らないように・・・

こういう言い方はお気に障るかもしれませんが、「純粋に悲しむ」ことの出来る立場というのはうらやましいです。
自分の場合は、相手が普段の生活と切り離すことが出来ないくらい近くに住んでる上、「嫁」としてやらねばならぬことが山積してそれに忙殺されていますので、悲しむということだけに没頭することは決して出来ないのです。私に本当の娘のように接してくれる尊敬できるやさしい人なのですけれども・・・

どうぞ、病院にお爺様を見舞われたら、笑顔と元気な姿を見せてあげてください。足をさするのははとても気持ちがいいらしいので、是非やってあげて下さい。
(これは経験者の友人に勧められました)

最後かもしれないと思っても後ろ向きにならずに、その一回のお見舞いに心をこめて訪れることを考えて下さい。どうかお爺様と少しでも笑顔を交わす時間が持てますように。

この回答への補足

たくさんの回答ありがとうございました。
みなさんの回答を読んでいて、涙が出そうな反面、安心と言うか笑顔になれた気がします。やはり経験談を聞くって大事ですね。
ここまで親身になって頂くと、なんだか報告しなきゃいけないなぁと思うので、まだ締め切らず週明けにでもどこかに事後報告いたします。しばしお待ちを。

補足日時:2004/02/11 00:55
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この回答へのお礼

私はまだ新婚なので全然わからないんですが、やはり義母さんでもそういうのってあるのですね。父も自分の親ではないのに、一生懸命に暇を見つけては顔を見せに行き、アガリクスを買ってきて送ったりしていました。「末期だけどやれることはやる!」同じです。体が弱く、足が不自由な祖母も「寿命はどうしようもないんだから、一日一日大事に過ごすの。だから毎日病院に行ってるんだ」と話してました。毎日タクシーで朝から晩まで。
私もその気持ちを見習おうって思いました。楽しく見舞ってきます。ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:55

お気持ち、お察しします。



私は昨年夏に父を亡くしました。
余命半年を宣告されてから、三年半がんばってくれました。
亡くなる1週間前からは、ほとんど意識もない状態でしたが
不思議と私の子供たちが「じいちゃん、来たよ」と声をかけると
目を開けて、にっこりほほえんでいました。

かわいがっている孫が来てくれるだけでも、おじいさまは喜んでくれると思いますよ。
無理に笑顔をつくらなくても、元気付けなくても、自然に振舞うのが一番です。

父が亡くなってからは、お通夜、葬式に忙殺されたのと
「お母さんをよろしくね、ささえてあげて」のみなさんの言葉のおかげで
自分でも驚くくらい、冷静に振舞っていました。
でも大晦日、出来上がった御節料理をお仏壇に供えに行ったとき
30分以上、泣いて泣いて、泣き倒しました。
あんなに泣いたのは、父が亡くなって以来、初めてでした。
母が出かけていて、留守だったせいもあったかもしれません。
もう二度と、おせちも食べてもらえないんだ、死ぬってそういうことなんだ、と思いました。

これで少しは父の死を受け入れたのかな、と今になって思っています。
死を受け入れるって、いないことに慣れることなのかもしれませんね。

なんの参考にもなりませんが、30を半ばもすぎて母親になっていたって
こんなのもいるよってことで。

この回答への補足

書くところがなくて・・・ここに報告します。
その週末、会いに行って来ました。楽しかったし、会ってよかったと思えました。別れる時泣きそうになったけど「また来よう」と祖父の前では笑顔で、病室を出てから泣いてしまいました。
それから1週間、祖父は亡くなりました。私達に会って思い残すことがなくなり、頑張っていた糸が切れたようです。
間際に会いに行けたのは本当に良かったと思います。皆さん言われるよう、忙しさに忙殺され(母は一人娘なので私達は孫でもやることがたくさんでした)悲しんでは走り回って・・・の葬儀でした。
遠くに住んでいるので、東京に戻った今でも実感がないけど、残された祖母を寂しくさせないよう出来るだけ頑張ろう!と思っています。
みなさまありがとうございました。皆さんにポイント発行したいところですが、泣く泣く厳選させていただきます。
(上記の事情で、締切りが遅くなってすみませんでした。)

補足日時:2004/02/27 18:31
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この回答へのお礼

遅れて号泣ってこともあるんですね。
行く事が決まってから、祖父はたいそう楽しみに待ってくれているようです。元気な姿を見せてきます。
「また来るよ」って言ったら、孫パワーで本当にまた行く時まで長生きしてくれるかな?なんて。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:50

無理に受け入れる必要なんて無いのじゃないかな?



僕も同じ位の年齢の時に立て続けに祖父母3人を見送りました。やっと恩返しが出来るかな?と思えるようになった頃だったので、納得いきませんで、なんだか夢を見ているような感じでした。ですから、当時の記憶はとても曖昧です。

でも、時間が経つに連れ、楽しかった思い出や叱られたり怒られた思い出など全部ひっくるめて愛しい想い出に変わっていきました。

僕はこうやって身近な人の死を少しずつ受け入れてきたように思います。
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この回答へのお礼

私もやっと恩返ししたいし、昨年結婚したので、「曾孫を見せてあげたかった…」という気持ちがすごくあります。夢を見ている…結局そうなるんだろうな、と思います。徐々に受け入れるようになっていくんでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:47

お気持ちお察し致します。


普通にお見舞いすればいいと思います。
あなたの元気な姿を見てもらえばいいと思います。
おじいさまは、あなたの一日の楽しかった出来事とかの話がききたいのではないでしょうか。
あまり悪いことは意識しないで、あなたの前向きな姿勢を見てもらった方がいいですよ。
心の中では、一日でも、一秒でも長生きできる事を祈って。
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この回答へのお礼

きっとそういう他愛もない面会が一番なんでしょうね。今更ながら、この距離が恨めしいです。
でもその分、大切な時間をすごしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:45

こんにちは。


私も3年前になりますが、祖母を癌で亡くしました。
とても我慢強い人だったので、体の調子が悪いと訴えて入院したときには既に手遅れで
1ヵ月後にこの世を去りました。
近くに入院していたので、主人に「後悔のないように毎日会いに行け」と言われて毎日会いに行きました。
私の場合は、ただ会いに行くのに一生懸命で
受け入れるも何もなかったです。

亡くなったときはさすがに悲しく、今でも思い出すと寂しくなりますが
ヘンな言い方になりますけど、「お葬式」があったのでちょっと冷静になれた気がします。
お通夜とお葬式の間はひたすら泣いていました。
でもそこでたくさん泣いた分だけちゃんと死というものを受け入れられた感じです。

無理に笑顔で元気付ける必要はありませんよ。
いつか死ぬとわかっていても、会うと不思議に自然と笑顔になれるものです。
なぜかというと、大好きな人だから。
その気持ちを大切にしてください。
それだけあれば乗り越えられると思います。
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この回答へのお礼

やはりお葬式って冷静になる為に必要なものなんですね。私もひたすら泣いてそうで、でも母と祖母を考えると泣けないし…と不安でいっぱいです。

>いつか死ぬとわかっていても、会うと不思議に自然と笑顔になれるものです。
>なぜかというと、大好きな人だから。
なんかそういう気になってきました。元気が出てきました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/02/11 00:44

答えになっているか分かりませんが‥



祖父が亡くなり5年になります。
不思議なもので、今だ亡くなったという実感はありません。
祖父の姿を目の前にしてもです。

会えなくなって何年になるかな、といった感じです。
その内長く年が過ぎれば実感が沸くのかもしれませんが、
その頃に、死を乗り越えているような気がします。

今思うほど、悲しいものではないですよ。
その時になれば自分の中で、生き続けているという言葉が、
実感として分かるはずです。
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この回答へのお礼

年に1・2回しか今でも会ってないのですから、いざとなれば実感がないのかもしれません。ただ、その前に会いに行くのが怖い…という弱音を吐いてます。
でも仕方ないですよね。がんばっていってきます。ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:42

心中、お察し致します。



おじいさんは、ご自身の病状をご存知なのでしょうか?
仮に知らなかったとしても、ある程度予感されてはいませんでしょうか?

そうした状況の中、自分の回復を心から祈ってくれる人がいること、もしもの時には心底悲しんでくれる人がいることは、うれしいことではないでしょうか。

おじいさんの前で、涙を見せてもいいのではないでしょうか?
「元気になって欲しい!」
「また来るから元気でいてね」
こう言いながら、決して最後なんて意識しないで会ってあげて下さい。

そして、もしもの時です。
小さい時から可愛がってくれた私の叔父が亡くなった時の話です。

涙の止まらない叔母、これで3人の息子に先立たれた祖母、身内は当然ながら悲しみに暮れていました。

その時、私はy_thundersさんと同じように、誰かがしっかりして、いろいろな気遣いをして支えていく人間が必要だと感じたのです。

「自分がやらなきゃ」と考えました。
悲しさや死を受け入れることを考える余裕がなくなりました。

y_thundersさんも、もしもの時は今何が必要か、自分にできることは何かを考えてみて下さい。
悲しみを紛らわすことにつながると思います。

気持ちを整理して死を受け入れるなんて、そんな器用なマネ、私にはできません。
ですが、紛らわすことぐらいはできたと思ってます。

人が亡くなると、葬儀の他いろいろと忙しくなるものです。
悲しみを紛らわす、昔の人の知恵かもしれないと感じました。

お役に立てる内容ではないかもしれませんが、少しでもご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

祖父は大腸がんなことはわかっているし、何か食べれば腸閉塞な日々なので、もう残り少ないのはわかっています。やっぱり本人が一番わかってるんですよね。
確かに、母は一人娘で(母の弟は事故で亡くなっているので)いざと言う時は、私がしっかりしなくては体の弱い母は倒れてしまう…そう思っていれば、気がまぎれるのかもしれません。ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:40

人の死というものは得てしてこれから自分に訪れる死を考える事でもあります。


おじいちゃんの一生を考えて見ましょうよ。
戦争を経験して結婚して子供が出来てそしてあなた達が生まれてきた。
そうしておじいちゃんの事を考えてくれる良い孫に恵まれて良かったじゃないですか。
おじいちゃんはそれだけでも幸せなはずですよ。

あなたが死を受け入れるより前におじいちゃんが逝く時に良い家族に恵まれて良かったと思ってもらう方が先決ですよ。
今あなたが出来る事をしておじいちゃんが亡くなった時におじいちゃんは幸せに死んでいったと思うようにしていけば少しは気は楽だと思います。

あなたが会いに行きたくないなんておじいちゃんは喜びますか?
つらくてもおじいちゃんの手を握りおじいちゃんの温もりを覚えて下さい。
おじいちゃんの生きてきた証があなたなんですよ。
ベッドで寝ているから何もして上げられる事はないなんて言わないで下さい。
タオルで顔を拭いてあげるだけでもおじいちゃんは幸せですよ。

人の死を受け入れる事は辛く大変な事です。
でも忘れる事はないです。
今からでもおじいちゃんを囲んで昔の話をしましょうよ。
とにかくおじいちゃんとの事を話しましょう。
それはこれからあなたの大事な思い出になっていくものでもあるので。

亡くなったら触る事もあなたの声も聞かせることはできないんですからおじいちゃんがいたから貴方がいるんです。
感謝しましょう。
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この回答へのお礼

>亡くなったら触る事もあなたの声も聞かせることはできないんですからおじいちゃんがいたから貴方がいるんです。
そっか…思い出は残るけど、触れなくなってしまうんですね。
そういえば、一緒にお風呂に入らなくなってからあまり触れていないかもしれません。
祖父の温もりも思い出せるよう、しっかり見舞ってきます。ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/11 00:36

私には病院に入院して、あと一週間の命と言われた祖母がいます。

結局4年たった今でもまだ生きていますが、いつそのときがくるかと考えると、毎回会うときは「これが最後になるのではないか」と考えてしまいます。

はっきりいってあと一週間と言われて会いに行ったときは、悲しくて笑顔にはなれませんでした。でも、祖父を事故で亡くしたときに比べると、言いたいことを言え、最後になるかもしれないけど会うことができるという状況は、つらいですが恵まれていると思います。

無理に笑顔でいるよりも、思いっきり泣いて素直な気持ちを伝えることの方がよいと思います。気持ちを整理するのはその後でよいのではないでしょうか。

アドバイスになればよいのですが…。がんばってください。
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この回答へのお礼

まだ、たとえあと1回でも会えるだけ幸せなんですね。それを噛み締めて会って来ます。笑顔か涙かは、なるようにしかならないですね。涙もろいし…。
死を待つ同じ境遇、共に頑張りましょう。ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/10 17:23

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