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yahoo知恵袋だと、回答者一人ひとりにお礼や補足ができないので、こちらでも質問させてもらいます。

体罰肯定派の方だけお答えください。
体罰を行う時に、拳や竹刀等で人を叩く行為と、
体罰を行う時に、刃物をちらつかせる行為の
違いは?

A 回答 (10件)

後者はそもそも"体罰"ではないですよね。


刃物をちらつかせるのは脅迫罪です。

"体罰"というのは飽くまでも"指導方法の一つ"です。
最近毎日のように同じ内容を繰り返してニュースにしている
某部活顧問のアレは"体罰"ではなくただの暴行です。

この回答への補足

脅迫(きょうはく)とは目的の如何を問わず、相手を脅し威嚇する行為をいう。

脅迫罪(きょうはくざい)とは、相手を畏怖させることにより成立する犯罪のこと。

教師が拳で威嚇し畏怖した生徒。よくある風景でしょうが、指導ですよね。

補足日時:2013/01/18 18:37
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この回答へのお礼

あなたの指導方法の1つである、体罰とは具体的に何ですか?
例えば、正座ですか?ビンタですか?

刃物は脅迫なのは、分かりますが、
「次やったら、尻バットだぞ」とか、
「止めなさい」と言って拳や竹刀を振り上げる、
なども、脅迫ではないですか?

お礼日時:2013/01/16 18:12

一応肯定派だけど、この質問と、肯定派と、どんな関係があるのか答える気にもならない。

この回答への補足

ライト× ラインです。

補足日時:2013/01/16 18:57
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この回答へのお礼

知識が少ない私は、
肯定派の人は、口で言ってもわからないからと言う理由で、
自分の弁や説得力のなさを棚あげ、相手を痛みや、恐怖心で懲らしめようとするように感じたからです。
痛みを与えようとする道具にこれはいいが、これはだめみたいな屁理屈的なライトがあるのかな?と思いまして、、、。

お礼日時:2013/01/16 18:30

 加減次第もあるけどね。



 拳などは「痛み」ですけど、刃物は斬りつける。死ぬ確立は刃物が上でしょう。

 拳などは受け止めることも出来るし、拳は殴った人も痛いです。竹刀も刃物に近いので、痛みが無い。する側に痛みが無い。

 体罰も、する方も結構痛みを感じたり、気持ちが良い物ではないです。しかし、言葉ではどうしても伝わらない部分が体罰として痛みとして伝えます。その痛みを切っ掛けとして上手に言葉で指導出来れば良いのですが、それが出来ないと虐待だけになるんです。


 子供達が問題行動を起こしているときに「やめなさいよ」と言っているだけの親と、自ら体を動かし、静止させるのとではどちらが良いかな?
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この回答へのお礼

あなたの加減と私の加減は違います。

拳や蹴りはやる方も痛みがあるので、多少はOK。
正座やモミアゲを引っ張るはやる方に痛みがないのでNG。
ですか?

あなたのラインはそこですか。

自ら体を動かして、静止させるほうがいいと思いますが、
体を動かしてはいけないのですか?読解力が悪くてすいません。

お礼日時:2013/01/16 18:55

竹刀という「武器」の一種で叩くことはまずありませんし,ましてヤクザじゃあるまいし殺傷力のある「刃物」をちらつかせることは絶対にありません。

こういう文言がでてくるところに,あなたの認識不足というか偏見があるんですね。

No.3の方も書かれていますが,教師と生徒の「肉体のぶつかりあい」である拳固や平手が最終レベルです。ふつうはそこまではいかず,正座とか「立ってろ!」でしょうね。

なお,こういう体罰を受けたとき,家で親にはいいませんでした。親からも一発くらう結果になりますのでね 笑。どうせ保護者面談でばれますが,親は「うちの馬鹿がご迷惑をおかけしました」と謝ったものです。

この回答への補足

あなたは、17日の夕方の書き込みを自ら削除したのですか?
私はあなたに対してお礼のメッセージを紳士的な言葉で送りたかったんですが、、、。

補足日時:2013/01/17 20:26
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この回答へのお礼

私は30代後半ですが、高校の先生で竹刀の切れ端をいつも持っていた先生がいました。私自体その竹刀の切れ端で何回も叩かれました。
叩かれるのが嫌だから、学校内ではいい子ぶる女子もいました。
認識不足、偏見、ではなく事実ですが、なぜあなたは、私に認識不足、偏見と言ったのですか?

拳や平手が最終レベルって、某国のまずは対話だか最終レベルは核兵器だぞって、言ってるみたいなんだけど。

No3さんも言ってるでしょ、立ってろや正座は、指示した本人は痛くないから、いけないって。あなたは、No3さんの意見をまったくわかっていない認識不足か偏見があるんじゃないですか?

親に言わないより、自分のやった体罰の後ろめたさから、校長や教育委員に報告しない人はどうなんでしょう。
まあ、世間にしれた時は「認識不足で」とか「報告するのを忘れていました」とか言って謝るでしょうね。

お礼日時:2013/01/16 21:57

加減次第で賛成なんだけど、1980年台はそんな事が多々在りましたけど、誰も問題にしませんでした。



殴られる生徒は“ヤバい、やってしまった、これは仕方ない”と思い

殴る教員は“確かに殴った”でも手加減をしていたり、後のフォローをしっかりしていたから教員は尊敬されていた。


しかし現状では付け上がる生徒、叱り方も知らない(手加減を知らない)教員の存在で行き過ぎる所が多々在ります。

此れを最も広い目で見ると、テストの点数が良いから採用しており、素行は全く見ていない各行政の責任でもあると思います。(ハレンチ教員の存在等)

本題ですが、生徒は学校に授業を目の上の方に教わりに来るわけですから、態度が悪い生徒にはある程度の罰則は必要かと思います。
しかし、その線引きを解らない教員が叱ってはいけない。

これが私の意見です。
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この回答へのお礼

私が学生だった80年代でも、叩かれて鼓膜が破れた人もいましたが、誰も問題にしなかった訳ではないと思います。他校の話でも、手加減を知らずに鼓膜を破ったって話はよく聞きました。
私は福岡の学校に行っていましたが、手加減を知らない教師がいたのは福岡だけだったんでしょうね。


罰則とは、停学とかですか?

お礼日時:2013/01/17 16:55

No.3です。



 ラインを決めるのは正直変動制なので決められません。いままでここまで耐えられたと思ってすると、耐えられなかったりします。加減するにも難しいです。

 私の子供の頃には、厳しいが基本だったのです。子供同士での喧嘩。異学年同士の関わり方など結構ありました。しかし、今は親は甘くなり、子供同士の喧嘩もしてはだめ。同学年同士しか関わらないような状態に成り、上下関係とか厳しさが失われました。大人達は厳しいという事が基本だったので、その感覚があり、それで行います。しかし、今の子供達が思って居たより軟弱ということが分からないと、度を超した状態になってしまうのです。
 ちょっとしたことで挫ける。踏ん張りが利かないなど。

 私には子供が居ます。二人とも問題を抱えています。体罰を与えたこともあります。
 でも、子供が理解すれば、それ以上行いません。切っ掛けですね。言葉で理解させるにしても、時間がかかります。危険を教えるにしても、痛みを伴った経験がないと、まずきょとんとして理解しません。しかし、他の事でも良いので痛い経験をすれば、そこから想像し理解し、子供自ら理解し収まります。

 困難にぶつかって、昔はなにくそと思いながら立ち向かう力があった。今は、困難にぶつかった。自分は悪くない。誰かが悪いんだという他者に責任を押しつける形で自我を保とうとします。もともと弱いプライドなので、簡単にへし折れて、自殺とかに向かいます。それと、甘え方を知らないのかなと。
 これは親もそうなのですが、子供と親との関係で子供が上手に甘えることが出来れば、危険が有れば誰かを頼るという行動を起こします。でも、甘え方が苦手な場合、それをしないで自分で何とかしようとかんがえ、正しい決断が出来ない事もあるみたいです。 

 高校生となると大人扱いに成ってきます。厳しくするのが当然という形もあります。だから加減を誤ることも多くなりますね。でも、今回の事件でも生徒がよわくなったなと感じます。先生に逆らう力がないのかなと。私の時なんて、担任が馬鹿なことを言い出した途端に一斉にブーイングを行いましたよ。一斉に来られたのでたじたじになっていたからね。先生の数と先生の数。先生の数が少ないのになぜ負ける?
 言葉だけで止められるのなら、保護者が伝えたことで止まるのでは?でも止まらなかったのでしょう?
不思議だよね。別の力が必要だと言う事だよね。

 私はしっかりと関係を作れたら体罰の頻度は減ると思います。でも、関係が出来ない。子供自身の自分に対する甘えなどもあると、減らすことより増えることになりますから。

 体罰もいじめも根本的に解決しません。かならず対立するのですから。自分を勝つために。でも、されたときに対処する部分を強化することは出来ますから。
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この回答へのお礼

あなたのご意見は、とても正当性があると私は思います。
また、あなたは体罰肯定派じゃないいと、私は思います。

が、(以下は私の経験、体験談です)

私の学生時代も厳しかったのですが、先輩や同級生の一部ではまだ先生に対する校内暴力がありました。
俗に言う不良です。
しかし、私の通った学校だけかもしれませんが、
先生達は不良に指導する時に手をあげるや拳等を振り上げて威嚇することはありませんでした。

生徒1人1人に対して指導方法が異なる事も分かるのですが、
これは、教師の愛情ある対応でしょうか?

わたしは、体にたいする罰は、
「絶対に反撃できない人にしか行わない。」
いじめのような物にしか見えません。

また、「言ってわからない奴は、叩く」って方もいますが、
これも全く逆です。俗に言うまじめで、先生に暴力を振るわない生徒は叩かれなくても、言えばわかります。
しかし、言っても分からない俗に言う不良には叩きません。
これは、今の教育現場でもかわらない先生の考え方だとおもいます。




>他の事でも良いので痛い経験をすれば、そこから想像し理解し、子供自ら理解し収まります。

わたしが言いたいのは、体罰を受けた事のある生徒は、先生がふと拳を振り上げただけで、萎縮し身構えます。
なぜかは、叩かれるといたいし、怖いからです。
先生はただ威嚇しただけかもしれませんが、子供にとっては恐怖でしょう。
子供は拳だから怖くない、刃物だから怖いではありません。
ヤラれると言う恐怖心で、先生の言う事を聞こうとしていると思います。

刃物は死ぬ確率が高いからとか、脅迫罪だからとかは、言い訳にしか聞こえません。

子供がビックっとするのは、刃物だからではなく、また、体に危害が及ぶ防衛本能ではないでしょうか?



最後に
>私の時なんて、担任が馬鹿なことを言い出した途端に一斉にブーイングを行いましたよ。一斉に来られたのでたじたじになっていたからね。先生の数と先生の数。先生の数が少ないのになぜ負ける?

の意味が私には理解できません。読解力が悪くてすいません。

お礼日時:2013/01/18 13:21

#5です。



ご返答ありがとうございます。

罰則についてですけど、これも度合いによるでしょうが、肝要なのは公立ならまずその一定のラインを定め、更にその学校独自のローカルルールを定めるのが必要かと思います。
所謂社会における企業雇用方式と言ったスタイルに似通ったスタイルとも言えると思います。

これによって、一定ルールは在れど各学校、各個人によって千差万別の問題が在るわけで、お互いの主張を論ずる機会が増える事になり、比較的学術に長けた側の教諭の主張だけでなく、生徒の主張も聞き入れる事は可能かと。

ただ問題は、クイックかつ公正に動ける機関は必要になるでしょうね。


それをなぜ述べたかと言えば、あくまでも一例としてですが

・授業中携帯が鳴ってしまった
無論禁止なのは当たり前ですけど、親・親戚が危篤や突発の事故が起きた場合等はやむを得ません。
そこまで教諭は把握しないといけないのでしょうか?
私はそうは思いません。
こういったケースは稀ですが、生徒に対し言葉は失礼かも知れませんが無罪かと思います。
(学校に連絡する方法は在りますけど)

・もう一つの例は所謂“授業妨害”に関して
これはケース・バイ・ケースでしょう。

一つは“教える教諭が横暴な場合”
この場合、生徒は無罪でしょうね。教諭に教える資格は在りませんし、昔ある電鉄会社でやっていた“日勤教育”見たいな処分が妥当かと。

もう一つは“生徒が主体に妨害したケース”
この場合は生徒側に有罪が下されるべきと考えます。

さて、その方法ですが個人的に簡単なのは、生徒が明らかに悪い場合は教諭が軽く小突いて生徒自身が反省するのが一番速いかと思いますけど、今はそうも行かないので

・社会的奉仕活動
・登校後、隔離しての教育(辞書、コラム写しなど)
・一定期間の停学
・退学

と云う形でしょうか?
確か大阪明星高校(私の母校ではありませんが)は同じようなスタイルです。
勿論教諭にも罰則はありでしょうね

挙げるなら

・校内日勤教育(軽微の場合のみ)
・教育センターみたいな所で研修して、再テスト
・教員免許剥奪

講師ならいきなりセンター行きをデフォとして

こんな形を考えてます。

回答に有罪、無罪と不適切な内容が在りましたがあくまでも本意ではなく、私の語彙の無さから出たことはお詫びいたします。その点はご容赦下さいませ。
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この回答へのお礼

あなたも、No3さん同様に本当に肯定派ですか?
ルール作りやその後の対応は、体に与える罰などなくても、十分やっていける様に感じます。

ただ、私の今回の質問の答えではない様に思います。
私は、注意を受けた時に先生がする威嚇行為は、
受ける子供にとっては、拳であろうが、竹刀であろうが、刃物であろうが、すべていっしょです。殺傷能力があるか、ないかは関係ありません。
ビクッと身構えるのは、また痛い事をされる恐怖心です。
体罰の後のフォローがあって、反省したとしても、その子にとって、
一発のビンタをした人には、
「体に危害を加える人」と言うレッテルが貼られます。

体に危害を加え人は、言い訳のように、刃物は脅迫罪だからなんて言わないでほしいです。拳も脅迫なんだから。

だから、肯定派に拳、道具、刃物の違いを紳士的言葉で教えてほしいです。

お礼日時:2013/01/18 17:23

前略



一言で言うならば“熱意”とでも言うのが適当なんでしょうか?
“本気”と言っても良いのかも知れません。

しかし、この事に対して“行きすぎ”は禁物です。
この“行きすぎ”と云うのはやはり程度や加減に負う所が大きく、言って見れば乱暴な言い方にはなりますが“ケンカ”をしたことが無い故に、その程度を知らないからこそ“手加減”を知らず、追い込んでしまうのでは無いのでしょうか?
勿論、言葉の暴力や竹刀等による暴力もありますが、本当に治したい、でも言葉で治らない場合(特に悪意がある場合)はどうしますか?
そういう場合、体罰はやむを得ませんね。(通院レベルはNG)

殴られる立場ですか?
それは殴られるだけの事をしているから殴られる訳でしょ?
もっと言えば殴られるだけマシではないんですか?
そこで出てくるのが、冒頭に記載した加減の問題や程度の問題、はたまた手加減を出来るだけの指導者の技量でしょう。

ではもっと辛い方法を考えるなら当然在りますよね?

無視すればいい訳ですから。
私はこっちの方がやられた方は堪えると思いますが。

結論としては、本気だからこそ最初は口頭で注意し、それでも聞かないなら程度次第で体罰はあり。
無視するよりはマシ。

でしょうね。

あと、紳士的な言葉と言いますが、解りやすく書かせて頂いたつもりですが乱文な点はご容赦下さいませ。
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この回答へのお礼

あなたの発言はすべて、紳士的です。
最近、体罰肯定派の方が興奮して乱暴な発言をしたため、その発言を削除された為、皆さんに警鐘をならしたのです。

〉結論としては、本気だからこそ最初は口頭で注意し、それでも聞かないなら程度次第で体罰あり。

あなたも知っていると思いますが、先生に対する校内暴力を生徒(以降、不良と書きます)には、先生は最初から最後(警察に通報するまで)まで手を挙げません。
しかし、先生も絶対に反撃してこない生徒には手を挙げます。
Aは殴っても反撃はない、Bは殴ると殴り返すから体罰しない、は指導でしか?

言っても分からない不良にはなぐれない。絶対殴り返さない生徒は殴る。
弱い者イジメににですね。



〉殴られだけのこと

殴られ事、そんな事はほとんどありませんよ。ほとんど、先生の気分でしょ。殴り返さないから。

お礼日時:2013/01/18 21:15

前略



指導者には人間力“包容力や或いは器の大きさ”も要求されます。

優秀な営業マンが業績を挙げ昇進し、管理職になっても管理能力が在るかと言えば、これは全く別の問題・能力であり部下から反感を買う事も在るでしょう。云わば営業マンでは優秀だが無能な管理職…

さて、話は戻します。

貴殿が申した弱者のみ殴る教師ですが、私が先に述べた無能な管理職と限りなく相似関係に在るかと私は考えています。

その様な云わば無能な管理職(弱者いじめの教師)はなぜ反感を買ったり、するのでしょうか?

それは私が前に述べましたけど、指導者が部下に対し

“本気で指導に当たっていない”

に尽きると思います。

此処で云う本気とは、相対する相手、更には自分に対してもに正面から向かい合い、相手を認め、敬意を払う事では無いのでしょうか?
云わば、日本古来の武術のスピリッツに原点がありそうですね。

故に管理者としての器が小さければ当然、貴殿が仰っている事が起こり得る事かと思います。

その点、校内暴力時代があった頃は知りませんが、(何時の時代を以てと云う誤解を招きたくないためなのであしからず)私の頃は学級帝国と呼ばれる時代でしたが、今思うと指導者は巧く学級運営をしていたと感心いたします。

私も確かに良く殴られたクチですし(笑)困らせた事も多々あります。
しかし、それが今では良い思い出になるのはやはり当時向こう(教師)も我々(生徒)を“何とかしたい。マトモにしたい”と云う気持ちがあったから体罰もあった訳ですし、我々も“悪いことをしたら痛い目に遭う”事を知った訳です。

所が、近年ではそういう経緯を知りながらも別の縛りで(大阪の問題が一つの例ですが)ノルマ達成をしなければ解雇・減俸等の処分を下されたくないと云う器の小ささからあんな悲劇が起きた訳だと考察します。

個人的には何時の時代も指導者が体罰しようとも、元々の人間的素養(人間力)がしっかりしていれば、文句は出ないでしょうね。
但し繰返しになりますが、致命的に体機能的へ後遺症が残る体罰は行けません。
貴殿が仰る不良で悪意があり、更に口頭による注意で止まらないならば、指導者は本気で全力を傾け、躾と言うか治す為の体罰はすべきかと私は思います。
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この回答へのお礼

程度をわきまえた体罰でも、よし、わるしは互いの生活環境、教育環境ましては家庭環境などなどで考え方が変わる事はわかっています。

あなたの意見は、指導の過程で生徒に手をあげる場合は、
熱意や本気があり、理不尽や一時的な感情もはなく、生徒と教師が認め合い、怪我や通院しない程度であれば体罰もやむを得ないでよろしいですか?

とても、理想的だとは思いますが、これって効果あるんでしょうか?

生徒を指導するのは大変でしょうね。

A君は信頼関係もできているし、タンコブ程度では病院にもいかないし、怪我とも思っていないから、5kg重(力の単位は間違っているかもしれませんが)の威力でゲンコツOK。

Bさんとも多少の信頼関係もあるが、とても打たれ弱い。まして、青アザや少しの内出血でも心配になり、病院に行く事がある。病院に行けば最低でも全治1日以上になる。だから、頬をふれる程度のビンタOK。

C君とはまだまだ信頼関係も築けておらず、どんな行動にでるのかわからない。体罰NG.

D君は体も頑丈で鼻血程度では文句言わない。
しかし、D君の親は最近、自動車事故でオカマをほられ、結果全然たいした事故ではなかったが、3回も通院している。
ミミズ腫れ程度のビンタOK、or NO.

Eさんは両親も体罰肯定であり、本人も打たれず強いが、、、。

Fさんは、、、、、。

G君は、、、、。

先生ノイローゼになりそうですね。
私には無理です。こんな事いいだしたら、一切手を出さないほうがマシだと、私は思います。面倒くさいし。まーだから私は教師になれないし、なってもいないと思う。

でも、これを100%こなせる人が、人間的素養(人間力)がしっかりしている先生でしょうね。

こんな理想の教師がみんなだったら、体罰死なんてないんでしょうが。

最後にですが、

>殿が仰る不良で悪意があり、更に口頭による注意で止まらないならば、指導者は本気で全力を傾け、躾と言うか治す為の体罰はすべきかと私は思います。

実は一番やっかいなのは、悪意の意識がなく、悪意を働くひとです。俗にいう、優等生で知能犯な生徒です。

お礼日時:2013/01/19 11:22

前略



生徒を指導するのが大変なのは当然ではありませんか?
だから教師はその昔“聖職”と呼ばれ、自らを律していたのは御存知な筈。
何もオーダーメイドと云うか、日より見的な指導をしろと言っているのではありません。
教師が正論を以て生徒に接し、教師のペースに引き込む事でしょうか?

正論を持つのは難解かつ定義も難しいと思い勝ちですが、少なくとも悪しきえこ贔屓がないことが一つの定義でしょう。

少なくともその辺りのバランスは昔の教師の方が巧かった筈です。

さて、知的不良の存在ですがこれはモンペアの存在、過剰な情報供給、経済的・政治的強者による学校側への圧力が寄与してますね。
これ等に屈する学校側にも問題があり、人間力の欠如を問われ、基本ルールを逸脱し、えこひいきがつく訳ですから。

知的不良に関しては、それこそ今、躾をキチンと行うべきでしょう。
今の親がろくでもないわけで、例え親のクレームが来ようとその内容が正論でない限り戦うべきだと思います。
最もそういうモンペアには何を言ってもムダですけど。

しかし怖いのは他の生徒への波及です。
そこにヒントがあるでしょうか?
私ならそこを突きますが。

すいません。
私は質問者様程、知的でもなくありませんのでこのくらいしか回答出来ません。

なるべく受けた返答はお答するようには心がけておりますが、中々時間をとれる訳でもなく、これからはレスの遅延も予測されます。(この時期は忙しいのですいません)その点はご容赦下さい。


感想としてはディベートみたいかなと云う印象でしたが(笑)
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この回答へのお礼

当然、意見の相違はありましたが、紳士的で、丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 13:20

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