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「第一章

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。」

(「ノルウェイの森」講談社文庫)


(1)私は読書が趣味にならないタイプの人間で出版関係にも無知ですがもし彼が無名で、この原稿を出版社に送った場合、一瞬でゴミ箱行きになりませんか。どうやって世に出られたのでしょう。
ほとんどライトノベルの域ではありませんか。志賀直哉が名文という人には名文かもしれませんが。

(2)日本語らしくないとの批評を見聞きしますが、彼は英語で書いて日本語に翻訳しているのでしょうか。

(3)書き出しの文章は最も洗練されるものと思いますが、下手ですよね?日本語らしくないとか以前に文章が素人以下ですよね?この件が一番お聞きしたい疑問なので宜しくお願いします。
例えば引用文について具体的な指摘をいただけると助かります。文芸(=上手い文)以前に「立った」は読者を含む関係者にとって問題なしなのでしょうか。

(4)彼はわざとですか。それとも彼は哲学カテの人らみたいな無芸の天然型でしょうか。文学的才能ではなく単純計算した結果できた作文作業に思います。いうなればキャッチコピーで小説を書くことに成功した人です。お洒落な字面を寄せ集めてミーハーに盛り付けた天ぷらですよね。
政治家・評論家・政談好きは軽薄に横文字を使って格好つけますが、それをまた格好いいと思う人が読者になるという図式でしょうか。レゾンデートルとかコンプライアンスとか。文学に憧れる衆生が酔いやすいように出していくコース料理。引用文の構成が象徴的に思います。

過去レスによると人気の理由は世界観が確立されているという(誰でもそうではないかな?の)事らしいのですが上記(1)よりそれが分かるまで読書を続けられません。むしろ世界観がない空文の心地よさではないかと考えています。私は中身のない語り口に耐えきれないのです。

村上春樹さんやそのファンに対する悪意も非難目的もありません。知名度もある彼の件は珍しい現象で純粋に不思議です。
宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

私は村上春樹さんのファンではありません。


昔は比較的好きでしたが、今は終わった作家だと思ってるし、今後彼の本を買うことは無いでしょう。

ですが、他人の本に対して「ライトノベル程度」「素人以下」「作文」なんて表現をしといて、非難するつもりは無いってのは通用しないと思いますよ。
あなたの質問を読んで、彼のファンを煽りたいだけなんだろうなと感じました。


どの程度本を読まれるかわかりませんが、少なくとも彼の本が「世界観が確立している」のは間違いありません。
村上春樹の本には独特の世界観があり、それが好きな人が居ることを否定してもしょうがない。
あなたがどう感じようが、素人の作文が世界中で出版され読まれるなんてことはありません。

そして、誰でも「世界観が確立している」なんてことは残念ながらありません。
本屋に並んだ大量の本のほとんどは、似たような、または過去に読んだことがあるような文章ばかりです。


まあなにはともあれ、嫌いなら私みたいに読まなきゃいいだけなのに、わざわざこんな質問を挙げるってことは、煽り目的としか受け取れませんよ。

この回答への補足

あなたが回答文を書くときの気持ちは「嬉々としてコメントしちゃう」でしたか。そういう人が読者にいたという事は分かりましたが嬉々とした質問批判では迷惑投稿です。嬉々ならば一嬉一憂されるのも因果応報。
読まなきゃ解決する疑問ではありません。

世界観があるというのが説明できていないのです。列記としたファンはなくミーハーを動員したか。無視せずに質問者を煽ったのはどっちだ。嬉々ちゃんのせいで流れが変わるんだよ。

引用文は段落を改めてこう続きます。
「飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。」
着地を完了すると、ですからね。まだ半ページですがとてもです。ライトノベルでもそこまででは、です。そのBGMがビートルズの「ノルウェイの森」だったと書かれています。それはどこかで聞いたことが……書名ですよ。
そして次の段落の二番目の文は。
「やがてドイツ人のスチュワーデスがやってきて、気分がわるいのかと英語で訊ねた。」
このスチュワーデスの会話文は「本当に大丈夫?」と日本語です。しかし一度戻った彼女が、数行後に、またやって来た時は、英語になるんです。
そしてこの冒頭の一節の締めくくりが。
「「Auf Wiedersehen!」と僕も言った。」
文学や物語を創りたいのでしょうか。心理操作の作文では。
1ぺージ目の最後の文は、そのBGM「ノルウェイの森」はこうだと念を押すのです。
「いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。」
説明抜きにです。いや……

質問文にある設問を宜しくお願いします。

補足日時:2013/02/13 15:27
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/22 21:10

貴方の村上春樹観がそうなのならそれでいいのではありませんか。

私は一時この作家のものを続けて読んで、癖になりそうだと思ったことがあります。「羊をめぐる冒険」とか「ダンス、ダンス、ダンス」とか「1973年のピンボール」(題名はうろおぼえですから間違っているかもしれませんが)などです。残念ながら「ノるウエーの森」は読んだようであまり印象はないのですが。
私の印象では確かに文章のうまさは感じませんでしたが、その語り口に独特のものがあって、その物語全体がミステリアスな雰囲気をかもしだす、これは何だろう?と思ったことでした。これは「ライト述べる」にはない小説の、文学というものの力だと思います。私には貴方を説得させることは出来ませんがこういうことです。
継続して全部読もうという気にはなりませんでしたから彼のファンではありませんが、その人気、外国人に受ける、ノーベル賞候補?!これらは分かるような気がします。だって、「踊り子」を書いたマイナーで無思想の作家がもらったくらいですからね。川端康成は文章は上手です。

>知名度もある彼の件は珍しい現象で純粋に不思議です。

私はそうは思わないということです。

この回答への補足

ありがとうございます。
私は「ノルウェイの森」を5ページ読んで何にも絵が浮かばなかったのですがただ川端に似かよったものはすぐ感じました。現時点ではその印象以外に何もありません。無いからと言って、読者の私の方が創ったらアベコベです。本質問もそうしたくありませんのでお力をお貸しください。
川端似は短絡的な作為じゃないの。傾向と対策、池田大作。
そう言えば作品名も眠れる森の美女を倒錯させますしね。


現象としては、ニンテンドーだと思えてきました。世界の人の脳ミソを疲れさせるコカイン文学でしょう。確立した世界観を読んだのではなく「めまい」です。錯覚です。
子供はゲームにはまるのです。大人は一瞬でその無意な掻き回しに気が付いて脳が拒絶するから脳神経が弾ける状態に至れません。

ライトノベルは馬鹿馬鹿しいだけで読む事は可能です。ノルウェイの森は暗示・催眠としか思えません。脳が文章を拒絶する初めての本なのです。
川端が上手いかはさておき、あれは催眠術ではなく文学です。創作をしています。妄想家の述懐を小説にしています。
川端よりも村上龍よりも思想を感じないのですが幸福の科学みたいな感じですかね。疑問や書評に過敏反応するばかりなら新興宗教以下になります。
宗教じゃないので、文学というなのらばなおのこと具体的・文学的にお願いします。


(1)~(4)をお訊ねする質問です。私はそう思わないでは参考になりませんよね。それは分かっています。
質問文から余計な妄想を膨らませることなく実際の質問文に対応してください。
宜しくお願い致します。

補足日時:2013/02/14 18:31
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この回答へのお礼

珍しくないという事ですか。
他の作家はなぜそうならないのでしょう。
今後とも宜しくお願いします。

お礼日時:2013/02/22 21:14

質問の内容どおりに解答していないことを予めお断りしておきます。



私は、村上春樹作品の否定派です。
「村上春樹作品を読んで、どういった点が良かったですか」という質問に対して、「透明感のある文章にひかれました。」というような回答をしている人がいました。この感想を聞いて、この人は裸の王様が着物を着ていると信じている人と一緒だと思いました。

村上春樹の文章は、非常に気取っていて、もって回ったような表現が特徴です。ご本人が翻訳をされているからなのでしょうか、英語の翻訳文で出てきそうな文章、と言えばまさにそのとおりな気がします。
この人の作品が評価されているのは、この気取った表現や、登場人物の独特な物の見方に負うところが多いのではないでしょうか。
根本に戻って、作品の主題が何なのかと考えた場合に、ほとんどの読者は作者がいったい何を言いたかったのかを理解できていないというのが実情ではないでしょうか。実際、作品を通じて作者に何か主張したいことがあったわけではなく、単に物語を創作しただけで、その中に何か深遠な思想があるようにみせかけ、実際は何もなく空虚、そういった作品ではないかと私は思っています。
それをありがたかって、きっと何か深遠な思想が盛り込まれているに違いないと信じる人に信奉されて人気を博している、それが現時点での私の村上春樹作品に対する評価です。

この回答への補足

旗幟鮮明にありがとうございます。

回答者さんに強調指摘していただき恐縮ですが私の場合は気取っているのようにも感じないのです。何も鼻につかない無味無臭。私の感覚器にまるで作用しないのです。否定派になるところまで付き合えないのです。
私の読解力にとっては困った事に一文一文がバラバラなんですね。例えば引用文では、時間経過がない。分厚い雨雲を抜けて着陸しようとしている、の次の文で早速、飛行機の窓から整備工の雨合羽が見えたというのです。見えないでしょ。雨降っているし。その前に飛行機はどこにいるの?何もかもというそんなに視野が開けてたら分厚い雨雲の意味がないと思ってしまう。
だからフランドルどころか何の絵も浮かばないのです。

よくわかりませんが、これは英語だったら多少つながってくるようなような気もします。文内で単語の配置が前後反転するじゃないですか。日本語版の不出来を許す理由にはなりませんけど。

お高くとまったというほど難解な用語はありませんでしたがそのさじ加減に小癪なものは感じます。逆にもっと小難しい文にしてくれたら急に読みやすくなるのかもしれません。無理に平易な文を連鎖させていませんかね。なにやら離乳食にキャビアをトッピングした感じかも。一般的な味覚を基準に普通に吟味すれば不味いとする方が正しくありませんかね。
私は敵意などないのですが表現は簡単なのにぜんぜん頭に文が入って来ないしこれを同じ日本語で読む人らは何を得ているのか余りにも付いていけなかったので質問した次第です。

補足日時:2013/02/15 01:43
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この回答へのお礼

深淵なものはありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/22 21:16

質問に答えろってことですので、真面目に回答してみましょう。



(1)どうやって世に出られたか?
1作目が認められたから。
最初に彼を見出した人が、この文章のどこを評価したかなんて本人にしかわかりませんが、少なくとも出版され好評だったから2作目以降も出版されたということ。従って、世間が彼の文章を認めたということ。
もともと理路整然とした正しい日本語の正しい文章を書く作家ではないし、正しい日本語として評価されたわけでもないと思います。
そして認められるのに、名文である必要もないと思います。

(2)オリジナルは英語で書かれているのか?
「日本語らしくない」なんて批評があるとは知りませんでした。
そんな事は無い。と思いますが、ソースがあるわけではないので、回答できません。
ただ生まれも育ちも日本の人だし、日本語は普通に使えていると思いますが。
こういう文章の書き方ってだけで。

(3)下手か?素人以下か?
(1)にも書いたように、そもそも正しい文章を書く人ではないし、粗を探そうと思えばいくらでも出てくるでしょう。
それを含めて、村上春樹の本ですから。

ただし、あなたが論って批判している文章に関してもそうですが、ストレートな表現をしていないだけで、読んで理解出来ない文章ではない。
むしろ極めてわかりやすい文章です。簡潔だし誰が読んでも理解できる。
でも他の人には無い表現だし、そういう表現によって作られる世界観がある。
あなたのように批判する人もいるでしょうが、そういう物を好む人もいるってだけです。
売れる理由としても十分です。

(4)これは質問ですか?何が聞きたいのですか?
「わざとですか?」というのは、「わざとこういう文章を書いているのか?」って意味ですか?
そうだとすれば、その通りでしょう。まあもはやこういう文章以外書けないんだろうとは思いますが。
しかし(4)は特に支離滅裂な文ですね。

以上、出来るだけわかりやすい日本語で書いたつもりですか、これでいかがですか?

この回答への補足

「質問に答えろってことですので」は今年一番の寝言です。
そう言う破廉恥な人には無理ですよ。書評も回答も終始まじめに願います。
寝ぼけられては説明になりません。ただの循環論法なんです。売れたから売れたの同義反復。
「簡潔だし誰が読んでも理解できる」に転向されたの?
それは私がライトノベルとか素人以下とか言って説明した事じゃないの?ファンには通用しないはずだったのでは??どっちよ。そういうのを支離滅裂というのでは。
設問(1)の売れる理由として十分になるのですか。
あなたが強調された世界観はどうなったの?そういうのを説明しないと。

私には理解できないのですよ。どんなに簡単な表現であっても中身のない文章に中身はありません。ご回答しかり。理解する対象がないのに何を理解されたのですか。日本語ですか?そういう人を集める本に感じてきました。単細胞。

分厚い雨雲抜けたら整備士の雨合羽が見えるの?主人公はどこかのシートに座っているのですよね。747を張り付けたくらいでは、春樹氏の書斎のシートに感じるのですが。ペタペタ文学ですか。

補足日時:2013/02/15 12:17
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この回答へのお礼

終始まじめにお願いします。
ノルウェイの森は読み進めるのが大変な物語です。何も考えずに文を追える読者が世界に多いという事でしょうか。
やはりライトノベル的な新鮮さではありませんかね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/22 21:21

No.3です。


回答への補足で書かれていた内容には、首を傾げざるをえません。
「例えば引用文では、時間経過がない。分厚い雨雲を抜けて着陸しようとしている、の次の文で早速、飛行機の窓から整備工の雨合羽が見えたというのです。見えないでしょ。雨降っているし。その前に飛行機はどこにいるの?何もかもというそんなに視野が開けてたら分厚い雨雲の意味がないと思ってしまう。」
この引用文の箇所に関して言うと、飛行機は分厚い雨雲を既にくぐり抜けており、雨雲の下に居ることがわかります。ですから、よほどの強雨でもなければ、着陸時に周りの風景を見てとることができると考えるのが普通でしょう。飛行機は、ドイツの空港に着陸寸前であることは文章からも明確です。この短い引用文の内容でさえ、正しく読み取ることができないご自分の読解力をまず疑うべきではないでしょうか。

引用文に関する個人的な印象は、名文でもないかわりに、「素人以下」でもなく、ごく普通の文章だと思います。この部分だけを読んで、ゴミ箱に放り込むような編集者はいないでしょう。
また、質問者が引用している箇所は、いかにも村上春樹らしい文章というわけでもなく、他の作者が書いた文章だと言われてもああそうかなと思ってしまうような箇所です。

この回答への補足

着陸しようとしていたのですよ。着陸していないのです。
整備士の雨合羽が見えますか。どこにいたの?羽の上か?
とにかく飛行機の状態を示していないのですよ。だったら着陸させときゃいいんですよ。
馬鹿だよな。抜けた雨雲を厚くしたの作者なんだよ。厚くした意味がどこにあるんだよ。自称読解力のある人がそれを説明してくれ。
ゴミ箱行きにできないのはこういう文章のおかしさが一瞬で見抜けないということですよ。
同様に、素人、以下です。
「そのとき」とか何ですかね。読み進めると時間経過がおかしいことばかりなのです。

質問者批判は頼んでいなので質問に答えるべきです。引用文のおかしさが私が解説してもまだ分からなければ無理でしょうが。
回答者は読んだことあるの?
自ら典型例を紹介もせずに否定していますが私はそういう否定マニアじゃないのです。
具体性のないレッテル論者が多いです。

補足日時:2013/02/15 22:18
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この回答へのお礼

村上春樹の有名作品なので引用しました。
少し読み進めて分かってきたのですがどうも文芸作品というよりも心理効果であり、見えない物が見える読者になる幻覚小説のようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/22 21:28

1)は、正直なところ、わからないので省略。



2)3)4)ですが、彼は、日本語で読んでいいなぁ、と思った本を英語で読んでいるんでしょうね。それで、英語の(米文学)小説の文章作法を自作の小説にうまく組み込んでいるんでしょう。英文学ではないです。

例えば、”ノルウェイの森”にも出てきたギャツビーは、普通の会話の中に、一般のアメリカ人が実際にはあまり使わない、箴言、というか、薀蓄、というか、がたくさん盛り込まれています。英語で申し訳ないですが。

http://www.shmoop.com/great-gatsby/quotes.html

そして、ポン、と過去の事象を挿入してあげて、その場の雰囲気に厚みを持たせる。

あとは、簡単なハードボイルド系の探偵小説も読んでおられて、”気を持たせる”テクニックも使っておられます。

例えば、”ノルウェイの森”を聞くと、混乱する、という文章が出だしにあります。これは思わせぶりです。私はその理由が開陳されるのかと思って、最後まで読みましたが、結局空振りだったように覚えています。

ハードボイルド、ということで、省略の手法も使っております。五感を使って、風景をかく時に、点描をする。必要以上に書き込まない。それで、質問者さんは、時間の経過がかけていない、と感じられるのでしょう。

他にも細かく読めばもっとたくさんの手法があるかもしれませんが、この小説は、英訳しやすいです。
英語の小説っぽく書こう、と最初から決めて書き始めたからです。で、他の日本の小説よりも、英語圏の人に受けやすいのは、当たり前のことだと思います。

私は、”ノルウェイの森”こそ最後まで読みましたが、二冊目には手が出ませんでした。作者の中に、女性に対する恐れ、侮蔑、あるいは、どうにも理解できない欲求不満を感じたからです。本当に女性がわかっているのか?この人は本当に女性を愛したことがあるのか?疑問でした。

出てくる女性、全部、偽者ですよね。

ワタナベ君は、ペニスをつかって、周りの女性と繫がろうとするんだけれども、愛する=責任を取るという行為が、どうしてもわからない。それがテーマなのかなぁ。。。。どう思われますか。

現在の日本の若者の様子に警鐘を鳴らした??とか。でも、時代背景は60-70年代ですよね。それで、飛行機の中で、混乱しているワタナベ君は、何十年も経つのに、傍観者の態度のまま、ぜんぜん成長していなくて、”ノルウェイの森”のミステリーも、回答が与えられない。

私は、二作目はご遠慮しました。

この回答への補足

終始ご誠実な回答をありがとうございます。回答者Ciaopolpoさんには色んな意味で助けられました。
Ciaoさんが現れなかったらどうなっていたか。なんでこの常識を要求する質問に因縁をつけて来るたわけ者がいるのか、姑息に冷静を守ろうにも脳は混乱していたようです。本質問ではない方の質問なのですが実際、嘘つきと卑屈に交わって得るものは罪悪感の麻痺ぐらいしかなく人々の持てる資質が台無しにされます。まったく普通の質問なのだから因縁回答は狂気の沙汰です。たとえ聖書批判する質問をしてもこのような悪質な回答を浴びせられる不条理はないと思いますから文弱陰湿なカテゴリーです。

村上春樹氏は英文で考えていませんかね。そのような告白はありませんでしたかね。中学生レベルの英語力をもって私がもし英文で思考し作文しながら日本語の小説を綴っていったらそれでオートマチックにハンバーガー風の作品に仕上がると思いました。いずれにしても目的や思想は西洋かぶれなのでしょうね。
私は村上春樹氏を知る前に日本語でグレートギャッツビーを読んだのですが全く面白くなかった。日本映画の仁義なき闘いはヤクザの惨めさを伝える作品ですが、批判意識を喚起させるための、薄情な演出を、無批判にそのままカッコいい哲学であると心酔したアメリカの監督がいますけどキルビルの反対例ですかね。
グレートギャッツビーをお題目みたいに連呼するページがありました。真似に精進ですかね。黒人でもないのにヒップホップしてる日本人のあんちゃんの方は私の許容範囲です。しかし村上春樹さんの文章は耐えれない。文と文、句と句がつながらないのです。それは下手だからというよりも全面的に(卑屈で)作為的だから自然と混乱してくるのだと思います。あんちゃんらのような真面目さがあるのか。
韓国人の寿司屋で美味いという味覚視覚の日本人でしょうか。外人は食いますよ。

他の著作もさっと目を通しましたがこの作品は読みやすく書かれている方ですよね。
色んな技術があるのですね。もっと知りたいです。
彼は生兵法?技巧倒れ?
時空間を飛躍するのは構いませんが、文脈の途中で、前触れもなく、所在地不明・観察者不在の描写が介在しているんですよ。それこそ自分の混乱を逆手に販売するお笑い芸人・奇人ではありませんか。イチロー語録は天才肌の日本語じゃないですか。買い被らずに見ると、迷言並べを作家自身が本業で成功させただけに思いますがどうでしょう。

補足日時:2013/02/19 07:21
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この回答へのお礼

ご指導ありがとうございました。勉強になりました。
読みかけですので作品のテーマはまだよくわかりません。とりあえずそんなものがあるというのを忘れさせる文章です。
馬鹿なのに哲学する人がいますが小説家の役得で本に出来たレベルの考えでしょう。浅い己・主人公を深く描こうと浅く浅くさ迷っています。随所に浅さ・ガキ臭さを感じます。とうがたっていない。素人風です。
作家自身がどう転んでも青臭いというのは貴重でしょう。たいていの作家はすさんだヤクザ稼業ですからね。ヤクザがメルヘンを書くのが普通だった文学界にメルヘンが小説を書いて日本で当てたという天才性があるんじゃないでしょうか。子供臭さが際立っています。日本の幼児性に育てられた世界的(小児)作家に思えてきました。
今後とも宜しくお願いします。

お礼日時:2013/02/22 21:51

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