激凹みから立ち直る方法

 以前から、大阪の仁徳天皇稜が日本一大きい古墳と言う事は歴史で勉強して来て基礎の段階の歴史と記憶していますが、堺市にこの度引越しを期に堺市全体を見ていて古墳の多さに驚きました。
 それも、集中的に固まっていると思うんですね。
 堺の風土が古墳建設に良い場所なのか、当時の国を治める方がこの地を制定していてかは、歴史が頓珍漢な私では、お手上げです。
 そこで、関西地区の泉州地域に古墳が多い背景をご存知の方、ご教授ください。

A 回答 (3件)

5世紀の大王達の奥津城「百舌鳥古墳群」ですね。


古墳群の概略的解説は下記ページを参照して下さい。
巨大な古墳群がなぜ「百舌鳥」の有るのかはここで簡単に答えられる問題では有りません。
当時の様々な要因の結果としてそこに作られたのです。
その様々な要因を解き明かす研究こそが歴史学なのです。
まずは地元堺市の図書館でお調べになってみては?

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/S/S140C100.HTM
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この回答へのお礼

早急の回答有難う御座いました。
 阪和線に百舌鳥と言う駅有りますね。
 ここから来てるんですね。

お礼日時:2004/03/07 17:10

こまかいことをいえば、


仁徳天皇陵、というのは、裏付けのない名称で、誰の墓なのかは確認されていないはずです。
「だいせん古墳」というのがとりあえずは正しいようです。
中国地方にも古墳の多い地域があります。
実力者とその一族が権力をひけらかしていたんでしょうか。
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日本の4世紀から6世紀までは、日本について述べた外国の文献も少なく謎の時代なんで背景を知るというのはむずかしいでしょうね。


遺跡は何も語ってくれないですから、遺跡や出土品から類推するしかないと思われます。

参考URL:http://www2.odn.ne.jp/kofun/
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