プロが教えるわが家の防犯対策術!

3月に妻をがんで亡くしました。
肺への転移で、最後の方は少し動くだけで、息切れをして、酸素吸入をしても苦しそうでした。

亡くなる日の前日に、週に1度の抗がん剤治療で病院に行き、苦しそうだったので医師が、入院するかどうか本人に選択させ、急遽入院になりました。
(医師には、間違いなく退院は出来ません。今は個室が空いていないので、空き次第移れるようにしておくので、少しでもご家族で過ごせるようにしてくださいと言われました。)

本人は治らないまでも、現状維持でとずっと言っておりましたので、その日も少しでも苦しいのが治まり、そして退院するつもりでいました。
当日やる予定だったドラマを録画しておいて欲しいとか話していました。

昼過ぎまで一緒に居て、一度会社に行き、また19時過ぎに見舞いに行きました。
その時は、夕食を食べようと、ベッドでずりあがろうとしたら、息切れが酷くて、食べたかったのに食べれなかったと話していました。
ただその時も結構苦しそうでした。
それでも会話は出来ていましたし、その日やっていたWBCの野球が観れると楽しみにしていました。
丁度、面会時間が終わるころに、看護師さんがモルヒネを持ってきて、苦しそうなのでと、点滴してくれました。

日が替わろうかという時間に、病院から苦しそうなので、薬の量を増やします。また個室が空いたので移します。と言われ、行った方が良いですか?と聞くとそこまでではないですが、来られても良いようにしておきますと言われました。

その時に起きていた長男と翌日試合で早く寝ていた次男に事情を話し、一緒に病院まで行きました。
(一番下の子は寝ていたので、義母に任せました。)

病院に着くと、酸素マスクをして、眠っていました。
着いて1時間ほどして、こちらもうとうとしていたら、妻が目を覚まし「ごめんね。ありがとう」と言い、次男には「試合頑張ってね」と話し、長男にも「来てくれてありがとう」と、ハッキリ話していました。
で、ちょっとトイレに行きたいと言ったので、トイレまでは歩けないので、入院した時に用意しておくと言われていた簡易トイレにと思ったのですが、一応ナースコールを押して看護師さんを呼びました。

すると「そこまでも無理だから、このまましちゃって」と妻に話し、我々にはちょっと出ていてもらえますか?と言われて、外に出て飲みモノ等を飲んで、15分ほどで戻りました。

すると妻はまた酸素マスクをして、大きく呼吸をして寝ていました。

その事がずっと気になっています。
確かに着いてからずっと寝ていましたが、起きた時、いつも通り話しもしっかりしていました。
あの時にすぐに戻るもしくはその場に居たら、子供達はもっと妻(母親)と話しが出来たのではないかと・・・

そんな10分15分で、あれだけしっかり話していたのに、そんなに短時間に昏睡状態と言っていい状態になるものだろうかと・・・

薬をかなり多めにされたのではないかと・・・

どうしても、その時の事が頭から離れません。

私は子供よりもその日は長くは話していますが、入院するとは思っていなかったので、子供達はその日ちゃんと話せていませんでした。

その時の医師、看護師しか本当の事はわかりません。
ただそのような状況になるものかどうかが知りたいのです。

長いだけで、意味不明な部分が多々あるとは思いますが、宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

(Q)ただそのような状況になるものかどうかが知りたいのです。


(A)あります。

日本では、毎年100万人の方が亡くなっています。
その亡くなり方は、100万通りあるといって良いです。
私の両親は、30分前まではちゃんと話をしていたのに、
30分後には亡くなっていました。
そんなこともあるのです。

(Q)どうしても、その時の事が頭から離れません。
(A)当然でしょう。
でも、何かあったのではないかと他人のせいにしていては、
いつまでたっても、受け入れることはできません。
例えば、事故や犯罪の被害者で亡くなったのならば、
遺族の方は、死ぬまで受け入れることができないのも当然でしょう。
でも、質問者様の場合は、そうではない。
そのとき、できることはやっていたのです。
15分後に昏睡になるとは、誰も予想できなかったことなのです。
誰のせいでもない。
それが、運命だったのだと受け入れるしかないのです。

質問者様は、病院を訴えるつもりはないとおっしゃっている。
真実を知りたいだけだとおっしゃっている。
でも、亡くなったときのことをそのまま、事実として
受け入れられないのはなぜでしょうか?

それは、後悔があるかではありませんか?
私がそうです。
もう、後悔の山ですよ。
できること、すべきことが、山ほどあったのに、しなかった。
それは、明日があることが当たり前だと思っていたからです。
明日、死ぬと分かっていれば、やるべきこと、
やらなければならないことが山ほどあった。
それを積み残したまま、両親は旅立ってしまった。

今は、両親にすべきだったことを、少しでも、妻や息子たちや
他の人々のためにしてやりたいと思っています。
両親は、私に、それをしなさい、ということを最後に教えるために、
亡くなったのだと、そう思うようにしています。
毎日、仏壇に手を合わせるのは、両親の弔いをするのではなく、
自分に恥じることがないということを仏になった両親の前で、
自問自答することにある……
そう、思うようにしています。
(坊さんの受け売りです)
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奥様に追悼の意を表します。



手短に書きます。

奥様の状態であれば亡くなる10分前程度まで会話できていたのは全く不思議ではありません。
僕も妻も何度も人の死に立ち会いましたが、奥様と似た状態であれば5分前程度まで会話できる方もたくさんいらっしゃいます。

心停止の前に死前喘鳴という苦しそうに見える呼吸の仕方が現れる方は、そのように数分前まで会話をするというのが難しくなりますが、それがほとんど無い方や短時間の方なら会話も可能です。

それだけ苦しみも少なくできるという医学のあらわれです。
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