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時間場所は特定しませんので、ざっくりと答えていただけたら嬉しいです。
日本では年貢米のイメージですが、中世期のヨーロッパでは税はどうだったのでしょうか?

納める物や、納期、徴収される対象の人は?

A 回答 (3件)

ざっくりということで,ざっくり回答してみます。

(笑)

税には幾つかの種類が存在しますので,主な税を纏めてみます。

・人頭税
一番有名な税かもしれません。
これは,そこに住むだけで一人ひとりに課される税です。
全ての人に同じ率の税が課されるため,世界で最も平等な税とも言われています。
しかし,所得などまったく考慮されないため低所得層の負担が大きな税制でもあります(これを税の逆進性と言い,消費税値上げ論議でよく言及されます。)


・土地税
名前の通り,土地に課される税です。
今で言う固定資産税みたいなものでしょうか。
納税は,その土地で出来た作物や一定の時期における労役などがあります。


・荘園制
領主が一定の領地を支配し,その中で人々が暮らす社会制度です。
そこに住む人々は,自由民と農奴にわかれます。(農奴も法的には自由民だが実態は奴隷のようでした)
農地も自由民に貸し与えられた農民保有と,領主自身が経営する直営地とからなっていました。
納税は,現物納税と直営地での労役が課され,領主はその収入の中から国などに収めました。
また,土地は世襲されるため,結果的に農奴の移住は殆ど認められていませんでした。

・十分の一税
住民に対して,教会に収める税金です。
その名の通り,教会が収入の十分の一を教会(貧者・病人の救済,教会運営が名目)に収めさせた税です。
領主への税負担と同時に求められたため,農民からしてみれば二重負担のようなものでした。
この場合も物納が基本でした。

これ以外にも,結婚税・死亡税・粉挽き小屋使用税,輸出入にかかる税金などなど,あらゆる機会にあらゆる税が課されました。
しかし,農業生産能力が上がり庶民が裕福になると,こうした税負担に反発して反乱を起こすようになっていきます。
それが宗教改革・社会革命に繋がり,フランス革命の遠因にもなりました。


>納める物や、納期、徴収される対象の人は?

納めるものは,農作物・工業製品・労働力・貨幣などなど。
納期は,農作物が収穫できる夏~秋頃であったり,春先であったり,何かの行為(結婚,商売など)をするタイミングだったりと色々です。
徴収されるのは殆どの人がそうですが,庶民→領主A→Aを庇護下に置く有力貴族→王侯貴族という流れでしょうか。
もちろん,王侯貴族も直営地や荘園を持っており,それに加えて庇護下におく貴族からも徴収するという感じですね。


と,ざっくりと纏めるとこんな感じです。
ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ざっくり、ありがとうございます(笑)
こちらの意図するところを的確に回答してくださり大いに助かりました。現代でも消費税には賛成ではありますが、貧乏なので税の逆進性については再考してほしいところであります。
ありがとうございました!

お礼日時:2013/09/25 01:00

・古代ローマ帝国のブルートゥスは属州の長官に赴任したとき、住民に10年分の税の前払いを要求した。



・中世ヨーロッパの封建領主は、賦役、貢納の他、領民の死亡による労働力低下を理由に、相続税、死亡税を賦課した。また、女性の結婚に当たっては、結婚許可税を徴収した。

・ドイツでは1524年に、賦役や貢納の義務の軽減などを求めて農民の反乱が起こった。

・オランダでは16世紀に支配者であるスペインのアルバ総督からすべての商品の販売に対し10%の売上税を課された。この売上税は、今日の消費税のように仕入税額控除が認められていないため税が累積することとなり市場取引を麻痺させた。この圧政が1581年のオランダ独立宣言の一因となった。

・イングランドでは王に議会の同意がなければ課税を行わないことを求めたが無視されたため、1642年にピューリタン(清教徒)革命が起こった。

・イギリスが植民地戦争の戦費調達のため1765年の印紙法により植民地に重税を課したことが1776年のアメリカ独立宣言の一因となった。

・フランスのアンシャン・レジームの下では、3つの身分のうち、第1身分の聖職者と第2身分の貴族は免税の特権を持っていた。この特権を巡る抗争が1789年のフランス革命に繋がっていく。

・ロシアのロマノフ朝の重税に苦しむ農民は逃亡後、コサックという集団を形成し反乱を起こした。

wikipedia 「租税」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E7%A8%8E


貨幣経済が中世期はかなり出来上がっていましたので、多くはいわゆるお金ですが、労働力なども提供を促されています。一説には初夜権http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%9C% …なんていうのもあって、税みたいなものですよね。
基本的には好き勝手に色々なものを領主が庶民から取れるのが中世です。
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この回答へのお礼

支配者がなんでもかんでも好き勝手な理由で色々押し付けてくる、というのはとっても嫌ですね。確かに、反乱したくなります。参考になりました。ありがとうございました!

お礼日時:2013/09/25 00:54

都市と農村では課税形態がことなっていました。


都市では間接税が中心であり、農村では、労役や使用料、固定資産税などが基本となっていました。

都市の場合、都市に出入りする物資に課税しており、その物資を利用する事で税を支払うシステムでした。
その課税の窓口が、都市の城門でした。
農民が都市で食料を売るために持ち込む農産物や、他都市の工業製品などの交易品に、一定の税を城門のところで徴収するのです。

一方農村では、基本的に領主のものを使用することによる使用料を支払う事が課税となっていました。
領主が橋を造り、その橋を渡るたびに利用料を支払うとか、家を建てると家の大きさにより課税されるとか、領主から農機具を利用料を支払って借りるとかです。

それらの利用料は、領主との契約ですから、状況により変動しました。
中世後期にペストなどの疫病により、農民人口が減少してしまうと、領民が減り収益が減少した領主が、課税条件を緩和して、他の領主の領民を引き抜くこともよく行われました。

また中世前期では、住居や食料、衣類など全て領主が支給し、領主の直営地で農作業する農奴も多くいました。
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この回答へのお礼

農機具なんて別に借りなくても作るよ、とは言えないのでしょうね。パンを焼く釜もレンタルというのを聞いたような・・・。ご回答、ありがとうございました!

お礼日時:2013/09/25 00:56

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