限定しりとり

白旗を掲げるのは“降参”を意味するので、白は敗者の感じがします。
囲碁は、中国が発祥の地だと思います。
そこで、もしかすると四神では、白虎と玄武では白虎の方が上位かと思ったのですが、そんなことはなさそうです。
戦国時代、武将は囲碁を好んだそうですが、当時から強い人が白石を持ったのですか。
信長や家康と対局しても、碁の強い人が白石をもったのでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

No.3の dayone です^^再投稿失礼致します。


中途半端な投稿に過ぎないにもかかわりませず
過分な御言葉を賜り恐縮至極でございますm(_"_)m

以下 決して惑わす意図は御座いませんが、
別な見解が有るのを知り、なおかつ自身概ね納得した以上は
黙って見過ごすのは私の流儀に反しますので御報告まで。

さて、黒白逆転時期の範囲(鎌倉時代~戦国末期)をもう少し狭められないものかと、
あちこち当たってみましたところ、
『報知囲碁講義録.第1-12号/棋正社同人共編/大棋社/1925-1928』
なる書物に出会しました。

「囲碁の歴史」<311~367/393>(1~111頁)の中の、
「(鎌倉時代)」<334/393>(44頁)の日蓮の碁譜に疑義を唱え、
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1872834/334
「(算砂道碩時代) 餘論 碁子黑白尊卑の顚變」<364~367/393>(105~111頁)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1872834/366
…事實は恐らく今川大双紙にある如く、白石は夜目にもハツキリと見える利便があるから、
貴人を尊敬する意味に於て、夜は白石を先方に進める様になり、
こゝに古い慣習が漸く動揺するに至つたのであらう、…
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1872834/367
…正保(※1644-1648)慶安(※1648-1652)の間を以て
黑白の顚變期と斷定して然るべきであらう、…

上記のとおり、前掲の林道義氏の見解(時期&理由)とは全く異なる見解が示されていますが、
顛変期の見解は具体的で説得力がある結果、
その理由についてもこちらに引っ張られそうです^^
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

将にこれで決まりですね。
前回のご回答にも、
「それが今日のような事前配石を止めて、互先、下手黒上手白の様式に改まったのは
我が戦国の末、近世初頭と思われる」とありましたから、
今回の「正保(1644-1648)慶安(1648-1652)の間を以て黑白の顚變期と斷定して然るべきであらう」と一致しますね。

黒白逆転の理由が
「白石は夜目にもハツキリと見える利便があるから、貴人を尊敬する意味に於て、夜は白石を先方に進める様になり」
というようなことも一つの理由ということで、現代人には想像もつかない事情があったのですね。
黒石を持つことが多いヘボ碁打ちの私にとって、この質問と回答で勇気を貰いました。

「近代デジタルライブラリー」は、老眼の私にはいささか読みにくいのですが、必要なページがさっと出るようにご配慮して下さっていますので大変助かっています。

今回もまたまた、大層お世話になりました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

お礼日時:2013/11/23 20:08

>白旗を掲げるのは“降参”を意味するので、白は敗者の感じがします。



 白旗を掲げるのは、戦いをしに来たのではなく話し合いをしに来たという意味であり、降伏という意味は有りません。
 (捕虜交換、負傷者や死体の引渡し、クリスマスなどの慣習的に行われる休戦の詳細合意の為など)

 ハーグ陸戦条約
  第32条:交戦者の一方が他方との交渉を行うため、白旗を掲げて来た者を軍使と規定する。

 現実的な降伏時に行われる運用としても、白旗を掲げて交渉に来るのは圧倒的に有利な側がであり、有利な側が不利な側に対して与える最後の温情(直ちに抵抗を止めて此方の命令に従うなら命だけは助けてやる)としてが大部分です。

 なお白旗の濫用は、交戦対象による制裁の実施がハーグ陸戦条約で認められてます。
 (第二次大戦でも白旗を掲げた日本軍の軍使が多数殺害されています…。)

 なお、日本では源氏の旗印は白旗です。(平家の旗は紅旗[赤旗])
 その為、徳川家康などの源氏を称する武家などは、この白旗を使用しています。
 (中世日本であれば、源氏と平氏の戦いは白旗を掲げた源氏[源頼朝]の勝利ですから白は勝者の色という意味が強いかと…。)

 ちなみに、帆走時代のフランス海軍の軍艦旗も白旗です。

 また、フランス革命以降の各国での反革命の王党派の旗も白旗です。
 反社会主義・反共産主義という名目でも白旗は使用されますし…。


 囲碁の白石を後手の人が持つのは、白石のほうが圧倒的に高価だったりするからと個人的には考えていたのですが…。
 (正倉院に所蔵された聖武天皇愛用の碁石「紅牙撥鏤碁子」は緑と紅色ですので、白と黒という色自体が重要だった訳ではないでしょうし…。中国では玉という一種の宝石が最高級品だったようですし…。)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「白旗を掲げる」ことの意味については、いろんな受け止め方があるのですね。
私は単純に辞書に書いてある「負けを認める」「降参する」意だと思っていました。
大変参考になりました。

白旗の源氏が勝ちましたが、その後もなぜか勝負の世界では柔道の黒帯のように「白」は「黒」より下位になっています。
相撲でも江戸時代は、勝ちの印が黒丸●です。
そんな疑問を質問にしました。

お礼日時:2013/11/24 19:40

先手後手の有利不利は、既に御回答が出揃っている様子ですから、


白黒問題のみ言及させていただきます^^

─囲碁散歩(4)─
・碁石(その2)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~tenti/member/member0 …
…では囲碁において、黒と白ではどちらが先手であったのでしょうか?
現代は世界的に黒が先手ですが、古代・中世においては通常白が先手であったことが
文献上から明らかとなっています。
朝鮮と日本では一般に白色が尊重されています。
一方、中国では白色(葬儀に使われる色)は好まれません。
従って黒の方が尊ばれ、後手(上級者)が持つ色であったと考えられます。…
<参考文献>
「古書を通じてのルールの変遷史」連珠九段 坂田吾朗 連珠世界(2001年9~10月号)

上記の断片情報を手懸かりに少し調べてみましたところ、
肝心の逆転時期が明確ではないものの、早ければ鎌倉時代、遅くても戦国末期までには
黒白逆転が生じたようです。

・「『囲碁式』の文化史的意義/林道義」
『東京女子大学比較文化研究所紀要 56/1995』(1-16頁)
http://opac.library.twcu.ac.jp/meta-bin/mt-pdeta …
(・『日本教育文庫.衛生及遊戯篇/同文館編輯局編/同文館/1911』「囲碁式」)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1708813/342

<7上段/16>
二『囲碁式の分析』
 3 内容の特徴
次に、「向(L)局事」には、「先ヅ石のふたをあけて、黒きを敵のかたへやりて、
白きを我は取ルべし、員弁にかけ物の事、むねとの人また先達可(L)計、
其上に我存ずる旨を可シ(L)云フ」とある。
「まず碁笥の蓋を開けて、黒石を相手の方に押しやり、自分は白石を取るべきだ」
と言っている。これは重要な特徴である。つまり自分は謙遜して下手に出るべきだと
言っているのであるから、下手が白を持つことになっていたことは明瞭である。
上手は黒石を持つ習慣であったのだ。現在とは逆になっている。
これは古代では囲碁のルールはすべて中国から輸入したままの形で行なっていたからである。
つまり中国では黒は高位高官の色であり、高貴な色とされていたので、
上手が黒を持っていた。それをそのまま踏襲していたことを示している。…
<12上・下段/16>
三 囲碁用語・ルールから見た中世日本文化の特徴
以上の研究から明らかになったとおり、中国から恐らく四、五世紀ころに伝わった囲碁は、
十二世紀末の鎌倉初期までのおよそ八百年の間、中国から伝わったままの姿で継承されていた。
ところがそれ以後、…
大きな変化の一つに白黒の逆転がある。上記のように『囲碁式』では先手が白を持っていたが、
江戸時代の打ち碁の記録では先手は黒を持っている。
先手が白を持っていたのが、黒を持つようになったというのは、大きな変化である。
この変化が起きたのは、私の推測では鎌倉時代ではないかと思う。
これは恐らく武家社会になって、一方では貴族社会に対する反発があり、
中国文化に対する崇拝が薄くなったことと、
他方では色に対する感覚・価値観が変化したためであろう。
すなわち白が清潔・潔白を表し、黒が不吉・悪を表すとされるようになったためであろう。…

・「萬葉集を通じて見たる上古日本の遊戯/野口進」
『金城学院大学論集.国文学編19/1976-12-30』(1-12頁)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000221212
<6/12>
…万葉時代の碁の遊び方で今日と大きく異なるところは、
黒白互に二子宛を対角線上の星に事前に配石し、
それから第一石を打ち下して勝負を争ったことである。
この事前配石のルールは鎌倉初期までも守られていたらしいので、
万葉時代には勿論このルールに従って勝負が争われたものと思われる。
それが今日のような事前配石を止めて、互先、下手黒上手白の様式に改まったのは
我が戦国の末、近世初頭と思われる。なお、これは確実ではないが、
大江匡房(※1041-1111)の江家次第(※1111年成立)には
「上首は黒を把り、下﨟は白を把るる。云々」と記されている。
これでみると、平安末までは棋力の強い者、年長者、社会的地位の高い者が黒石を把り、
棋力の弱い者、若輩、身分の低い者が白石を握って、
白から最初に石を下したのではないかとも考えられる。…

日本の黒白逆転とは別に中国の逆転は何時?などと新たな謎も生じますが…
下記に当たってみましたところ、
・『大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要第15号/2013』
「資料にみえる碁の上手たち(江戸時代以前の碁打たち)/増田忠彦」
http://ouc.daishodai.ac.jp/ams_labo/publication/ …
<8/56>
…この事前置石制の場合に置碁はどのように石を置くのか、
明の時代の古棋譜をみると、二子局では現在と同様に黒石を対角線に二子置いて
白から開局している譜がある。三子局はさらに天元に黒石を置き開局している。…

などと上記だけでは何とも言えませんが、仮に「明の時代」だとしても
<1368-1644年>では日本と同様に幅が広すぎます(><)

以上 まことにもって中途半端ではありますが
少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

参りました! よくここまで調べられたと…。
碁は領地取りゲームですから、武将は、「城(白)を攻める」、「城(白)を取る」意味で黒石を持ちたかったに違いない、と想像していました。
「黒石で先手」を望んだのではないかと、つまらぬ想像です。

私の予想は外れましたが、お陰さまで疑問はすっきりしました。

林道義氏の推測では、鎌倉時代頃から「先手が黒」に変わったのですね。
その理由として、
「これは恐らく武家社会になって、一方では貴族社会に対する反発があり、
中国文化に対する崇拝が薄くなったことと、
他方では色に対する感覚・価値観が変化したためであろう。
すなわち白が清潔・潔白を表し、黒が不吉・悪を表すとされるようになったためであろう」
と推測されています。

ここでまた、疑問ですね。
「白が清潔・潔白を表し、黒が不吉・悪を表すとされるようになった」のは鎌倉時代頃からだろうか、という疑問ですが、気に留めておきたいです。

いつもながら素晴らしい論文を教えて下さってありがとうございます。
読み応えがあります。
正倉院の碁石が紅と紺とは驚きです。
疑問は解消しましたので、明晩締め切りたいと思います。

お礼日時:2013/11/22 21:31

>囲碁は、なぜ強い人が白石ですか。



「強い人が後手、弱い人が先手」ってだけです。

囲碁は、経験上「先手が有利」って知られているので、弱い人の方を有利な先手にしているだけ。

で、囲碁は「先手が黒、後手が白」なので、結果的に「強い人が白(後手)」になっただけです。

なお「先手が黒」な理由は、元々の囲碁が「占い」から来ていて、19×19の361個の目は、1年の日数を意味し、黒は夜、白は昼を意味します。

1日は、夜の0時から始まるので、囲碁も「夜を意味する黒から始まる」のです。

このような理由で、先手が黒になっているのは、囲碁が中国で発明されてからの伝統です。

そういう訳で

>白旗を掲げるのは“降参”を意味するので、白は敗者の感じがします。

と言うのとは関係ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

一日は夜から始まるので夜を意味する黒が先手の石になった、という説があるのですね。
中国古代の碁盤が19×19になったのは隋代以降だそうですから、その頃から、一日の始まりは夜、つまり「黒が先手」というしきたりになったのですね。
そして、「先手が有利」ですから、弱い人が黒石を持って先に打つ。なるほど!!

このような説を誰が発表したのか興味があります。
中国では、白は縁起の悪い色で弔事の象徴色ですから、強い人が好きな色(黒)を選んで後手で打ってもよさそうですが、そんなことに無頓着であることから日本人が言い出したのかも知れません。

いろいろ調べるきっかけになりました。大変参考になりました。

お礼日時:2013/11/22 11:50

碁は先手が有利というのが昔からわかっていますので、


有段者は後手、挑戦者は先手と決まっているのです。

つまり後手で勝つ人というのは、その不利な条件でも勝てる実力者なのですから
当然「強い」ひとなのです。

それに碁の用語から生まれた勝敗を決める言葉は
「白星」「黒星」です。白星=勝ちです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「白星」「黒星」なる用語が碁から来ているとは知りませんでした。
相撲から出た用語ではないのですね。
両国の相撲博物館に保存されている江戸時代の「勝負附」では、「勝てば黒丸を付ける」となっているそうです。
それで混乱しています。

お礼日時:2013/11/22 10:59

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