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なぜ忍者屋敷はからくりがあるのですか?
忍者はスパイですから、他人に忍者であることは分からないわけですし、
あの家は忍者の家だということも分からないと思うのですが。

A 回答 (11件中1~10件)

敵の大名も忍者を抱えているので、情報の探り合いでばれることは多々あるでしょう。



実際に当時の忍者屋敷が滋賀県の甲賀に残っています。行ってみると歴史なども学べますので、行ってみて下さい。

参考URL:http://www.chemnitz-aktuell.info/
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スパイはスパイ間での情報のやり取りがあるので、一般人からはわからなくとも忍者同士であればどこに住んでいるかばれてしまいます。


また、忍者は裏切りが日常茶飯に行われますので、昨日の友は今日の敵ということで、身近な相手にも警戒が必要なストレスのある職業です。
そのため、家に招き入れる必要のある人間が突如裏切る場合などを想定していたと考えられます。

ある程度地位のある立場の忍者の場合に特にその必要性を感じていたので、からくり屋敷となったことが考えられます。屋敷というくらいなのである程度大きな規模の住居でしょうから。

おそらく戦国末期の天守閣が多く作られるようになった時代は、その知恵を借りて今でも有名なうぐいす張りやネズミ返し、隠し部屋などの姿となっていると思われます。
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昭和の頃には子供向けに「スパイ大百科」なんて本がありまして、少年だった私は夢中になって読んだものですが、それによるとスパイの秘密基地はビルのてっぺんがヘリコプター基地になっていて、いざというときはマジンガーZみたいに屋上がウィィーーンとなってるとか、地下は地下で秘密の出入口があって、これまたいざというときは隣接する運河にモーターボートで脱出できるとありました。


だけど、そういうスパイ秘密基地というのはたぶん世界中のどこにもないと思うんですよ。CIAやKGBの本部ビルもそりゃ隠し部屋くらいはあるでしょうけど、屋上の秘密のヘリコプター基地はないと思います。というか、そのヘリコプターをどこから入れるのかって問題がありますよね。部品ごとにバラして中で組み立てるか。でもそうなるといざというときに使うときと試運転が一緒で怖いなあ。

それで、私は伊賀、甲賀の里を訪ねたことはないですが、かの地の旧家にはかような仕掛けが施されていたという話を寡聞にして聞いたことがありません。観光客向けの忍者ハウスにはあるみたいですけど、あれって後から建てたものでしょ?
つまり、からくり忍者屋敷なるものがそもそも実在していたのかどうかが怪しいと思います。ただ、これ、あくまで私の想像なんですが、モデルハウスとしてそういう家を作っていた可能性はあると思います。
忍者というと暗殺者とかそういうイメージですが、襲う側であるなら、当然守る側もできます。コンピューターセキュリティの専門家に元ハッカーが多いのと同じです。元泥棒の防犯の専門家もいますよね。
それのように、実はDLとかネットバンクとかやらなければPCのセキュリティソフトっていうほど要らないのと同じで、忍者業界も平和な世の中で仕事を続けるために「お宅のセキュリティは大丈夫ですか。当社ではこのようなモデルハウスをご用意しています」という屋敷を作って「ほら、このようなものを作れば万が一のときも安心です」とやっていたのではないでしょうか。
そもそもからくり屋敷を作るなら設計段階でそうやって作っておかないといけませんからね。

この回答への補足

念のために書いておきましょう。

旧家から忍者屋敷はありました。私が行ったのは30年くらい前ですが。
甲賀の方は旧家の忍者屋敷を公開していました。他にも忍者屋敷はあったそうなのですが、公開しているのはその一軒だけということでした。他の家は普通の家として使っているということでした。
家の中にある落とし穴で人も死んでいるので、年1回供養をしているということでした。

伊賀の忍者屋敷は復元ですが。

ん~、こういう回答は困るんですよね。

補足日時:2013/12/17 13:58
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保険の一節には笑えました。

そういう卑近な観点が生きた日本史の要領に思います。
現代は意味なくても保険に入る馬鹿がたくさんいてあれほど儲かるカラクリもありません。馬鹿は騙されます。

忍者大学卒業者が国家忍者資格に合格して更新制度がなく忍者登録番号だけで一生左うちわならばカラクリするより文化人ぶった趣向を凝らしたでしょうね。

忍者は生まれの境遇ですから忍者気質がないのに偏差値で忍者業を始められません。
剣豪の宮本武蔵のイメージがいいのではないでしょうか。道場の教員ならば剣術よりも五時から男になります。武蔵は常に戦いを想定していたはずです。戦いが全ての価値を決めます。戦いキチガイなわけです。
忍者も忍術キチガイなわけです。そういう家主の家は変な家になるという。
核シェルターを作る人や天体観測ドームを作る人。カラクリは意味あんのかと聞かれたってカラクリキチガイですから。

要するに学問馬鹿になって何でも相応の理由で体系化できるというのが学問キチガイなのです。無意味でも白昼堂々と成立するんですよ、日本の大学教授もブスの厚化粧も。万里の長城だって全く合理性がなくても築城可能です。現代において学問キチガイほど迷惑な物はありません。例えば愛国教育がなされない理由の説明を教員が反対する以外で論じ上げても頓珍漢。
忍者の家を忍者がどうしようが家主の好き。立派な役所や真っ赤な学校は公共財ですから馬鹿は許されませんが、城や忍者屋敷は私有財産なのだから大きなお世話。
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現代における忍者屋敷



忍者屋敷にはカラクリがあったことになっているので、そのカラクリを体験することと引き換えに入場料を取るという営業行為であるから、「現代の忍者屋敷には(見えるようにして)からくりがある」

江戸時代における忍者の住居
旗本なり御家人あるいは大名家の家中ですので、通常の武家屋敷です。
幕府における忍者は現在の千代田区番町のあたりに住んでおり、江戸城に勤務していおり、彼らの屋敷は足の武家屋敷と変わりません。

カラクリのあるものは、守る対象である将軍や大名の屋敷で、私が見た中では伊達家の菩提寺である瑞巌寺にあったように記憶しております。

江戸時代以前の忍者屋敷(土豪の屋敷)
守るべき対象が自分自身となります(江戸時代と比較した時に)敵の襲撃に対して自分の身を守るための仕組みがカラクリとなります。
※ 江戸時代の守る対象が将軍なり大名であったのに対して、江戸時代前は自分自身となりますので、カラクリという自己防御施設が自分の屋敷に存在します。


現代の忍者屋敷は、この江戸時代前の土豪の屋敷を再現したものとなっております。
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 敵の不意の襲撃に対してあちこち隠れる場所があれば時間稼ぎができると思います。


何も忍者にかぎらずとも、日本でも西洋でもお城には色々隠し部屋がありますし、いまどきでいうならばシェルターはありますね。
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 もちろん自らの拠点は秘匿されていますから普通は分かりません。

ですが相手方も当然忍びの者(スパイ)を囲っていますから互いに諜報戦の要である忍びの者の拠点(忍者屋敷)を探し出そうとするはずです。
 相手も忍びの者(プロのスパイ)ですから見つかる可能性はありますから常に備えはしていないと生き抜いていけません。
   ということだと思います。
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 お尋ねの忍者屋敷は戦国時代(室町後期)の物ですね?



ご存じかもしれませんが、忍者集団は特定地域の地侍、

戦国大名の家臣団に組み入れられなかった下層の侍集団

とその郎党たちでした。

 彼等は一面では居住地域一帯(伊賀・甲賀など)の支配者

で大名の武士団からすると弱小勢力ですから家屋敷や地域を

守るために様々な知恵をこらしたからくりをほどこす必要が

ありました。ここで勘違いがあります。彼等は初めからスパイ

を生業としていたのではなく同時に一定地域の支配者ですから

それなりの屋敷を堂々と構えていたのですよ。

 その彼等が大名に滅ぼされないあるいは吸収されないために

とった生業が複数の大名と契約をかわして大名が望む情報を得たり

時には雇用主の大名に敵対する大名の支配地で工作する術を

訓練で身につけて売り込みました。

 つまり彼等はサラリーマン的なスパイ屋さんではなくて

自分たちの支配地域を守るための自営業だったのです。
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今で言うと、生命保険に入るみたいな感覚では、ないでしょうか。


だれも交通事故で入院するから、保険に入ろう
なんて人はなく、もしものための保険。

それと、忍者とはいえ絶対にばれないって限りません。
自宅をからくりで装備することで、自分の身を引き締めていた
緊張感を保っていたのでは、ないでしょうか。

これは、私の個人的な考えですが、
忍者が仕事中に家を留守にしたとします。
その留守中に、敵がその家に進入したとします。
からくりがなければ、のっとられますから、これでは
仲間の忍者にバカにされ
「お前、忍者としてどうなの?」なんて恥をかかされます。
こんなことのないように、からくりで家を守るというか
実は、忍者のプライドを守っていた、、、。
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Mutu100さん、こんばんわ。



忍者はスパイですから、他人に忍者であることは分からないわけですし、
あの家は忍者の家だということも分からないと思うのですが。
いいえ、わかるのです。
忍びの里といわれる伊賀や甲賀で上忍の家系という屋敷には必ず、からくりがありました。必ず、いつ襲われても脱出できるように抜け道があったりしたのです。
上忍というのは忍びの元締めのような人です。
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