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 ぼやきを兼ねた質問です。先日、他大の学生の卒論を指導しました。私がやる必要はないのですが、その大学だと相手にされないと訴えるので「同情した=共感した」という動機が大きいでしょうか。私も自分が学生の頃、指導教員に相手にされないで悔しい思いをしたので、手伝ってやるかという気になりました。

 論文は非常に良いものが完成しました。私がこれまで指導した中でも最高の出来と言ってよいもので、どこの大学に持っていっても8割以上の評点がつくと思います。昨今の東大の院生の論文も面倒見たけれど、それに比べてもよいものだと思います。だから修士論文と言っても通用するかもしれません。

 ところが主査である他大の教員Xは、自分の勉強不足を棚に上げてその論文を批判しているそうです。仔細は書きませんが、専門的に見て愚劣な指摘です。 先刻、仲間内で話したけれども「そりゃ普通じゃないよ」という結論に落ち着きました。Xの物言いからすれば、評点は6割くらいをつけるつもりでしょう。9割がつく論文が8割に格下げされた程度ならわかりますが、卒業に必要な点数すれすれというのは納得し難いことです。

 私が出て行って相手をボコボコにしたい気持ちはありますが、「治外法権」なのでそれはしません。とは言え内心では、「全く指導もしないくせに最後になってくだらないことを言い出すとは何事か」と、憤懣やるかたなし、という気持ちです。

 学生は院に行くわけでもないし、これで終りなのです。大学生活が暗いものであっただけに、最後くらい花を持たせてやりたいと思って手伝ったのでした。私は指導教員と仲が悪かったけれど、最後は「感動したよ」と褒めてもらえたものです。人間の悪意っていうのはここまで行くものかと愕然としています。

 で、質問です。こういう劣悪な教員が「天罰」を受けることはないのでしょうか? どうも気持ちが落ち着きません。まあ私が甘いことを言っているのかもしれませんが・・・。

A 回答 (3件)

こんにちは。



天罰はふつうないですね。言いたい放題やりたい放題の人物は長生きする傾向があり,気配りの人間ほど定年前か早めに鬼籍に入っています。しかし,これから高齢化が進み疲弊した社会で生きていくことは,古来いわれてきた慶事ではなく天罰と認識されるかもしれません。

お書きになっている「預かり弟子」は,いくらか事例を知っています。ぼく自身も,某公立大学で師匠の兄弟弟子(ぼくからいえば叔父さん)のお世話になったこともあります。また,他大学の大学院改組のドタバタがらみで預かったこともあります。

師匠と他大学の師との関係が悪く,それを知らずに学会で知り合った縁でうかつに頼ったりすると,あまりいい結果にならないように思います。両方の師のあいだで,見解の相違か,対抗意識か,やっかみかがあると,面倒です。

これはそういうケースじゃないですか? 「相手にされない」でDさんが相手にしたということは,根本的な見解の相違があったようにも見えるのです。また,天罰が下るべき人物は,Dさんの未知の人物ではなかったはずです。「あいつのことだから,くだらねえ結果になるだろな」という予測もついたのではないかとも思えるのですね。

ぼくなら,くだんの学生に,最初にこう言います。「おれは学界じゅう敵ばっかだよ。君の先生とどうとは明言しないけどね。プロが手を貸せば,いちおう通る卒論は書けるさ。それ以上にどんな評価をくらうかは知らんよ。むろん,おれが手を貸したなんで言うんじゃない。それでもいいかい?」。ぼくはそんなに好人物じゃない。

なお,

>私は指導教員と仲が悪かったけれど、最後は「感動したよ」と褒めてもらえたものです。

ぼくの指導教員がはじめて「最近は面白い仕事してるようじゃないか」と言ったとき,彼はとうに定年退職し,ぼくは助教授になってましたよ 笑。

この回答への補足

>破格を出さずに、

 こういう優等生的なやり方に対して怒る方もいると思うので書いておくと、これは私が苦労したからです。学生の頃に私自身が周囲から猛攻撃に遭って、誰がどう読んでも防御できるやり方で書こうと思ったのです。中身は前衛的でも、形式は後衛的という形をとります。

 書いていて気付きましたが、私がショックを受けているものの中には、私のストラテジーが「劣悪な教員の胸先三寸」で水泡に帰したことかもしれません。「誰がどう読んでも防御できる」という前提でしたから。

補足日時:2014/01/26 18:43
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この回答へのお礼

 こんにちは、Pさん。ありがとうございます。

>天罰はふつうないですね。言いたい放題やりたい放題の人物は長生きする傾向があり,

 おっしゃる通りでしょうね。この人物は立派な服を着て、好々爺に見え、世間ではジェントルマンで通っています。天罰があるとすれば、
 ・まともな弟子が全くいない
 ・クズ論文しか発表していない
というあたりです。しかし当人が気に病まなければ、これも「天罰」とは言えません。

 打撃があるとすれば研究科がブッ潰れることで、実際、お隣の研究科がそうなったそうです。「ざまあみろ」としか言い様が無い話です。いっそ大学そのものがブッ潰れてくれたらいいのですが、それはないでしょうね。どことはいえないけれど、名前を出せば誰もが知っている大学です。Pさんも割と褒めていらしたかな。偏差値の割に質の高い教育だと。私だけがボロクソに言っていましたが、これはこうした関係で内実を知っていたからです。

>「相手にされない」でDさんが相手にしたということは,根本的な見解の相違があったようにも見えるのです。

 そうですね。まあわかってはいたんですよ。しかし若干期待もしていました。私はたぶんマヌケなんでしょう。論文がよいものであれば、学者である以上、その矜持にかけて正当に評価するはずだと信じてたのですから。私自身も理不尽なことには遭ったけれど、そう思ってやり続けて、認められていったわけですので。「こいつが相手ではまともな結果にはならないだろう」とは、わかってはいるんですが、やはり若干の希望は持っていたわけです。

>ぼくなら,くだんの学生に,最初にこう言います。

 私は、こんな感じです。「君の大学の教員は極めつけの馬鹿が揃っている。私はそんな馬鹿どもの世界に巻き込まれたくないと思っている。どれくらいバカな世界か。論文を書いても、それが正当に評価されるかどうか心もとない。自己満足に終わるかもしれない。君が少し賢くなって、主体がはっきりしてくるという程度かもしれない。それでもやってみようと思うなら、私が面倒見よう」。だから学生当人は、私が張っておいた予防線のおかげで?、割と元気なんですよ。しかし私がむかっ腹がたっているわけで。

 ちなみに私の名前はどこにも出ていません。中身を読んでも、これはDだと特定することは難しいでしょう。論文は何かの 学説を支持しているわけでもなく、論文作法通りです。 形式的なものに、私の癖は出てはいます。絶対に三章構成で、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼを外しません。破格を出さずに作法通りにやるというのが、私の偏執的な癖です。しかし「これは間違いなくDだ」と特定させるほどのものではありません。

>>私は指導教員と仲が悪かったけれど、最後は「感動したよ」と褒めてもらえたものです。

 これがラッキーすぎる経験だったんでしょうね。私はやはり甘ちゃんなんでしょう。どうも人を安易に信じるところがあります。

お礼日時:2014/01/26 18:32

同業者です。



まあ、落ち着いてください。ご質問の内容には、いくつか疑問があります。

まず、その学生の指導教員は、Dieckbec13先生とは知らなくても、他大の教員が自分の学生を指導していることを知っていたのでしょうか? 

次に、その学生は、その卒論を自分のものとして内容をちゃんと指導教員に説明できたのでしょうか?

学生は、他の教員に指導してもうらなら、指導教員に一言断るのが筋です。筋を通してないなら、論文の出来は別として、まず、自分で書いたかどうか疑われます。
もし、その学生が他大の教員に指導してもらっているということ(そして、それが誰かということ)を自分の指導教員に話していないとしたら、その指導教員は、その学生が自分で書いたものではないと疑っている可能性も高いのではないでしょうか? 私なら、その学生が一人で作成できないレベルの論文を提出してきたら、まず、誰かに代わりに書いてもらった?、あるいは、他の誰かの論文の盗作では?、と疑います。

>ちなみに私の名前はどこにも出ていません。中身を読んでも、これはDだと特定することは難しいでしょう。

これは、逆効果だと思うんですが。
私なら、自分が嫌いな人でも、同分野の名の通った研究者が指導してくれた論文なら、まあ、内容はちゃんとしてるんだろう、と思って、一定の評価はします。(もちろん、内容を確認してからですけど。)
しかし、学生が自分では書けないレベルの論文を自分で書いたと言って出してきたら、内容がどうであっても評価はできません。上に書いたように、盗作?、と疑ってしまいますし、他の研究者に、単なる「助言」ではなく「指導」をしてもらうんなら、疑われないように一言断ってからしてもらうべきだと思うからです。

だから、上の2つの質問をしました。ちゃんと筋は通しているのか、学生は自分の論文の内容を100%理解して説明できるのか、です。
もし、上の2点がクリアできているのであれば、その学生の指導教員がおかしいです。
しかし、両方クリアできていないなら、学生が自分で書いたのではないと疑われても仕方ないですし、前者だけクリアできてないのであっても、その指導教員に学生への不信感を持たせるには十分でしょう。後者なら、話になりません。いくら論文がよくできていても、自分で書いてないよね、と思います。

> で、質問です。こういう劣悪な教員が「天罰」を受けることはないのでしょうか?

「天罰」なんて存在しないと思いますが。
その教員が研究者としてダメだというなら、その教員自身やその教員の学生が学会発表しているときに難しい質問でもして恥をかかせてあげればいいと思います。

自分が指導した学生がかわいいのはわかりますけど、アカハラだっていうならその学生が訴えればいいだけです。そもそも、その学生がちゃんと筋を通してないなら、卒論として認めてもらえるだけありがたいと思った方がいいと思います。
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この回答へのお礼

>そもそも、その学生がちゃんと筋を通してないなら、卒論として認めてもらえるだけありがたいと思った方がいいと思います。

 ご見解をありがとうございます。最初に言っておくと、冷静ではあります。「落ち着かない」というのは、納得いかないという意味です。まず「筋」なるものは通していないと思いますね。しかし私はそれが必要なことだとは理解できません。ヤクザの縄張り争いでもあるまいし、と思いますね。

 学生が自分で書いたのかどうか。これはあらゆる場面でわからないものです。奨学金の申請書のようなものから、投稿論文に到るまで、本当に独力なのか?と疑うような場面は多くあります。しかし真贋はさておき、一先ず、学生が書いたものだと看做して評点をつけるのではないですか。

 例えば三流大学の無名教員Yさんの指導で見事な論文が提出されて来たとする。Yさん自身が書けるはずもないクオリティで、その弟子が実現できるはずもない。じゃあこの論文は疑われるのか。私は「鳶が鷹を生んだ」として祝福されるものだと思っていましたよ。

 筋云々というのであれば、私は次のやり方の方が本当だと思います。妙な質問などしてこないで「これ、本当に君が書いたの? 誰かに手伝ってもらったの? ちょっと細かい質問をしてみてもいいかな?」と聞いてみればいい。すなわちこれが第二点目の質問になると思います。

>次に、その学生は、その卒論を自分のものとして内容をちゃんと指導教員に説明できたのでしょうか?

 これはちゃんとできたそうです。私が指導すると、これができない人はいないはずです。何時間でもかけて、徹底的に「それだとわからねえよ」とダメだしし続けるので。筋は通していませんが、自分の論文として提示することはできたと思います。ならば真作と認めるのが、教員側の礼儀だと思います。私が甘いんでしょうかね(なお真贋は批判の焦点にはなっていないようですし、そもそも疑われたとも聞いてはいません)。

>その教員が研究者としてダメだというなら、その教員自身やその教員の学生が学会発表しているときに難しい質問でもして恥をかかせてあげればいいと思います。

 こういうのを天罰ならぬ、「天誅=報復」というのでしょう。そしてこれをやり始めたら、ハラスメントの連鎖が起きるでしょうね。私にそれはできませんよ。私は文系ですが、学生が一年やっていくためには生活費込みで200万円あまりかかります。16枚程度の論文でも、1枚に12万円以上かかっているんです。血の滲むような思いをして書いたのだろうから、私なら意地悪な減点をするより、助言をしてやりたいと思いますよ。私の質問は「ぼやき」なので曖昧なものではありますが、報復する場面はどこにあるか、と聞いているんじゃないんです。

お礼日時:2014/01/27 08:18

その教員が本当にあなたが言うように劣悪な教員であれば天罰は下ります。



因果応報です。

人から好かれるはずもなく、卑劣な事をした身から出た錆で報いはきっと受けるでしょう。

あなたが手を下す必要もないですよ。
いずれ噂で聞くのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。そう願います。

お礼日時:2014/01/26 16:05

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