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自己評価の心理学(クリストフ・アンドレ&フランソワ・ルロール)

の中に自己評価を高めるためには「行動する」必要があるとありました。
この「行動する」の目的語は、もしぼくが後回しにしていた設計課題であれば、「設計課題を」ということになるのでしょうか。

つまり、ある分野での自己評価を高めたいなら、その分野のことを「行動しなさい」ということでしょうか?

A 回答 (3件)

私なりに考えれば、行動の目的語は自分にできることに限ります。

できないことをやって自己評価を高めようとする人は原理的に挫折します。
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この回答へのお礼

「できること」こそが「自己評価を上げるために行動すること」なんですね。

ぼくの場合、設計課題は「一度も」手をつけたことがないのです。つまり、「できるか、てきないか」すら判明しない状態です。

やってみます。

お礼日時:2014/05/04 08:44

そうだと思いますよ。



ダイエットしたいのに、食べる行動を起こしても逆効果だし、筋力をつけたいのに本ばかり読んでの勉強を繰り返しても仕方ないでしょう。
プロテインでも採って筋トレしろ、って話ですよね。

目的に似合った「行動をする」ことでしか、見合う成果は無いでしょう。
その成果を得て、自己評価は高まる。
違いますか?


少しでも参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ぼくは「あれに自信がない。それををしよう。よし、その前に他のあれをしよう」といった感じで横道どころか違う道をよくしようとしてしまうのです。

本題から逃げないようにしたいです。

お礼日時:2014/05/04 08:45

行動しても、失敗したら自己評価はむしろ下がるでしょうね。


だから達成目標を細かいステップに分けて段階を踏むことが大事です。


なお、♯2のかたのいってることは、一般論としてありだと私は思いますけどね。単純にスポーツや勉強、仕事ができるならその人は、その分野においては確かに自信があるといえるかもしれない。

ただ、根本的に他人に対して劣等感がある人が自信をつけようと思って、何かをがむしゃらに頑張ってそれなりの地位を得たような場合、そういう肩書や地位名誉を他人は認めるかもしれないが、その人そのものを認めるのかというとそれは違うと思う。そして、人というのは、表面的な飾りではなくその人そのものが認められないと、安心感やそこからくる本当の意味での自信というのは得られないようになっているのです。

そうして、それなりの結果は出しているけど傲慢で鼻持ちならない、自己愛の強い(=ナルシスト)人間が出来上がるというわけです。本当に自己評価が高いなら、わざわざ自分をよく見せようとする必要はないわけなんで。

だから一般論としてナルシスト=自信家=(本当の)自己評価は低い、という解釈は間違ってないのです
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この回答へのお礼

ナルシストのことはどうでもいいです。
他人に劣等感もないですし。

ぼくがいま問題にしてるのは「設計課題をする」という物質的なことであって「他人がどうのこうの」ではないです。

お礼日時:2014/05/04 17:34

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