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先日新聞に第二次世界大戦の戦死者についての一覧表(?)が載っていました。
この時代について元々興味があるのですが、不勉強の為こちらで質問させて下さい。

その記事によると、全国でソ連の戦死者が圧倒的に多かったのですが、私の勝手な印象でそんな風に感じていなかったので意外でした。
原爆、無理な作戦による日本の若者が多数戦死、とか、ナチスドイツの大量虐殺、とかそんなことばかりの印象が多かったので、ソ連について全く知識がありませんでしたが、あの戦争でソ連はどんな風に戦ったのでしょうか。

A 回答 (7件)

あの大戦で、ソ連は人海戦術を使ったのです。


「小よく大を制す」を理想とする日本とは異なり、ソ連の戦術は基本的に、圧倒的な兵力と物量で戦場の制圧を狙うものでした。するとどうなるか。「勝利」の定義が変わります。すなわちソ連軍にとって、勝利の基準は損害の寡多ではなく、目的を達成できたかどうかだった。逆に言うなら、自軍の兵士を湯水のようにつぎこんでほとんど戦死させてしまっても、目的の敵陣を攻略するなど、当初の戦術目的を達成すれば、それはソ連にとって勝利だったのです。
戦死者の大小を度外視する戦略をとっていれば、戦死者が増えるのは自然の理屈です。かくして、先の大戦で、ソ連軍は勝ち戦であってもつねに敵の数倍の死傷者を出し、第二次大戦におけるソ連軍の死傷者総数は、ドイツ軍の5倍に達したといいます。
この戦術を徹底させたのが、ゲオルギー・ジューコフというソ連軍の有名な将軍です。(日本の山本五十六にあたる人)
彼は、ソ連軍が戦闘技術や兵員資質では敵より劣っていることを自覚しており、一方の強みは物量にあると理解していました。よって、勝利のためには、敵の数倍の自軍兵士の人命を消耗する必要があることを、最初から必須の前提として考えていたといいます。
自国兵士の膨大な死傷者数に動じないジューコフの冷酷さには、スターリンですら感銘を受けたといいます。
ソ連が戦勝国であったにもかかわらず、戦死者が敗戦国よりもダントツに多くなったのは、こういう事情があったと考えられます。
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粛清で殺したり、計画経済の失敗で餓死したり、そもそも統計すらとってなかたりで、なんとなくこんだけ死んだから、戦死者は全部合わせてこんだけ死んだと発表しただけだと思います。



もとより、銃を2人に一丁与えて突撃させたりとか、弾5,6発だけ与えて銃は拾えと命令して突撃させたりとかむちゃくちゃですしね。

普通でしたら1万人突撃、2000人が敵に殺されて残存8000人とかですが、ソ連の場合は、1万人突撃して、2000人が敵に殺されて残りの8000人は味方に殺されて全滅ってのが日常的でした。
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A:>原爆、無理な作戦による日本の若者が多数戦死、とか、ナチスドイツの大量虐殺、とかそんなことばかりの印象が多かったので、ソ連について全く知識がありませんでしたが、あの戦争でソ連はどんな風に戦ったのでしょうか。




回答:稚拙な作戦と人海戦術。
(WW2でソ連が戦ったのは主にドイツとフィンランドですが、どちらもやってみたら非常に戦争が上手かったということもありますが)

当時のソ連の状況ですが
スターリンは、戦前にソ連の共産党内の権力闘争で大規模な粛清を行い、ソ連国民2000万人以上を処刑しました。(戦争中の死者とは別です)
この中には、軍人も含まれており、指揮官である大佐以上の軍人も、その65%が粛清されました。
こんな状態では軍という組織の運営などできず、まして戦争などできるはずもありません。
ドイツが攻め込んだ理由はこれにあります。

ソ連は↑による指揮官の人材不足を、人命を無視した人海戦術でカバーするしかありませんでした。

1:とにかく国中から「人民」を集める。
  (徴兵ですらなく、町や村から誘拐同然で「勧誘」していました。)
2:そのような「人民」を充分な訓練もしないで戦場へ送ります。
  当時のソ連はど田舎の農業国で、「人民」の教育水準は低く、文盲や計算ができないのは普通でした。
  (これは戦後も同じようなものでしたが)
  その為に、農村でトラクターを運転できれば、すぐ戦車兵にさせられました。

【おらコルホーズ嫌だ】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1697706

3:指揮官のレベルも低いで、高度な作戦など不可能な為に、ただの突撃しかできませんでした。

4:ドイツ軍は、叫びながら突撃してくる赤軍兵士に対して機銃や戦車砲で撃退します。

5:戦車があれば歩兵を乗せて一緒に突撃させました。(タンクデサント)
→戦車が撃たれれば道連れ、車上に密集しているので爆風や機銃や対人榴弾でも全滅。
戦車から落ちると、後続の戦車に轢かれました。
タンクデサント兵の寿命は2週間と言われていました。

6:撤退しようとする者は、政治将校が指揮する「督戦隊」に撃たれました。

【政治将校】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB% …
(主に一党独裁国家において、政府および一体となる党が軍隊を統制する為に各部隊に派遣した将校のことを指す。政府の政治原則を逸脱する命令を発する軍司令官を罷免する権限を有していることもある)

【督戦隊】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%A3%E6%88%A6% …
(軍隊において、自軍部隊を後方より監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却(敵前逃亡)或いは降伏する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のことである)

「督戦隊の歌」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2005014

ソ連の戦死者は↑のような戦術によるものです。
ジューコフのように、有能かつ粛清を生き残った軍人もいましたが、それは稀なケースですし、現場レベルで直接兵を指揮できる将校がいなければ、何もできません。



質問者様は、よくある「敗戦国が全て悪い」という「戦後の平和教育」を受けた方のようですが、

戦後の中国では、文化大革命や大躍進政策で数千万人(ソ連より多い)が粛清されたり餓死した事や、
ホロコーストは物的証拠がなく、証言のみで判決が下された事はご存知でしょうか、
(収容所の死体は、ソ連の粛清の犠牲者である可能性があります)

【文化大革命と大躍進政策】
http://www.page.sannet.ne.jp/mhvmhv/BunkaDaikaku …

【アメリカ軍の戦争犯罪】
「第二次世界大戦について」の回答画像6
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そもそも数字に疑問があります。



全人口1,6億のうち、0,3億も
死んだ、というのがちょっと信じられ
ません。

戦争は情報戦でもあります。
被害者数を多く見積もる、ということも
やられていると思われます。

それに、こういう数字は、公平な第三者機関が
綿密に調べた訳ではありません。
各国が出して来る数字をそのまま計算した
だけでしょう。

かなりいい加減でおおざっぱで、しかも
ある程度の作為が入っているとみるべきです。


”あの戦争でソ連はどんな風に戦ったのでしょうか。”
     ↑
次のようなエピソードが残っています。

記者「ナチスの地雷には手こずったでしょう?」
将軍「別に」
記者「そうなんですか? じゃあどうやって地雷を処理
   したんですか」
将軍「簡単だよ。兵士を横一列に整列させ、進め、と
   命令しただけだ」

当時のソ連では、農民とかの庶民は奴隷に近く、人命
尊重云々など念頭に無かったのです。
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ソ連はドイツを降伏させるためになりふり構わず戦いました…



後は第二次世界大戦の括り方ではないでしょうか?
日本は第二次世界大戦はあくまで「太平洋戦争」であり「日中戦争」は含んでいませんし
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理由は主に2つです。

「国土が戦場になったこと」と「敵軍も味方軍までもがおそロシアだったこと」です。

まず現在のバルト三国、ベラルーシ、ウクライナの全土と、ロシアのモスクワからサンクトペテルスブルク(当時の名前だとレニングラード)を結んだ線の東側は戦場になり、ドイツ軍とソ連軍の双方によって破壊されました。だから戦いに巻き込まれて犠牲になる国民がとても多かった。ナチスドイツにとってはロシア人というのは劣等民族だったのでまるで容赦をしなかったのです。
よく話題になるのは、当時のソ連軍の(いろんな意味での)おそロシアな点についてです。第二次大戦のソ連軍というとタンク・デサント戦術です。T-34の後ろに兵隊さんがわらわらと乗っているアレです。あの兵隊さんは野ざらしにされていたので、ドイツ軍の砲撃でいつも大変な被害を受けていました。あのタンク・デサントの兵隊さんの平均寿命はなんと二週間だったそうです。え?二年じゃないですよ。二か月でもないですよ。二週間。
奇蹟的(?)に戦争を生き残った人も、50歳まで生きられた人がほとんどいなかったという話もあるのでどれだけストレスだったかという話ですね。
また、まだ米ソの仲が良かった時期に米軍の士官が最新式の地雷除去法について自慢げにソ連軍の将軍に紹介したところ、その将軍はつまらなそうな顔をして、「そんなもん、兵隊をその上に歩かせればいいんだ」と返された、なんて話も残っています。
ちなみにドイツに雪崩れ込んだソ連兵の間で流行ったドイツ土産は「水道の蛇口」だったそうです。どういうことかって?蛇口をひねるとさ、水が出てくるじゃないですか。それを見たソ連兵が「すげー!さすがドイツの技術力!これ土産に持って帰ろう」となったそうでして・・・いや、日本兵も洋式トイレでジャガイモを洗ったとか、香水をウイスキーと間違えて飲んじゃったとかあるんだけどさ。

ちなみに近年の研究では、実は最も大きな人的損害を出したのは中国ではないかといわれています。日中戦争のみならず、蒋介石と毛沢東の間でも戦闘はあったのでそういう意味で全土が戦場となり、作物の不作で民間人に大量の餓死者が出ていたといわれますが、なにぶん当時の中国にはまともな行政府がなかったので実態がまったく分からない状態です。
また、インドも大変な損害を出したとインド系研究者は主張します。え?インドが戦場になったのかって?いや、当時イギリスの植民地だったインドはイギリス本国に大量の小麦を送らされました。そのため、インド人向けの小麦が不足して大量の餓死者が出ました。これも戦争がなければ出なくて済んだ損害ですから、戦争の犠牲者といってもいいでしょうね。インドも管理がアバウトな国なのでその実態は不明ですが、少なくとも数百万、数千万人の餓死者が出たという説もあります。
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>あの戦争でソ連はどんな風に戦ったのでしょうか



今ニュースでやってるウクライナとか、ソ連崩壊した時に独立した国々の、いわゆる外様の人々が主に前線にいきました。
アホが多い地域でして、ソ連軍部のいいなりで戦略もなにも考えず突っ込んだ結果です。水道の蛇口すら知らなかったという話は有名です。

要するに、田舎で何も知らない人々を言葉巧みに言って、何も知らないからこそ対策のしようもなく倒れていった、ソ連にとっては外様が死ぬだけだからそこまで痛い犠牲ではない。ドイツの圧倒的に勝る科学力に勝つためにそのような田舎者を放ち徐々に疲労させる作戦です。
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