プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本で行われていた「夜這い」といえば、地方の農村で行われていたイメージがあるのですが、江戸(東京)ではどうだったのでしょうか?

江戸(東京)は早くに欧化したので、日本的な男尊女卑の風習が最も少ない土地だと聞きます。そのため、夜這い文化は早い段階で消滅したのではないかと思うのですが、ご存じの方、ご回答をよろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

「夜這い」の習慣の説明には興味本位のものや断片的なものが多いので注意して下さい。


Wikipediaの夜這いの説明は相当に簡略化されています。

古代の日本には歌垣という習慣行事がありました。この風習は世界的にも広く存在していました。
この歌垣が衰退するのと前後して、惣村という現在の農村のような社会システムが発達しました。
この惣村の中に若衆組あるいは若衆宿という組織がありました。
平たく言いますと、現代の青年団のような組織です。
一定年齢の若者からなる組織で青少年の教育機関も兼ねていました。
この教育の中に性教育も含まれていました。
この性教育の部分が変形したもが「夜這い」と呼ばれる形式です。
詳しくは下記のサイトをご参照ください

歌垣 うたがき
www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/utagaki.html

惣村 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/惣村

若者組 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/若者組

寝部屋 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/寝部屋

歌垣の風習が仏教思想と結びついたのが盆踊りです。
これも男女の出会いの場を提供するものでした。
詳しくは下記のサイトをご参照ください

盆踊り - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/盆踊り

村落において若者の性の共有というのは古くからある風習だったということです。
決して異様なものでも猥雑なものでもありません。

江戸という街は、当初から都市として形成されたために、惣村に相当するものが存在しませんでした。
居住者も全国から流入してきた結果、惣村のような社会システムは発達しませんでした。
結果として惣村が持っていた若者の性の共有という習慣は受け継がれませんでした。
この習慣の延長線上にある夜這いという風習も受け継がれることはありませんでした。

歴史的には、性というものは生命を生み出す神聖なものという思想が裏打ちされていました。
この概念思想が欠落した現代の価値観で古い習慣や風俗を考えると誤解を生じますので注意して下さい。

以上ざっとした説明ですが何かあれば補足でご質問願います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

日本史にさほど詳しくない身としては、知らない事ばかりでとても参考になりました。
現代の日本社会をより理解するためには、日本の歴史を遡って知っていくことが不可欠ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 22:24

No..4です。

少し補足させてください。

ご質問の趣旨が「江戸の中心部でも田舎と同様の「夜這い」という仕組みがあったか」ということであれば、それは「ない」でしょう。ただ「江戸でも当時「夜這い」と呼ばれていた行為があったか」ということであれば、「あった」ということではないかと考えます。

要はご質問の「夜這い」の定義次第ではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

質問の趣旨は前者です。
「地方の夜這い文化」は津山事件(1938年)の頃にもまだあったと知り、何か異国の話のような強烈な違和感を覚えたので、自分の育った地域である東京はどうなのだろうと思った次第でした。
ここで教えて頂き、正直ホッとしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 22:17

江戸の川柳には「夜這い」をテーマにしたものが多数あります。

手元にあった「柳多留一・二」(岩波文庫)で目についたものだけでも以下の通りです。(表記はわかりやすく変えています)


約束の戸は二つとは叩かれず(二・14)

蚊帳一重でも夜這いにはきつい邪魔(五・16)

すっぱりと這わせておいて内儀起き(六・20)

えいやっと夜這いは足にたどりつき(七・12)

這い込むと泥坊(どろぼう)というむごいやつ(一四・3)

嫌ならばいいが嬶(かかあ)にそういうな(一五・13)


もちろん夜這いの舞台が江戸か田舎かということには触れていませんが、これだけ多数の句があるということを考慮すると、これらの句が作られた18世紀後半の江戸に「夜這い」がまったく存在しなかったとは考えづらいと思います。

ただし「すっぱりと…」や「嫌ならば…」の句の「夜這い」は、未婚の若い男がよその未婚の娘の家に忍んでいくという現代の私たちが想像する「夜這い」ではなく、既婚の一家の主人が妻の目を盗んで、住み込みの女中や下女などの部屋に忍び込む「夜這い」であることは明らかです。

当時でもこのようなことは表向きは「よいこと」とはされていなかったでしょうが、禁じればなくなるような性質のものではなく、それは21世紀の今も同じでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

地方と江戸では夜這いの意味が違ったのですね。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 22:10

普通に「不義密通」で犯罪です。



江戸では夜這いは犯罪ですから、バレたら状況次第では殺されても文句を言えませんよ。

実際は沢山あったみたいですが・・・w


余談ですが、家康入府以前までは知りませんが、江戸成立当初は男女比が8:2程で圧倒的に女性が少なかったので、夜這いと言うか女性が離婚・再婚する事が珍しくは無かったようです。

ルイス・フロイトによって日本の女性が離婚再婚する事と、其れにより女性の評価が下がらない事実を驚きと共に書き残されたりしてますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

江戸では犯罪だったんですか?
だとすると、江戸の人はその点に関してはまともな感覚を持っていたのでしょうね。少し安心しました。
とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 22:37

江戸は、大都会のため絶対的に女性が不足していたので、実質的に無理ではないかと。

地方(田舎)では客人に親が娘をあてがう「おもてなし」があったとか。(人が少ない集落では、血縁・近親結婚は、先天性異常を持つ個体の増加につながるとわかって余所者を歓迎した?)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 22:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!