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「愛している」という言い方はいつごろから言われだしのですか。翻訳語ですか?文学に登場するのはいつごろからでしょうか。世間で人が人に言い出したのは?愛しているという表現を使う前はどんな表現をしていたんでしょうか。

A 回答 (5件)

「愛する」という言葉の来歴については日本国語大辞典(小学館)のこの項目の「語誌」に詳しく出ていました。

(以下 引用)

1)平安初期には漢文訓読の際に用いられていたが、和文系資料では平安末期(院政期)以降に見られるようになる。

2)対象となるのは人・動植物・物事などさまざまであるが、対象への自己本位的な感情や行為を表わすことが多く、精神作用にとどまらない点が「おもふ」と大きく異なる。また人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へという傾向が著しかった。

3)明治中期love(英語)、lieben(独語)などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対して対等の関係での愛情を示すようになる。…

4)現代の用法は明治中期以降の流れに沿うものであり、口頭語としての用法も増えているが、文章語としての性格を脱したものとは言えない。語感に個人差・年齢差が大きいと思われる。 (引用 終わり)

したがって、「人が人に対して(特に男女の間で)」広く使われるようになったのは、明治中期以降ということになるでしょう。

ただしこの辞典が「(男女の間で)慕わしく思う。好きだという気持になる。恋しく思う」という意味で挙げている用例で最も古いものは江戸時代の為永春水の人情本『春色辰巳園』(1833-35)で、次が二葉亭四迷の『浮雲』(1887-89)でした。(以下 引用)

偽(いつはり)と思ひながらも今さらに、たがまことをか我はたのまん。これは仇なる男などの、深くも愛せずさすがに捨もやらぬを、相たのみたる女の心をよみたるなるべし。(春色辰巳園 巻一第2回)

苟(かりそめ)にも人を愛するといふからには、必ず先ず互に天性気質を知りあはねばならぬ。(浮雲)(引用 終わり)

男女間の「愛する」に限定せず、「人が相手を大切に思いかわいがる」意味で「愛」という漢字を使うことは古代にさかのぼります。

万葉集の有名な山上憶良の「子をおもう歌」の題詞には次の一節があります。(巻五 802)

…至極大聖、尚有愛子之心、況乎世間蒼生、誰不愛子乎。

…至極の大き聖(釈迦如来をさす-回答者注)すら、尚し子を愛(うつくし)む心あり、況むや、世間(よのなか)の蒼生(あをひとぐさ)誰か子を愛(うつく)しまざらむ。

「あのお釈迦様でさえも子を愛する煩悩を持っていらっしゃる。まして世間の凡人の誰が自分の子をかわいいと思わないだろうか」という意味です。仏教でいう「愛」は肉親や異性、お金、名声などに対する「愛欲」「愛着」(執着心)を表し、必ずしもいい意味ではありませんが、憶良は子に対する親の愛を肯定的にとらえていると思います。

また続日本紀(西暦759年=天平宝字三年 6.22)にはこのような記載がありました。

「不愛己妻喜犯他女爲婬。」
「己が妻を愛せずして、他の女を犯すことを喜ぶるを婬となす」

古語辞典は次のように指摘しています。

…現在「愛す」は普通恋愛感情を表す語として用いられているが、古文では、一見そのように見えても、かわいがる・いつくしむという気持ちで使われている。この語は「愛」という漢字との結び付きが忘れられ、和語のように意識されて用いられた。…(例解古語辞典 三省堂)

この「愛する」という言葉が難しいのは、漢語(中国語)の「愛」が日本語の「愛する」として受け入れられ、和語のように意識されていたところへ、明治になって西洋の「愛」の訳語として(キリスト教的な神の愛も含めて)も使われるようになった、いわば二重の外来語のような言葉だからではないかと思います。

立原道造(1914-39)は「爽やかな五月」という詩の中で次のように歌っています。最初に紹介した辞典の「語誌」に「口頭語としての用法も増えているが、文章語としての性格を脱したものとは言えない」とあることや、「愛している」という言葉を他人に対して口にする時に、現在でも感じる、ある種の気恥ずかしさのようなものをこの詩は示しているように感じます。
      …
《星よ おまへはかがやかしい
《花よ おまへは美しかった
《小鳥よ お前は優しかった
…私は語つた おまへの耳に 幾たびも

だが たつた一度も 言ひはしなかった
《私は おまへを 愛してゐる と
《おまへは 私を 愛してゐるか と
      …
なお、「愛している」「愛する」という表現が広く使われる以前には、男女間の「愛」に関しては「慕ふ」「恋ふ」「思ふ」「好む」などの表現を適宜使用していたと考えられます。
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この回答へのお礼

詳しいご回答を、ありがとうございます。たくさんの引用文も興味深かったです。言うときも聞く時も、それが文語だからしっくりこないのか?と思うようになりました。愛する思いを伝えるとき、文章なら効果的な気がしますが、口頭で「愛している」ではむしろ伝わらない気がして、別の表現を考えてしまいます。

お礼日時:2014/06/07 12:50

「愛」は呉音でも漢音でも「アイ」ですが、わが国では古来「愛す」という「小さいものを可愛がる」動詞として用いられて来ました。


1)いとほしむ…可愛(=愛すべし)くて切なくなる。
2)めづ…良いと思って楽しむ。
3)いとをしむ…おしくて切ない。もったいない。

「愛」が名詞として使われ始めたのは「キリスト教で、神が人々を救ってくれる恵みの心のこと」(「学研 漢和大字典」)という世界観からで、その室町末期以降の「神の愛」という概念がまずあって、その唯一者の審判の下に、その保証の限りで身分社会に捉われない対等な人間同士の愛が、概念として移入されてきて以来となるでしょう。

ですから明治末期に至り、「女性は原始、太陽であった」との青鞜社の創設と前後して、時代は次のような表現を伺い見る事になります。この「好く」「愛してゐる」「信仰」「生活の難関」「近付き易さ」といった微妙な関係表現の中にそれは置かれてあります。

「たゞ平岡を好(す)く気になれない丈であつた。代助は兄を愛してゐた。。けれども其兄に対しても矢張り信仰は有(も)ち得なかつた。嫂(あによめ)は実意のある女であつた。然し嫂(あによめ)は、直接生活の難関に当(あた)らない丈、それ丈兄(あに)よりも近付き易(や)すいのだと考へてゐた。」(夏目漱石「それから」)

「愛すること」、そのアスペクトは果たしてどう受け取るべきなのでしょうか。
1)既然相(現在完了形)…愛する→愛した→愛している
2)進行相(進行形)…愛する→愛している→愛した
3)過去完了形…その人を愛した(終止形:既然・進行?) ⇔ 私が愛したその人(連体形:過去完了)
ざっと見ても、「愛する」ことは瞬間動作動詞であり、また継続動作動詞であり、(結果)状態動詞であり、ひいては状態を帯び備えた先験・所有動詞でもあり得るようであり、従って言う人聞く人また第三者それぞれの恣意で受け取れそうで、その恐ろしさは実にたまりません。
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この回答へのお礼

詳しいご回答をありがとうございます。一生に何度、この言葉を伝え、伝えられるのかはわかりませんが、喜び溢れる瞬間でありたいと願っています。

お礼日時:2014/06/07 12:57

    #1です。

補足です。

>>1945年とは何かあったのでしょうか。

    それまでは戦前や戦中、その後は「戦後」と呼ばれています。1945年までは日本は独立国でした。
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「愛す」という言葉は、「広辞苑」によれば、「平家物語」「徒然草」「今昔物語」などから用例が挙げてあります。

だから、中世には存在した言葉のようです。しかし、その意味は次のようなものです。
 (1)「心がひきつけられ、慕う」「いつくしみ、かわいがる」「大切に思う」
    例 夕の陽に子孫を愛して(徒然草)
 (2)「特に、異性間で、相手を慕う」「恋する」
    用例無し
 (3)「すきこのむ」
    例「誉れを愛するは、人の聞きをよろこぶなり」(徒然草)
 (4)「適度にあしらう」「あやす」
    例「これほどの大勢の中へただ二人入ったらば、何ほどの事をかしいだすべき。よしよししばし愛せよ」(平家物語)
 (5)「愛撫する」
    例「二人臥して愛しつる顔よ」(今昔物語)

 (2)の用例がないということは、古い時代には「恋」の意味で使われていなかった事を意味しますが、「愛」という言葉が入ったのは仏教用語としてでした。その場合は煩悩に関係するかなり否定的な意味であったようです。浄土真宗あたりから肯定的になったそうですが、中世にカトリック宣教師が入ってきて「キリストの愛」を説くときに「御大切」という言葉を使ったといいます。
 さて、「愛している」という恋の表現としての使い方は、よく分かりません。しかし、面白いブログがありました。(参考URL)

> 夏目漱石さんは英語の教師で教壇に立ったとき、「I LOVE YOU」を「愛してます」と訳した学生に
 【「I LOVE YOU」というは「今夜は月が綺麗ですね」と訳すものだ】と言ったそうです。
 ちなみに二葉亭四迷は「I LOVE YOU」を「(わたし、)死んでもいいわ」と訳したそうです。

 この真偽のほどは分かりませんが、少なくともそう訳した学生がいたと言うことは、そういう言葉を使う気のある人がいたのでしょう。この話のもとは何でしょうね。

参考URL:http://ameblo.jp/noboru-apescall/entry-113098196 …

この回答への補足

ご回答、ありがとうございます。(男女間で)愛している、という言葉は、言う方も言われる方も、あまり馴染まないのが日本人ではないか、翻訳語では?と思っていたのですが、心がひきつけられる、慕う、などの意味では、古来からあったのですね。

補足日時:2014/06/05 22:05
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この回答へのお礼

面白い例をありがとうございました。月が綺麗、という訳、それでは伝わらないでしょうと思いましたが、あの時代、(綺麗な月の)夜に男女が二人きりでいること自体、普通でない設定で、「月が綺麗」で伝わるのだろうという気がしてきました。

お礼日時:2014/06/07 13:09

1.  「愛している」という言い方はいつごろから言われだしのですか。



    1945年ごろからでしょうかね。

2。 翻訳語ですか?

    の可能性もありますね。

2。  文学に登場するのはいつごろからでしょうか。

    矢張り、1945年頃でしょう。

3。  世間で人が人に言い出したのは?

    二十世紀後半でしょうね。

4。  愛しているという表現を使う前はどんな表現をしていたんでしょうか。

    「好き」でしょうが、まだ「愛してる」なんて小っ恥ずかしくて、と言う人も居るのかもしれません。僕は英語は一日に数回、日本語ではまだ真面目には(冗談は別勘定)言ったことがないです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。1945年とは何かあったのでしょうか。

補足日時:2014/06/05 21:51
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