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 日本語を勉強中の中国人です。「ので」と「ため」はどのように違うのでしょうか。「から」と「ので」の違いは、前者は主観的で、後者は客観的だと理解しております。でも、「ので」と「ため」の違いはいまひとつまだよくわかりません。両方客観的のような気がします。どのように使い分けるのでしょうか。

 前回の質問でまだ一箇所すっきりしていないところがあります。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8622922.html 

 「ビデオのサイズが大きい【ため】、三回にわけて送信いたします」という文の【 】のなかの言葉の取捨選択で悩んでいます。ネイティブの皆さんは、その文中で「ので」と「ため」をどのように使い分けておられますか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (14件中11~14件)

1.


「から」は主観的で、「ので」は客観的。
その解釈で正しいでしょう。
下記辞書では、次のように違いが説明されています。
「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いられる。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「お金がほしいから銀行強盗をしました」
「お金がほしいので銀行強盗をしました」
前者は、「お金がほしいのは、銀行強盗の理由として成立する」というのは自分の主観である、という前提での発言です。「お金がほしくて銀行強盗をしました」のように言い換えが可能な文です。
後者は、「お金がほしいのは、銀行強盗の理由として成立する」というのは誰が考えても当然の因果関係だろう、という前提での発言です。
「ので」の場合、主観性を押さえていることになるので、控えめの表現という印象を与えることもできます。
しかし、この例文のように、明らかに不合理な論理に基づいている場合、控えめという以前に、その認識能力を疑われるでしょう。
つまり、
刑事:「なんで銀行強盗なんかやったんだ!」
に対して、犯人が、
「お金がほしいので」と答えるのは間違い。
「お金がほしいから」が正解。

2.
さて、「ので」と「ため」の違いについてです。
どちらも前件と後件の因果関係を表わしますが、「ので」は後件に、「ため」は前件に重点を置いた表現と言って良いでしょう。
a.
・「忙しかったので、昼食をまだ食べていません」→「昼食をまだ食べていないこと」に重点を置いた表現。その理由として「忙しかった」という理由を挙げています。
・「忙しかったため、昼食をまだ食べていません」→「忙しかった」という理由に重点を置いた表現。その結果として「昼食をまだ食べていない」と言っています。

b.
社長と一緒にいるときに、○○さんのお腹が「ぐ~」と鳴ったとしましょう。
社長がニコニコしながら「○○さん、お腹が空いてるの?」と尋ねます。
○○さんの応答として、次の2つが想定できるでしょう。
・「忙しかったので、昼食をまだ食べていません」→「昼食をまだ食べていないこと」に重点を置いた内容です。「昼食をまだ食べていないので、お腹が空いています」という意図があることになります。「忙しかったので」は、あくまで補足的な説明にすぎません。
・「忙しかったため、昼食をまだ食べていません」→「忙しかった」という理由に重点を置いた内容です。「忙しかったんですよ。その結果として昼食をまだ食べていないので、お腹が空いています」という意図の発言。
つまり、元もとの原因は「忙しかったからだ」と言っているわけです。

c.
・この果物は、とても栄養があるので毎日食べています。→栄養があるなら毎日食べるのは当然でしょう、という意図。
・この果物は、とても栄養があるため毎日食べています。→なぜ毎日食べているかといえば、その理由は栄養があるから、という意図。

d.
・「ビデオのサイズが大きい【ので】、三回にわけて送信いたします」→「三回にわけて送信すること」に重点を置いた内容です。ビデオのサイズが大きい場合、分けて送信するのは誰が考えても当然だ、という意図があるので、その理由に対してあまり重点を置いていないのです。
・「ビデオのサイズが大きい【ため】、三回にわけて送信いたします」→「ビデオのサイズが大きい」という理由に重点を置いた内容です。「ビデオのサイズが大きいんですよ。その結果として三回にわけて送信するしかありません」という意図の文です。

3.
a.
>でも、「ので」と「ため」の違いはいまひとつまだよくわかりません
→でも、「ので」と「ため」の違いはいまひとつよくわかりません
or
→でも、「ので」と「ため」の違いはまだよくわかりません

「いまひとつ」は、
期待に対して,わずかに不足しているさまを表す語。もうちょっと。あと少し。 「 -迫力に欠ける」」
という意味です。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「まだ」と似たような意味なので、併用するとくどい表現になります。

b.
>ネイティブの皆さんは、その文中で「ので」と「ため」をどのように使い分けておられますか。
→(ア)ネイティブの皆さんは、「ので」と「ため」をどのように使い分けておられますか。
or
→(イ)ネイティブの皆さんは、その文中で「ので」と「ため」をどのように使い分けられますか。(「使い分けますか」でも可)

「ので」と「ため」の一般的な使い分けも含めて尋ねる場合は(ア)。
例文の場合に限っての使い分けについて尋ねる場合は(イ)。
「おられる」については、やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語としてNHKでも認定されています。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/ …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/15 21:47

 No.2で回答した者です。


 質問文に関して。
 かなり微妙な話ですが、「使い分けておられますか」は避けたほうが無難です。
 辞書も認めているので「間違い」ではありませんが、違和感を覚える人も多いようです。
「使い分けていますか」で十分でしょう。敬度を上げたいなら「使い分けていらっしゃいますか」が一般的です。「使い分けておいでですか」という言い方もあります。

 詳しくは下記をご参照ください。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801. …
 以下は一部の抜粋(重言)。

『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。

【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
(略)

【2】「おります」で丁寧な言い方?
(略)

【3】「おる」はそもそも方言由来ではないのか? 
 いままでにもちょこちょこ出てきているが、「おる」は元々(主として関西方面の)方言だったのでは……という説がある。辞書ではそのことにほとんど触れていないのはなぜなんだろう。
『大辞泉』に〈「いる」に比べて方言的な響きを帯びる〉とあるだけ。これはずいぶん持って回った言い方をしている気がする。

(中略)

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語(2)〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

 やはり煮え切らない観がある。明言はしていないが、著者自身は使わないだろうな。
 当方も、自分では使わない。使う理由がないから。「おる」が謙譲語なんだから、「おられる」には強い異和感がある。辞書があれほどはっきりと認めている以上、「誤用」などと言う気はないが。
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>「から」と「ので」の違いは、前者は主観的で、後者は客観的



 まずここに疑問があります。よく聞く説ですが、本当にそうなのでしょうか。

●「から」のほうが話し言葉的だから、ラフな感じで、どちらかと言うと「主観的」になる。
●「ので」のほうが書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる。
●でもその差はほんのわずかで、ほとんどの場合は互換性がある。

 という程度のことでは。
 昔(1952年)、ある学者が主張したことが拡大解釈されて広まったそうです。文法に詳しい人に〈多分実際は、カラは原因理由全般で使えるがノデは制限がある、という程度〉と教えてもらいました。
 客観的な用法{だから/なので}「ので」でなければならず「から」にはできない、という実例があったら是非教えてください。
「から」「ので」はほとんどかわりませんが、「ため」はずっと書き言葉的でフォーマルな感じです。

「ビデオのサイズが大きい【  】、三回にわけて送信いたします」
「から」「ので」「ため」のどれも使えます。意味もほとんど同じです。ただ、丁寧さの度合いがかわります。
 目上の人に対してなら「ため」がよいでしょう。親しい相手なら「から」でもよいでしょう。「ので」はその中間で、「から」に近い印象です。



 読めないリンクが多いようなので、下記の全文を転載します。できれば、どれが読めないリンクなのか具体的に教えていただけませんか。
【48定番の質問──「~から」と「~ので」と「~ため」のニュアンスの違い】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n150531



 〈「~から」は主観的、「~ので」は客観的〉という説をよく見聞しますが、実際にはほとんど差はないようです。

 下記の3)の論文に下記の記述があります。
================引用開始
その他では、『男性に比して、女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられる』と『日本文法大辞典』は指摘している。これも、女性の方が自己の正当性を主張するような表現よりも、因果関係を前面に押し出さない控えめな表現を好むためであろう。
================引用終了

 これにしても、「傾向がみられる」程度のことのようです。ホントにそんな性差があるのか、という疑問も残ります。
 詳しくは下記をご参照ください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
================引用開始
 「主観」と「客観」に関してもかなり異和感がある。
 仮に「から」が主観だとしたら、「ので」だって十分主観なのでは。「のため」あたりなら客観なのかもしれない。
 たとえば、事故で電車が遅れたことを表現する。

  事故があったから電車が遅れた
  事故があったので電車が遅れた
  事故があったため電車が遅れた

 テレビのニュースはどれを使うか。たぶん「ため」だろう。もちろん、「事故のため」「事故があり」でもいい。
 これは「主観」「客観」と言うより、「から」「ので」が話し言葉的で、「ため」が書き言葉的ってことだと思う。
 話し言葉的だから、ラフな感じで、どちらかと言うと「主観的」になる。
 書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる。
 「から」と「ので」についても同じことが言えるのでは。

 「から」のほうが話し言葉的だから、ラフな感じで、どちらかと言うと「主観的」になる。
 「ので」のほうが書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる。
 でもその差はほんのわずかで、ほとんどの場合は互換性がある。

 「から」と「ので」にどの程度のニュアンスの違いがあるのかは、当方には判断できない。
 ついでに書いておくと、このニュアンスの違いは、接続詞?の「だから」「なので」「そのため」にもあてはまると思う。
================引用終了

 ほかにYahoo!知恵袋では下記のBAの回答をよく目にします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
 下記の3つの論文やサイトの要点をうまく切り貼りしていると思います。著作権的には問題も感じますが……。細かく見ると、1)~3)はいずれも少し問題がある気がします。
1)【接続助詞「から」と「ので」の違い】
http://hdl.handle.net/10091/1843
2)【日本語講師のひとりごと】
http://blog.goo.ne.jp/kaoriam/e/c846817c27b0d352 …
3)【「から」と「ので」の使い分け】
http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/miki.h …

 詳しくは下記をご参照ください。
「で」と「から」の区別〈2〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2599. …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/15 21:42

ほぼ同じなのですが、もともとの語源をたどると、



ので: 「、なので、」(= so, then, therefore) という次の文の理由であることを明示する「接続詞」から文字が抜けた
ため: 「為に」「(それが)理由で」(= because of, the reason why) という次の文の「理由」という「名詞」から文字が抜けた

という品詞の違いがあるので、ときどき前の言葉とのつながりや文末の活用に違和感が出るのでしょう。

ご質問の場合はどちらでもいいのですが、前の質問(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8622922.html)のもう一方では、

『10日間で消えますので』は、『10日間で消えますため』 となると違和感があります。おそらく、形容詞の後ではなく、動詞+ます、と文章が終わってもいい場所に「名詞」の「ため」が付いているからでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。難しいですね。参考にさせていただきます。

お礼日時:2014/06/15 21:26

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