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形式名詞「こと」と「の」の使い分け

○ 飼い猫が新聞を読む(の/こと)を邪魔して困る
○ 日本料理の店で、何よりも素材が大事である(の/こと)を実感した。

上の文では「の」と「こと」のどちらを使うでしょうか。その選ぶ理由をもあわせて教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

その例文ならどちらも使えると思います。


ただ、上なら「飼い猫が新聞を読むのを邪魔して困る」の方がより一般的でしょう。「飼い猫が新聞を読むことを邪魔して困る」は慣用的ではなく少々不自然にも思えますが、「新聞を読むことを、邪魔する」は、文法的にも意味的にも何の問題も不自然さも無いからです。

基本的に「事柄、事象」というの意味の名詞「こと」は、殆どの場合で「の」に置き換えられると考えていいと思います。「こと」の方がちょっと形式的なくらいでこの2つは同じです。
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「の」単なる接続詞。


「こと」=「事」は立派な名詞。
大変な違いがあります。
事=事実と置き換えれば一目了然です。
>飼い猫が新聞を読む(の/こと)を邪魔して困る
飼い猫が新聞を読むのを邪魔して困る
飼い猫が新聞を読む(という)事実を邪魔して困る、(新聞を読む、がそんなに大げさなこととは思えません)
>日本料理の店で、何よりも素材が大事である(の/こと)を実感した
日本料理の店で、何よりも素材が大事であるのを実感した
日本料理の店で、何よりも素材が大事である(という)事実を実感した
丁度英語の不定冠詞「a」と定冠詞「the」に似た差があります。
ア・マン=ただの一人の男、ザ・マン=誰もが認めるあの!男
正解
飼い猫が新聞を読むのを邪魔して困る
日本料理の店で、何よりも素材が大事であることを実感した
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どちらでもいいが、「の」はやや乱暴(省略しすぎ)、「こと」は形式ばった言い方、と言える。


飼い猫が…は、自分の生活に関して言っているのだから「の」、日本料理の…実感した、は自分の思いを強く言い表したいのだから、「こと」が適当かな。
ちなみに、「の」は形式名詞ではなく、準体助詞と言います。以下は抜き書きだがー

準体助詞とは、「私が好きなのはあなただ」「ついてからが大変だ」などの「の」「から」のように、用言の後について、体現相当の意味を表すもの。形式名詞(こと、もの、ところ)とよく似ている。
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日本語を学ぶ方に混乱を与えかねないので、指摘しておきますね。




この場合の「の」は、「私の子供」とか「彼の写った写真」の「の」(しかもこれは接続詞ではなく助詞ですね)とは全く用法も意味も違います。まずその文の意味をよく考えれば、助詞やましてや接続詞ではないことは一目瞭然だと思います。
そもそもこの問題は、「こと」と「の」が同じ使われ方をするという前提があるからこその問題だと思うのですが・・・これを「大きな違いがある」等と言ってしまうのも誤解の元。
「丁度英語の不定冠詞「a」と定冠詞「the」に似た差がある」の意味もわかりませんし(どこが似ているんでしょうか?)、「素材が大事であるのを実感した」とも明らかに言えますので、正解は1つと言い切る意図もわかりません。
・・・とにかく突っ込みどころだらけで、これを読んだ外国人が混乱するのではないかととても心配です。


以下に「こと」「の」についての説明があります。
http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/1h93fy/nphr.html
どちらかしか使えない場合も丁寧に解説されているようですので、こちらをご参考に。

ちなみに、この解説から導き出せば、ご質問文の例文は正解は1つではないことがおわかりかと。その問題についてはあまり気にしない方が良いかと思います。
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確かに「の」は接続詞ではなく、助詞でした。


不定冠詞aは単に1であることのみ表し、人の場合は誰でもよい。
定冠詞thaは、人ならだれでもよいではなく、その時の状況に応じた特定の人をさす。
>飼い猫が新聞を読む(の/こと)を邪魔して困る
日常茶飯事?、猫でなくてもOK
>日本料理の店で、何よりも素材が大事である(の/こと)を実感した
日本料理、何より、素材、大事、・・・特定?、もちろん日本料理に限りませんが、ここでは日本料理が特定。
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この二つには相違点があることからお話します。

「こと」は質問者がおっしゃるように「形式名詞」と呼ばれるものです。文の組み立ての上で、そこに名詞(体言)があった方が都合がいい場合に使われるもので、普通名詞なら持っている、それぞれの概念という物がないという特色があります。本来「こと」ではなく「事」と漢字で書けば「事件」・「事柄」などの意味があるのですが、あえて仮名書きにしているところにその役割が感じられます。
 一方、「の」は格助詞の中に入れるべきものですが、特別に「準体助詞」とも呼ばれます。「体言に準ずる」役割を果たすので、この名が付けられています。
 「この帽子はぼく<の>です。」の「の」は、明らかに「帽子」を意味しています。体言の代わりをするわけです。準体助詞はこういう用法だけでなく、「~するのだ」「~するのです」「~するのである」のように、「のだ」「ので」の「の」としてもよく登場します。このように「の」が体言の役割をも果たすので、使い方によっては「こと」の代理を果たすことも可能です。(「こと」と「の」が同じように使われるのはこの場合だけには限りませんが。)
 
 どちらも体言の役割をするとなれば、同じ使い方をすることは当然あります。質問者が挙げられた例がそうですね。
ところが、同じように使うのには都合の悪い例がNo.4の方が挙げられたサイトに書いてあります。
   -----------------------------------------------------以下引用
•×趣味は本を読むのです。《Aは~[名詞]です》・《Aは~[名詞]だ》の文型では、「Aは~することです」・「Aは~することだ」のように、かならず『こと』をつけて使つかわなければならない。
   -----------------------------------------------------
 なぜ使えないのか。鋭い方は気が付かれたと思います。わたしが「の」の使い方としてあげた

【「~するのだ」「~するのです」「~するのである」のように、「のだ」「ので」の「の」としてもよく登場します。】

に重なってくるからです。まあ、それを除けばほとんどどちらも使えるのでしょう。(断言するにはもっと研究が必要かも)
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