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この間安土城に行ってきました。
そこで復元天主を見て思ったのですが、なぜ織田信長は仏教を弾圧(比叡山焼き討ちなど)してキリスト教を広めようとしたのに安土城天主の内部は仏教の絵が描いてあるのですか?
それとも信長は仏教は嫌いではなく、敵対してきた勢力だから攻撃したのでしょうか?
少し歴史(特に戦国時代)が好きな中学生です。
よろしければ回答お願いします。

A 回答 (6件)

>なぜ織田信長は仏教を弾圧(比叡山焼き討ちなど)してキリスト教を広めようとした



他にも回答がありますが、信長は仏教排除を目的としていません。
安土山にある摠見寺は、信長の菩提寺ですよね。
同時に、若き日の信長の傅役(養育係)であった平手政秀菩提の為に「政秀寺」を建てています。
信長は、宗教が政治に関与する+宗教が武力を持つ事を嫌ったのです。
ですから、信長と敵対した寺院は「多くの僧兵を抱えた武装集団」としての機能が強かったのです。
キリスト教の場合は、直接武力で他国を侵略するのでなく「文化・思想を武器」としていますよね。
信長も、本能寺で倒れなければ「キリスト教宣教師排除」を行ったでしよう。
今でも日本では、「政教分離」が政治の原則ですよね。
※自民創価学会連立政権の判断は、色々分かれますが・・・。

>安土城天主の内部は仏教の絵が描いてあるのですか?

先に書いた通り、仏教を攻撃していた訳ではありません。
僧侶といいながら、お経の意味を説明できない僧侶に激怒した訳です。
それと、「中国などの思想家」の肖像もありませんでしたか?

>信長は仏教は嫌いではなく、敵対してきた勢力だから攻撃したのでしょうか?

その通りでしよう。
比叡山・本願寺なども、領土(寺領)を持ち+政治的な関与を行い+武装集団を抱えた事が「敵対勢力」と看做されたのです。
高野山も、同様に攻撃対象になりました。
が、信長亡き後に秀吉が攻撃。山麓の根来寺が陥落。いよいよ高野山攻め!という時。
「高野山の僧侶として、最も大切なことは何か?」
「戦うことではなく、仏の教えを広めることではないか!」
という高野山僧侶の方針転換で、秀吉の攻撃を免れて今に至っています。
その後、秀吉は高野山に青嚴寺を建立するなど高野山を保護しています。
※青嚴寺は、今も金剛峯寺と名をかえて存在しています。
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比叡山焼き討ちは宗教弾圧だと勘違いされていますが 実際は武装した僧侶(僧兵)に対する戦いです


信長は焼き討ちを止めようとした光秀に対し「延暦寺の坊主は肉を食い賭け事に興じる体たらくぶり、叡山が鎮護国家の道場ならばこの所業は帝に対する反逆よ!」と言っています

つまりは天皇も敬う宗教の総本山なのに規律を守らないから焼き討ちした と言う事です
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比叡山や一向宗は対立した武装勢力として弾圧しましたが、他宗は武力弾圧して折らず、むしろ文化的に押さえようとしています。



安土問答というのがあります、安土城下での浄土宗と法華(日蓮宗)の論争を信長が裁定させた事件です。
宗論は浄土宗の完勝に終わり、以降、法華は宗論を慎むという起請文を書かされます。
http://tenkafubu.fc2web.com/azuchi/htm/mondo.htm

仏教全体を弾圧するならどっちも取りつぶしてしまえばいい話ですが、信長は双方議論をさせた上で裁定しています。

「宗論はどちら負けても釈迦の恥」
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信長は「佛教」を弾圧したのではなく、敵対勢力を一掃しただけです。



宗教勢力と言うのは当時は軍事経済を独自に持っている、立派な勢力(国家)の一つでした。

これは信長に限らず、寺社勢力と争ったり、協力体制を取ったりするのは当時としては当たり前の事でした。

根来衆の記述もルイスフロイトの書物に傭兵団として出て来ます。

また信長は、腹を切った平手政秀の菩提を弔う為の政秀寺も建立したりもしています。


比叡山焼き討ちを殊更にあげつらうのは、後の秀吉・家康の統治の正当性を高める為の策略の面が強いのは否めないでしょう。
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まず信長は仏教事態はを弾圧してません。


 あくまで敵対した仏教勢力に対してのみです。比叡山や一向宗のみです。

 信長を支持する仏教勢力には保護してますよ。
平手政秀を弔う為に沢彦宗恩を開山として春日井郡小木村に政秀寺を建設してますし、
根来寺を中心とする根来衆は大切な同盟者です

 それに、キリスト教を広めようともしてません。あくまで許可したのです。
理由は火縄に用いる黒色火薬の原料である硝煙は当時、輸入に頼ってましたので、その硝煙確保の為のキリスト教の許可です。
 
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>それとも信長は仏教は嫌いではなく、敵対してきた勢力だから攻撃したのでしょうか?



そうです。

当時の仏教は、宗教とは名ばかりで、
妻帯肉食し、民衆からは金を集めるばかり、
権力を欲しいままにしていました。

特に一向宗は各地の戦国大名を悩ませるくらいの
勢力を誇っていましたから、地域によっては、
一向宗が支配する国があったりもしました。
そのもっとも頂点に立つのが石山本願寺でしたが、
これは最終的に大坂石山を立ち退くことで許されましたが、
歯向かった長島ではことごとく虐殺されています。

比叡山では敵対する朝倉勢を匿い、
反信長の旗幟が鮮明でしたから、これまた
ことごとく虐殺され、焼き討ちにあいました。

それなりに恭順を誓った高野山などは
なにもありませんでした。

信長は宗教を弾圧したわけではなく、
むしろ俗世の権力に関与する仏教勢力をことごとく排除
したかったようです。

その思想などは秀吉に受け継がれていますが、
後に、刀狩というように、庶民の武装を厳しく
排除しています。

キリスト教布教の本質に気づいて、
弾圧を始めたのが徳川家康ですが、
彼も一向宗には非常に手痛い目にあっています。
が、のちには仏教を手厚く保護しています。

日本で政教分離や庶民が武器を持たずに比較的平和で
居られるのは、それらがその時代に浸透したからに
他ありません。
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