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なぜ広島と長崎に核を投下されたのに、だから核を持ちたくない、になるのでしょうか?本当に不思議です。

例えば100人の集落があったとして、銃を持った人が10人、その中にはこちらを快く思っていない人がいて、また自分には子供が2人いたとします。そのうち1人の子供が銃で撃たれて死にました。この悲劇を繰り返したくないから絶対に銃を持たない??
全く理解できないのです。まずは自分も持った上で銃の廃止を願うのがまともな思考回路なのではないでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

広島と長崎に核を投下されたのにだから核をアメリカを投下させることが当然ですよね。


ホントに不思議ですよね。
日本人ってホント平和ボケですね。
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この回答へのお礼

不思議なんです。

報復までは思いませんが、アレルギーを持つより、おっしゃってる感じかたのほうがずっとナチュラルだと思うんです。

お礼日時:2014/07/10 05:52

 日本が三度に渡って蒙った「核の惨禍」を張本人であるアメリカに対しても同じ様に行うべきとの過激で短絡的な意見も観られますが、日本は「核による被害の意味」を知っているから、他国に対しそのような行為を決してしないとの決意を示す事ができたのであって、世俗に言われる復讐法では何の意味も相手に知らしめることなどできはしません。


 実際に僕自身もカンボジアで学校を作る取り組みにも加わってきた経緯があります。学校と核はどこにも関係がないなどと反論されるでしょうけれど、地雷が身近な場所に埋まっている地域で、「その危険さ」を教えることも将来に向けての仕事です。
 そしてカンボジアの人々も地雷撤去作業に従事するヨーロッパのチームも「日本は自らの国土を核兵器による被害を受けたのだから、武器がもたらす恐怖と憎しみの連鎖の意味を最もよく理解している。だから私達は日本の仲間をこの地域を再建するためのチームの一員として受け容れている」との称賛の言葉をいただいたことを今でも鮮明に憶えています。
 日本の国内にいて「平和ぼけ」と揶揄するのは現実を知らないからであって、現実を知っている人間ならばそうした言葉を口にすることはできないはずです。
 よくこの手の質問の前提として、日本が核の悲劇を蒙ったことを「家族や知人が武器でその生命を脅かされたなら」との比喩に喩える方もいらっしゃいますが、個人レベルの問題にすり寄せて考えるのは少なくとも誤りです。
 そうした手法を採るのはどちらかと言えば、二項対立の発想しか持てないアメリカと同じで、では他にどの様な選択肢があるか議論しようとのヨーロッパスタイルに比べれば、圧倒的に幼児的発想ともいえます。
 大人ならば、争わないで問題を解決する努力もするはずで、それができないならば、子供の喧嘩と同じでしかありません。
 どうしてその様な短絡的な発想になるのでしょうか、この方が不思議であり真っ当です。
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この回答へのお礼

個人レベルの例えよくなかったです。わかりやすいかなと思いましたが問題を矮小化してしまいました。国家同士で考えるならばなおのこと抑止力として反撃する手段を用意する必要性を私は感じてしまいます。なぜなら国民を守るのが主権国家の政府と考えますから他国の善意に頼る発想はいかがなものかと思います。ですが私の質問は個人の視点からでしたので、それに対するご回答としては異論は特にございません。

それにあなたさまのように外国でそのような経験をなさった方に、机上の概念論的な論理を振りかざすこと自体、失礼だと思っております。

お礼日時:2014/07/10 11:20

> 相手に核を落とされたら→自分が持たない、となる思考回路について  >


 銃にしろ核兵器にしろ毒ガス兵器にしろ、相手→敵に飛んでいってそこで爆発飛散すればいいだけの欠陥機械と言う事ではないでしょうか?
長年に渡る平和利用とか、恒久福祉などと言うものでは無い。それは、軟弱思考回路の軟弱思考回路による軟弱思考回路のための欠陥品と云う事が出来るのではないでしょうか。
相手に核を落とされたら→自分が持たない とするような思考回路も、欠陥思想と言える。欠陥機械を利用する欠陥思想。チョッと考えただけでも、家庭のガスコンロ設計にも遠く及ばない、欠陥思想と言明できる。
それら軟弱欠陥思考が優先し台頭するようでは、「 破滅の道を辿ることになるでしょう 」、となるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

確かに全体の平和にはつながらなさそうですね。私の考えは。

お礼日時:2014/07/10 12:09

 ――原爆は、人類に危険をもたらしますか?


 「はい、非常に危険です。しかしこのことは、人類がいつまでも思慮深くならない場合に、私たちが必要な時にこの文明を破壊するのを容易にするでしょう。人類は多分、自ら破滅の道を辿ることになるでしょう。
 仮に自滅しないで、私たちを脅かす存在になったとしても、別に人類に攻撃兵器を送り込む必要はなく、彼らの核爆弾の貯蔵庫を爆発させるだけでいいのです。つまり、光線かテレパシーを用いてこれ(核貯蔵庫の爆発)を行い、大国の一つを侵略者に仕立てるのです。そうすれば、それは自動的に致命的な反撃を引き起こすことになるでしょう。
 もし人類が、こうした危険に曝されたくないのなら、軍人たちから核兵器を取り上げるだけでよいのです。核の力を徐々に取り出して利用すれば、エネルギー不足で悩んでいる国々が、大きな発展を遂げることも可能になります。今すぐ、核実験を中止すべきです。あなたがたは、現在どのような状態に直面しているのか気づいていないのです。しかし、もし人類がこのまま核兵器を弄び続けるのなら、万一私たちが人類を沈黙させなければならない時は、簡単に事が運ばれることになるでしょう」

 ――あなたがたの暮らしぶりと労働は、どんなものですか?
 「私たちは事実上、知的な労働しかしません。高度な科学水準のおかげで、すべてロボット任せにできるのです。私たちは欲する時しか働きませんし、それも頭脳労働だけです。芸術家とスポーツマンは肉体・労働・をしますが、それも彼らが自分で選んだからです。
 原子力エネルギーは高度な発展を遂げていて、特に私たちが閉回路で原子を取り扱う方法を発見してからは、ほとんど無尽蔵に利用できるようになっています。それに太陽エネルギーや、他の無数のエネルギー源も利用しています。原子力を利用しているからといって、私たちの原子炉はウラニウムを使用しているわけではなく、もっと単純で危険のない、他の多くの物質を使用しています」

  ラエル著 真実を告げる書
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 人に危害を加えるもの、毒物刃物ワレモノetc..は、厳重な規制と管理が必要となることは社会の“常識”と言える。人に危害を加えるのだから。..
 日本の十八番産業となる自動車産業にしても、毒ガソリンの配管缶に過ぎない。言いたくは無いが、人と環境に毒を排出する。社会の最大級の利器にしてもこの様である。 持ったところで、自爆または他爆の毒と言う事にナル。
人々に危害を及ぼす、歴史とその指導者が存在したと云うことではないでしょうか。
毒が社会にもたらすものは、自爆か他爆、それは公共とか社会とかサービス等と言うものでは無い。 ?
 昨今の放射能汚染事故に見るように、外部被曝内部被曝、または外部アレルギー内部アレルギー、それは健康衛生上の 毒物ワレモノ刃物 。
 自爆他爆で、 破滅の道 、破滅の生活 を送ることになる、またはその欠陥品をチラつかせる事になる。
どちらも、たいした 道 ではないことが判るのではないでしょうか。
欠陥途上の思考回路と言い得るのでは?
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この回答へのお礼

私の質問の題名が問題あったかもです。核のこの世での存在意義や原子力発電が必要か否かではなく、相手に核を落とされたら→自分が持たない、となる思考回路についてのつもりでした。

お礼日時:2014/07/10 07:44

それよりもっと不思議なのが、質問者さんが


核アレルギーが不思議です。
という質問をしているところです。

そんな事しても ただ無駄 なだけなのに。
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この回答へのお礼

そうですね、無駄だとは思います。
なぜそう感じるの?という感情の話ですし。昔から不思議だったので、いろんな方がどう感じてるのかを知りたいのです。

お礼日時:2014/07/10 05:57

 もし「まずは自分も持った上で銃の廃止を願う」との考え方が成り立つのであれば、もう一つの前提も成り立つはずです。

それが「互いに銃を持たない上で、銃の廃止の意味を問う」との理解につながるとの発想です。
 要するに「同じ土俵に上がる」との発想ですよね?。但し、これと「核」の問題は少し条件を異にします。一つの核兵器がもたらすものが、同時に大量の生命や物を破壊すると同時に、生命に対して将来にわたっての被害をもたらすとの視点がなければ、相手も持つからこちらも持つ、こちらが持つから相手も持つとのイタチごっこと同じ形になってしまいます。ということは「核兵器」が最終兵器とはならないことを意味し、それよりも手軽に、といっては語弊がありますが、使える新たな殺傷兵器を開発させるための口実を与えるとの話にも至ります。
 日本が三度に及ぶ核被害を受けたことから、日本が持った核に対する立場を説明するならば、何よりもそれがもたらす影響の大きさを肌身で知っているとの事実に他なりません。
 実験台にされた者のみが知る「実験の意味」と使う側の論理では温度差が生じるのも当然の話で、「9.11」でアメリカがあれほど大騒ぎし、後世に禍根を残しかねない「愛国法」などを作ったことと似ているとは感じませんか?。アメリカが大騒ぎしたのは、1945年以後に自国の領土が攻撃を受けたこともなく、戦争と言えば遙か遠くの地で行われ、アメリカ本土で快適な生活を送っている市民にはその皮膚感覚が欠落していたとの事実にも依るところが大きいでしょう。
 報復には報復しかありません。そしてその報復が何を意味するかといえば、出口の見えない消耗戦でしかないことを既にアメリカはベトナムで経験していたにもかかわらず、同じ事を繰り返している。こうした現実こそ笑えない喜劇ともいえます。
 互いの違いや対立を越えてこその「共存と繁栄」がある。これがベルリンの壁崩壊に至る一連の冷戦構造からの脱却であったことをもう一度お考えになってはみませんか?
 「武器」は一度使われてしまえば、それを越える性能を有する武器を求めるとの際限なき迷宮に陥る。そして何よりもそれは国家財政を圧迫する最大の要因となる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「互いに銃を持たない上で、、」はすごく共感いたします。現に他国が、それも敵意や戦略上で日本を攻撃的に見ている国が核を持っていなければです。次に「大量の物や生命を、、」ですがここも同意で不幸な世界は望みません。ですが、そうならないために他国は持っているものを持たずに世界全体のためを考えようとは思いません。自分>自国>世界、の優先順位で考えるのが人間で、逆に考えなければとも思いません。理想としてはその順位のほうが世界全体の平和にはよいのでしょうから個人の発想としてはありかと思います。自己や身内のリスクを抱えてまで、世界平和に自分の思想を捧げようとは思いません。

ここが最大の違いなのかもですね。

すみません。あなた様を否定する意図はありません。自身との違いを書かせていただきました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/09 20:05

(Q)相手のみにこの決定的なカードを握らせておいて話し合いをしても譲れない一線があれば私が保有者で相手が非保有者なら絶対に譲らずに押しきります。

こんな考えはおかしいんでしょうか?
(A)いいえ。
おかしくはありませんよ。
では、質問者様と敵が、やっと、これではダメだとなって、
話し合いをはじめたとします。
そのとき、誰が、音頭取りをしますか?

お互いに銃を向けあいながら、話し合いをするのですか?
二人ならばまだしも、10人、20人と大勢が
銃を持って、お互いに疑心暗鬼になっているときに、
話し合いなんて、成立するはずがありません。
こんなときにこそ、銃を持っていない人が
仲介役をできるのですよ。

日本の役割は、ここにあるのですよ。
銃を持っていないからこそ、最後の最後に、仲介役ができるのです。

ただし、今の日本の外交下手では、話になりませんが、
核保有をしなければ、仲介役の資格があるのですよ。
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この回答へのお礼

その仲介役になるまでにやられたら、、って考えてしまいます。私が好戦的で疑心暗鬼なのかもしれませんが。

お礼日時:2014/07/09 17:24

これは理屈じゃないのです。



イヤなことは、看ない、聞かない、考えない
議論もダメ、というだけです。

インドが核武装したときに、インド人が言っていました。
「長崎、広島にならないように核を持つのだ」

これが当たり前です。

日本は唯一の被爆国です。

だからこそ、核武装する権利がある、と考えるのが
まともです。

核の悲劇から国民を守るために、核武装する義務が
ある、と考えるのが責任あるまともな政治家です。


”まずは自分も持った上で銃の廃止を願うのがまともな思考回路なのではないでしょうか。”
     ↑
自国の安全すら外国に委ねている日本が
何をいっても相手にされません。
核大国である、米ソ中が核廃絶を訴えてこそ、
聞く耳を持つようになるのです。
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この回答へのお礼

すごくしっくりきます。インドはそんなことを言っていたのですね。でも私もそう考えると思います。持とうとしても持てない国が侵略されるリスクの低い国なら持とうとしないのはわかるのですが。
反対の人の意見も聞きたいとは思うのですが、いまだかつてまともな論理で、少なくとも私が理解できる論理での意見を聞いたことがないのです。私が至らないだけなのかも知れませんが。

お礼日時:2014/07/09 16:43

まず、銃を持つ人が多くなれば、感情的な意味も含め「暴発」が起きる可能性が増えます。


銃社会の米国を見ればよく判りますが、先に使わなければならないと言う事が発砲を誘います。
米国より銃の保有率が多いフィリッピンでは、マシンガンを持ったガードマンが居る地区以外は却って恐ろしいと言う状態ですし、警官自体も完全には信頼が於けない状態で、日本に戻ると本当に良い国だと思います。

日本でも暴力団達が銃を使う様になったから、時々一般人も被害をこうむる事が在るから、一般人も銃を持つ様にすべきですかね。

核兵器は船の上の手榴弾の様なもので、使用する事により相手を殺しても船が痛み、自分の生存を危うくする様な強力な兵器ですが、全員が持っていればどんな確率で生き残れますかね。


そもそも核の廃絶は実現していませんが、ある程度実現している核兵器数削減は少数の核保有国が「少数の内に」始めたもので、「全員が核兵器を保有してから」始めたものではありません。


自分たちが保有しているが減らすから、今から持つな拡散はするなと北朝鮮・イラン達に言うのは確かに勝手ですが、それなりの落としどころではあると思いましすよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やはり、優先順位の差なのでしょうか。あなた様のご意見に反対する部分はないのですが、読み直して感じたのは、世界全体を優先?していますよね、おそらく。私はまずは自国の安全確保をって頭が反応するのです。なんとなく分かってきた気が勝手にしてきました。

お礼日時:2014/07/10 06:08

uu265さんが「自身の考えをまとも」と思っているところに問題の一端があるな。


思考停止して相手をまともじゃないと思い込むところに、質問する意味の無さがある。
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この回答へのお礼

まともと思ってますけど確信はありません。私の考えが多数派でなさそうなのは分かっていますので。確信があれば質問しませんし、主張をしたければブログでも立ち上げます。単純に人のご意見を聞きたいのです。ですので反論いただくのも心地よくはありませんがありがたく感じております。

小学生の時に学校で習ったんです。
日本は広島と長崎に原爆を落とされました。
なので日本は非核三原則を掲げているんだよ、と。
聞いた瞬間「えっ?」って思ったのを今でも覚えています。
落として虐殺した側がもう二度と使わないと誓うならわかりますが、
落とされた方が一体何を誓うのだろうかと。
一個人の理想なら自由にすればいいですが、
国民の命を守る立場の政府がこんな理想を掲げるのが意味がわかりませんでした。
全世界同時放棄時に自国も必ず核放棄することを誓う、ならわかりますが。

お礼日時:2014/07/09 15:18

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