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30代になってソフトウェアの技術について、勉強をしました。自社パッケージを作っている会社に転職しました。しかし、経験が未熟のため、商品のサポートをする部署に配置換えされてしまい。このままいても見込みがないと思い、半年足らずで退社しました。どうしても、ソフトウェアを作る仕事がしたくて、別の会社へ転職しようと思うのですが、難しいでしょうか。退社した会社では、OJTといったエンジニアを育てる環境がありませんでした。未経験で応募したのですが、即戦力がほしかったみたいです。いまでも、勉強は続けています。アドバイスをお願いします。

A 回答 (6件)

とある会社でソフトウエアの開発をしております。

といっても今は開発業務自体はやっておらず、もっぱら部門管理ですが。

で、もし自分ならGoGo-hero555さんを採用するかというと、申し訳ありませんが 書類審査の時点で「NO」です。

一時期はやりましたが「ソフト屋35歳定年説」というのがあります。
もちろん個人差はありますし、今でも個人的にはちょっとしたプログラムを組んで公開したりはしますが、やっぱり現役でやるには20代前半で相応の経験を積まないと活躍は見込めません。

つまり、「30歳未経験」と言われた時点で、よほどのことががない限り、ソフト屋として採用することはありません。

とこれだけではナンなので、転職における作戦を2案。

まず、中小のソフト会社に転職したいという場合。
あなたが以前お勤めの会社は、即戦力を求めながら未経験の人を採用するなど、採用方針と現実の食い違いがあったようですね。
これは自分の経験の範囲なので例外はあると思いますが、小さな会社になればなるほど教育をする余裕はなくなります。
要するに、ソフト技術を伸ばしたいなら、自分で学び取る姿勢がない人(「教えてくれ」という姿勢)ではやっていけない事になります。つまりGoGo-hero555さんの姿勢はその会社にあっていたでしょうか、ということです。
それに合わせた姿勢で臨まなければ、会社で受け入れてくれることはないと思いますがいかがでしょう。

教育が手厚い会社を狙うなら大手になります。
大手(人数が多い)になると教育プロセスを持っていますが、そういうところは対象が大学新卒だけです。その人(学卒の新人)と同じ給料、同じ扱いでGoGo-hero555さんは「よし」とされますか?
それであれば、そういった応募の仕方もあると思います。それで採用してくれるかどうかはわかりませんが。

さらに別の案ですが、もしGoGo-hero555さんが、どうしてもソフト技術者として仕事がしたいと思われるなら、しばらくは個人で活動されてはいかがでしょうか。
たとえば、会社では普通の業務をしながら、夜ソフト開発をしてそれを世に公開して、それで認められるような技術を磨いてその実績を持ってソフト会社にアピールするなど。

これらの案を踏まえた上で、さらに考慮していただいきたいのは、将来のキャリアプランです。

GoGo-hero555さんの現在の年齢がわかりませんが、40歳、50歳になってもソフト屋として活躍したいとお考えでしょうか? もしそうであれば問題ありませんが、そうでないなら「今やりたいこと」ではなく、どういうキャリアプランのステップのひとつとして、本当にソフトでメシを食って行きたいのかを考えてみてはいかがでしょう。
個人的には、今やりたいことにこだわると将来それが足かせになるリスクがあると考えています。
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この回答へのお礼

ご連絡が遅くなり、すいません。意見を参考にさせていただいて、がんばってみます。

お礼日時:2014/07/22 23:49

貴方は、「ソフトウェアを作る仕事」って言っても、いったい何をしたいのでしょうか?


作成された仕様書からプログラムを開発しテストまで行うプログラマが、貴方の目指しているところでしょうか。

>経験が未熟のため、商品のサポートをする部署に配置換え
 以前の会社では、何を任されて、何がダメで、何を期待されての配置転換だったのでしょうか。
 任されたのがプログラミングであれば、期待される生産性を上げられなかったか、期待される品質を作り上げられなかったからでしょうか。
 そして配置換えでは、パッケージスキルを身に着けることを期待されたのか、みんなが嫌がるサポートの人手不足を補うことを期待されたのでしょうか。

>別の会社へ転職しようと思うのですが、難しいでしょうか。
 難しいと思いますね。以前の会社での反省がないと、二度目の繰り返しが待っている可能性は否定できない訳ですから。
 もう退職してしまった以上今取り組むべきことは、過去を冷静に振り返り、次に何が必要なのか、深く考えることではないでしょうか。

私が考える自社パッケージ開発会社にはエンジニアとして、業務スキル(例えば、販売業務、会計業務、給与計算業務等々)十分のパッケージを設計できるスペシャリスト、設計書から生産性・品質の高いプログラムを開発できるプログラミングのスペシャリスト、そしてパッケージを導入指導・運用サポートできるサポートのスペシャリストが要るのです。

参考)パッケージソフトについて:業務ルールに忠実なパッケージがベストなパッケージではないんですよ。実務では例外が多数発生しますから、ある程度ルーズなシステムの方が使い勝手が良かったりします。この辺は設計者にサポートからの情報を組み入れて、より良いパッケージに仕上げていく
努力が要求されるのです。

この回答への補足

>以前の会社では、何を任されて、何がダメで、何を期待されての配置転換だったのでしょうか。
バグ修正に時間がかかりすぎて、いたために配置転換となりました。あと、サポートは人手不足というのも理由の1つです。
>業務スキル(例えば、販売業務、会計業務、給与計算業務等々)十分のパッケージを設計できるスペシャリスト、設計書から生産性・品質の高いプログラムを開発できるプログラミングのスペシャリスト、そしてパッケージを導入指導・運用サポートできるサポートのスペシャリストが要るのです。
となれるよう頑張ります。

補足日時:2014/07/16 12:19
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質問者さんの技術レベルに関する情報を簡単に補足していただけると、


他の方もアドバイスしやすいかと思います。


> 未経験で応募したのですが、即戦力がほしかったみたいです。
企業が求めている人材が分かっているのなら、
即戦力になれるように技術を身につけてから出直してください。
(IT業界は技術力がすべてというわけではありませんが、まずは技術力です)

30代で実務経験が浅いという時点で険しい道のりなのに、
> 退社した会社では、OJTといったエンジニアを育てる環境がありませんでした。
とか
> 指導をしてくれる人がいなかったといった方よかったかもしれないです。
とか甘えたことを言っている間は思うように事が進まないでしょう。

この回答への補足

C#でバグの修正をしたり、パッケージソフトのカスタマイズをしていました。簡単なソフトは作成ができます。ご意見ありがとうございます。自分で勉強してなんとか再就職できるようがんばります。

補足日時:2014/07/16 12:14
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>>退社した会社では、OJTといったエンジニアを育てる環境がありませんでした。



小中学生のように、甘えていますね。義務教育段階では、「きちんと教えてくれる環境がない」などと文句がいえます。
でも、高校以上になると、学校はやる気のない学生を「育てる義務」はありません。
まして、会社においては、授業料を払って通うIT系専門学校でもないわけですから、「育てる義務」も「育てる環境」も用意する必要はありません。

振り返ってみると、90年代のバブル崩壊以前は、企業にも余裕があったので、ちょっと暇な上司や、新人の指導役が割り当てられて面倒をみることはありました。
複数の派遣会社からPGが集まった開発現場において、COBOLのソースがきちんと読めない新人PGを、他社のPGさんが教えていたりすることもありました。
当時は、企業を越えて、同じプロジェクトで頑張るメンバーっていう一体感があったものです。
(みんなで、そろって深夜に夜食の買い出しにいくとか、一段落したら、そろって居酒屋に行ったり・・・)
それは、開発機関がわりと長く、現場に余裕があったからだと思えます。
また、「企業は一家であり、社員は家族」「就職すれば、正社員が当然」という時代背景もあったのが要因かもしれません。
(派遣PGとはいえ、当時は、全員が正社員でしたからね。正社員でないのは、高額報酬を得るフりーのSEやPGさんでした)

>>経験が未熟のため、商品のサポートをする部署に配置換えされてしまい

サポート部門であれば、時間的にも余裕があると思います。ほんとうにソフトウエアを作る仕事が好きであれば、定時後や、休日に自宅でプログラムをいくらでも作れたはずです。
例えば、勉強して、基本報処理技術者試験に合格するとか、オラクルマスターやエクセルVBAの資格などに合格したり、社内において、休憩時間に専門書を読んだりして勉強していたら、「今回、人手が足りないから、あいつを開発に戻してくれ。それなりに使えるかもしれないから。」っていうような話も出る可能性がありますのでね。

しかも、昔は、コンピュータといえば、汎用機であり、プログラムを作るには、パンチカードを使い、オペレータさんに処理依頼書とカードを渡して、処理してもらわないとダメでした。結果が出るのは早くて半日後で、勉強用のプログラムといった優先順位が低いものは、2,3日以降になるのもざらでした。
当時は、パソコンも1セットが60~100万円が普通でしたし、COBOLなんてものもありましたけど、個人では手が出ない金額でした。

でも、現在はパソコンは、10万以下で手に入ります。また、各種言語の開発環境も、無料で手に入れることも可能になっています。
ほんとうにやる気さえあれば、プログラムはいくらでも作れる時代です。
だから、ソフトウエアを作るのが好きであれば、OJT環境があろうが、無かろうが、ソフトウエアを作る勉強ができるはずです。

サポート部門への配置転換は、質問者さんのレベルに合わせた対応であり、がっかりしたり、プライドを痛く傷つけられることではあったかもしれません。でも、それは会社としては当然の対応ともいえます。
心得違いな、今の考え方のままでは、難しいでしょう。

この回答への補足

回答ありがとうございます。僕も、若くまた、チャンスがあれば頑張ります。社員が5人の小さい会社なので、なかなか人の手が足りないので、現場に戻ることは難しいと思います。どうしても、経験が積みたいのです。勉強なんていくらでも家でやります。ただ、2から3ヶ月で見込みがないときられてしまったので、社長と話をして、退社しました。考え方があまいとは思うのですが、経験を積める現場へ転職しようかと思い、やめました。

補足日時:2014/07/12 10:39
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難しいというより不可能です。



>商品のサポートをする部署に配置換えされてしまい。このままいても見込みがないと思い

という考え方をする人間を雇いたいとは思わないからです。

あなたの言っていることはこういうことです。

野球をやりたい、をピッチャーをやりたいということにすり替えて考えている。
ピッチャー志望で選手に採用されたが、外野にアサインされた。
最初にキャンプで少々ピッチャー的なことをやらせたけど、純粋守備のほうがいいと判断されたんです。
ピッチャー訓練をしてくれたらいいじゃないか、と恨む。
このままいても見込みがないと言う。
ピッチャーとして使ってくれる球団はないか。

こんな人間をピッチャーとして雇う球団があると思いますか。
チームプレイということを何も考えず、しかもピッチャー経験がないのです。
外野の仕事を「見込みがない」などと言うようだから、チーム内平和を乱します。

毎日キャッチボールをするのは当たりまえですが、仕事に対するなめた態度では誰も興味も持ちません。

この回答への補足

後で、社長と話をしましたが、新しい人(経験者)がくるので、配置転換をしたそうです。(僕よりもわかい)年齢的にもきついので、どうしても経験を積みたくて、退社しました。

補足日時:2014/07/11 09:49
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30代になって未経験ではその業界への転職は困難だと思います。

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