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 高齢者の在宅医療に従事しているものです。こちらの仕事に就いてからだいぶ経ちますが、先進医療と在宅系高齢者医療に考え方の差がありすぎる気がしてきました。
 
 在宅療養中の慢性期の高齢者は、自覚および他覚症状に変化があって訪問診療医にかかっても、高齢だし、検査して何か異常が分かったとしてもやることは対症療法が主で検査しなくても一緒だから・・・、検査しに病院に行くだけでも負担だから、となります。在宅系高齢者医療においては、高齢者の病気の早期発見、積極的治療が歓迎されていないようです。あまりお金をかけずに旅立っていただこう的な感じです。
 
 しかし、テレビなどでは80歳代で心臓のバイパス手術を行ったとか、認知症の裏に隠れた水頭症を早期に発見して健康的に長く生きられました、という情報が流されています。こちらは、積極的に検査が行われ、治療も行われた例だと思います。

 国の医療費も大変な事になっていますが、高齢者、特に自分で希望の言えなくなった認知の高齢者のためにどうアプローチするのが望ましいのか助言をお願いいたします。

 

A 回答 (3件)

>高齢者の病気の早期発見、積極的治療が歓迎されていないようです。

あまりお金をかけずに旅立っていただこう的な感じです。

あえて誤解を恐れずにいえば、それでいいんじゃないかと思いますよ。高齢者の病気の早期発見もないもんだと思いますしね。他の回答者さんもおっしゃるように、早期に手を打てば本人や家族の負担が小さくなる病気はありますから、そういうのはきちんと手を打った方がいいと思いますけど、残りの人生が10年あるかどうかって人を極端な話、メスで切り刻む意味があるかどうかというのを考える必要はあるかと思います。

綺麗事をすべて抜きで語れば、日本は今ものすごい勢いで超高齢化社会になっており、年金、医療、介護の負担はものすごいことになっています。お金もさることながら、人も足りなくなることは明らかです。今の若い人は皆さん優しいから若いうちから介護の仕事なんかをやってくれますけどね、介護の仕事って肉体労働だけでなく、仕事としてスキルが身につくものではないから年収ののびしろを考えたら、若い人がやるべきかどうかは微妙なんですよ。介護の仕事をしている若者が、エンジニアとして働いたら様々な意味で将来性がありますでしょう?
私の世代はいわゆる団塊ジュニア世代なので、同世代の数がとても多いです。おそらく私たちが高齢化したときに私たちの介護をどうするのかというのが深刻な社会問題になると思います。私が想像しているのは、年金をちょっと増額して、代わりに医療費や介護費に対する個人負担割合をものすごく増やして、つまり「健康な老人なら長生きしてもいいけど、病気を持っていたり介護が必要な老人なら早く死んでくれ」ってなると思っています。だから今のうちから体を鍛えて介護のお世話にならないようにしてるんですけどね。
いずれ、「認知症になったその人が悪い。いちいち面倒は見てられないから、自分で判断する能力がなくなったからこれ幸いに速やかに旅立っていただこう」となると思いますよ。「ボケ老人が、多すぎるのだ」とね。

こんなジョークがあります。森を歩いていたら、年老いた象が悲しそうな顔をしていた。理由を聞いてみると、「象はとても長生きします。若いやつが年寄りを大切にしてくれません」といった。しばらく歩くと、若い象が悲しそうな顔をしていた。理由を聞くと、「象はとても長生きします。年寄が多くてやりきれません」
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

今後の日本の状況を考えると、おっしゃる通りだと思います。

ただ、日々、老いて行く高齢者の方々が「なんで、こうなっちゃったんだろう。苦しいんだけどなぁ。痛いんだけどねぁ」と言いながら弱っていくのを見るのも切ないものがあります。

癌だと診断されず痛みがあっても、ロキソニン+座薬で過ごさなければならないのも、時代だからしょうがないのか・・。

難しいですね。でも、世の中の主流な考え方は分かってきました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 18:36

わたし、69歳女、肺癌(標本直接採集培養で確認)・脊髄・腰骨にも転移病人で、自宅ですが、本人の希望を聞かないで、積極的治療を進める人ばっかりで疲れます。

少し悪くなれば、検査、良くなっても検査、それもその検査料だけで数万円負担。もっとも無料でも、もう先短いかい人にお金を使ってくれるな、って気持ちです。

人間など(すべての生物)、いつかは死ぬのは分かりきっており、同年代の友人や親戚の死亡を知らされるたびに、次ぎは自分の番と、旅立つ準備はできています。長生きよりも、いかに充実した生活で余命を過ごせるかの方が大事です。わたしの亡くなった姑さん、痴呆症でしたが、家族の犠牲生活も計り知れないくらい厳しいものでした。

自分の頭で考えられ、自分の足で歩け、自分でフロにも入れ、トイレにも行ける高齢者と、他人様のやっかいにならないと何もできない高齢者と、いっしょくたにするべきじゃないって理解してほしいです。

後ろ指を差されることもなしの真面目な生活、子供も独立し、孫とも遊べた人間としての義務を果たしあげた高齢者は、自分の死に際を心得ているので、余計なことをして、単に国民の平均寿命年齢を上げるようなことをしてくれるな、って言うのが、正直な本音です。

分かっていただいたでしょうか?
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この回答へのお礼

 壮絶な介護生活を送られ、今現在、ご闘病中でいらっしゃる中、ご回答ありがとうございます。

 余計な事を何もしてくれるな、と考えられるお気持ち、よく分かります。それでも、検査して確定診断までしたうえでご家族と相談し、治療するか、苦痛をとっていく方向で過ごしていくかを決めてほしい、と思うのは本当の現実を知らないからでしょうか。

 ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 18:48

要するに費用対効果ということではないでしょうか。

財政的問題だけではなく、ご本人にとってもどうかということです。

例えば慢性硬膜下血腫で認知症状が進んだ場合、放置はありえないでしょう。簡単な治療すをればADLは劇的に改善します。一方、血便があったとして、大腸内視鏡を依頼するかどうかですと、大腸癌がみつかったとしても手術するのかどうか、手術するつもりがないのなら検査自体が意味ないでしょう。

質問者さんは医師でないと思いますので判断を下して責任を取る立場ではないでしょうが、厚労省が「かかりつけ医」を重視しだしたのはそういうことだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

老衰なのか、裏に何かあるのか、を検査せず、家族にも検査しても…と報告していていいものでしょうか。医療の知識のある家族ならしっかり検査して白黒ついてから治療をするかきめる方が多いですが、たいていの家族はお医者さんが言うなら、と受け入れます。

費用対効果の話、よく分かります。しかし、大腸がんでも手術しないなら検査自体意味なし、とまだ思いきれずにいます。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 18:22

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