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 神は人間を何であると思っているとあなたは思いますか?




 質問者のこたえは わたしにとって神は 信じているのであって・つまりは わが心なる《非思考の庭》に受け容れているのであって 何とも分からないというものです。


  ○ わが心(身と心)の成り立ち

   信仰:非思考の庭:ヒラメキ
   -----------
   哲学:思考の緑野:思考・想像
   知覚:感性の原野:直感

  ・ なお 《哲学》には シュウキョウのオシエが入ります。それは 信じるものではなく 考えるものです。

A 回答 (17件中1~10件)

子供では あなたには通じないか・・



「我が子」

この回答への補足

 みなさんへ。

 もしさらにご投稿がつづくようでしたら ほかのたとえば【Q:これが さとりだ】などに寄せてくださるようお願いします。




 BA は オーソドックスなお答えをえらびました。

補足日時:2014/07/28 10:29
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この回答へのお礼

 あぁ 分かりました。

 ★ 「我が子」
 ☆ いとしいのでしょうね。



 ありがとうございます。



 ひょっとして だとすれば われわれ人間は 神のことをわが父と思っているのでしょうかね。

お礼日時:2014/07/25 15:41

 人間は神をなんだと思っているんでしょう。



 人間の想定する神は一般として慈悲心の塊、かと思いますが。

 ブラジュロンヌさんは、何とも分からないという、そっけない受け止め方なんですか。

 ブラジュロンヌさんは感じている事を信じているんです。
 それは内から。

 でも、オシエは外から。

 オシエは外からなので考える事になりますが、受け入れられれば内になり、内になれば信じられることになります。

 ブラジュロンヌさんは親鸞から学んでいるんですよね。

 

 
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この回答へのお礼

 ★ 人間は神をなんだと思っているんでしょう。
 ☆ ほとんど同じことなんですが ちょっと待ってください。

 そして わいわいえいとさん まづは ご回答をありがとうございます。こんばんは。


 つまり 問いは
 ☆☆ 神は人間を何であると思っているとあなたは思いますか?
 ☆ ではあります。




 ★ 人間の想定する神は一般として慈悲心の塊、かと思いますが。
 ☆ たとえばそうだとしたら その神は 人間を《慈悲をたれてやる相手》だと思っているということでしょうか?
 
 といった問いになっています。


 

 ★ ブラジュロンヌさんは親鸞から学んでいるんですよね。
 ☆ きちんと言うべきだと思いますので 説明します。

 《まなび》はいろいろしましたが 思考としてのそれは 《神とわれとの関係――つまり 信仰――》にとって決定的な役割をになったことはありません。

 《なぞ》が ある日或る時 わたしの心にやって来た。夜中に襲ってくる盗人のようにです。

 そしてそれは キリストの神でした。名をたづねられるなら キリスト・イエスの伝え示す神でした。


 その信仰の動態にあって むかしまなんだ親鸞を振り返ってみてみると ふむふむ こういうことだったかとよく腑に落ちた。という経過をたどって来ています。

 ヒラメキとその解読は 言葉でおこないますし 思考の問題にもなります。





 ★ ブラジュロンヌさんは、何とも分からないという、そっけない受け止め方なんですか。
 ☆ そこから具体的には いろんな場合・さまざまな受け留め方が あり得る。とは思っています。
 特にこれといったかたちで 決まってはいません。


 そんな感じでしょうか。

お礼日時:2014/07/27 22:38

8.10だよ。


いやね、あなたは文脈を誤解しといてした足らすだと言う癖があってね。
8はあなたが何か回答者に期待していたとかそんなつもりはなかったよ。
今回の様子を見ると、あなたなりに頑張って珍回答にもこたえてるね。
あんまり出しゃばらないで模様眺めするよ。
そもそも子供たちが夏休みなんでね。
今夜も夜11時まで仕事していた。
私は子供たちを幸せにするための「生かす」仕事を心がけていてね、もうかるから仕事しているんじゃない。
そう言う訳で慈しむため、自分の時間を削る時期だから、あまりでしょうばらないよ。
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この回答へのお礼

 ふむ。
 ★★ (回答No.8) ~~~~~~~~~~~

  神にとって愛すべきなのが生命だよ。
  生命の中でも人間は、そんな神の意志に気がついた。

 と、言うといいんだろうが。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というのは 一般にそう考えられているだろうが。という意味ですかね。わたしの意向や期待ではなく。


 いやに優等生っぷりなんですね。いいですけれど。


 夏休みなんだなぁ。


 ご回答をありがとうございます。んぢゃ また。

お礼日時:2014/07/27 05:17

まず、神とは何かを定義しないといけないよな。



そこで、モーペルテュイの

「最小作用の原理から、あらゆる自然現象の基礎である「運動の法則」が導かれる。」

これは、

「神が存在することと、神がこうした法則の起草者であることの最も強力な証明ではないか?」

から、神を「最小作用の原理」としよう。

「最小作用の原理」から、ニュートンの運動方程式も、アインシュタインの有名なE=mc^2も、
量子力学の基礎であるシュレディンガー方程式も導くことができるし、NHKスペシャル 「神の数式」でもラグランジアンで素粒子物理の方程式を書いていたよな。

そうすると、「最小作用の原理」は「人間」を何であると思っているのか?となるよな。

上のことから、作用が最小になるような形で、生物が誕生し、人間に進化しただけということか?

ここでの作用とは何かは俺には分からないが。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ まず、神とは何かを定義しないといけないよな。
 ☆ すでに 0ふーる0さんとのやり取りで かなりくわしく神についての定義または基本的な説明はおこなっています。

 ただしこの質問は それがなくても 回答者一人ひとりの定義にもとづき答えていただけばよい。ということになっています。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 モーペルテュイの

 「最小作用の原理から、あらゆる自然現象の基礎である「運動の法則」が導かれる。」

 これは、

 「神が存在することと、神がこうした法則の起草者であることの最も強力な証明ではないか?」

 から、神を「最小作用の原理」としよう。
 ~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ これは しょうじき分かりません。

 推測で言うとすれば この《運動の法則がみちびかれる原理》というのなら その《最少作用の原理》は 人間の思考によって認識しうることがらであるように思われます。

 つまり 経験事象ないしその抽象的な理論であると。

 これは 神と関係があるかも分かりませんが 神本体ではないですよね? と思いますが 果たして どうでしょう。




 それはともあれとしまして:
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 そうすると、「最小作用の原理」は「人間」を何であると思っているのか?となるよな。

 上のことから、作用が最小になるような形で、生物が誕生し、人間に進化しただけということか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《合理的に出来ている》というようなことでしょうか?

 盲腸がなぜあるか? というような問題でしょうか?



 いや わたしにはざんねんながら よく分かりません。みなさんに SOS を発信しておきます。

お礼日時:2014/07/26 20:23

おはようございます。




☆☆ ひとつヒラメキました。つまり 孔子をなじっている。仁ぢゃないんだよと。仁なんてのは むしろ人為的な小手先細工だ。そんなものではないんだと。
◇はい、孔子や儒教の否定です。
そして、おそらく、天を擬人的にとらえること、天を人間の道徳や価値観で推し量ろうとする態度を否定しているのではないでしょうか。
天は小ざかしい人間の知恵など推し量れるものではない、と言いたいのではなかろうかと。

仁は、「人」+「二」で人間同士の結びつきなどを表わしますので、「天」と「人」の間に使うのはおかしいという考えが背景としてあるのかもしれませんが・・・。



☆☆ ん? つまり 《無為》ぢゃなかったのですか? 《(心を?)空っぽ、虚しくする》と言ったら まるでニルワーナの修行みたいぢゃないですか。つまり 《有為》になってしまわないのですかね?
◇《無為》でもいいのかもしれません。
この《中》は、たぶん、《冲》(空っぽ)の意味。
《無為》には、ことさら何かをしようとする取り計らいや意志が無い、という風にも考えられるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~
 《無為》でもいいのかもしれません。
 この《中》は、たぶん、《冲》(空っぽ)の意味。
 《無為》には、ことさら何かをしようとする取り計らいや意志が無い、という風にも考えられるのではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ む。うまく丸め込まれたか。



 ゆっくりする土曜日。ただし 暑い。きのうから蒸し風呂のごとくになりました。

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。




 そうですね。もしゆとりや あそびがウンと一杯あるとするなら そのことを誇るようにしてでも 無為自然を打ち出して行って欲しいと思います。自然法爾ですから。

 義無きを以って義とすでは まだまだ思考の末にたどりついた無為自然なわけだと思います。そのぶん 説明としては 効果が大きいかも知れませんが。

 ぢゃあその場合には 神は 人間にあまりせかせかしないようにと言っていましょうか。



 しかし 暑いですね。近くの多治見というところで きのう 39.3度でしたとさ。

お礼日時:2014/07/26 12:20

>☆ あぁ。

《神はいない つまり 無い神がいる》派なのですね。それならそうと初めから言ってくれればよいのに。やっと分かりました。

理解はご自由に。

其処に私は干渉しません。

>ただしわたしに言わせると それも無神論という信仰だとなります。非思考の庭に《無い神》を じつは 受け容れている。こういう信仰のかたちであると。
なぜなら もし《神はいない》と証明しえたとすれば その神は 単なる人間の思考や想像によって成った観念の神でしかない。つまり 神は 有る神か無い神かいづれかの神が 誰れにも想定されます。

貴方の理解に私は干渉しませんし、貴方も私に干渉は不可能で、そもそも干渉する事は出来ません。

貴方が理解するのは自由です。

ただ、「定義」という棒を手放し、茫漠の流れを楽しめたら良いのにとは思います。
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この回答へのお礼

 そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。


 けっきょく次のように言い換えたほうがわかりやすい。

 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 なぜなら 《神はいる》も《神はいない》もそれらが証明されえたとすれば その神は 単なる人間の思考や想像によって成った観念の神のことでしかない。

 ところが 神は 経験思考を超えているからこそ 神と呼ばれる。

 よって言いかえると 神は 有るか無いかが分からないけれど それとして・つまり神なるナゾとして 想定されている。その神について 《有る神》か《無い神》かいづれかの神を ひとは自由にえらべばよい。えらんで その《神とわれとの関係》を非思考の庭にて 持てばよい。

 《無い神》をえらんだ場合には もう神がどうのこうのと言いたくないのだから そのように生活して行けばよい。

 神論をもう議論しなくてもよいし したければ したいだけすればよい。有神論派も無神論派も まったく互いに自由に対等に そうすればよい。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 ★ ただ、「定義」という棒を手放し、茫漠の流れを楽しめたら良いのにとは思います。
 ☆ それが成功するには 文学としての前提とその素養を必要とするでしょう。そして 成功と言っても 文学談義のそのつど 哲学の枠を超えて将来に向けて暗示され得たというような成果を手にするというのが 中身です。文学では 哲学ほどには 勝負や結論への到達がはっきりしないということ これが 初めから織り込み済みとなっています。




 《干渉》については:
 なんぢは この神を信じよとか その神は捨てよとか言い寄るのは 干渉です。

 そのほかでは 互いに自分の考えを述べ合い おまけに自由に批判しあうこと これは 干渉ではありません。
 その神を捨てよとか この神を抱けという結論にみちびかれて行きますが 議論は その理由や筋道について互いに情報交換するのであり これは 自由対話でありむしろじんるいの精神を高めるために必要で有益なことです。

お礼日時:2014/07/26 11:55

>☆ いえ。

わたしが言うのは もし《内政干渉》になるような問い求めである場合なら それを全部最後まで明らかにして伝えるか~

私は伝えましたよ。

一切の嘘も虚飾も私にはありません。

受け取る側に、それがあるのみです。

>それともそのような内政干渉になるような問い求めは 相手に気づかれる前にやめにするか。このどちらかにするのが よいのでは? という問いです。

まぁ、良いのですが、其処で止めたいのならば、水から陸に上がりたい等と考えるのは止めた方が良いです。

タブーを設けていては、何を議論していいのやら。

貴方の都合に合わせた世の中ではありません。

>もし《無いです》というのであれば おそらく《一色に染まる》ということもあり得ないでしょう。そして 《一人ひとりぜんぶ違う》という場合も おそらく無いでしょう。

桜の花びらは、全てが同じ色ですか?

見分けが付くか付かないかではないです。

貴方が見えないからという理由が、同じという事柄の担保にはなりません。

一人一人の全てが皆、違いますし、それでいて、皆、桜色です。

>所詮外形だけの話なのです。別に担保されていても・いなくても それぞれ自分の見解を出し合えばそれでよいのだと思うのですが。

お邪魔だった様です。

>そして それは内政干渉にはなりません。《内政もしくは内心》を外形的に表現して互いに伝え合うだけですから。

矛盾しています。

と言うより、傷つけ合わない為だけのコミュニティです。

つまりは私が邪魔をしただけの事です。

ですので基本は私は関わらないようにしているのです。

>☆ いえいえ。どのレベルでも当てはまります。というのも 神観は 信仰の内容そのものではないのです。あるいは その内容についてイメージのようなものとして表わし伝え合うだけだからです。

全てのレベルに当てはめるのは、当てはめる側の自由です。

「肌の色が違うから、神に動物として作られた」

相手に了承を得た発想では無いですよね?

>☆ いえ。違いについて共通の理解を得るという場合もあります。それも 共有になるのではないでしょうか? 神観としては。

共有してはいけない訳ではなくて、共有をしなければ話が進まない議論をする事が不毛だと言っているのです。

>つまり ちょうどねむりねこさんと老子の神観をめぐってやり取りをしています。神は《不仁》だと言う。仮りにこれを 《愛ではない》と採るとすれば それについて自分の神観とくらべて違いをも互いに理解しえます。同じ部分もあるのですがね この場合。(すでにやり取りが出来ています)。

別に結構ですよ。

私が放つ言葉で遣り取りが出来ないだけの事は、ただ其れだけの事です。

>これは 老子という第三者の神観だから 内政干渉にならないのではなく そうではなく 自分の神学であっても同じです。

此の間キリシタンだと言う方と此の場で会話をしたのですが、彼の方は全くキリシタンではありませんでした。

彼の方は「信じる方」がキリシタンだっただけです。

と言うよりも、キリシタンを騙る人物だっただけです。

哀しい程に無明でした。

神を理解出来てもいないのに、何故に神を語るのでしょう?

答えは「安心できる側に居たいから」です。

まぁ、私が偏見を口にしていると言うのなら、其れは其れで一向に構いませんが。

>おそらく《一色塗りつぶし》や《一人ひとりみな別々》といった場合は 無いか稀れなのだと思われます。

まぁ、此れもどちらでも良いです。

そう思いたいならば、そう思えば良いでしょう。

>そして さらにもう一点ですが いま《部分観で共通であったり違いがあったりする》と言いましたが この具体的な主観も けっきょく外形的なものだと思いますよ。神ないし信仰にかかわることがらとしてはという意味です。

面白いのは、共有出来る人間と出来ない人間の境界線は、どの様に引くのでしょう。

「いるはずだ」に拘るのも人生ですので、私は其処に干渉はしません。

何が真理かは、好きに見つけるしかありませんから。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 私は伝えましたよ。

 一切の嘘も虚飾も私にはありません。

 受け取る側に、それがあるのみです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうなんですか。ちっとも気づきませんでした。いまもどのように《伝えられた》のか 分からないでいます。

 《ウソも虚飾》もそれがあるとしても 何が何だか どこがどうなんだか まだ分かっていません。きつねにつままれた状態です。



 考えるに そう言えば ほとんど具体的な例示をおこたって話をして来たのが わたしにはよくなかったかも知れません。最後のところで ねこさんとの老子の話が出て やっと具体的になったようです。





 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 まぁ、良いのですが、其処で止めたいのならば、水から陸に上がりたい等と考えるのは止めた方が良いです。

 タブーを設けていては、何を議論していいのやら。

 貴方の都合に合わせた世の中ではありません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これも 具体的な話を抜きにしてどんどん話をすすめて来てしまったツケかも知れません。いや 何がどうなったのか よく分かりません。

 ★ タブー
 ☆ ということからはもっともかけ離れた男ですよ わたしは。聖徳太子は 悪漢 ゴータマ・ブッダは ペテン師 ニーチェは 阿呆の極致・・・と。


 ★ 水から陸に上がりたい等と考えるのは止めた方が良いです。
 ☆ この表現に反応してみます。

 つまり わたしの場合は 自分で言うのもなんですが 《池に落ちて 水に濡れずに上がって来た人間》だと思っています。

 ★ 貴方の都合に合わせた世の中ではありません。
 ☆ いつもわたしの都合に合うような方向の内に質問をもうけているとは思いますが この問いは いたって単純です。現に ほかの方々から自由な回答をもらっています。そして そういう内容としても誰れの都合からも自由な投稿が出来る質問だと思っているのですが。・・・
 (要するに 暑いので ちょっと手抜きと言いますか省エネのやり取りで・ただし 神観をめぐって 対話をすすめよう。こう思っての設問です)。


 ★ 一人一人の全てが皆、違いますし、それでいて、皆、桜色です。
 ☆ そうですよ。特にこの質問については そうですよ。だから 気軽に話せます。この質問としてのバスは どこ行きかを決めていない発車進行です。

 いつもと趣きが違っているので それだからこそ いろいろ複雑にお考えになったのでしょうか。そうかも知れないですね。
 



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >そして それは内政干渉にはなりません。《内政もしくは内心》を外形的に表現して互いに伝え合うだけですから。

 矛盾しています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 神学の話は いくらくわしく古今東西の英知を集めた議論をやっても しょせん堀の周りをあるくだけです。天守閣にはとどきません。

 いえ。とどく場合もあるのでしょう。つまり 堀の周りから 望み見ることは出来ますから。つまり やはり輪郭だけを話すことになるのだし その輪郭だけでも伝えたり受け取ったりすると あんがい奥の深い話にもつながる。こういうことではないのでしょうか?

 《内心》を映す話は出来ます。間接的にですが。外形的であり間接的であることを破らないかたちでのやり取りですから 内政の干渉にはならない。こういうことだと思うのですが。





 ★ ~~~~~~~~~~~~
  「肌の色が違うから、神に動物として作られた」

 相手に了承を得た発想では無いですよね?
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしは ここの或る参加者について おまえは《認知症か?》とか《たましいが腐っている》とか《人格がみとめられない〔と明らかに表現してやってやっと 人格をとうとぶ寄すがを保つことができる〕》とか言ってやっています。直接その人に言ってやっています。《相手に了承を得》ていません。

 《動物》視は していないはずです。



 ★ 共有してはいけない訳ではなくて、共有をしなければ話が進まない議論をする事が不毛だと言っているのです。
 ☆ 《共有》というのは 言い直しますが 自分の神学について人びととの同じような部分も違っている部分もともに相互理解を得合うこと。これを ここでは わづかに志向性があるとしたら 持っている。こういうことだと思います。

 そのような話のすすめ方によって《不毛》な議論に落ち入ったとしても それも 何のわづらいにもならない。こういう意味でもあります。


 ★ 私が放つ言葉で遣り取りが出来ないだけの事は、ただ其れだけの事です。
 ☆ ということは じっさいには《不毛》なのだが わたしが気づいていないだけ。ということでしょうか? そういう指摘をするときには タブーも遠慮もいっさいわたしには要りませんから ぼろくそに・フルボッコで批判をしてください。そのために 質疑応答をしているくらいですから。



 

 ★ 神を理解出来てもいないのに、何故に神を語るのでしょう?
 ☆ これは 指摘すればよいことです。うまく表現するかどうかもあるでしょうが。また 相手が気がつかないか ついても受け容れないかの場合があって そのときには放っておくしかないでしょうが。




 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 面白いのは、共有出来る人間と出来ない人間の境界線は、どの様に引くのでしょう。

 「いるはずだ」に拘るのも人生ですので、私は其処に干渉はしません。

 何が真理かは、好きに見つけるしかありませんから。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ あぁ。《神はいない つまり 無い神がいる》派なのですね。それならそうと初めから言ってくれればよいのに。やっと分かりました。

 ただしわたしに言わせると それも無神論という信仰だとなります。非思考の庭に《無い神》を じつは 受け容れている。こういう信仰のかたちであると。

 なぜなら もし《神はいない》と証明しえたとすれば その神は 単なる人間の思考や想像によって成った観念の神でしかない。つまり 神は 有る神か無い神かいづれかの神が 誰れにも想定されます。

 そういう広い意味での神学を おのれの神観を 語っていただけばよい。そういう質問です。

お礼日時:2014/07/26 08:15

皆様からかけ離れた考えの一つを…



前に、全知全能の神がいるとしたら と考えて思ったことですが、すべてを平等なら、ドットみたいなものかな?と思ったことがあります。
ただの世界に広がる数多の点のひとつぐらいなんじゃないかな?と。
小石も草もかえるも蟻も雪のひとひらも惑星も恒星も…おなじ重さでしかないなら人間も一緒。と思っての発想でした。


もひとつ
神ねぇ…いろんな神様がいるから 一概には言えないなぁと思ってます。
人間を認識してるのとしてないの、たまに気が付くなんてのも居そうだななんて夢の無い事も思ってますけどね。
人間に寄り添ってる神は温かい目で見てそうだな。
神社仏閣は性格さまざまだから、どう思ってるかは個体差がありそうとも。
土地神は土地の管理をしてるんだろうから、テリトリーにいるものには平等かな?生きてる事を許してるんだから、無茶苦茶嫌われてはいないだろうとも、いろいろ思ってます。
多少は知恵のある動物 それに尽きちゃいそうだけどね。

う~ん、夢がない方向の話でした。
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この回答へのお礼

 ふうかこうさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 ただの世界に広がる数多の点のひとつぐらいなんじゃないかな?と。
 小石も草もかえるも蟻も雪のひとひらも惑星も恒星も…おなじ重さでしかないなら人間も一緒。と思っての発想でした。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 意外と言うか
 ★ 皆様からかけ離れた考えの一つ
 ☆ ですね。


 ★ う~ん、夢がない方向の話でした。
 ☆ という感じが否めないですね。

 おそらく それはそうなのでしょうけれど。《ドット》と見なされていることに変わりはないのでしょうけれど。

 そして ちょっぴり《人間》に注目して:
 ★ 多少は知恵のある動物 それに尽きちゃいそうだけどね。
 ☆ ですね。


 
 


 ★ 土地神は土地の管理をしてるんだろうから、テリトリーにいるものには平等かな? 生きてる事を許してるんだから、無茶苦茶嫌われてはいないだろうとも、いろいろ思ってます。
 ☆ これは おもしろいと思いました。つまりまわりまわって 人間どもは 互いに対等で平等なのだと。《ドット》どうしなんですかね。



 ★ 神ねぇ…いろんな神様がいるから 一概には言えないなぁと思ってます。
 ★ 神社仏閣は性格さまざまだから、どう思ってるかは個体差がありそうとも。
 ☆ なのですね。神であっても・神と言っても 鈍感な場合もあるのですね。

 意外と 夢のない方向でしたね。わるいというのではないでしょうけれど。
 

お礼日時:2014/07/26 07:28

あんたからまた、減らず口を聞く事になりそうなんでね。


あらかじめたたみかけておくよ。

神にとって愛すべきなのが生命だよ。

神が愛するのは生命だよ。
人間は、、、、、
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この回答へのお礼

 つづいてのご回答です。ありがとうございます。

 いや。わたしからの反応は 書いた通りです。

 ゆとり と言ってはへんですかね。おそらくもっとゆるい関係なのではないか。とも思います。




 おっしゃることは 倫理の問題として 間違ってはいないのかも知れませんが。




 発展がない応答になりましたが。

お礼日時:2014/07/26 07:17

B様、こんばんは。




(B様)「ワタシは神を規定できないが、神はワタシを、どうとでも出来る」

そういう、「告白」ですね?
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この回答へのお礼

 K さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ん?
 ★ 神はワタシを、どうとでも出来る
 ☆ ん? M ぢゃないんだから。

 まぁ そういうニュアンスはあったかも知れません。

 ただし そうであるがゆえに・つまり《神はワタシを、どうとでも出来る》がゆえに
 ☆☆ (No.8お礼欄) 神は 人間にあまえて欲しいのではないか。
 ☆ というようにも思いました。直前のその回答に接して思ったことです。


 ☆☆ (同上) もっと自由に欲するがままに のびのびと生きてみなさい。と。
 ☆ とも思いました。そうなると ちょっと違いますね。こちらからあっちへと かなり流動的です。ひとつに固まらない。のではないでしょうか。



 ところで くりなるさんは どう思われるのですか?

お礼日時:2014/07/26 07:13

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