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母衣衆、という前田利家とかも在籍してた信長の親衛隊みたいな者たちですが、背中に膨らませて背負ってる母衣、アレって実際100キロ近い速度で飛んでくる矢なんて防げないような気がするんですが・・・
布とか薄い革風呂敷みたいなのにただ空気入れて膨らませてるだけですよね?

やはりただの色あい、見分け用のオシャレさんだったのでしょうか?

A 回答 (2件)

>布とか薄い革風呂敷みたいなのにただ空気入れて膨らませてるだけですよね?


だけではなくこれで充分役目を果たします。

矢が相手に当たって致命傷を与えるのには、鏃の先端が垂直に当たる必要があります。
垂直でない場合は貫通しないか跳ね返されてしまいます。
TVの時代劇などで、戦闘直後の武士の鎧に矢が沢山引っかかったようにぶら下がっているのはこのためです。
要は矢の飛ぶ方向をそらせてやればいい訳です。
膨らんだ母衣に当たった瞬間に母衣が激しく動きますから、矢はそれ以上真っ直ぐ飛べなくります。
これでOKです。
この現象が起きるのは矢の飛んでいるときの姿勢というか動きがヒントです。
弓矢の矢というのは、直線状に飛んでいる訳ではありません。左右にくねくねうねるように飛んでいます。
さらに進行方向を軸として回転もしています。
下記の映像をご覧下さい。

ハイスピード撮影を弓道の指導に活かす - カシオ 教育情報サイト - CASIO
edu.casio.jp/h_school/ex/camera04/

上手な人が落ち着いて静かに射れば、この動きは小さくはなりますが、ゼロにはなりません。
戦場では矢継ぎ早にエイヤッと射ますから、矢は相当激しくうねるように飛びます。
この動きのために母衣に当たった瞬間進行方向が変わってしまいます。

蛇足
利家とか信長などの時代の母衣は見分け用というか名誉の装束でした。
母衣が実戦で意味があったのは大鎧と呼ばれる源平合戦当時の鎧を使っていた頃です。
大鎧というには背中で両側を合わせて紐で綴じていました。
弓を引いたり、太刀を振り回すときに、胸をそらせたり、腕を後ろへ伸ばしたりするときに背中が板状ではどうにもなりませんから、綴じ目に余裕を持たせていました。この余裕部分を射抜かれることを防ぐために考えられた装具です。
鉄砲が出現した信長の時代には、装飾過多で重い大鎧などは着ていませんでした。
組討ちになった際の防御服としての機能を果たせばいいだけの軽い鎧を着ていました。
火縄銃の玉は丸状ですから、母衣もへちまもありません。貫通します。
ということで、信長の時代は、あくまでも目立つ名誉の衣裳でした。
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この回答へのお礼

なるほどです。そういった特性と意味合いがあったのですねぇ。
いやー、非常に解りやすい解説と回答、目からウロコです。
大変勉強になりました!ありがとうさまです!!

お礼日時:2014/07/30 13:20

母衣は前方から風を受けると、尾を引くように長く後ろに流れる構造になっていまして、


この状態の母衣に矢が当たると、布が絡んで大きく威力が落ちるそうです。
海外の番組で実際に実験して、十分効果があるという結論になっていました。
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この回答へのお礼

なるほど、そうなんですねぇ。てっきり風船ぐらいのヤワなレベルなのかと思ってました。
ご回答ありがとうさまです!

お礼日時:2014/07/30 13:16

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