dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

終末期の患者さんを受け持たせていただいている看護学生です。

患者さんは未告知のため自分の状態がよくわかっていません。しかし、疼痛や嘔気などの身体的苦痛や長期入院、欠食で体重が減少したことによるボディーイメージの変化から、「あとは死を待つだけだ」などと悲観的な発言があります。なので、悲観的な発言があるということを問題点に挙げ、援助していきたいと考えています。

しかし、そこで思ったのですが…
悲観的な発言があることは別に悪いことではないのではないかと思いました。逆に一人で溜め込まず、言ってくれているので問題にはならないのでは…?と混乱してきてしまいました。
悲観的な発言があるということを問題点に挙げるのはどうなのでしょうか。
臨床の看護師さん方からぜひお答えいただきたいです。
よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

看護師ではありませんが 心理学を学んだ者です。



ネガティブな発言が悪くないと言う場合 その人がネガティブを外に出せないでいる場合 一人で抱え込んでいる場合には当てはまると思いますが 逆にネガティブな事ばかりを言っている人には もっとポジティブな意識が必要なのかもしれないですね

どんな発言も いい悪いではなく その人の状態にとって それがプラスに働くものかマイナスに働くものか 状況によって判断しなければなりません。言うことですっきりする場合もあれば 言うことで ますますその闇に飲み込まれていく場合があります。

健康に問題がある方でも問題のない方でも ネガティブもポジティブもどちらも持っているものですが そのバランスが崩れて どちらかに偏る場合 ネガティブすぎる場合もポジティブすぎる場合も 心が病んでいる場合が多いです。
ポジティブすぎるのもよくない というのは だれにでもあるネガティブな部分を押さえつけている場合が多いからです。ポジティブだけが良いこと と思いすぎていると 自分のネガティブな部分に気づけないことがあり(自分のネガティブを受け容れられなくて)それはそれで 心の問題なのです。

終末期の患者さんの患者さん ということで ネガティブな思いがあるのは人として当然だと思います。
それを聞き受け入れてあげる ということは とても大切なことだと思います。
そのままの感情を受け入れてもらえる というのは心の安らぎになるのではないでしょうか。
あえてポジティブに考えた方がいい という場合 その方がネガティブに偏り過ぎて ネガティブな状態から抜け出せないような場合 その時には暗闇には光が必要だと思います。
明るい笑顔 穏やかな心 これほど幸せなことはないですから。
小さな幸せを感じる心を育む ということは 終末期に とても大切なことのように思います。
終末期の方が 幸せを感じてい生きている ということほど すばらしい生き方は なかなかないですから。
幸せ というのは 奇跡のような素敵なことが起こる ということではないと思うのです
幸せ というのは 小さななにげないことを どれだけ幸せと感じることが出来るか という心の成長だと思うのです。身体がどんな状態であったとしても 心だけは成長することが出来るものだと思います。
そして 成長する ということが人にとって 本当に幸せであることを 感じて頂けると ほんとうにうれしいものです。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

患者さんの思いを受け止め、私ができることを精一杯できたらと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/09 18:50

悲観的なことを問題にあげるのは、介入の余地があるからではないでしょうか。



それが絶対的に悪であるから問題としているというよりは、そこを基点として、対話などのコミュニケーションやなにかしてほしいことを探る看護ケアにつなげられるために、問題としてあがっているのではないか、と感じました。
    • good
    • 1

看護師ではありませんが、肉体的苦痛がある場合にできることを丁寧にやってみるというのは難しいでしょうが、それ以外に方法はないと思います。

自分の状況を訴えるのが出来ることなのかもしれません。悲観的というのは臨死状態にない人の感想かもしれない。患者さんは自分を素直に認めているのかもしれない。それが悲観的に聞こえるだけかもしれない。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!